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大友の姫巫女

南海死闘編

第七十四話 長寿丸元服

 府内城にて長寿丸元服の儀式がしめやかに行われております。珠姫です。
  父上大友義鎮を筆頭に、私や大友親貞、母上・養母上や妹達および新九郎(大友親家)君や弥十郎(大友親盛)君の一族がずらりと揃い、加判衆・主だった家臣勢ぞろい。
  当然、そんな席だからこんな陰口も聞こえる訳で。

「四国の情勢が緊迫しているというのに剛毅な事よ」
「何でも、長寿丸様の初陣のためにあえて後詰を遅らせたとか」
「毛利にも手を回して、大戦になるとか。
  あの姫は何を考えているのやら……」

 末端の同紋衆たちよしっかり聞こえているぞ。おい。
  もちろん、元服式の上位の席にいる私が直接聞ける訳も無く、潜ませている私の手の者からのチクリだったりする。
  壁に耳あり障子に目あり。
  それはともかくとして、当初長寿丸の元服のスケジュールに宇都宮の謀反がかぶっているから、元服の延期および更なる後詰の派遣を実は考えていた。
  それを押しとどめたのが私の内閣における官房長官こと加判衆首座である田原鑑種である。

「遅らせても返って足元を見られましょう。
  はなから捨て地の戦でございます。
  何をうろたえる必要がありましょうか」

 さすが、元内通者。
  このあたりの胆力は私の持たないものである。
  彼の進言を聞き入れて、長寿丸の元服の儀式を先に進める方向に。
  かくして、今日という日を迎える。

 烏帽子親は第十六代将軍となった元今川氏真こと足利義真。
  断る事も考えていたのだが、本願寺戦に足を引っ張られる織田家に恩を売る事と島津戦において敗北した場合の和議斡旋のライン構築のために向こうの話に乗ったというのがある。
  もちろん、府内に足利義真本人が来る事なんてできないから代理として古田重然がやって来ていたり。
  あと、古田重然経由で羽柴秀吉にポイントを与える事で、竜造寺に接触した明智光秀や長宗我部や島津担当である滝川一益の影響力を削ぐ効果も期待していたり。
  こうして、長寿丸改め大友義統が誕生する。

「ところで姫様。
  一つお話が」

 ん?何?と顔で語ったら田原鑑種がとんでもない事を言い出した。

「姫様の名をもらいたい者もおります。
  何か知恵はないでしょうか?」

 さらりと爆弾なげつけやがりましたよ。こいつ。
  偏諱と言って、上位者が下位者に諱(俗名)を一字与える事で中世以降、公家、武家社会において広く行われているもの。
  主君から家臣に授与する例が多いのは当然として、日本の場合は「通字」或いは「系字」として代々継承するのが当たり前になっていたりする。
  そのため、親子においても嫡出子・非嫡出子を問わず父親の偏諱を受け継ぐ例が非常に多く、同じ文字を共有する歴代当主が連綿と続いたりするのはこれが理由である。
  それがそのまま勢力関係に繋がっているからけっこう奥が深い。
  たとえば、爺の家の佐田家は爺こと佐田隆居の隆は大内義隆の隆だし、執事こと佐田鎮綱の鎮は父上こと大友義鎮の鎮である。
  で、大内義隆と大友義鎮の義の文字は足利将軍家からもらっていたり。
  足利将軍家はこの義の字を入れるのが慣例になっており、今川氏真も将軍就任の為に今川由来の氏の名を足利将軍家の義に変えている。
  なお、大友義統の義の字は足利義真からもらっている。

「女の名なんて欲しがる奴いるの?」
「女だてらに大名なんてやろうとしている姫がいるのです。
  いないとも限りますまい」

 実は私もこの件は把握していたりする。
  筑前や豊前は露骨に私の影響力が大きすぎるので、私の偏諱を受けたいという国人衆もかなりいたりするのだ。
  仮にも大名に立った以上、この件からそらすわけにもいかないのだが……珠という字はいまいち名前に使いにくい。

「いいわ。
  とりあえず許すから皆がどんな名前にするか楽しみにする事にするわ」  

「かしこまりました」

 小声で話しながらも淡々と式は終わり、そのまま宴会になだれ込む。
  この手のお祭りはもちろん私の手引きだったりする。
  もちろん、さっきの元服式とおなじく参加者から情報を集める事を忘れない。

「毛利は三好……いや十河か。
  讃岐の十河存保に肩入れをするとか」

「阿波が完全に長宗我部の手に落ちたゆえ仕方あるまい。
  毛利からすれば、淡路を背後から叩かれたくはないだろうからのぉ」

「播磨は浦上宗景討伐を名分に宇喜多直家が毛利から兵を借りて攻め込んだそうな」

 十河存保は讃岐の三好領をまとめる為に阿波に出陣しておらず、それが彼を中富川合戦の三好滅亡から救う事になる。
  彼が抑えているのは讃岐の東半分のみで、西讃岐と東予はすでに長宗我部の影響下にある。
  その流れで宇都宮家で謀反なんて勃発したから、河野家という守らないといけない家がある毛利にとっては十河を助ける事で予防攻勢を考えているらしい。
  播磨を宇喜多直家に丸投げしてまで最優先事項である瀬戸内海水運の維持を目指す小早川隆景は優先順位が分かっているから安心する。
  吉川元春率いる山陰勢は山名家との抗争を優位に進めて従属させており、山陰における毛利の影響力は但馬国まで及んで先に丹後国を制圧した織田家と国境を接する状態に。
  その為、吉川元春の軍勢は織田家の睨みと実質的な総予備として温存される事に。
  なお、この十河支援の大将をつとめるのは、今回毛利側招待の中にいる武田高信という武将である。
  彼は若狭武田家の分家で因幡の山名家に客将として招かれたという。
  野心もあって山名家から毛利家に寝返って毛利側の将として活躍していたのだが、山名家が毛利家に従属した事でその処遇が問題となったのである。
  で、国人衆の統制に問題のある毛利家はこの対応に苦慮。
  一時は不慮の死に見せかけた粛清をと考えていたらしいが、四国の情勢が彼を助ける事になる。
  宇喜多直家対策に目を光らせないといけない小早川隆景には、四国に上陸して支援できて使い捨てにできる現場武将がいなかったのだ。
  で、山陰で宙に浮いた彼を四国に派遣する事に。
  そこまで知ったらこっちも不憫に思うと同時に、こんな都合の良い駒を捨て駒にするのも勿体無いので、宇都宮謀反で空いた領地を手形に兼帯させる事に。
  毛利からすれば、絶対にしたくなかった宇喜多の播磨侵攻だが、四国の情勢の急変に伴ってついに宇喜多の播磨進攻を認める事になったのである。
  織田が本願寺戦にかまけているというタイミングを見計らい、毛利に兵を出さないと独立する(同時に織田に寝返る)と脅しての出兵。
  この件で、宇喜多の動向が東瀬戸内海で無視できないほどに大きくなっており、宇喜多が敵に回った時のために寄港地として讃岐の価値が相対的に上がったのである。
  東瀬戸内海の制海権を握るためには堺を抑えないといけない。
  だが、その堺を保持する為の大友毛利の水軍拠点は淡路に置かれているのだ。
  そして、淡路の維持の為には近隣水軍衆の動向が決定的に重要になる。
  宇喜多が影響力を行使できる三宅水軍や讃岐と繋がりの深い塩飽水軍を毛利側に引きつけ続ける為にも、織田と手が組める宇喜多よりも四国という島ゆえに敵味方とも手が出しにくい長宗我部を敵に絞ったのだろう。

「どこまで毛利に手を貸す?」

 宇都宮家の謀反勃発があるから、こちらは捨て地とはいえ支援はせざるを得ない。
  宴会の席で周りを確認してから私は田原鑑種に囁く。

「こちらはこれ以上の兵は送らなくてもよろしいかと。
  後は四国の戦に任せればよろしいでしょう」

 つまりこういう事だ。
  島津が屈服できるならば、四国情勢はどうとでも変更できると。
  それだけのポテンシャルを大友家は持っているし、毛利も瀬戸内海の制海権保持が目的なので、四国全土を掌握するつもりはない。
  だからこそ、島津戦は絶対に負けられない。

「で、その本命だけど乗ってきそう?」

「乗って来るようでしたら、姫様がそこまで恐る事もありますまい」

 私のおどけた口調に田原鑑種もにたような口調で返す。
  肥後相良家の内紛に、宇都宮家での謀叛騒動、長寿丸元服でも島津が博打を打つメリットがない。
  もう一手か二手ほど島津が食いつくだけの餌を用意する必要がある。

「という事は、先に馬鹿の始末?」

「影口を叩くだけなら問題はないかと。
  むしろここで影口を言わなかった者にこそ問題が」

 鋭い人間観察眼である。
  何かやらかす馬鹿は、こんな所で影口なんて叩かない。
  そして、そんな馬鹿どもを焚きつける火種はちゃんと作ってあったりするのだ。
  父上の名前で、大友義統あてに出された大友義鎮条々。
  つまり大友家分国法の改正の公表である。

 永正12年(1515)12月23日、大友19代の大友義長は17条にわたる事書と追加8条の事書を発している。
  それは以下のとおり。(>が補足)

 第1条は幕府への忠節。
  第2 3条は敬神と寺社の改修の指示。
  第4条から8条までは、祖父母 母 弟 妹 親戚への配慮の指示。
  第9条が年寄衆の出仕日と勤務時間。
  第10条は聞次(ききつぎ)役の服務規定。
     >評定を大名に報告する役で、実質的な加判衆首座がこの役を引き受ける。
      ただし、この聞次役を特定人物に任せると弊害があるので持ち回りにしろと書いていたり。
  第11条は傍輩の交際規定。
     >寵臣を作るな。
  第12条は寄力(よりき)の規制。
     >大名の許可が必要。
  第13条は奉公と忠節の度合の記憶。
  第14条は若者の楽言の規制。
     >若輩者の軽口禁止。つまり年功序列をうたっている。
  第15条は内訴の禁止。
     >正規の訴訟手続以外に直接要人へ非公式に請願する行為でこれを厳禁とする。 
  第16条は所帯没収の規程。
  第17条は博愛精神による人の使用。

 追加8条は、
  家臣への進物の要求。
     >上下関係の確認と基本的に手が出せない国人衆領地からの収益策の一環。
  諸郷庄への目付・耳聞(みみきき)の配置と筑後への在国規定。
  亡命者への対応。
  朔日(1日) 15日の対面。
  諸芸への対応。
  狩鷹野の禁止。
     >鷹狩の禁止。耕作の邪魔になるのと、権威の象徴である鷹狩を大名だけが行えるようにする事で権威を確立しようとした。
  召仕者への教訓。

である。
  この時点で家内法的側面を持っていたのだが、さらに大友義鑑によって以下が追加される。

 加判衆と国人衆の協力。
  加判衆六人体制で、他紋衆から三人入れる事。
     >これはついに守られることはなかった。
  文書・日記等の保管規定。
 
などなど。
  そして、今日長寿丸が元服するにあたって、父上はこの条々を改訂。
  第10条の聞次役を加判衆首座に改めて、首座の専任事項に。
  これは権力の弊害より、派閥の紛争を恐れた結果である。
  同時に第11条も改訂され、寵臣を作るなではなく寵臣の置き場所として右筆と評定衆、抜擢ポストとして側用人を指定。
  寵臣が有能ならば右筆で加判衆評定にて辣腕を振るってもらい、無能ならばサロンへの大名のメッセンジャーとして走ってもらおうという訳。
  で、仕事としての側用人は大名のメッセンジャーだから寵臣にうってつけの役である。
  第14条は礼儀作法の付け足しをする事で、年功序列をこっそりと外した。
  さらに以下を追加する。
  というか、全部私が付け足したのだが。
  ぶっちゃけると、今川仮名目録と大内家壁書の裁判規定の丸パクリ。
  これはそのまま奉行の裁きおよひ加判衆評定案件の判断規定として、大友家領国においての条々規定の告知している。
  本当にいてくれて助かった。田原鑑種。
  あんたが大内家中枢にいたおかけで、法の整合性と調停を全部丸投げできたのだから。
  更に、問題の当事者同士の解決を原則にとしつつ、奉行や加判衆評定への上告と大友家を被告とした場合の九州探題の問註所への提訴もきちんと告知。
  私が作った郵便制度で領国には確実に広がるし、読み書き算盤を徹底的に叩き込んだから読めないなんて言わせないし、かな書きでも広めている。
  法の運用とそれに伴う裁判がやっと確実に行える環境が整ったのだ。
 
  加判衆についての規定を改正し、右筆を追加し七人体制に。
  守られる事はないけれども権利として他紋衆三人を加える事はそのまま残されることになった。
  評定衆評定と同紋衆寄合についても明記し、評定衆評定は実権はないけどそのサロン的意味から諮問機関と定義し、同紋衆寄合は実質的行政・立法機関として定義。
  ちなみに、方分や奉行職は行政と司法機関として定義されており、大名本人だけが三権すべてを扱えるのだ。
  三権が分立できていないのがある意味限界だなとも思っているのだが仕方ない。
 
  この他に、

 近習等の自然公事。
  国中諸侍の重縁の推奨。
  政道閉目における近習・諸侍の召篭 留置、
  >大名の失政に対して目をつぶる近習や寵臣を処罰するように。
  石火矢(大砲)・手火矢(鉄砲)・玉薬の確保に兵粮の備蓄。
  質素倹約等についての心得なんかも追記している。

 で、ここで馬鹿に火がつくのは側用人の規定。
  ここに私は四郎こと立花元鎮を入れようと思っているのだった。
  もちろん、博多奉行兼務のまま。
  君側の奸を討つにふさわしい人事となるだろう。
  あと、大友義鎮条々自体にもからくりが施されている。
  私が全面的に手直ししたので大友義統あてになっているが、それが謀反の正当性を与えるのだ。
  なぜならば、私の政権は父上が隠居した形で加判を管理していた私が義統が大名に立つまで『代行』するという形をあえて残した。
  それゆえ、出される命令書は私の加判と同時に父上の加判(もちろん、書くのは私だ)が必ずつく形になっている。
  さらに、隠居した父上の代わりという『代行』の地位につく代わりに、加判衆の正当な地位になった右筆の職を辞して、その座を爺である佐田隆居に譲っている。
  爺は私の守役兼後見人として入ったので実務は別の人間に任せないといけないが、既に浦上宗鉄を側用人として補佐につけている。
  側用人内定の四郎は博多奉行兼務だから、府内にて私の手足となって動く人間を探さないといけない訳で、評定衆という形で田原親賢を抜擢したのである。
  で、条々の事を思い出して欲しい。
  私は、『法の運用とそれに伴う裁判がやっと確実に行える環境が整った』とさっき言った。
  つまり、優遇された既得権益層である豊後同紋衆を裁判の場にて合法的に狙い撃ちできるのだ。

 長かった。
  本当に長かった。

 これこそ、馬鹿が確実に激怒するしかけの本命である。

「九州探題の問注所を使って、大友の負け訴訟をいくつか用意させるわ。
  叩けば埃が出るでしょうから、そこからつつくわよ」

「承知」

 ここまで用意していていても想定外というのは出てくる訳で、それを私は暗殺者の刃によって否応無く思い知る事になる。
  それも私の金城湯池と誰もが思っていた博多の中州遊郭で。



 

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