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大友の姫巫女

南海死闘編

第八十三話 豊薩死闘 肥後騒乱 その二

地理説明

白 大友家
黒 島津家

 

↑筑後                                      →豊後

 

        玉名遊郭
           □      隈府館(隈部家本拠)
                   ■

                  隈府城(隈部親永 数百 大友軍包囲中)
                    ■
                       隈府鎮台
                        □ (立花元鎮 数千)


             田原坂     合志城(合志家 数百)
      (御社衆 数百) □       □

 

               隈本城(城家 千)
                 □

 


  志岐城(交戦準備)                      浜の館(阿蘇家本拠)
   □  才津城                        □                        
      ■      宇土城                
              ■
             (島津義弘・家久 六千)                  →日向

 

 

 水俣城(島津軍包囲中)
   □

               人吉城
                 ■

↓薩摩

 

「島津軍。ついに肥後北上す!」

 その報告は肥後どころか北部九州一円に一気に広がった。
  にも関わらず、その動揺は肥後一国の中で終わっていたのである。
  宇土城主名和顕孝の内応によって八代まで抵抗なく侵攻した島津軍は、近隣国人衆を糾合し六千の軍勢に膨れ上がった。
  だが、島津にとってここから問題となる。
  つまり、何をもって終わらせるかを島津側は迷っていたのだった。

「考えるまでも無い。
  前と同じくあの姫の首を狙えば良いではないか」

 あっさりと言ってのけたのが今回の副将としてつけられた島津家久。
  要所を簡略化して考える事ができるからこそ、本質的な所で彼が間違える事は少ない。
  それを知っていても、今回の総大将である島津義弘の口は重かった。

「それをかの姫が警戒しておらぬと思うてか?
  とはいえ、大筋は間違いが無い。
  悩むのは、その筋にどうやって合わせるかだ」

 櫛田崩れの結果、島津が大友側に入れていた間者組織は一気にあぶりだれた結果となってしまった。
  その多くは逃げ出せたが、もう一度入れるまでの時間と信用がない。

「現状、戦が発生しているのは三つ。
  水俣で以久殿が城を囲んでいる。
  天草では志岐麟泉の志岐城を攻め落とさんと、才津城に入った志岐諸経が兵を集めている。
  義虎殿が後詰に動いているはずだ」

 この二つは島津の戦であり、島津が関与している戦だ。
  島津以久は島津一族では彼の父島津忠将が前当主島津貴久の弟に当たるという有力な分家筋で、現当主島津義久からの信頼も厚く、肥後口の島津軍の大将の一人として最前線水俣を抑えてもらっている。
  島津義虎は島津一族でも本家筋の人間だったが、分家の伊作家(島津忠良・貴久親子)側について彼らの本家乗っ取りに功績をあげ、現当主島津義久の長女・於平を妻にした有力一門の一人だ。
  その彼の娘が志岐諸経に嫁いでいる関係もあって後詰に志願したのだ。
  ここまでは本筋ではないとはいえ、島津の戦だ。
  だが最後の一つは違う。

「で、悩むのが隈部親永が奪った隈部城だ。
  大友への謀反と断罪して、立花元鎮率いる数千が激しく攻め立てている。
  ここまで我らを無視するとは思わなんだ」

 本来ならばこの戦は相良と阿蘇の戦いであって、たとえ大友と島津の代理戦争であろうともそれを外れる事はできない。
  なぜならば、それを外すと大友と島津の全面戦争になってしまい、下手したら毛利や織田や南蛮勢力まで巻き込んだ大乱になりかねない。
  櫛田崩れなんて謀殺をしかけておいてあれだが、島津側はこれでも最後の一線である全面対決を回避しようとしていたのである。
  何しろ櫛田崩れの表向き理由は、

『長寿丸こと大友義統の家督継承の邪魔になる珠姫を排除する』

 なのだから、豊後国人衆はその島津の手に賛同しないまでも黙認はしていたのだった。
  豊後外の連中が激怒する事は目に見えているが、国人衆にそこまでの視野なんて求める方が間違っているし、大友の名前と富はその激怒を抑えきれるだけの看板でもあった訳だ。
  腸は煮えくり返るだろうが、手は結べる。
  それが島津側から見た櫛田崩れである。
  島津がそんな形で考えていたのは、島津の目的が三州--薩摩・大隅・日向--制覇でしかなかったからに過ぎない。
  本来、島津家は九州制覇なんて狙う能力も意思も持っていなかった。
  内紛で弱体化したかつての栄光の復旧。
  それが三州制覇として目標に掲げられているに過ぎない。
  島津家にとって、本来の目的は日向であって肥後ではないのだ。
  とはいえ、日向は先の木崎原合戦までの乱捕りで対島津感情が極端にまで悪化。
  大隅にて島津歳久が諜略の手を伸ばしているが、芳しくない答えしか現状は帰ってきていない。
  ある意味なし崩し的に踏み込んだ肥後は、既に南半分近くを島津勢力圏に加える事に成功していたゆえに二人は途方にくれた。

「これほど豊かだとは……」

 島津軍の足を止めたのは、莫大な資金を投じて作られた肥後の豊かさであった。
  内紛によって乗っ取った相良家ですら、対島津の最前線という事もあって人吉城の米蔵と銭蔵は満杯で、それの薩摩への搬送だけでかなりの時間を食ってしまっている。
  それはここ八代でも同様で、接収による大量の収入で島津兵だけでなく、島津に味方した国人衆達をも潤したのである。
  水俣も間者の報告によると常時食料と銭が蓄えられていたらしく、島津以久は城を遠巻きに囲みはしたが兵糧攻めは長引きそうだと島津義久あてに書状を送っていた。
  それらが珠姫がしかけた毒である事をこの兄弟はよく知っていたが、経済的窮乏を考えるならその毒を薬にして飲まねばならぬ。
 
「兄者どうする?
  隈部親永に後詰するのか、阿蘇へ兵を向けるか?
  兵を分けるのは愚の骨頂だぞ」

 島津義弘と島津家久兄弟が悩んでいたのはそこだった。
  本来の大義名分を考えるならば阿蘇家を攻め滅ぼせば話は終わる。
  おそらくというか多分間違いなく珠姫は肥後を捨てて手打ちに走ると読んでおり、それは的中していた。
  櫛田崩れを乗り切った今の珠姫に謀反を起こす勢力が存在しないからだし、彼女の島津恐怖症は堂々と公言させていたからだ。

「肥後と日向で島津が止まるなら安い安い」

 こんな言葉が意図的に島津に伝わっている時点で落しどころは最初から提示されている。
  だが、それは落しどころであって、その落しどころまで島津が踏み込まねば意味が無い。
  立花元鎮はそれを分かっているからこそ、北肥後確保の為に隈部親永討伐に全力を傾けたのだ。

「立花元鎮は後ろで火が出るのを防いだのだろう。
  攻め手が堅実で堅い。
  さすがは西海の巨人、毛利元就公の血を引くお方よ」

 島津と毛利は対大友の関係で外交関係が残っていた。
  その為か、大友と毛利がくっついた現状でも毛利に対する評価は高い。
  敵になろうと味方になろうとパイプは確保しておくのが戦国の世というもの。
 
「家久。
  それで、向こうの兵力は?」

「間者からの報告によれば、立花殿は城家の兵は帰し、動かせる玉名の兵を全て集めたらしく数千の兵で隈部城を激しく攻め立てている。
  持って十日。
  落として、宇土城の名和顕孝を攻めるならば一月の時間はあると見るべきだろう」

「阿蘇へ踏み込むか微妙な所よの……」

 阿蘇家本拠の浜の館には相良家侵攻の為に集められた兵がいるはずだ。
  甲斐宗運がらみのごたごたで阿蘇家は攻め寄せる能力は無いとはいえ、合流されると面倒だ。
 
「出るしか無いだろうな」

 島津義弘の言葉に島津家久も頷いた。
  つまり、北上して立花元鎮率いる大友軍を撃破する事で肥後制圧する方針に賛成したからに他ならない。
  島津家久は思い出すように呟く。

「たしか、名和殿の話だと我らを抑えるための陣城を作っている場所があるとか」

「家久。
  何処だ?」

「ここだ。
  たしか、大友家加判衆首座である田原鑑種殿自ら作った陣城というので、『田原坂』と呼ばれているとか」

 二人は地図を覗き込み唖然とする。
  玉名と隈本平野の連絡線上に位置し、城家の隈本城の支援ができ、隈府鎮台のある菊池平野へ攻め込んだ敵を背後から逆襲できる絶好の位置に置かれたその陣城の置かれた意味を考えると、珠姫の言葉が本当だったと納得するしかない。

「本気でかの姫は肥後を捨てるつもりだったか」

 島津家久がぼやく。
  そうでないとこんな所に陣城なんて築かない。
  敵である島津軍を懐にまで入れて大軍にて潰すという明確な意図が二人にはありありと見えたからである。

「家久。
  この陣城には兵はもう詰めているのか?」

「たしか、御社衆の数百が詰めていると聞いている。
  大将までは分からなんだ」

 御社衆の弱兵ぶりは九州一円に轟いている。
  その弱兵を率いて木崎原にて負けなかった立花元鎮の将才を実際に当たった二人はしっかりと認識していた。
  大友家の兵力が立花元鎮の数千で終わる訳が無い。
  前に日向で対決した時、万の兵を率いながら、

「兵が足りない」

とほざいて兵を引いた珠姫だ。
  彼女は九州一円より兵をかき集めて数万の兵にて島津軍を圧殺するだろう。
  おそらく、豊前・筑前・筑後から動員が始められて肥後に向かっているはすだ。
  その前にけりをつけなければ、島津は大友の大軍に押しつぶされる。

「と、いう事は、立花元鎮を撃破してもすぐに引かねば大友の後詰の大軍に押しつぶされる。
  分の悪い賭けよの」

「何、そんな賭けは嫌いではない。
  いずれにせよ戦わねばならぬ相手。
  今より悪くなる可能性もあるならば、この賭け乗るべきです。兄者」

 島津家久はにやりと笑う。
  この一族、危機になればなるほど笑う方向にあるからこそ、珠姫あたりにバーサーカーと罵られているのだがそんな事知るわけも無い。
  もちろん、島津義弘も笑っていた。

「奇遇だな。
  俺もそんな賭けは嫌いではないのだ。
  間にある城家と合志家はどうする?」

「潰すべきでしょう。
  とはいえ、寡兵ゆえに兵は惜しむべきかと。
  先に田原坂の御社衆を蹴散らして後詰を排除して諜略にて開かせるべきかと」

「よかろう。
  田原坂の方はお前に任せる」

「承知」

 かくして、島津軍は北上する。
  相対するのは、隈本に根を張った城家および、合志家。
  城家は玉名遊郭に出していた兵を戻して隈本城に篭り、合志家も合志城に篭り島津に備える。
  だが、島津軍は隈本城を囲んだ後、島津家久隊を持って田原坂を落としにかかる。
  その御社衆の大将だった志賀鑑隆の指揮の下、御社衆は一戦もする事無く撤退。
  田原坂には名和顕孝の兵を置いて、島津義弘の本陣に戻ってきた島津家久を待ち受けていたのは攻められていたはずの隈部親永からの早馬だった。

「何だと!
  大友軍が隈府鎮台を焼いて兵を引いただと!?」

「はっ。
  大友軍の隈府城攻めは五日に及び、残るは本丸のみという時、六日目の夜半に彼らが陣を敷いていたはずの隈府鎮台より火の手が出て、朝に物見を送ると誰一人残ってはおりませなんだ。
  おそらくは、玉名に引いたかと」

 隈部親永からの伝令を下がらせても島津兄弟の顔色は青いままだった。
  立花元鎮がどんな理由で玉名に下がったのか分かってしまったからだ。

「大友の後詰と合流するつもりか!」
「間違いなかろう。
  豊後は櫛田崩れのせいで使えんが、この位置ならば筑後・筑前の兵が持ってこれる。
  間に合わなんだか」

 奥まで引きずり出しての決戦。
  大兵を持って、隈部親永もろとも踏み潰す気だろう。
  この時点で島津兄弟は勝ちが無くなった事を悟った。
  だが、この兄弟只者ではないのは、勝ちが無くなったが、負けてない事を自覚していた所にある。

「囲みを解いて引くぞ」
「宇土城まで?」
「いや、薩摩まで」

 この時点で得ていた南肥後の島津勢力圏を全て捨てる事を島津義弘はあっさりと言ってのける。
  いくらか未練があった島津家久の顔を見て、島津義弘は語気を強めて叱る。 

「あの姫が宇土までで手を止めると思うか?
  既に二の矢、三の矢は放っていると心得よ!」

 島津義弘の叱責は現実のものとなった。
  天草の志岐諸経からの急報がその翌日に宇土城に撤退しようとする島津兄弟の元に届く。
  南蛮船を先頭に大友の旗をつけた松浦水軍が天草に来襲。
  その南蛮船に珠姫の姿を見たとの報告があった。
  さらに凶報は続く。
  阿蘇家が兵を出して宇土城に向かっているという。
  その大将は毒を飲んで倒れたはずの甲斐親直。
  田原坂から撤退中の名和顕孝からも早馬が来て、隈本城の城親賢と合志城の合志親為が出陣する気配があるとの事。
  かくして、周囲を戦略的に包囲された島津軍の退却行が始まる。
  




 

 

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