大友の姫巫女

電子書籍八巻 無料部分
  


 外交官達の戦場

豊前国 門司

 始まった大友と毛利の戦についてこの町は恐ろしいほど静寂を守っていた。
 毛利軍の先鋒が芦屋に上陸したという報告は、即座にこの町にも伝えられているのに、戦の空気は驚くほどに少ない。
 それもそのはずで、この町を作った大友家長女珠姫が南蛮人襲来から始まった『珠姫謀反』の誤報の二の舞を避けて徹底的に情報を公開していたのである。

「此度の戦において、大友家は門司を攻める事はなし」

 門司の町衆に公開されたその書状は最初珠姫の花押のみだったが、後で父親で大友家当主ある大友義鎮の花押まで加わるに及んで町衆も信じざるを得なくなる。
 そして、大友家が門司を攻めないのならば、毛利家としても門司の占拠をする必要が無くなる訳で。
 強大な毛利水軍を背景に関門海峡の制海権は毛利家が握っており、彼らが狙うのは門司ではなく博多。
 門司を占拠して約定破りを名目に大友軍を呼ばれたら目も当てられないし、それによって商人たちで構成される町衆を敵に回したくはなかったからだ。
 かくして、珠姫の目論見どおり門司が中立化した事で、大友家にとっていくつかのメリットが発生する事になった。
 一つは、毛利家の戦略目的が博多に一本化された事による、本国豊後の安定化。
 南蛮人襲撃によって別府・府内が焼かれた事は、撃退したにも関わらず大友家の本国である豊後に波紋を投げかけていたのである。
 本国豊後がこれ以上混乱するのならば、現在行われている博多をめぐる争いに後詰すら送れなかっただろう。
 そしてもう一つ。
 これこそ珠姫が望んだ本当のメリット。
 刃を交わしている大友家と毛利家の外交チャンネルの構築が今始まろうとしていた。

「これはこれは。
 安国寺殿。
 わざわざ遠くからようこそ」

「こちらこそ、来ていただいて何より。
 臼杵殿に田原殿」

 九州有数の富豪である神屋家の門司屋敷、その茶室にて最初の接触が行われようとしていた。
 ここを差配しているのは神屋貞清(かみや さだきよ)で、珠姫誘拐未遂事件に毛利側として動いた事もあってこの会談をセッティングさせられたのである。
 この屋敷に茶人として招かれた安国寺恵瓊とは別に、別府・府内の復興の為の商談に来たという名目で、臼杵鑑速と田原親宏がやってきたという筋書き。
 毛利側商人である山崎屋宗質が謀反支援で完全に毛利側についたのに対して、博多が根拠地である神屋貞清は全部毛利側に賭けられない裏事情があった。
 しかも、珠姫誘拐未遂事件に関わっていた事が大友家側にバレている。
 あえて珠姫が不問に付したことが効いて、九州随一の豪商である神屋は動かざるをえなかった。
 毛利家門司奉行の佐藤元実に了解と取り、大友家門司奉行の浦上宗鉄に会談のセッティングを打診。
 互いに殺し合いをしている現状だけに会うだけでも理由が必要だが、その理由の提供をしてくれた神屋貞清の仕事ぶりが光る。
 神屋貞清は茶室にいるが口は開かない。
 それが彼の義理と恩と利害の妥協線なのだ。
 茶室の中での挨拶で、まずは勝敗がつく。
 それは、大友家の勝利という形で。

(まずいな。
 最初から大物を持ってくるとは)

 安国寺恵瓊は内心の不利を悟らせる事無く、茶を立てて大友家の重臣二人に振舞う。
 彼自身は鶴姫襲来という間抜けかつ微笑ましい騒動を収拾する為に門司にやってきており、 まさか南蛮人襲来とそれが誘爆した謀反なんて大騒動に巻き込まれく事になるとはとぼやきたくもなる。
 大友家が出してきたのは重臣。
 しかも一人は現役閣僚たる加判衆の大物で、もう一人も現状における大友軍豊前方面軍司令官である。
 その意味を考えれば、この二人を送り出したメッセージが透けて見える。

(大友家の混乱、予想以上に回復しているぞ)

と。
 外交と言うのは格や面子がかなり大きな比重を占める。
 大友家がこれだけの大物を送り出してきたというのは、それだけこの話を大事に聞きますよというアピールでもあるのだ。
 しかも、加判衆という閣僚クラスがやってきた。
 何か決まっても即座に大友家は承認できるのに対して、安国寺恵瓊は御用聞きとして大友家の要求を逐一長門国の彦島に持ち帰らないといけない。

「互いに刃を交わす仲なれど、この茶室においてそれは無粋。
 茶を楽しむとしよう」

 田原親宏の言葉に神屋貞清は苦笑で返すしかない。
 府内での珠姫誘拐未遂事件で大友義鎮以下重臣連中が激怒しているのは掴んでいるからだ。
 更に博多を押さえる場所に位置する筑前国立花山城の立花鑑載(たちばな あきとし)
が、重臣の謀反にて討ち取られるという凶報も耳に届いているはずだ。
 それでもあえて話を優先させる。
 それをする理由があるからだ。

「府内の方はこちらにも聞こえてきていますが、なにやら南蛮人が狼藉を働いているとか」

 安国寺恵瓊がゆったりとした口調で南蛮人襲撃を前に出して話を逸らす。
 既に博多では激しく争っているが、それを知らないふりをするのは現状毛利家が優位に進めているからに他ならない。
 立花家謀反により博多はほぼ手中に入り、芦屋から尼子家残党を中心にした後詰が上陸していた。
 芦屋近くに城を構える、筑前岡城主の瓜生貞延(うりう さだのぶ)は豊後から派遣された将で大友家側なのだが、彼の居城の西は謀反を起こした宗像領。
東は遠賀川を超えて麻生領だが、その麻生家でも騒動が起こっていた。
 門司の近く、花尾城を中心に領地を持っていた麻生家は、その地理的状況から大友家と大内家(後の毛利家)の争いに必ず巻き込まれた。
 家中はその為に宗家の麻生隆実(あそう たかざね)は毛利派、分家筋の麻生鎮里(あそう しげさと)は大友派と分かれて争っていたのだが、南蛮船襲来の騒動で麻生隆実が麻生鎮里を粛清しようと動き、麻生鎮里が一族を連れて香春岳城に逃げ込んだのである。
 彼が大友家に一部始終を語った上で支援を求めているのを瓜生貞延も知っていた。
 結局、彼も芦屋に上陸した毛利軍に対して城を焼いて、香春岳城に逃げるしかなかったのである。
 この状況を大友家とて座視していた訳ではない。
 田原親宏が門司に行った為に指揮系統が曖昧になったのを突いて、香春岳城にて逃れた麻生鎮里・瓜生貞延が暴走。
 香春岳城守備の御社衆を引き抜いて、鷹取山城の毛利鎮実(もうり しげざね)と図って出撃したのである。
 およそ千人の大友軍が目指すは宗像家の支城である猫城。
 遠賀川の往来を抑え、宗像家と麻生家を分断できる場所にある小城である。
 ところが、この動きを毛利軍は掴んでいた。
 猫城を落とすためには遠賀川を渡らないといけないが、渡河で疲労した大友軍相手に小城と侮っていた猫城城兵は城主吉田倫行(よしだ ともゆき)の奮戦の元百五十人で防戦し、そこを芦屋から宗像に向かったはずの毛利軍に突かれたのである。
 旗印は平四つ目結で先頭の武者は上陸したばかりの山中幸盛(やまなか ゆきもり)。
 これに宗像家より吉田貞永(よしだ さだなが)と占部貞康(うらべ さだやす)率いる二千の兵が渡河と攻城で疲れた大友軍の背後を突き、勝負は半時もかからずについた。
 大友軍は瓜生貞延が討ち死に、毛利鎮実が手勢のほとんどを失って手傷を負いながらかろうじて脱出し、兵のほとんどが散らばって逃げ出すという大敗を喫したのである。
 この合戦の大敗は、かなり広範囲に広がった。
 大友軍の敗北を見た麻生家は毛利側につき、背後が安全になった毛利軍は安心して博多に進み、大友軍は香春岳城から下手に動くことができなくなったのである。
 後で知った田原親宏が歯軋りし、豊後に居た珠姫すらため息をついた国人衆の暴走。
 全ては南蛮人襲撃から始まった大友家の混乱と威信低下から始まっているから、文句を言いたくでもいえる訳がない。
 三家謀反から始まった火の手は、鎮火する事ができずにとうとう大火になって燃え広がったのである。
 この席に重臣二人が詰めているのは、それだけ大友家が追い詰められている証拠でもあった。
 では、毛利家がこの優位を守りきれるのかというと話は別になる。
 大友軍は既に討伐軍を送り出しているから、この撃退が最低条件。
 さらに、太宰府周辺に大友側勢力が集結しており、珠姫の牙城である中州遊郭と二日市遊郭も健在。
 序盤の劣勢などひっくり返せるという雰囲気を醸しながら、臼杵鑑速と田原親宏は茶を堪能するふりをしていた。

「そういえば」

 ぽつりと臼杵鑑速が口を開く。
 自分たちが不利だからこそ駆け引きなどせずに真っ先に切り札をきる。
 メッセンジャーでしかない安国寺恵瓊にはこの切り札をかわすことができない。

「お屋形様曰く、この戦が終わった後の事だが、博多奉行に四郎殿を就かせようと仰せで」

 安国寺恵瓊は茶碗を落としそうになるほど息を飲む。
 今、彼は何を言った?
 博多奉行に四郎を、毛利一族の毛利鎮元をつけるだと?
 この時期、兼帯と言って複数の主君に仕えることは問題がなかった。
 毛利一族を博多に置く。
 それは、博多支配に毛利が関わると同義語である。

「そ、それは真なので?」

 無礼にもそう確認した安国寺恵瓊を責めることは酷だろう。
 最初聞いた時は臼杵鑑速と田原親宏も唖然としたのだから。
 だが、こんな事を考えついた珠姫は毛利元就を知っていた。
 珠姫本人は思い出したくもないだろうが、彼に会い彼の言葉を聞いている。

「何故、豊前・筑前なのですか?
 関門海峡を押さえていれば無理して取る事も無いでしょうに」

「理由か。
 それが夢だからじゃ」

 その答えを知っているからこそ、珠姫はこんな鬼手を出してきた。
 茶室で黙して語らない神屋貞清はだからこそ、この風景に幻影を見た。
 この茶室で珠姫と毛利元就が茶を立てながら言葉で斬りつけあうという幻影を。
 黙っていたがゆえに視えた幻影は、臼杵鑑速の一言で現実に引き戻される。

「こちらが、毛利鎮元を博多奉行にというお屋形様と加判衆一同の誓紙でございます」
「……」

 完敗どころではない。
 最初の交渉でこの戦そのものを無意味な所に持って来られた。
 ここまで譲歩された上で戦を継続する?
 全部ぶっ飛んだら九州で泥沼の戦いを続ける羽目になる。
 尼子滅亡という毛利の悲願が迫っている今、できうる限り兵は温存させたい。
 臼杵鑑速の差し出した誓紙を受け取って、安国寺恵瓊はただ静かに息を吐き出した。

「これらのことは、必ずお伝え申し上げます」


 浦上宗鉄の屋敷に戻った臼杵鑑速と田原親宏は、そこで顔色を変える報告を耳にすることになる。
 先に聞いていた浦上宗鉄と、珠姫が門司との連絡係に指名しこの事を突き止めた朝倉一玄も顔色が悪い。

「秋月種実が逃げました」

「何だと!?」

 怒気をこめて田原親宏が叫ぶ。
 何しろ彼の領地は秋月の旧領なのだ。

「南蛮人の騒動で豊後が混乱している隙をつかれました。
 寺にて小火が発生し、その隙に。
 事態が府内に届いたのが二日前。
 田原親賢様に追手の命が届き、豊前一帯に追手を出しておりますが見つからず……」

 臼杵鑑速が考えながら疑問を口にする。

「おかしい。
 旧領に帰るのならば、追手に見つかると思うのだが?」

 その疑問も朝倉一玄は突き止めていたので解答を口にした。

「足取りは追えたのです。
 蓑島城までは」

 蓑島城主杉隆重は杉家のお家争いにおいて怪しい動きをしたのだが、ついにそのボロを出さずに今でも城主を務めていた。
 そして、蓑島城は港を有しており、門司に繋がる船便が出ている。
 門司に入られたらその先はもう追えない。

「姫様からの言付けです。
 『居るとしたら博多よ』だそうです」

 朝倉一玄の言葉なのだが、言った朝倉一玄まで含めて四人共唸る。
 あの姫様はどこまで見えているのだろうかと怯えたくもなるが、本人からすれば、秋月帰還は確定だが確実に追手が待ち受けている。
 ならばどこかに身を隠すとしたら博多か門司しかない。
 で、毛利を巻き込んで秋月再蜂起を企むならば、武器・兵糧調達で神屋の力を借りざるを得ない。
 だから博多に居るだろうというわかりきった事なのだが、そんな事を論理的に説明した所でこの四人の驚愕がなくなる訳ではないだろう。
 話がそれた。

「狙うは秋月騒乱再びか。
 まずいぞ。
 謀反を起こした宗像と原田に近い。
 連動されると厄介だ」

 臼杵鑑速は額に手をのせてぼやくが、浦上宗鉄が更なる厄介事を口にした。

「先の猫城の負けで動揺が広がっておる。
 秋月にまで手が回らぬ」

 田原領となった旧秋月領が大友家側についている事で、博多との連絡は日田経由でなんとか維持できていた。
 それを太刀洗合戦で竜造寺家に荒らされそうになったが、竜造寺家は大友家に降伏してひとまずは落ち着いた。
 で、この立花謀反と毛利上陸と猫城合戦の大敗、とどめが秋月種実の逃亡である。
 旧秋月領が動揺しない訳がない。

「すまぬ。
 出てきたのはいいが、儂は香春岳城に戻ったほうが良さそうだ」

 姫様の恩義に報いるどころか足を引っ張る失態に、田原親宏は悔しそうな顔を隠そうともせずに声をひねり出す。
 だが、これで旧秋月領が蜂起したらそれどころの話ではなくなる以上、確実に旧秋月領を抑えておく必要があった。
 彼が留守の隙に瓜生貞延や麻生鎮里は暴走したのだから。

「香春岳城は、宗像や麻生を抑える要衝。
 秋月が悪さをしてもあそこからならば目が届く。
 それがしがここに残り、毛利鎮実と麻生鎮里は叱責しておく故、領内をしかとまとめてくれ」

 臼杵鑑速が田原親宏を力づけるように励ます。
 威信が落ちたとはいえ、大友家現役加判衆からの叱責は軽挙を慎むいい薬になるだろう。
 田原親宏が舐められた原因は、大友家同紋衆で豊前方分という守護代身分ではあったが、領地は筑前でしかも田原親賢という代理人を置いており、命令系統が重複していた事による言い逃れの余地の存在だった。
 少なくとも臼杵鑑速が門司で目を光らせるならば、豊前国人衆は黙らざるを得ない。
 そして、香春岳城には猫城で負けたとはいえまだ二千の兵が詰めている。
 何かあったら、この二千の兵を率いるのは田原親宏なのだ。

「分かった。
 ここと姫様を頼む」

 田原親宏は臼杵鑑速に頭を下げる。
 それができる男だったし、それしかできない自分を自覚していた男でもあった。