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大友の姫巫女

南海死闘編

第六十五話 元亀の政変 紀伊征伐 その一


  堺の商人がやってきた大友軍を見てこう評したという。

「隊列は整い、武具は揃い、乱暴狼藉もなし。
  先に珠姫が連れた兵と比べて雲泥の差あり。
  大友の旗本となりし兵は畿内を見ても比べる事なき武士なり」

と。
  そんな大友軍なのだが、滞在先である松永家の信貴山城にて小野鎮幸が一万田鑑実と共に頭を抱えていた。
  松永久秀より早馬で伝えられた、長寿丸の烏帽子親の件に他ならない。

「この事は姫様には?」

「松永殿とは別に早船にて伝えている」

 軍議の席に向かう途中の会話で。歩きながらも二人の声に困惑が残る。
  豊後に居る珠姫に報告が入り、返事が届くのは速くて十日という所だろうか。
  その間、何も動けないのがもどかしい。

「仕方あるまい。
  我らは我らでできる事をするのみ」

 与えられた部屋に二人が入ると、そこには今回派遣された大友軍の諸将+お子様四人がちょこんと座っていた。
  長寿丸の烏帽子親の件で言質を与えられたらたまらないと慌てて引っ張ってきた結果なのだが、小野鎮幸はこれを機会に総大将として長寿丸に学ばせようと決意していたりする。

「で、軍議の席では何と?」

 皆を代表して雄城鎮景が声をかける。
  今は立花家の家臣だけど、大友家元評定衆という前歴ゆえに自然とまとめ役になっていた。

「『長寿丸殿に合わせろ』と佐久間信盛がしつこく言ってきたが、それは松永殿が断った。
  神戸……今は畠山信孝殿だったな。
  畠山高政殿と安見宗房殿と共に来られて、此度の戦の総大将になる事が決まった。
  正直、これで戦になるのか我らも怪しんでいる」

 それは、織田信長が京都から動かない事を意味していた。
  諸将一同ともに困惑の色が浮かぶ。

「此度の討伐の目的は遊佐信教だが、大丈夫か?」

 挟間鎮秀が心配の声をあげるが、それは皆が思っていた事を代弁していた。
  遊佐信教は畠山家内紛の混乱に乗じて岸和田城を占拠し兵を集めていたが、大儀はこちらが持っているので兵の集まりは悪く、多くても数千だろうと見ていた。
  それならば、現状の軍勢で落とす事はできなくは無い。
  問題は、岸和田城を落した後の事になる。

「岸和田城に集まっている兵を理由に紀伊に侵攻する」

 軍議の席で初陣である畠山信孝はこう言い切ったらしい。
  たしかに、遊佐信教の下には紀伊から傭兵が入っており、それを理由に紀伊に侵攻するのはできなくはない。
  だが、紀伊に侵攻するという意味を畠山信孝があまり考えていない事はこの一言で露呈してしまっていた。
  紀伊というのは国人衆の集合体であり、その頂点に寺社が存在するというやっかい極まりない国なのだ。
  その寺社ですら、高野山、粉河寺、根来寺、雑賀衆、熊野三山と分かれており、誰を敵にするのか分らないと全てを敵に回しかねない。
  あげくに、現在の織田家と雑賀衆の背後に居る石山本願寺は開戦寸前の状況であり、紀伊に侵攻すれば間違いなく雑賀に踏み込む事になるだろう。

「案外、それを狙っているのかも知れんな。
  雑賀に攻めこんで石山と開戦する。
  だから織田信長が動かない」

「そんな戦で犬死だけは御免だな」

 先陣は松永勢が承る事になるので、大友軍はその位置によっては正面で損害を蒙る事を覚悟せねばならない。
  だが、松永家より派遣された繋ぎの将の言葉は、意外なほどに穏やかなものだった。

「わざわざ九州からこられた客人に先陣をさせたら、『松永に勇士なし』と笑われまする。
  後詰にて控えてもらい、備えていてくだされ。
  もっとも、『楽はさせぬ』と殿よりお言葉を頂いております」

 松永家より来た繋ぎの将の名前は楠木正虎。
  松永家の右筆で楠木正成の子孫と称し、朝廷に楠木正成の朝敵の赦免を求め、松永久秀の工作によって正親町天皇の勅免を得たという逸話を持つ。
  彼の言葉を聞いて一万田鑑実の顔が渋くなる。
  松永久秀の意図に気づいたからに他ならない。

「後ろで紀伊の者が悪さをするのを防げか。
  戦のほうがまだ気が楽なのだが」

 誰が味方で誰が敵か分からない敵地での攻城戦ゆえ、民も敵に回る可能性は高い。
  と、同時にこれはこの場の面子全員が気づいてなかった事だが、一代にて勢力を急拡大させた松永久秀の家臣団は寄り合い所帯であり、地理上その家臣団が紀伊の傭兵団と繋がっている事は周知の事実だったのである。
  安心して後方を任せられるのが大友軍の将兵達しかないという時点で彼らに任せるしかなかったのである。 

「堺にて兵糧を買いつけるので、それを岸和田にて運んでもらいたい」

 兵糧の搬入は決して安全な作業ではない。
  ましてや、まったく地の利のない畿内の地。
  どうやって運ぼうかと皆が考えていた時に、末席にてそろそろ退屈してきたらしい知瑠乃が何事でもないように質問してみる。

「あたい馬鹿だからわからないけど、雑賀って姫様が日向の時に使っていた人だよね?
  その人たちに聞けばいいんじゃない?」

 見事なまでに場が凍った。
  いや、あまりに核心を突いていたのでその解答は正解なのだが、もう少し空気を読めよと彼女以外の全員の心が一致する。

「でしたら、日向にて共に働いた事のあるそれがしが雑賀に接触しようかと」

 いち早く我に返ってそれを志願したのは木崎原合戦経験者で雑賀衆と共に戦った寒田鎮将。
  それの提案に皆依存は無いが、挾間鎮秀が口を挟む。

「ならば、いっその事雇うのはどうだ?
  ここに来るまでの水軍衆の繋ぎみたいな感じで」

 瀬戸内海の航海はその沿岸部に存在する水軍衆との関係抜きには語れない。
  彼ら水軍衆に襲われないようにする為に、寄港地ごとに最低一人必ず水先案内人として地元の水軍衆を雇うのが慣例になっていた。
  その為に、時間とコストがかかるのだが陸路を考えればそれでも安かったりする。
  とはいえ、大容量で高速かつ無寄港で九州と畿内を結ぶ南蛮船が台頭しだすと水軍衆の中に危機感を覚える者もおり、その解決に珠姫は座屋の中に水軍衆を入れる事で配当を渡し、南蛮船運用に彼ら水軍衆を雇用する事でその転換を図っていた。
  これは陸でも同じようなもので、その土地の案内人を雇うという事はその土地の人間を味方につけることに他ならない。
  それに今度は奈多鎮基が口を挟む。
 
「悪くは無いが、どれを雇うのだ?」

 候補は高野山、粉河寺、根来寺、雑賀衆、熊野三山と五つもある。
  とれを雇うかたしかに考えると骨が折れそうなのだが、ここでまた将来楽しみなお子様である知瑠乃が無邪気そうに口を挟む。

「全部雇えば?
  姫様だったらそうするよ。
  姫様、『銭で安全を買えるなら安いものだ』っていつも言ってるし。
  ね。長寿丸?」

「う、うん。
  姉上様がそう言ったのはぼくも聞いているよ」

 ここでよりにもよって長寿丸に振るのを天然でやるからこのお子様はすごい。
  現当主の言葉を次期後継者に肯定さたら、家臣達に否定できる訳ないではないか。
  しかもそれが正しいと来るものだから。
  小野鎮幸がため息をつく。
  今回の出陣において与えられた銭については十分に動けるだけの量が用意されていたのだが、『使った理由と金額書いて提出するように』と珠姫じきじきのありがたいお言葉を頂いている。
  そして、槍働きは得意だがその珠姫相手に松の廊下ごっこをやらかしてしまい、戸次鑑連に頭を下げさせた過去を持つ小野鎮幸は書類仕事が相変わらず苦手だったのである。
  できないわけではない。あしからず。

「よかろう。
  手分けして紀伊の国衆を雇う事にしよう。
  小僧ども。
  我らが戦に出ている間に姫様への文を頼む」

 あくまで、大名として、武将として一人前にする為の修行である。
  苦手なので、お子様達に仕事を丸投げした訳ではない。多分。
  また、運良くこの手の書類仕事に長けた大谷紀之介と大神甚四郎と、同じく勉強嫌いな知瑠乃に教える事で自然とスキルが上がっている長寿丸という人材まで居るわけで。
  実はこのお子様達小姓として既に完成していたのである。
  某姫様や某お子様の傍若無人の犠牲とも言うのだが。
 
  数日後、こうして準備を整えた大友軍は信貴山城を出陣。
  残ったお子様三人(役に立たない一人を除く)は勉学というなの書類仕事に追われる事になる。
  もちろんお子様だけに仕事ができる訳も無く、雄城鎮景と奈多鎮基が大部分を片付ける羽目になっていたのだが。
 
「紀之介。
  何で僕ら畿内に来て書類仕事しているんだろ?」

「若様もなさっておられるのだ。
  我らもせねばならぬだろう。
  手を動かせ。甚四郎」

「長寿丸。
  遊ぼうよ~」

「お願いだから、もう少し我慢して仕事をしようね」

 子供が仕事をしながらその隣で大人達は顔を突き合わせてあまりよろしくない話をしていた。
  京都で発生した急報を持ってきた楠木正虎もそれ以上に顔がよろしくない。

「それはまことか?
  まことならば、戦などできぬぞ」
 
  雄城鎮景の縋るような確認に、小声で絶望しながらも楠木正虎が言葉を吐き出す。

「間違いありませぬ。
  いずれ、一条殿より早馬が来るとは思いますが、先日、織田殿が兵で二条城を囲んだ上で公方様に対して諫状を出したとの事。
  その写しもいずれこちらに来るでしょう。
  京の話題は全てこれにもちきりでございます」

 諫状というが、実質的な足利義昭への弾劾である。
  あげくに、二条城を兵で囲んでの弾劾などこれ以上ない決裂状態の露呈。
  実質的な監禁状態に追い込まれた足利義昭をどうするのか、幕府を織田信長と共に支えていた松永久秀の去就が敵対寸前の本願寺を含めて皆が注目していた。


「いけません!
  お帰りください!!」

「黙れ!
  黙らぬと叩き斬るぞ!」


  何事か騒動がこの部屋に近づいてくる。
  雄城鎮景と奈多鎮基が顔を合わせ、楠木正虎が何事かと声を出そうとした時に、その騒動の元が部屋にずかずかと入り込んでくる。

「ここに居たか。餓鬼共。
  織田軍目付、美濃金山城主森可隆。
  大殿より『長寿丸殿の初陣を飾れ』との命を受けて、戦への案内を仰せ仕った。
  さぁ、戦に出るぞ!!」


 

 

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