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大友の姫巫女

南海死闘編

閑話その三 王と王弟 


  スペイン帝国と便宜上呼ばざるをえない国がある。
  とはいえ、これは後世によって広められた呼び名であり、現在の支配者であるフェリペ二世にとって、この彼の国の名前は、

 神の恩寵によるカスティーリャの王、レオンの王、アラゴンの王、両シチリアの王……(以下三十ばかり省略)

 何が言いたいかというと、スペインという国はその名前すらなく、ましてや帝国(やっている事はたしかに帝国そのものではあるが)でもない、複雑怪奇なモザイク模様の連合王国であるという事だ。
  まぁ、そんな前置きをいいながらもこの話においてはスペインと呼ぶことにするのだが。
  そんな国を束ねて欧州の最先端をひた走り『太陽の沈まない国』を作り上げつつあった彼は、広大で華麗な宮殿の中でただひたすら書類と諸問題に頭を悩ませていたのだった。
  書類に埋もれた彼の執務室に衛兵と従者に先導されて足を踏み入れたのは、ドン・フアン・デ・アウストリア。
  アンダルシアでのモリスコの反乱を鎮圧したその報告のためである。

「よくやってくれた。
  アンダルシアが落ち着いてくれると異教徒も少しはおとなしくするだろう」

 豪華で大きな執務机に書類を散らしてドン・フアンをねぎらう言葉をかける国王だが、その私服は質素で目線は常に書類の文字を追いかけていた。
  ヴェネティアの屈服によるオスマン帝国の嵐と、カトリックとプロテスタントの宗教対立に翻弄される西洋世界において、カトリックの守護者としてスペインはひたすら戦い、戦い抜いてその国力を落とし続けていた。
  豊かなる策源地だったはずのネーデルラントは不穏なまま、ヴェネティア商人とオスマン商人が結託したことで香辛料相場は暴落して商人達を破産に追い込み、ポルトガルの海賊行為に双方の疑心暗鬼は募るばかり。
  そんな暗い状況に『王国の希望』として多くの耳目を集めていたのが、ドン・フアン・デ・アウストリアだった。
  前国王カール五世の庶子として生を受けて軍人としての道を進み、アンダルシアの反乱における鎮圧軍司令官を初陣として五年の時間をかけて鎮圧にこぎつけたのだった。

「その事なのですが、ひとつ策がありまして」

 若き軍人として才覚および人望に溢れたドン・フアンは、海上からの攻撃と封鎖で確実に反乱を潰しながら話し合いを続けて和解にこぎつけたのである。
  問題は、その和解案をこの国王が呑むかどうかにかかっていた。

「強制移住については異議は認めないぞ。
  聖職者による教育も同様だ」

 モスリコとは、イベリア半島でレコンキスタが行われていた時代にカトリックに改宗したイスラム教徒を指す名称で、彼らの文化的・宗教的対立が反乱の引き金になっていた。
  同時に、社会の最下層に置かれて低賃金で働かざるを得ない彼らは、アンダルシア地方の貴族・商人にとって欠かすことのできない労働者だった。
  とはいえ、ヴェネティアの屈服によるイスラムへの恐怖は強く、彼らの排除・追放をフェリペ二世は求めたのである。

「いえ。
  そのどちらでもありませぬ。
  私が申し上げたいのは、移住先についてです」

 その言葉でフェリペ二世ははじめてドン・フアンの顔を見た。
  モスリコの数は把握できているだけで数十万と言われ、それだけの大量追放が起こった場合追放先と追放元の政治的・社会的混乱は計り知れないものになるだろう。

「新世界に彼らを追りたいと思っています」

 現在のスペインの収益はアフリカから奴隷を新世界(大陸)のアメリカに運び、アメリカから金銀を持ち帰る事で成り立っていた。
  鉱山の労働と疫病でインディオが恐ろしい勢いで使えなくなっている今、黒人奴隷すら足りないという窮乏でこの数十万規模の低賃金労働者はスペイン国家経済改善の慈雨となるだろう。
  だからこそ、フェリペ二世はその提案がドン・フアンが考えたものでない事を見抜いた。

「と、フロンテーラ公爵に言えと言われたか?」

 今度は驚愕の顔を隠しそこなったドン・フアンがフェリペ二世をまじまじと見つめる番だった。
  手で書類を脇に置き、机に肘を乗せて手を組み頭を乗せ、フェリペ二世は楽しそうに笑う。

「私の別名を知っているならば、間者に気をつける事だ。
  私はこの部屋を出る事無く、世界を知りうるのだからな」

 『書類王』はしっかりと内通者の存在を印象づけておく。
  王たるもの、身内と大貴族は敵と思え。
  ただし結婚できる女はのぞいて。
  婚姻によって大帝国を作り上げたハプスブルク家の家訓を思い出しながら、フェリペ二世は青ざめたままの王弟に話しかける。

「はは。
  脅かし過ぎたか。
  これでも褒めているんだ。
  その提案に乗るつもりだからな」

 そこまで言ってフェリペ二世は侍従に目線を向けて彼らを下がらせる。
  二人きりになった事を確認した上で、王は王弟に歴史を作らせる。

「これから言う事は他言無用だ」

「神の名に誓って」

 その言葉の後、次の言葉が出るまでに少しの時間を要した。
  短く、淡々としたその言葉にドン・フアンはその意味をしばらく理解できなかったのである。

「王国を新世界へ逃がす」

 と。
  頭が理解に追いついた時、ドン・フアンの意識が最初に行った行動は拒否だった。
  それは目の前の国王が自らの国の滅亡を予言しているからに他ならない。
  とはいえ、理性でその行動を押さえつけた彼は、いつのまにか浮き出ていた汗を気にせずに当然の言葉を発した。

「何故です?」

「異教徒の脅威が迫っているのにプロテスタントは抗議を続け、異教徒はヴェネティアを屈服させて次の獲物を狙う始末だ。
  しばらくはおとなしくしているだろうか、ローマではあの異教徒の次の征服先をローマかウィーンと考えているらしい」

 ローマ、つまりカトリックの総本山であるローマ教会上層部の意見が本当ならば、スペインはとんでもない大乱に巻き込まれる事になる。
  ウィーンがオスマンに攻め込まれるのはこれが初めてではないし、分かれたとはいえハプスブルクの本家の危機である。
  放置できるわけがない。
  ローマだと事態は更に厄介で、ローマの前にはマルタやシチリア等のナポリ総督管轄区(つまりスペイン領)が広がっている。
  海洋国家ヴェネティアですら膝を屈したオスマン帝国相手にスペイン単独で戦争に挑む。
  悪夢以外の何者でもない。
  ちなみに、フランスに助けを求めるなんて選択肢は太陽が逆さに昇ってもありえないので、二人とも当然のように選択肢からはずしている。
  なお、フランスはオスマン帝国と外交関係を持ち、ヴェネティア経由で東方交易の利と西地中海の制海権をスペインから分捕ろうとする気満々なのはもはや公然の秘密となっており、ローマ教会が十字軍結成を唱えれども進まない最大要因となっていたり。
  とはいえ、ユグノー戦争真っ只中(オスマン帝国経由の富を得られる海運・金融などの商工人がユグノーだった事も幸いした)で、その動きが進んでいない事が幸いではあるが。
  現在のフランスはつい先ごろ結ばれたサン・ジェルマン和議によって辛うじて平和が戻ったが、それが『武装した平和』と呼ばれながらも今度は長く続くのではと多くの外交筋見ていた。
  その理由も含めてフェリペ二世は核心を告げた。

「まぁ、戦争については君達軍人ががんばるならば何とかなるかもしれない。
  本命はこっちだ。
  地中海と紅海をつなぐ異教徒の事業が本格的にエジプトで始まった。
  できないかもしれないし、まぁ失敗しろと神に祈りたいが。
  五年後か、十年後か、かの地にて海が一つとなる」

 海の貴族(すなわち海賊)であるフロンテーラ公爵と親しくしていた関係から、スペインの海洋交易のしくみをドン・フアンはしっかりと理解していた。
  これが開通すれば、これまで先人達が作り上げてきた喜望峰とマゼラン海峡を経由して得られる莫大な富を、オスマンおよびヴェネティア・フランスが横取りする事を意味している。
  ちなみに、この運河工事にあてられる労働力こそ、先のユグノー戦争で問題となっていたユグノーだったのだから。
  フランス摂政カトリーヌ・ド・メディシスはユグノーとの戦いで和解は無理だと悟り、1566年にオスマン帝国に対し駐オスマン大使ギョーム・ド・グラシャン・ド・ガンティを通して、

「ユグノーとルター派をオスマン帝国支配地域のモルダヴィアへ移住させて軍事植民地をつくり、ハプスブルク家に対する緩衝地帯となす」

 提案をオスマン宮廷に行っている。
  その時はオスマン宮廷側がこれを無視して話は流れたのだが、この提案をヴェネティア共和国が仲介に乗り出した事で別方向に進みだす。
  スエズ運河工事の労働者に使いたいとフランスに申し出たのである。
  人力で掘り進められる工事ゆえにどれだけの労働者が必要か予測がつかない難工事の為、その労働力提供をヴェネティアはオスマン宮廷に約束。
  金も出すならば人も出すヴェネティア共和国の覚悟と、オスマン帝国とフランスに恩を売る事でカトリック諸国(特にスペイン)の報復を恐れるヴェネティア共和国の実利に基づく提案にカトリーヌ・ド・メディシスは飛びついたのである。
  フランス国内のユグノーも確認するだけで数十万の規模を誇る。
  意外かもしれないが、オスマン帝国の異民族支配は人頭税とイスラム法シャリーアを遵守すればミレットと呼ばれる民族共同体の下に一定の自治が付与され、各民族の伝統的言語や信仰の自由が保障されていた。
  これが決め手となって内乱に嫌気の差した商工人をはじめとしてオスマン帝国に流れて、そのほとんどがスエズの土となって運河は開通するのだがそれはひとまずおいておく。
  話を戻そう。
  オスマン帝国の脅威とその拡大は今も続いており、スペインの未来はことイベリアのスペイン本国において先はものすごく暗い。
  とはいえ、植民地は別だ。

「だから、新世界へ逃れると?」

 おおよその事情を把握したドン・フアンが確認のために言葉をかける。
  できれば狂言であってほしい欲しいという願いも込めていたのだが、それはこの西洋一理性的であろう王がまず行わない行動でもあった。
 
「そういう所だ。
  とりあえずネーデルラントはなだめてそのままに、イングランドが五月蝿いがフランスがおちつけば必然的にフランスがイングランドの相手をしてくれるだろう。
  我々からすれば、もう百年ほど戦争をして欲しい所だが」

「『オルレアンの乙女』が出ない事も神に祈らないといけませんね」

 そして二人して笑う。
  面白い冗談でもないが笑わないとやってられないドン・フアンと、すべてを受け入れてなお足掻こうとするフェリペ二世の笑い顔が違っていた事を知る者はいない。
  ひとしきり乾いた笑いをあげていた二人が真顔に戻った時、その声はとても低くかつ静かだった。

「新規に副王位を用意している。
  モスリコを、いやユグノーやプロテスタントでも黒人でもいい。
  とにかく使える者を使い潰して、新世界に我等の王国を作れ。
  異教徒がこの地に再度やってくるまで十年は足掻いてみせる。
  そして、万一この部屋まで異教徒が足を踏み入れたならば、君がこの地を再度奪還するのだ」

「……レコンキスタ」

「コンキスタドールと言ってくれ。
  征服するのは、カスティーリャ、レオン、アラゴン……
  ……そしてポルトガル」

 これ以上の衝撃はないだろうと思っていたので、ポルトガルの国名が出てきた時にはっきりと驚きが顔に出たドン・フアンに対してフェリペ二世はニヤリと笑う。
  それは、いたずらが成功したような子供のような笑みだった。

「言っただろう。
  新世界にこそ、わが王国の未来がある。
  ならば、アジアの異教徒と組んで海賊行為を行い、新世界を荒らすポルトガルは潰さないといけないだろう?」

 指で机をつつきながら、フェリペ二世はその軍事計画を告げた。

「兵は本国から四万、軍船は五十隻。
  フランスが動けない今がチャンスだ。
  短期間でけりをつけてポルトガルを併合、その植民地を得る事でアジアに確固たる拠点を築く」

 いまや黄金の国というか銀と女の国である日本からオスマン帝国へ向けて進む隷姫航路は巨万の富を生んでいた。
  その中継地点としてポルトガルはゴア、マカオ、そしてベップという拠点を持ち、アジアで動くスペイン船に対して杏葉の大友家家紋をつけて海賊行為にいそしんでいる。
  これらの植民地がスペインのものになりその富を新世界に運ぶ事ができれば、スペインの寿命は幾許か延ばす事ができるだろう。

「フロンテーラ公爵を連れてゆけ。
  色々因縁はあるが、あれより海を知る男を私は知らない。
  あと、フロンテーラ公の娘には手を出すなよ。
  あれは私の娘だ」

 ここまで衝撃の事実があると隠し子の存在すらどうでもよくなるらしい。
  ある意味、この話とどうして自分が選ばれたのかという理由が、すとんと胸に落ちたからである。
  万一のスペイン滅亡時に王家復興としての旗にしろと。
  カール五世の庶子で副王位という立場だけでは、無駄に多いハプスブルク一門の誰にいちゃもんがつけられるか分からない。
  だが、フェリペ二世の娘という旗があれば、ついでに二人が婚姻でもしていたらこのイベリア半島で文句を言う輩は出る訳がない。
  そして、最後の最後までフェリペ二世はここを離れずに、最後を共にするつもりなのだと。

「何を暗い顔をしている?
  ありうるかもしれない話だ。
  この部屋が炎に包まれるか、世界がわが王国のものとなってその命令書で埋もれるか神のみぞ知る……さ」

 カトリックの守護者を自認していながら、さしたる宗教的意欲と狂気からはかけ離れた顔でフェリペ二世は小さく笑う。
  彼はまごう事なき英傑であり、国王だった。

「さて、そろそろ時間かな。
  ついでにポルトガルへの軍司令官も紹介しておこう」

 フェリペ二世は従者を呼んで、待っていたであろう人物を部屋に入れるように告げた。
  そして、入ってきた人物はドン・フアンを顔を見て驚きの声をあげた。

「お前も来ていたのか」

「パルマ公。
  あなたでしたか」

「彼には全部語っているから、二人とも楽にしてくれ」

 パルマ公ことアレッサンドロ・ファルネーゼはこの国において軍事で卓越した才能を持つ将であると同時に、彼の妻マリアがポルトガル王マヌエル1世の孫娘であった為マドリードの宮廷でも重きをなしていた。
  和戦両方で押す事ができる彼は今回の戦争にうってつけの将だろう。
  細部の話を詰めだすフェリペ二世とパルマ公の邪魔をする事無く、ドン・フアンはふと思いついた疑問を考え、話が終わったらしい二人の視線が向けられているのに気づくのが遅れる。

「何を考えていたんだ?」

 二歳年上のパルマ公はドン・フアンにとって兄貴分みたいなもので、公的の場というのは忘れてついぽろりとその考え事を口に出してしまう。

「たいした事ではないですよ。
  国王陛下がおっしゃった『十年は足掻いて……』って何時からかと思っただけで」

「なんだそんな事か」

 ポルトガル戦の作戦計画書にサインをしながら、フェリペ二世はドン・フアンの考え事の答えを口にした。


「いま、この時からだ」

 

 

 作者より一言

 タイトルに『南海死闘編』なんてつけた以上、このシーンはどうしても書きたかった所です。
  先生。三州公の突撃は……パナマは……、贅沢は言いませんので星の続きを……いや地球連邦でも……(血涙)



 

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