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大友の姫巫女

南海死闘編

間話 長島本願寺炎上

 長島本願寺が織田軍の重包囲下にて紅蓮の炎をあげて信徒ともども極楽に行こうとしていた時、その織田軍本陣では織田信長以下重臣達が雁首揃えて真っ青な顔を並べていた。

「つまり、銭が足りぬという訳か?」

 織田信長が端的にまとめてみたが、担当重臣である滝川一益は信長のまとめに首を横に振った。

「銭ではありませぬ。 
  火薬が圧倒的に足りないのです」

 本願寺と交戦に入った以上、本拠尾張を牽制できる位置にある長島本願寺は早期に排除しないといけない拠点のひとつだった。
  これを、滝川一益を総大将に尾張・美濃の兵を使って攻撃を開始。
  数度にわたる攻撃失敗と明智光秀・羽柴秀吉・丹羽長秀などの各地の重臣を投入し、信長馬廻を投入し、スペイン船の海上砲撃までやっての短期力押しにてやっと片付けたのである。
  この結果、石山から京都周辺の織田勢力は本願寺を筆頭に反織田勢力の伸張を許す事になったが、本拠の安全確保がなった事を考えればこっちの方が大きい。 
  武田家は天竜川合戦とその後の武田信玄の死去によって侵攻能力を失い、東海道を制圧した徳川家が信濃侵攻まで計画している現在、美濃と尾張の兵のほとんどを対本願寺戦に投入できるからだ。 
  で、その投入で足らずに各地重臣の兵すらかき集めたあたり、いかに第二次倶利伽羅峠合戦で織田家の中軸層が失われたか端的に物語っていたりするのだが。 
  結局、この戦でも勝利を決めたのは火薬だった。
  元々、火器の扱いにおいては本願寺勢の方が長けている。 
  その為、長島包囲に追い込む段階での一向宗の蜂起で織田信興が討死。
  さらに数度に渡る長島攻撃において抜擢された山田勝盛や和田定利が討死するという大損害を受けたが、長島の包囲と封鎖に成功し一向宗の火薬供給が絶たれるとその抵抗は見る見る下火に。
  そして、スペイン船による長島砲撃で士気が崩壊したのを見て取った織田軍が総攻撃に移り、織田信広や織田秀成および織田軍数千の犠牲を経て長島本願寺門徒数万を焼き殺したのである。
  かくして、先の天竜川合戦で枯渇した織田家の火薬はまた完全に無くなったのだった。

「買えばいいのでは?」

 北畠具豊がまだ事の重大さを理解していない事を暴露したので、羽柴秀吉がこの場の全員に分かるように滝川一益の懸念を噛み砕いて口にした。

「あの姫様相手に、火薬の奪い合いをしろと?」

 織田信長以下、誰もがはっきりといやでも分かったがゆえに冒頭の顔になった訳で。 
  それは銭がいくらあっても足りない。
  火薬の供給地は大陸である。
  その為、その最初の荷は博多をはじめとした九州に降ろされる。 
  この段階で既に大友家の方が火薬調達能力で織田家より優位に立っているのだが、あの姫のえげつなさはその仕入れた火薬を大友家で留める事無く畿内に流し続けた事にある。
  超ぼったくり価格で。
  天竜川合戦から常に火薬の供給に不安を抱えていた織田家はこの珠姫プレミアム価格にいやでも銭を払うしかなかった。 
  もちろん、他の供給源も無いわけでは無かったが、大筒や大量の鉄砲を運用するだけの大量の火薬を安定的に供給できる相手なんてこの日の本広しといえども珠姫しかいない。
  で、このロジスティックスの化け物たる姫に織田家は島津を使って喧嘩をふっかけたばかりである。 
  珠姫は否応無く島津戦に踏み切り、自軍が使う為に火薬を大陸から直で買い付けていたのだった。
  その為、報復というのもおこがましいが、畿内では火薬は超超ぼったくり価格となって大友毛利連合以外の大名家に阿鼻叫喚の叫びをあげさせていたのである。 
  織田家はその阿鼻叫喚の叫びを一番盛大にあげていたりする。
  そして、一向宗の本拠たる石山本願寺には珠姫から好意で大量かつ甚大な量の火薬が蓄えられているのを織田家はつかんでいた。 
  というか、珠姫が某ボンバーマン経由で流したのだが。

「で、此度のような戦をする為の火薬を集めるためには、どれぐらい待たねばならぬのだ?」

 不機嫌極まりない織田信長の言葉に、大友担当で数字に強い羽柴秀吉が即答する。

「三年。
  無理をしても二年かと」

 あの姫にそれだけの時間を与える事がどれぐらい致命的な事態になるかを分からぬ者はこの場に座ってはいない。
  『天下はいらぬ』と公言してはばからないくせに、こうして天下に当たり前のように関わり続けるあの姫の恐ろしさは第二次倶利伽羅峠合戦で誰もが骨の髄まで味わっているのだから。 
  武田の脅威を取り払った今、返す刀で本願寺を潰して畿内を制圧してはじめてあの姫と対等に渡り合えるのだ。
  島津を唆したのも、その畿内制圧の為の時間確保の為だったのに、その結果がかえって織田の足を引っ張る本末転倒ぶり。

「焼くしかないでしょう。 
  此度のように」

 明智光秀が表情を消して淡々と結論のみを先に口に出した。
  織田家とて何も好き好んで長島本願寺門徒数万を焼き殺した訳ではない。
  火力の不足を補うために、火を用いざるを得なかったというだけだ。
  しかも、鉄砲足軽をはじめとした火器技能者は本願寺勢の方が多い。
  彼らを石山や紀伊に帰すわけにはいかなかったのである。
  結果、重包囲下にての焼き討ちなんて惨劇が発生し、窮鼠と化した一向宗の逆襲にて出さなくてもいい損害を織田軍は受けてしまった訳なんだが。
  なお、この長島戦から織田軍の戦略は、付城による包囲下による陣地戦が定着する。
  同時に、後詰に来る敵軍に対しての物見を強化し、大砲等の運搬能力から決戦戦場をずらして戦う事を強要する事を目指すようになる。
  城攻めと後詰を叩ききる火薬が確保できないから兵糧攻めなどの長期戦になり、相手が有力な火器持ちならば撤退も可な為に経済力で勝る大友毛利連合以外の勢力はこの長期戦に疲弊してゆく事になるのだがそれは別の話。

「さしあたっては近江の一向一揆を潰さねばなりませぬ。
  比叡山延暦寺を焼いたは良いが、その後釜に山科本願寺が再興された今、京を守る為にも背後の近江を安全にせねば」

 京都防衛担当である羽柴秀吉が懸念を口にする。
  山城国山崎城を居城にし丹波一国を与えられている彼だが、同時に山科本願寺への一向宗後詰を妨害するという難しい仕事を任せられていたのである。
  事実、今回の長島戦に先立って石山・山科の両本願寺を基点に一向一揆勢が織田家の諸城に押し寄せて荒木村重や佐久間信盛などが防戦に追われていたりするのだが、それを撃退してこちらに軍を送っている羽柴秀吉の才能が分かろうというもの。
  優秀な弟に全部丸投げしたともいうが。
  現在、山科本願寺へは大和・伊賀・河内の三カ国を領有する松永久秀の領地を通って物資が搬入されており、これをどうやって妨害するかが問題となっていたのである。
  そのくせ、織田家の城に一向一揆が押し寄せたらちゃんと後詰をするあたり本当にたちが悪い。
  羽柴秀吉とて才能も野心も十分にあるが、それゆえに己の限界もよく分かっており、近江方面に己と同じ権限を持つ重臣を担当にと求めたのだった。
  だが、羽柴秀吉の言葉を理解した織田信長はそれ以上に踏み切る。

「尾張は奇妙丸に任せ、一益はそれを支えよ。 
  長島は勝家に与え、三介を支えさせる」

「はっ」

 まだ長島本願寺が焼けているというのに、論功行賞まで踏み切って重臣の再配置をこの場にて決めてしまうつもりなのだ。
  本拠である美濃と尾張を織田信忠に任せ、その補佐に滝川一益がつくという事は彼が現在の織田家重臣筆頭であると織田信長が言ったに等しい。
  同時に、現在北陸の地にて捨て地同然だった大聖寺城を守りきった柴田勝家の復権が決まり、北畠具豊の補佐につける事を口にすると重臣たちの間にもなんとなく信長の構想が見えてくる。
  三男信孝が畠山信孝として河内国岸和田城にて佐久間信盛と共に一向一揆の攻撃を耐え忍んでいる。
  血族による求心力の拡張とその下に実力者の重臣を配置する事で織田家支配を磐石なものにするつもりなのだろう。
  そうした家臣再配置に踏み切った理由は岐阜城にいる一人の赤子の為に他ならない。

(あの姫様がお生まれになってから、大殿はお変わりになられた……)

 苦しいながらも兵を率いて顔を見せた羽柴秀吉は顔に出さずに感慨深げに物思いにふける。
  濃姫との間にできた赤子の姫君は玉と名づけられたが、それ絶対九州の姫様意識していますよねと家臣の誰もが突っ込むのを我慢した姫様の存在が、織田家に微妙な波風を立てていたのである。
  織田信長は能力主義者である。
  それは、旗揚げ時から一門・譜代を敵に回してきた裏返しでもあった。
  だからこそ、勢力がおおきくなった今、一門や抜擢した重臣を譜代として取り立てようという狙いなのだろうが、能力主義ゆえに織田家臣の誰もがそれに気づいてしまう。

(才能あったらその姫様に織田家継がせたりしませんよね?)

と。
  また某九州の姫様が女だてらに大名なんてやってしまっているからたちが悪く、旧国主である斉藤家の血を引く正室の娘ともなれば旧斎藤家出身者が担ぐ旗印として申し分ないものなのだ。
  畠山信孝が佐久間信盛と共に最前線で戦っているのもこれが理由である。
  信長の次という視点で見ると織田信忠ですら現在第一位でしかなく、功績をあげて重臣がつけばひっくり返せるかもしれないと。
  柴田勝家復権も実は畠山信孝の動きに刺激され、長島攻めであまり活躍できなかった北畠具豊の支援があったという裏がある。
  後継者達ですらこれなのに、重臣レーストップ争いをしていた滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉の三人が意識していない訳が無い。
  北伊勢半国と領土的に遅れを取っていた滝川一益が織田信忠の補佐になった以上、自分達も旗頭としての一門を求めないといけない。

「よろしければ、近江佐和山城に織田信包殿をお迎えしたく」

 先に言葉が出たのは元佐和山城主の明智光秀。
  越前に国替えになったが城と領地はそのままだったので、城と領地をつけて自らの旗頭の確保に動いたのであった。
  同時に、近江一向一揆戦の総大将に自分を推挙してくれというアピールにもなるのだが、その推挙の先を読んだ織田信長は後半を認めなかった。

「いいだろう。
  近江佐和山の代わりに柴田がいる大聖寺城はお前に任せる。
  だが、此度の近江攻めは五郎左に任せる」

「はっ」

 織田家譜代組の重臣で唯一無傷でかつ若狭を支配して重臣席に座っていた丹羽長秀は、丹後攻めを終わらせて遊軍みたいな形となってあちこちの後詰に借り出されていた。
  柴田勝家と佐久間信盛が倶利伽羅峠合戦でついた泥を払い落とさないといけない現在、織田家譜代組筆頭として担ぎ上げられる立場なのだが、柴田勝家と佐久間信盛の復権にも手助けする当たり基本的に人はいい。 
  なお、羽柴秀吉も彼の支援を受けていた一人だったりする。
  その為、基本的に重臣間の仲が良くない織田家中において、唯一派閥みたいなものが作られようとしていた。
  これが、織田信長の独裁政権である織田家の実情だった。

(まぁ、丹羽殿が大将ならば、落とし所としては妥当か。 
  山科が落とせるならば楽になるのだが、旗頭をどうしてくれようか)

 一門と重臣を組ませる事で相互監視も視野に入れているのだろうが、それは一門が無能だった場合壮絶に足を引っ張られる事を意味している。
  京都防衛の大任を受けている以上、監視は必要だが無能だとこっちが困る。

(たしか、京都所司代となった村井貞勝殿の元に、村井重勝殿がいたな。
  村井殿を通じて織田一門に復権してもらうのも手か)

 この考えは実行に移されて、この戦いで討ち死にした織田信広の家を継いで京の旗頭として京に滞在する事になる。
  だが、これだけで手を止める羽柴秀吉ではない。
  彼は珠姫に繋がっているからそこ、その立ち居地の危うさはちゃんと認識していたのである。
  もう一手、織田信長の疑心を晴らす手が必要だと思い、その言葉を彼が言ったのは、話が終わり織田信長が陣から出てゆく時だった。
  かつての小姓よろしく後ろからついてゆき、ほめ言葉をを織り交ぜながら、彼はこんな事を信長に言ったのである。


「ぜひともうち石松丸の嫁に大殿の姫君を頂きたく……」


 

 

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