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大友の姫巫女

南海死闘編

第六十七話 元亀の政変 長寿丸と勝蔵の出陣



 森可隆によって引きずり出された長寿丸以下のお子様達だが、さすがに大友軍から離す事まではせずに堺に向けて出発していた部隊に追いついて志願という形をとる事となった。
  とはいえ、信貴山城の一件は全部伝わっていたので大友軍首脳部の森可隆への感情は最低と言ってよかったのだが。
  これで斬り捨ててしまわなかったのは森可隆が今回の戦の軍監なんてものについているからで、織田信長に直で繋がっているがゆえに松永久秀のお手伝いしかない大友軍が事を荒立てる事ができなかった。
  そして、それを十二分に分かっているから森可隆はたちが悪い。

「このような精鋭を兵糧の搬入とは、松永殿もお年をめされたようだ」

 それを長寿丸以下大友軍首脳部に臆面もなく言ってのける。
  これだけならば虎の威を借りる狐でしかないのだが、森可隆は狐ではない。
  飢狼である。

「敵か味方か分からぬならば、とりあえず殺してしまえばいとい思うのだ。
  下手に後の事など考えるからややこしくなる。
  そうは思わぬか?」

 多分本願寺の事を言っているのだろうが、同時に大友の事も言っています。こいつ。
  ちなみに、北陸での一向一揆殲滅戦ではその理論によってヒャッハーしまくって功績を立てたという素敵なDQN……もとい若武者である。

「何しろ、それがし上杉に父上を殺された故、上杉に復讐する為にも強くならねばならぬ。
  その為には強き者と戦わねばならぬ。
  惜しむのは、貴公らが味方という事よ」

 なんというか若者特有のぎらぎらした空気を発散させながら、鬼が更なる獲物を求めているような感じがぷんぷんと。
  一応場を収めようと一万田鑑実が言葉を捜す。

「軍監殿は戦を督戦する身。
  少しは考えて動かねば、織田殿にご迷惑がかかるのでは?」

「戦の事など大殿が考えるので、我らはただ敵を殺せばいい。
  それ以上何を求めるというのか?」

「……」

 このあたり、織田家と大友家の家中の特徴が如実に出ていた。
  織田信長の独裁である織田家は領土の拡大によって羽柴秀吉や明智光秀の武将に広範囲の領土を任せていたが、彼ら武将の行動の最終決定権は織田信長が握っていた。
  この二人を例に出したがのが『織田信長が望む事を先回りして考える』点で、『彼ら自身が己の環境下で最適な行動を自発的に取る』点ではない所に注意してほしい。
  それゆえに、ただ武のみを追求すればいいと言い切った森可隆は間違っていなかったし、重宝されていたとも言える。
  ところが大友家の場合、大友義鎮にせよ大友珠にせよ軍を率いても自ら指揮する事はなく、領主でもある戸次鑑連をはじめとする信頼できる将に全権を預けてしまう。
  大友珠はまだ戦の開始と終結に口を出すだけましで、大友義鎮はそれすら大友珠や戸次鑑連に丸投げしてしまう始末。
  それもこれも大友家が国人衆の連合体である守護大名という身から戦国大名に化けた為に、彼ら国人衆の影響力が強い事があげられる。
  この傾向は『大友家は衰退しました』とほざきながら衰退ダンスを踊る事を夢見ている珠姫が国政に参与してから、分権化は更に強まっていたりする。
  という訳で、大友家の重臣は自由裁量権が高い代償に高度な政治判断を否応なく求められる。
  ちょうど、目の前のチンピラ……じゃなかった、織田家軍監にからまれているような。

「これは失礼を。
  では、松永殿の顔を潰さぬ為にも我等の働きにご期待あれ」

 一万田鑑実のあっさりとした受け流しに、一瞬若者に戻ってしまう森可隆の顔を見て一万田鑑実が笑う。
  彼は一万田家分家として一万田家の栄光と没落と再興という一人の狂人によってもたらされた物語を見ていたから、彼程度の強がりなど歯牙にもかけない。
  一万田家を襲った狂人の応対に比べたら、まだ楽というもの。
  なお、その狂人の名前は大友義鎮という。
  一方、このやり取りに他の大友家武将+お子様は尊敬の眼差しで一万田鑑実を見ていたり。
  大友軍総大将を預かっている小野鎮幸は、

(姫様この場にいたら、森可隆の首絞めてたんだろうなぁ……)

 なんて己がやらかした大失敗を思い出して絶賛反省中。
  人はこうやって己の黒歴史と向き合って成長するのだろう。
 
「兄者。
  隊の前に一向宗の奴らがいる」

 そう声をかけて入ってきたのは、森可隆の弟で名を勝蔵という。
  長寿丸と同じ歳なのだが、鎧姿凛々しく手に持つのは兄より初陣にと与えられた関の刀鍛冶和泉守兼定の作である十文字槍が禍々しく光る。

「よし殺そう」
「暫しお待ちを」
 
  あっさりとした森可隆の一言をあわてて押し留めるのが小野鎮幸。
  敵でも味方でもないからと言って、目の前の一向宗に喧嘩を売って本願寺が蜂起なんぞしたら畿内から帰れなくなりかねん。
  ここには戦の経験をつみに来た訳で、戦で全滅しに来たわけではない。

「我らの敵はまずは岸和田城の遊佐信教。
  しかも、兵糧を運んでいる身で戦をしかけて兵糧を奪われたりしたら一大事。
  確実に己に振られた仕事をするが織田殿の意に適うと思われるがいかがか?」

 言われた事にたしかに理があると悟った森可隆が素直に謝る。
  そこから出た言葉がまた斜め上にぶっ飛んでいたのだが。

「それは確かに。
  では、大友勢は兵糧を守って岸和田に進んで頂きたい。
  我らの手勢のみで、一向宗を潰すゆえに」

 どうあっても森可隆はここで一戦したくてたまらないらしい。
  ここで森可隆の戦につきあう義理も無いので森勢のみで戦をしてもらおうと小野鎮幸が口を開こうとして違和感に気づく。

「ん?
  森殿の弟君は何処に行った?」

 小野鎮幸の質問に手をあげて答えたのは知瑠乃だった。 

「あたい知ってるよ。
  森の殿様が『よし殺そう』って言ったのを聞いて森家の陣に帰っていった」

「さすが勝蔵!
  よく分かっている!!
  我らも早く出れば!」

 森可隆が笑いながら自陣に戻ってゆくのを見て、大友家の諸将は否応無く思わざるを得ない。
  きっと、巻き込まれるんだろうなと。
  そしてそれは的中する。

 


  何で一向宗がこんな所に居るかと言うと、現在織田家を中心に行われている岸和田城攻めのせいである。
  遊佐信教は紀伊の雑賀衆をはじめとして傭兵を集めており、己の身内が篭っている城に対して兵糧の後詰が運ばれているのを知れば邪魔するのはある意味当然だった。
  とはいえ、本願寺と織田の関係は最悪なまでに冷え込んでおり、この状況で遭遇戦なんてしようものならば全面対決に発展しかねない。
  おまけに京では織田信長による足利義昭監禁というクーデターが勃発。
  松永久秀という情報源から兵糧を運んでいるのは大友軍で、大友軍を巻き込んで大友毛利連合との関係悪化なんて本願寺にとってリスクが大きすぎるから、ぎりぎりまで避戦を探っていた本願寺首脳部はそれゆえに『こちら側から絶対に手を出すな』と厳命していたのである。
  兵糧を運ぶ部隊の前に一向宗が陣取ったのもそんな理由からだったりする。
  手出しはしないが、向こうからすれば兵糧を抱え込んでいるから手を出すとも思えない。
  遠回りの道を選んで回避するだろうから、岸和田城に篭っている味方についても『兵糧搬入の邪魔をした』と言い訳も立つ。
  そんな考えが初陣の若造によってめちゃめちゃにされるなんて誰が思っただろうか。

 勝蔵は自陣にすら戻らず、馬に乗って一騎で一向宗に突っ込んでゆく。
  一向宗の陣からその姿は丸見えだったのだが、まさか餓鬼が一騎で突っ込んできたあげくにそのままヒャッハーするとは思っておらず使者の類だろうと警戒を緩める。
  その隙を逃す勝蔵では無かった。
  馬から降りたと思ったらあたり構わず十文字槍で一向宗を突き殺す。
  事態に気づいた一向宗があわててこのうつけを血祭りにあげようと思ったら、今度は織田の旗をつけた一隊が何も考えずに突っ込んでくるではないか。
  もちろん、大友家の陣から帰った森可隆から聞いて慌ててすっ飛んできた森家家臣団の皆様である。
  はなから戦う気が無かった一向宗はこの突撃で混乱しながら撤収。
  勝蔵は一番槍でかつ初陣にて二十七もの首をあげる大手柄をたたき出して大いにその名前を知らしめるのだが、この一件で一向宗は後に引けなくったのである。

 翌日から、一向宗は森家だけでなく隣接する大友軍にも攻撃を開始。
  周囲全て敵ばかりという状況下ではの散発的なゲリラ攻撃だったから蹴散らす事は問題ないのだが、それゆえに大友軍将兵の疲労はどんどん溜まってゆく。
  まぁ、大友軍を囮にヒャッハーし放題とばかりに一向宗に喧嘩売りまくっている森家のありがたくないフォローもあって大事にはなっていないが、連れて来られた長寿丸以下お子様達は大人の表情からしっかりと戦というものを学んでいたのだった。

「何も考えずに馬鹿正直に喧嘩を売ったら駄目だ」

 という事を。


  岸和田城に到着した大友軍+森勢だが、彼らの一向宗への攻撃は既に伝わっており、本願寺と織田の大問題に発展していた。
  処分を求めた本願寺側に対して織田信長は拒絶。
  これに激怒した本願寺勢がついに蜂起して山科本願寺や石山本願寺近辺、更には長島本願寺などで戦が勃発していたのである。
  だが、この開戦は本願寺にとっても都合が悪かった。
  行きがかり上とはいえ、畿内にいた大友軍に攻撃をしかけてしまったのだから。
  大友毛利連合は当然のように事態の釈明を求めたが、もう一方の当事者である織田家はにべも無く拒絶したために現在交戦中となり釈明のしようがない。
  当然、関係は悪化し本願寺は外交的孤立の中で織田家と戦わねばならなくなったのである。
  岸和田城攻めは京から動けない松永久秀を抜きにした松永軍(大友軍もこの中に入る)を軍監の権限で森可隆が一時的に指揮を取り、本願寺との開戦で兵を引く事を期待していた遊佐信教の期待を裏切って織田軍の総攻撃によって幕を開けた。
  消極的サボタージュなどの寝技が使える松永久秀を離された上に軍監の森可隆が目を光らせている以上松永軍も手を抜けず、数と火力(特に大友軍の火力は絶大だった)に撤退を期待していた岸和田城兵が耐え切れる訳が無かった。
  その日の内に岸和田城は落城。
  遊佐信教は城と運命を共にし、石山本願寺と紀伊の間を遮断する事に成功。
  落城した岸和田城は畠山信孝に与えられ、松永軍と佐久間信盛指揮の織田軍によって睨みを効かす事となったのである。
  主要策源地の一つである紀伊と切り離された本願寺は最前線である山科本願寺との連絡を構築するか、紀伊との連絡線を奪還するかで選択を迫られる。
  摂津方面は羽柴秀吉と荒木村重が必死の防戦で食い止める事に成功し京への道はまだ遠く、山科本願寺は急遽集められた織田軍の重包囲下にあった。
  だが、またも先手を織田軍に取られてしまう。
  岸和田城を落とした織田軍がそのまま紀伊に攻め込んだからである。


 

 

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