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大友の姫巫女

南海死闘編

第六十二話 国という形の作り方 洛中暗闘 その一



  織田信長は京都に留まり、軍の集結をじっと待っていた。
  今回出陣するのは先の天竜川合戦で尾張の守備についていた佐久間信盛と畿内の守備を任されていた松永久秀で、それぞれ一万ずつ合計二万の兵を持って出陣するとあちこちに伝えられていた。

「二万?
  本願寺を攻めるには数が少ないと思うが……」

「言う事をなかなか聞かぬ公方様への脅しでは?」

「武田に勝った凱旋では?」

 京の者達は好き勝手に噂を立てていたが、誰一人として正解に届く者はいなかったのである。
  織田家重臣に位置し京の防衛の一翼を担う羽柴秀吉を別にして。

「畠山の内紛に介入。
  まぁ、兵を集める理由とすれば上々かもしれぬな。
  で、何故それをそれがしなどに聞かせていただくのかお答え頂けると嬉しいが」

 勝竜寺城の茶室で淡々と茶を堪能しながら、今川氏真がぼやく。
  もちろん、茶飲み友達である古田重然の招きに応じてなのだが、そこに図々しく秀吉がやってきた構図は前と変わっていなかったりする。
  まだ、その後に織田信長が入ってこなかっただけましという所だろうか。
  その為か、この茶席の主であるはずの古田重然の顔から苦笑が消えていない。

「なに、それがし学も無き身ゆえ、今川殿に色々御教示を賜りたく」

 このあたりをさらりといやみなく言えるのが人たらしこと羽柴秀吉の真骨頂で、今川氏真もまんざら悪い気もしていない。
  河内および紀伊の守護職にあった畠山家は現在お家騒動真っ只中にあり、その介入の為に兵を集めたというのが内々に織田家中に伝えられた織田信長の命だったりする。
  この畠山家はその統治している場所柄から国人衆の力が強く、その力は大名の力を凌駕している。
  事実、畠山家前当主だった畠山高政は重臣の遊佐信教によって追放され、その後に遊佐信教に擁立されて大名となったのは弟の畠山昭高。
  彼は織田信長の妹を妻にして基盤を固める親織田家の大名となるが、今度は畠山昭高と遊佐信教の間で対立が発生。
  畠山昭高が遊佐信教の手によって暗殺されてしまったのである。
  これに目をつけたのが追放された畠山高政で、畠山家家臣だった安見宗房と共に織田信長の元に転がり込み、畠山家奪還をと訴えたのが今回の顛末である。
  織田信長にとっても紀伊征服の大義名分が転がり込んできた訳で、これを承諾。
  先にあげた軍勢の他に、天竜川合戦で大功をあげて北伊勢半国の主となった滝川一益や元服した北畠具豊も伊勢から支援する事が決まり、場所がら羽柴秀吉や播磨諜略を命じられていた荒木村重も規模は小さいながらも参加する予定になっていた。
 
「さして考える事もなかろう。
  せいぜい、浮いた畠山の家督を神戸殿にさしあげればよろしかろうて」

 今川氏真が言った神戸殿とは神戸信孝の事で、天竜川合戦で神戸具盛が討ち死にした事で神戸家を継いでいた。
  だが、伊勢は滝川一益と北畠具豊で二分する事が決まり、天竜川合戦で生き残った神戸家家臣もこの二家に引き取られていったのである。
  家は継いだはいいがその手足が無くなった神戸信孝は織田信長にとって都合の良い手駒になっていた。

「いや、今川殿の御慧眼は大殿にしっかと伝えておきますゆえ。
  ですが、今川殿には別の事を御教示を」

 羽柴秀吉はこの場にて織田信長の本当の狙いである幕府分裂と朝廷への対応について知っていただけに、その対応こそ聞きたいと思ってこの場に押しかけているのだった。
  畿内にて織田勢力がなかなか浸透しないのも、足利義昭の不服従と石山本願寺の存在、そしてそれらを裏で操る松永久秀の三者が擬似的提携をしているからに他ならず、これまでもそれを崩そうとして失敗してきたのである。
  だが、武田に呼応して蜂起寸前まで行っている石山本願寺が天竜川合戦による武田の惨敗で茫然自失している今こそ、この三者提携を打ち崩すチャンスと考えていたのは羽柴秀吉だけでなく織田信長もだった。
  それに待ったをかけて朝廷という一つ高みから見た視点を教えたのがこの今川氏真である。
  ならば、彼から何を聞きだすかによってこれから起こるであろう朝廷に対する応対で、他の織田家重臣に対して一歩抜け出せるというもの。
  実際、朝廷関連は元幕臣でもあった明智光秀や丹後一国の主となった細川藤孝、新たに京都所司代となった村井貞勝が既に動いており、羽柴秀吉は出遅れていたというのを知っているのはこの茶席には居ない。

「そうよの。
  段取りはどう考えておるので?」

 今川氏真はあえてぼかした言い方で、足利義昭退位の段取りを尋ねてみる。
  もちろん、現将軍の強制退位なんて事が露見したら謀反と言われても仕方ない事態ゆえに、徹底的に隠語にて話す事が前提になる。
  それについてこれないならば話す資格無しと切り捨てる所だが、織田家の重臣で出世レースで先頭集団を走っている羽柴秀吉はそれに軽々と追随してみせた。

「それがさっぱり。
  公方様は本願寺が悲鳴をあげているので仲介をと張り切っている様子で」

 要するに、足利義昭は織田と本願寺の仲介をして自らの権威を高めたいらしいが、それを受けた上で本願寺側から破棄させて足利義昭の権威を粉砕してしまおうと考えているらしい。
  ついでだが、畠山家の介入に出兵する紀伊国は雑賀衆をはじめとする一向宗の拠点のひとつである。
  万一というか、多分起こるのだろう雑賀衆との遭遇戦で本願寺と決裂した責任を取らせて退位に追い込み、その上で朝廷に足利義輝帰還の勅命を出すというあたりらしい。  

「甘いな」

 思わず今川氏真が声に出すぐらい甘い想定に羽柴秀吉が苦笑する。
  つまり、この仕掛けは羽柴秀吉の考えではないし、羽柴秀吉はこれ以上の策を持っていないとその笑顔で語っていたのである。

「ですから、御教示をと。
  それがしは田舎者にて、殿上人の事など分かるすべもなく」

 なお、この場にいるはずの古田重然はまったく口を挟めずに置物と化しているのだが、二人とも気にしない。
  これより後、彼は『古置』と呼ばれたりもするのだが、それは別の話。
  ちなみに、その置物姿にはみな顔を緩ませて後の人が茶室の飾りに人形を作ったそうな。
  話がそれた。 

「公方様を動かすならば、本願寺ではなく畠山にこそ」

「それでは、畠山に蹴られると思うのですが?」

 今川氏真の言葉を即座に否定した羽柴秀吉の言葉には理由がある。
  仲介をする予定の幕府が現状二つに割れているから、双方ともに幕府の分裂勢力についてしまって仲介など無意味になるからだ。
  だが、それこそが今川氏真の狙いである。

「構わぬ。
  それを機に、朝廷に『幕府の一本化』という勅命を出させる。
  そこから先は上杉の応対次第よ」

 この策の面白いところは、足利義昭自身の対応は後で構わないという所にある。
  足利義昭はただ『勅命に従う』とのみ答えておけばいい。
  『一本化しろ』という朝廷の命を受諾するには足利義輝を京都に帰さないといけない訳で。
  この勅命を断った場合、足利義輝の権威は一気に落ちるのは言うまでもない。
  さらに、『一本化しろ』という事なので、足利義輝が死んだり、出家したりしてもこの勅命は果たさせる所がおいしい所である。
  何よりも、今抱え込んでいる足利義昭を握ったままで構わないというのがすばらしい。

「では、それを誰に行わせるので?」

 朝廷は基本的に自ら命ずるという事をしない。
  その為、廟堂の誰かが上奏しなければならず、その上奏者の確保に織田家はてこずっていたのである。
  現在の朝廷は反織田とは言わないが、友好的ともいえない状況になっていた。
  それも、織田信長の朝廷に対する優先度が低かったのと、座屋の拡大による朝廷(公家)の名義貸しによって公家の経済的窮乏が改善しつつあった事。
  何よりも親大友派公卿で、権勢著しい権大納言一条兼定の存在が織田家に対する過度の入れ込みを躊躇わせていたのが大きい。
  織田側が何か手を打った時にそれを大友に伝えると共に、廟堂内にて妨害するのが彼の役目なのだろうと今川氏真はあたりをつける。
  現在の関白は二条晴良だが彼は現在失脚の噂が囁かれており、次は誰になるのかで朝廷の噂はもちきりだったりする。

「このままでは一条内基卿でしょうな。
  近衛はまだ復権途上、九条は二条と共に転ぶ可能性が高いからの」

 一条兼定とは叔父の関係になり、大友派公卿の春がやってくる事になるだろう。
  そうなったら、織田家の調停工作は軒並み頓挫する事になる。
  つまり、現在の二条晴良を失脚させてはならない。
  羽柴秀吉はそう解釈した。

「では、二条殿に渡りをつけるのならば、どのような手配を?」

 羽柴秀吉は織田家中の朝廷工作の現状を知っているだけに、何の手駒が無い自分がこの廟堂で戦う為にはどうしても廟堂を知る人間を必要としていた。
  その適材がこのような場所で茶を飲んでいるのを逃すつもりは無い。 

「難しい所だろうて。
  おそらく、一条の手も伸びていようしな」

 近衛復権と二条失脚の筋書きで棚ぼた式に関白が転がり込む一条はだからこそ、円滑に関白位を得る為にも二条に接触していると今川氏真は暗に言っているのだった。
  実際、大友の意を受けて一条兼定が行っていた朝廷工作は、彼らからして信じられない規模と財力で行われているなどまだ知る由も無い。

「とりあえず、遅れている我らが追いつく為には一条の手を止めるが肝要」

「さりとて、財も兵もある一条を止めるは中々骨が折れる仕事にて」

 大友から流れ込む十万石分の財力に、内裏近くに構えた一条亭には松永久秀から借りた兵まで詰めている一条家を力で押さえ込むのは無理に近い。
  攻め滅ぼすのはできなくはないが、間違いなく朝廷と背後の大友を完全に敵に回す。
  このあたりのさじ加減が難しいのがまたこの問題を複雑にしていた。

「土佐長宗我部を動かすのは?」

「既に土佐守護と土佐守打診をした時点で向こうも準備していよう。
  一条の手を止めるまではいくまい」

 織田信長は大友毛利連合を中核とする瀬戸内海航路への対抗として、長宗我部と島津を繋ぐ太平洋航路の創設を意図し、長宗我部を取り込む為に幕府と朝廷を動かして土佐守護と土佐守を与えていた。
  この青田買いは的中し、土佐・阿波・讃岐に影響力を広げつつある長宗我部は、織田家が苦戦する西国において唯一成長し続けている貴重な同盟国となっていた。
  その長宗我部が守護する土佐国の一条領は、現在大友家が管理を委託されている形になっており、土佐守護職の権限が及ばずに問題になっているのである。
  火をつければ簡単に燃え上がる場所だけに、一条も火消しの準備は十分出来ているだろう。

「となれば、一条が手を止めて、かつ本気にならぬ程度のしかけか。
  そんな都合の良いものがあろうか……」

 振りなのか演技なのか分らぬしぐさで羽柴秀吉が嘆くが、今川氏真は淡々とその策を披露して見せた。

「羽柴殿。
  負け戦というのに銭を払う覚悟はおありか?」

 一週間後、朝廷に上程された左大臣西園寺公朝から、

「伊予国西園寺家の荘園を返還していただきたい」

 という突拍子もない申し出に一条兼定は事態の把握と状況の遅滞に務め、多額の献金が織田家から西園寺家に流れている事を掴んで大友珠姫に急使を走らせる。
  なお、大友家によって滅ぼされた西園寺家は元は一条家と同じく元は公家だった家で、その本家に当たる公家の西園寺家からの申し出ゆえに表向き問題が無い所がまたいやらしい。
  南伊予放棄という秘中の政策に露骨に被る西園寺荘園返還問題に珠姫は過剰反応を示し、他の朝廷工作を休止にしてその対策に追われる羽目となった。
  だが、事態は京都で動いているのに指示は九州豊後から。
  織田家が朝廷工作を行うのに十分な時間を使って、更に状況を引っ掻き回す。
  その相手はこれまで散々引っ掻き回されてきた松永久秀だった。 



 

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