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大友の姫巫女

南海死闘編

第七十五話 櫛田崩れ その前

 九州探題から出されたその問注は九州の国人衆に驚愕をもって迎えられた。

「おい、聞いたか!?
  九州探題の問注で大友家が負けたぞ!」

「まて!
  九州探題はたしか大友義鎮様じゃなかったのか!?」

「だから、この間長寿丸様が元服なされたので奥に下がり、珠姫様が長寿丸様があとを継ぐまで後見するのだろう?
  探題の問注所は姫様が一番力を入れていたじゃないか。
  なんでその一番力を入れていた姫様が負ける事になるんだ?」

「たしか、探題の問注は各地の方分や奉行に通達されるはず。
  お主、字は読めるか?」

「馬鹿にするな!
  仮名なら読めるわ!」

「ならば、こちらの写しだ。
  いよ さいおんじ の いっけん たかつかさぎょう に より ……」

 福岡城からこんにちは。
  珠です。
  現在、九州各地に激震として伝わっている問注の後始末に目処が立ったので放心気味です。

「姫……本当によろしいので?」

 事態が理解できる四郎はまだ顔が青ざめていたり。
  まあ、毛利家みたいに大内家という失敗を見て家を興した所は、この問注が出る事自体がおかしいと感じるだろうな。
  私だって、大寧寺の変の二の舞はごめんである。

「これでも散々妥協してやっと落とし所を作ったんだから。
  文句があるやつが出たら踏み潰してやるわ」

 ふんと鼻息荒く力説して見せたら、実務でひたすら苦労した人が似たような笑みを浮かべて私を諫める。

「姫様。
  軽々しく踏み潰すなど言われなさるな。
  もはや、姫様の命で大友家全てが動くのですから」

と、加判衆首座の田原鑑種が苦労など感じさせぬ笑みが、彼の努力の成果を物語っている。
  我ら三者がそれほど注力し、なんとかまとめあげた戦国時代のある意味元凶である土地問題に絡む、新法の発布である。


  土地は誰のものか?
  シンプルな質問のくせに、その解答をめぐって無尽蔵の血を吸い続けてた質問なのだが、要は荘園の帰属にいきつく。
  奈良時代、律令制を導入していたわが国は、『農地は全て国の物で、農民はその農地を使わせてもらう事でそれに応じた税を納める』というものだった。
  それが、墾田永年私財法によって『自分で開墾した土地は、自分の土地として自由にしていい』事になったので、律令制による中央集権体制は崩壊する。
  後に残ったのは、農地を開墾して私有地にする財力を持っていた貴族・豪族・寺社などで、彼らは実際に耕作する農民から年貢を取り立てて行く。
  これが荘園である。
  荘園の所有者は京にいる公家や寺社で、実際の管理は現地の豪族が行っていた。
  この豪族が公家の管理を嫌って、独立したのが武士の走りである。
  もちろん、本来の持ち主である公家や寺社からすればたまったものではないが、権威は地に落ちそれを跳ね返す力もない公家の荘園などは武士にいいように横領されていたのも事実だったのである。

 さて、ここからが本番である。
  こちらのスケジュールを狂わしまくってくれた伊予西園寺家の荘園問題だが、『荘園の西園寺家の帰属を認め、大友家はその荘園の管理を代行する』という形で決着した。
  それを見て九州に荘園を持っていた京の公家連中が、『西園寺はんが認められるのならうちも!』と言い出したのだ。
  で、これ幸いとこの荘園帰属問題を一気に片付けたのである。
  座屋を使って。

1)公家および寺社は、その荘園の由来が分かり所有の意思がある場合、その荘園の所有を認める。
  意思とは、年に一度目付を派遣する事によって確認される。
  その意思が確認されない場合、公家および寺社はその荘園を放棄したとみなす。

2)公家および寺社は、その荘園の由来が分からず所有の意思がある場合、その荘園の所有を認めない。
  ただし、当事者同士で解決した場合、その意思を尊重する。

3)荘園の開発および維持管理に公家および寺社が入る座屋が加わる事を認める。
  座屋から送られる目付はその公家および寺社の目付と同じ扱いとする。

 この制度の担保する為に朝廷名義で公証人を導入し、博多・門司・府内・堺に公証人役場を設置。
  公証人の導入にはポルトガル商人の協力も受け、南蛮取引における公正取引と訴訟の簡素化に一役買う事に。
  堺の公証人役場にて目付の出発を確認したら、出発した事については意思があるとみなしてある程度の猶予も与える取り決めもしている。
  もちろん、堺の公証人役場を出て遊んで行かないケースもあるので、九州の公証人役場にて到着の確認をしてもらってはじめて意思確認とするようにしたり。

 そして、ここからが話の肝である。
  公家や寺社に荘園を返還する場合、そこで問題が発生したら当事者が京にいるという事態に。
  だから次の条項が生きてくる。

4)荘園内の問題は荘園の所有者が解決する。
  ただし、荘園内で問題が解決しない場合、その地の大名家が預かり解決する。
  その解決に異議がある場合、九州探題に提訴する事ができる。

5)荘園と荘園外の問題が発生した場合、その地の大名家が預かり解決する。
  その解決に異議がある場合、九州探題に提訴する事ができる。

6)荘園にて問題が発生した場合、その地の大名家に七日以内に届け出る。
  それができない場合、管理できないとみなし、その管理と所有を大名家に移行させる。

7)公家と寺社は荘園の問題の解決と管理を大名に代行させて構わない。

8)管理ができる事を前提に、土地の売買を大名家と九州探題の確認の上認める。

9)荘園での年貢の上限はその年の収穫から四公六民とし、四公の中から一を管理する者に与える。

 どういう事かというと、大名はあくまで管理人であるという立場に限定させた事だ。
  何か問題が発生したらあくまで持ち主である公家や寺社のせいと糾弾し、その管理能力の不備を問う。
  九州から京までの距離を考え七日という最速便ならば間に合う時間を与えているが、ほとんどがこれに応対できずに荘園の所有権を失うことになるだろう。
  で、それで座屋の出番となる。
  性格にはそうなるように商人たちに私が囁いたからなのだが。

「貴族や寺社を座屋に入れさせて、博多や門司に支店を作らせ、その支店から管理を行えばいいんじゃね?」

と。
  この新たなビジネスチャンスに商人達は食いついた。
  そして、その座屋に当たり前のように我が大友家が大規模出資をしていたりする。
  要するに、農業関係の株式会社化を推進し、うるさい公家や寺社を泡沫株主の立場に追いやったのだ。
  京の公家や寺社は荘園の返還に歓声をあげたが、同時に送りつけられた荘園管理にからむ諸問題に閉口。
  この時点で半分以上の公家と寺社が管理能力なしとみなされ、正式に荘園が没収されている。
  残った連中に商人達を会わせていくつかの座屋を設立させるが、全体の出資の半分は商人達が占め、全体の内1/3程度を大友家が出している。
  かくして、出資比率によって配当が払われる座屋において京にいる公家や寺社の取り分は5%ほどしかないという雀の涙で、長いこと争ってきた荘園所有問題に決着がつけられたのである。
  とはいえ、証文取引による決済機能が堺を窓口に機能しているから、彼らからすれば管理せずに確実に収入が入っていくる事実がこの決着を黙らせたという。

 そして九州は今、筑後川総合開発計画をはじめとした大規模新田開発をはじめとした公共事業ラッシュの真っ只中。
  これに商人達が座屋経由で絡んだ事で、莫大な資本が投下されてその開発は更に加速する。
  何よりも我が大友家はこの一件負けたように宣伝されるが、正式に公家や寺社の荘園の没収に荘園の管理手数料と荘園収入から入る配当と、座屋による新田開発や公共事業の参加によって大友家単体で行わなくて良い事からくる支出抑制で十二分に元が取れる事態に。
  一方、このマネーの奔流に飲み込まれたのが各地の国人衆である。
  大友家主導で行われていた新田開発は開発後にそのまま各地の国人衆に渡される事になっていた。
  だが、莫大なマネーを投下してきた座屋達は同時に収穫物の相場を握っている為に収穫量の増大を見据えて買い叩き、新たな新田が渡される前に現状の収支が悪化しだしたのだ。
  謀反を起こせばただで貰えるはずの新田がパーになる。
  とはいえ、現状の収支の悪化は見過ごせない。
  ここで悪魔が国人衆達にこう囁いたのだ。

「あなた達国人衆も座屋に入って、管理を座屋に押し付けない?
  戦の時の武器防具は鎮台から出すし」

と。
  まぁ、囁いたのは私なんだが。
  かくして、彼ら国人衆も寺社や公家の地位に落ちぶれた。
  とはいえ、その土地に密着しているので管理手数料が取れた上に新田が手に入り、鎮台に依存するならば自前の武器防具を考えなくて良いので暮らしは間違いなく良くなっている。
  ただ、大友家に謀反を起こすとその良くなった暮らしを手放す事になるというだけ。
  そして人は、贅沢を覚えると中々元の暮らしに戻れないものである。
  こうして、筑後を中心に肥前・筑前・肥後の国人衆に快適な檻に自ら入ってもらう事に成功する。


「さてと、問題は豊後ね」

 私の何気ない呟きに、四郎と田原鑑種の顔が真顔に戻る。
  そう。
  ここまでは外堀に過ぎない。
  本丸は、豊後同紋衆が握る豊後。
  なお、四国は実質的に私が抑えているし、日向は私の復興支援がなければ首が回らない。
  田原鑑種が言葉を選んで口を開く。

「警戒していない方がおかしいでしょうな。
  とはいえ、田原、臼杵、一万田をはじめ、入田や利光など豊後から出る家が豊かになるならば、『次はうちも』という流れを考える家もあるでしょう」

「そして、その流れに乗れずに姫をお恨みする家もまた出るでしょうな」

 で、田原鑑種が外した言葉を四郎が間髪入れずに私に言い放つ。
  良いコンビだ。

「姫様とそれがしが一月ばかり博多にてこれに当たっていたので、豊後では色々話が出ている事でしょうな」

 伊予宇都宮家の謀反も長寿丸元服後に鎮圧され、私の政権に対する評価として認められる事になった。
  政務に支障は出ていない。
  戸次鑑連が目を光らせ、父上も奥に引っ込んだとはいえ影響力は保持している。
  いい塩梅で父上に情報を流し馬鹿の暴発を防いでいるのが隠居した臼杵鑑速で、今の所は馬鹿が何かやっているようには見えない。
  実は、第二次二階崩れの勃発を警戒していた四郎や田原鑑種が爺こと佐田隆居と計り、この一件にかこつけて私を府内から逃がしたと知ったのはついさっきの事だったり。
  まぁ、馬鹿の始末をつけないけばならないとは覚悟はしていたが、その血は少ない方がいいに決まっているので文句も言えず。

「で、切り崩す場合はどのように?」

 田原鑑種の問いかけに、私は少し考えながら口を開く。
  頭の中に豊後の地図を浮かべ、慎重に崩す場所を決める。

「おそらく、大野川を中心とした大規模開発になると思う」

 大野川。
  祖母山を源流に持ち、九重山や阿蘇外輪山からも水を集めた豊後南部を流れる川である。
  ここを開発するという事は、大神国人衆を粛清して奪った豊後同紋衆の金城湯池に手を出すに等しい。
  彼らとて馬鹿ではない。
  望んで優雅な檻に入る者もいるだろうが、それに逆らう者が間違いなく出る。
  で、その逆らう連中にとって格好の旗印である長寿丸こと大友義統もいる。

「正直、出てくると思ったのよねぇ。
  馬鹿が。
  父上達が目を光らせた結果、どうも彼らは出れなかったらみたい」

 こういうたとえはよろしくないが、流れる血は少ない方がいい。
  だから、小原鑑元の乱みたいな大規模騒乱よりも、大友二階崩れみたいな小規模クーデターを起こさせる方向で動いたのだが、自重しているのかそれとも裏で糸を引く輩がいるのか。
  
「まぁ、いいわ。
  ここまで来て府内で騒動がないならば、次は島津戦で背後から殴ってくるでしょう。
  それにあわせて対策を考えましょう。
  今日はここまで。
  四郎。たっぷり絞るからそのつもりで」

「……たっぷりですか……姫……」
「立花殿。あきらめなされ。
  この一月の働きはそれだけのものであるのは立花殿もご存知でしょうに」

 なお、四郎の正妻たる鶴姫の面子を立てて、私は四郎の居城である立花山城ではなく、中州遊郭に滞在していたり。
  で、ご乱交かと思えば、ひたすら今回の件の書状と数字相手に格闘していたのだ。
  これも後で聞いたのだが、田原鑑種は福岡城に滞在していたのだが、昼はこの騒動と夜はそれ以外の政務を行っていたとか。

 本人曰く、

「本拠山口と博多が海を隔てて離れている大内家ではこれぐらいせねば動きませぬ。
  事実、大内家は文治派の粛清で九州の政務が完全に滞りましたからな。
  それがしが博多に送られたのもそのあたりの事情があったりするのです」

 まじもんのチートである。

 四郎とは、三日に一回しかしていないこの禁欲生活ともおさらば。
  なお、ここ最近のブームはだいしゅきホールドだったり。
  それでも私自身が戦場に出るのが確定なので今回はちゃんと避妊をしているあたり、私も大人になったものだ。うん。

「んじゃ、とりあえず今日は中州でパーッと騒ぎましょうか。
  田原鑑種。書類は持ってきていいけど、楽しみなさいよ」


  私が凶刃に襲われるその夕方の話である。 

 

 

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