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大友の姫巫女

南海死闘編

第七十三話 宇都宮謀叛顛末


「鳥なき島の蝙蝠か」

「蝙蝠ゆえ龍虎の争いを避けれる次第。
  精々睨み合って頂けたら、鳥なき島は蓬莱にもなりましょう」

―― ある大名とある使者の謁見の一幕 ――


  何で伊予宇都宮家にて大野直之が謀反に踏み切ったのか?
  簡単に理由をまとめるならば、火をつけられたという他ないだろう。

 伊予宇都宮家は当主宇都宮豊綱の下に息子がおらず、何処からか養子をもらう事で家を存続させる方向で話がついていた。
  で、従属先である大友家の意向もあって豊前城井宇都宮家から養子をという話が出た時に待ったがかかる。
  白木城主宇都宮乗綱と萩之森城主宇都宮房綱が「よそから当主を持って来るとは!」と意義を唱えたのである。
  この二人、名前からわかるように宇都宮分家であり、当主の座を狙っていたという訳だ。
  だが、この二家は宇都宮一族でありながら地理的要因で西園寺家の家臣となっていた経緯があり、口を挟むには少し無理があった。
  で、目をつけたのが大野直之だったという訳だ。

 伊予には久万高原とも久万盆地とも呼ばれる場所がある。
  三坂峠(標高720m)という難所を越える先にある高地で、それゆえ伊予国に属していながらある意味独立した立ち位置を保持しており、その名残は21世紀になっても残っており地元民から『久万王国』なんて呼ばれたりする。
  この場所の何がまずいかというと、攻めるのはやっかい極まりないし実入りも悪いのに、向こうから攻めた場合は松山も大津も直撃できるという交通の要衝にある訳で。
  古くからこの地は争乱……にならなかったのはその地理的要因で放置されていたともいう。
  まあ、ぶっちゃけると、久万高原通るより鳥坂峠通った方が楽だよね。更に言うと四国歩くより船で移動した方が楽よね。
  軍事というのはかくもシビアなのである。
  という訳で、この久万地方を支配していたのが大野直之の出身である大野家なのである。
  伊予を支配していた河野家(実態はあえて言うまい)にとって、大野家が河野家につく限り土佐からの防衛がすごく楽になるので様々な優遇を測り、大野家もそのご恩に報いるために奉公を続けていたのだが、この大野家にお家騒動が勃発。
  大野家現当主は大野利直なのだが、長男友直が早世し四男直昌が家を継ぐ事になったあたりからおかしくなってゆく。
  次男隆直と三男直秀は庶子であった為なのだが、これを不服として大野隆直が出奔。
  村上水軍の一家である能島家に仕えるという不祥事を引き起こし、河野家や毛利家を巻き込んだイザゴザの結果認められるという騒動が起こっていたりする。
  で、大野直之なのだが、彼はこの騒動に関与はしていないが不満はあったらしい。
  そんな内心を見られたか大野家中での立場は悪くなっていた所に、彼の才を見込み引き取りたいと願った大名がいた。
  それが宇都宮豊綱である。

 宇都宮豊綱は大野直之を優遇し、己の娘を与えてゆくゆくは後継者にと考えていたのだろう。
  だが、大友と毛利という大大名同士のぶつかり合いに宇都宮程度の大名が何かできる訳もなく、そのご機嫌取りの為に城井家より養子を取る事に賛同したのだった。
  ちなみに、極力介入を避けていた珠姫だが、宇都宮豊綱からの『大野直之についてご配慮を』との直訴を無下にするつもりもなく、宇都宮家家老職とその領地の保証は確約していた。
  だから、珠姫も宇都宮豊綱も、あげくに大野直之自身すら謀叛を起こすなんて考えていなかったのである。
  という事は、火の気のない所に火をつけた輩がいる訳で。
  その人間の名前は長宗我部元親という。

 阿波守護細川真之と三好義継の対立が決定的となり、細川真之が三好義継に討たれた瞬間、阿波は長宗我部のものになった。
  とはいえ、その事実を確定させる為にも謀反人である三好義継を討たねばならない訳で。 
  その準備を整えている中でも長宗我部元親の頭から離れなかったのは、三好家を支援していた大友毛利連合の介入の可能性であった。 
  現状、織田家と近く大友毛利連合とは良くて中立、悪くて非友好国扱いである以上、三好討伐に兵を出したらまず邪魔が来るのは火を見るより明らか。 
  かといって、真っ向から敵対するなど愚の骨頂。
  長宗我部元親は己の強み――四国にいるという地の利――を十分に理解していた。 
  四国には織田信長は居ない。 
  四国には大友珠は居ない。
  だからこそ、その行動に決定的な時間差がつく。 
  阿波を平らげる時間を大友珠に邪魔されなけばいいのだ。 
  宮中で激しく織田と大友毛利が火花を散らした西園寺荘園返還問題は、多くの事を長宗我部元親に露呈させていた。 
  大友が四国から撤退したがっている事。 
  それをされると長宗我部に切り取られると南予国人衆が引き止めに走っている事。 
  宇都宮家において勃発したお家争いの事。 
  そして、それらの火種がありながら織田家にはそれに火をつける手段がない事。など等。
  かくして、長宗我部元親は己を最高値で織田信長に売りつける事に成功した。
  阿波の守護職を得る事で阿波領有を認めさせたのだ。
  讃岐まで手を出さなかったのは、手に入れる事で織田信長にまで警戒される事を恐れたからに他ならない。
  土佐一条家を通じて大友毛利連合の西国経済圏と繋がっている現状では銭によって長宗我部家は潤っていたし、阿波征服時に三好についた国人衆の領地を入手する事で肥沃な阿波の穀倉地帯を収める事ができるからだ。
  地の利を知り尽くし、その上で己の分を弁えて、必要以上の博打をしない。 
  それが大友珠が恐れ、織田信長をも唸らせた長宗我部元親という男である。

 彼が書いたシナリオはこうだ。
  まずは間者が大野直之の使者と名乗った上で大野直秀に接触し『大野直秀が家督を継ぐのを支援する』事を告げる。 
  その上でその一件を別経路で大野利直に暴露したのだ。
  大野隆直の一件があったので、大野利直は息子である直秀を粛清。 
  その一件をもって、大野直之の処分を宇都宮家に求めたのである。 
  当然、宇都宮豊綱はこれを拒否したのだが、長宗我部元親の流した流言はとことん狡猾だった。

「大野家はこの一件を主家にあたる河野家を通じて毛利家に訴えており、毛利家と大友家の協議に委ねられる事になる。
  宇都宮家は城井家から養子をもらう事が内定しており、その円滑な統治と力の大きな寵臣排除にこの一件を持ち出して大野直之を処分するだろう」

と。
  これに、己の立場が十二分にやばいと理解している大野直之自身が食いついた。
  己の身分と領地保障はしてもらっているが、原則として大名家の中の問題は大名家の中で処理される。
  ということは、城井家から来る養子の差配一つで首が飛びかねない事を意味しており、毛利家勢力圏である河野家からあがった問題処理を大友家がどう処理するかといえば、大友の四国撤退方針は既に知られているから大野直之切り捨てと考えるのは間違ってはいない。 
  こうして、火のついた大野直之に今度は城井家から養子をもらう事に反対した宇都宮乗綱と宇都宮房綱が呼応。
  かくして謀反は勃発した。
  謀叛を起こす事を微塵も信じられなかった宇都宮豊綱は幽閉され、大洲城は占拠。
  白木城主宇都宮乗綱は宇和島鎮台の攻撃を防ぐために篭城し、萩之森城主宇都宮房綱は八幡浜を攻撃。
  昼夜峠を超えた大野直之の手勢の支援もあって、八幡浜は陥落。
  八幡浜元城の摂津親安はこの事態に対応できずに落城。城と運命を共にした。

 この時点で大友家も事態を把握。
  府内にいた利光鑑教の手勢五百を宇和島に後詰として送り、宇和島鎮台にいた一萬田鑑実が率いる千五百の兵を白木城に向けるが籠城準備をしていた白木城は落ちず、八幡浜陥落の報告が飛び込んだ事で事態の長期化を覚悟したのである。
  対島津戦の前準備として四国に送り込むつもりだった城井勢と御社衆の千を毛利水軍の支援を取り付けて伊予長浜に上陸させ一気に大洲城を落とす事を企むが、八幡浜陥落によって港を抑えられた以上伊予長浜にも手勢がいるだろうと断念。
  城井勢と御社衆の千を急遽宇和島に送りつけてさらなる兵の増強を測り、水軍にも協力を命じて八幡浜を奪還を指示。
  毛利経由で河野家からも手勢を出して背後から大野直之を叩こうとしたのである。
  手が大きくなったが、それも四国という連絡にどうしてもタイムラグが出る場所の事件だから初期消火は無理と判断したからで、これによって珠姫が考えていた対島津戦は大幅に軌道修正を余儀なくされる羽目になった。
  とはいえ、その効果はすぐに現れた。
  南蛮船の砲撃で白木城は落城。宇都宮乗綱は城と運命を共に。 
  それを聞いた萩之森城主宇都宮房綱は八幡浜と萩之森城を放棄して大野直之の手勢と共に昼夜峠に撤退。
  謀反勢は千いるか居ないかだが、大州城を押さえているので昼夜峠からでも鳥坂峠からでも攻めたら迎撃されかねない。
  何しろ、鳥坂峠合戦では珠姫自身が霧を使って峠を下った西園寺軍を完膚なきまで叩き潰している。
  それを宇都宮家家老として参加していた大野直之が狙わぬ訳が無い。
  奪還した八幡浜には一萬田鑑実を総大将に利光鑑教、城井甫房・時種の城井勢千と、博多から連れて来た御社衆を十河存之・篠原長秀・篠原右近の三人に預けた二千の合計五千の兵が集結していたが、宇和島からの急報が全てを覆した。

「土佐一条家より急報!
  長宗我部家家臣波川清宗率いる手勢千が境において陣を敷き、通行許可を求めております!」

 また通行許可の理由というのが、

「長宗我部家は大野直秀殿を支援しており、彼の蜂起に加勢に行く所存」

 ときたものだから、自作自演もはなばなしい。
  おまけに、対象が毛利家に従属している河野家所属の大野家だから、大友家から何か言う事もできない。
  情報伝達が整っていない戦国の世、交通が格段に悪い事この上ない四国において四国に居る事自体がもの凄い優位であるという実例だろう。
  一条領を取り仕切っていた家老土居宗珊が寿命を全うして世を去ったのも痛かった。
  後を継いだ家老羽生監物は兵による恫喝に屈する事は無かったが、許可するにせよ拒否するにせよ一条領は大友家の管理下にあるのでと後詰を求めたのである。
  だが、ここから先の大友珠というか田原鑑種の巻き返しが光る。
  四国は捨て地という認識から九州からの後詰を拒否。
  役に立たぬ御社衆二千を率いる十河存之・篠原長秀・篠原右近の三人に宇和島と八幡浜の守備を任せ、一萬田鑑実と宇和島鎮台の兵は水軍で一気に一条領へ。
  城井甫房・時種の城井勢千と目付として利光鑑教の五百の千五百は、毛利・河野連合軍が大洲盆地に突入するのに合わせて昼夜峠を突破する為に待ち続けたのである。
  で、河野軍は犬寄峠を抑え、双海の海岸線周りで兵を進める。
  だが、後詰の毛利水軍の動員が遅れ、伊予長浜に河野・毛利連合軍が入ったのは十日後。 
  そして、その間に謀叛勢は内部崩壊を起こしてしまっていたのである。 

「こちらが謀反人宇都宮房綱の首でございます」

 解放された宇都宮豊綱が差し出した宇都宮房綱の首に応対した利光鑑教はただ呆然とするばかり。 
  外部勢力の呼応のない状況で謀叛を起こしてもいずれは鎮圧される。 
  それを謀叛を起こした大野直之自身が一番良く知っており、待っているのが滅亡でしかないのをよくわかっていたのである。
  とはいえ、ハメられたあげくに城を枕に討ち死になんて醜態を大野直之は晒すつもりはなかった。
  謀叛を起こして八幡浜まで出たのは宇都宮房綱を大洲に招き入れる為。
  大友軍が慎重姿勢で大洲に踏み込まなかったので、気が緩んだ宇都宮房綱を打ち取り、開放した宇都宮豊綱に離縁した妻と後事を任せて逐電してしまったのである。
  慌てて追っ手を差し向けるが、ついにみつかる事はなく、こうして宇都宮家で発生した謀反は幕を閉じた。

 なお、この騒動の最中にて阿波国中富川にて、長宗我部軍一万八千と三好軍九千が激突し長宗我部軍が勝利。 
  阿波勝瑞城が落城し三好義継が城と運命を共にしている事をここに記しておく。 

 

 

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