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大友の姫巫女

南海死闘編

第六十話 国という形のつくりかた

 風流人と覇王とへうげもの+猿




京都 勝竜寺城


  この城の主である古田重然は、今では織田家中において上位から数えた方が早い重臣の一人に成り上がっていた。
  『茶狂い』と蔑まれ、『さしたる武功も無いくせに』と陰口を叩かれるのも古田重然本人はある意味当然と思っていたのである。
  茶器一つで美濃山口城を与えられ、織田信長の許可を得て羽柴秀吉からこの城を譲られて一城の主に納まっただけでも大抜擢というのに、先の武田軍相手の天竜川合戦にて河内国高屋城五万石をもらうという勲功第一等に輝いてしまったのだから織田家中の嫉妬はそれはもう凄まじいものがあった。
  今や七万石の領地を持ち、摂津の有力国人衆の一人である中川清秀の妹を嫁に持つ彼だが、領地が増えるという事は統治の手間がかかるという事でかえって頭を悩ますはめに。
  風雲急を告げる本願寺対策の真正面に位置する高屋城に配置する家臣を新しく雇わなければならなかったからである。
  で、上司である羽柴秀吉にお伺いを立てて、彼の真似をする事にした。
  羽柴家にて活躍していた京極家(の皮をかぶった尼子党)に高屋城とその領地五万石を丸ごと譲渡したのである。
  これによって、羽柴秀吉は自分の領地を裂く必要が無くなると同時に、死地に近いこの地に格好の部隊を置く事ができた。
  今まで流浪を重ねていた京極家も領地を持つ事で尼子党をはじめとした家臣達の士気も上がり、

「本願寺門徒数万が押し寄せて来ようとも、打ち払ってくれるわ!」

と戦意満々なのは言うまでもない。
  あ、ついでに、

「これで茶三昧よ。げひひ」

と茶室で笑う茶狂いがいたとかいなかったとか。
  一応、京極家は古田家の家臣扱いなのだが、実際の命令は羽柴秀吉から命ずることになっているあたり、丸投げ以外の何者でもない。

「南蛮船でお主が何と言ったか覚えているかの?」

 約束どおりやってきた今川氏真が覚めた目で古田重然につっこむ。
  国を捨てた今川氏真と城を捨てた古田重然は実はやっている事は同じだと言っているのだった。

「いや、それがしも判り申した。
  気楽になれるものですな」

 乾いた陶器の音が茶室に響く。
  今川氏真と古田重然が互いに握り棒がついた筒のような茶碗合わせたのだ。
  割れないようにとひやひやもしたが、この音もまた雅と思うほどの茶人だから試したくなろうと言うもの。
  もちろん、こんな作法を広めたのは西国のあの姫しかいない。
  既に西国では証文取引による座屋の勃興が著しく、その配当だけで食っていける者が出現しつつあったのである。
  茶人であり、あの姫こと大友珠に会う事ができる古田重然の元にも未公開株よろしく、商人達の権利証文が賄賂として提供されて実生活はそれはもう凄い事になっていた。
  その富の大部分を茶に費やしているあたり、ちゃんと還元しているというか何と言うか。

「で、我らが気楽な暮らしができるのはこの姫のおかげか」

 今川氏真は京で買ってきた珠姫の絵が書かれている『京都遊郭案内』を何気に畳に置く。
  めずらしく真面目な記事らしく、エアろくろ回しの姿珠姫の絵は、

「誰もが学べば殿方を喜ばせる事ができるのです」

 と熱くドヤ顔で語っているのが可笑しい。
  なお、普段の艶本では大体アへ顔なのは言うまでもない。
  遊女の高級化路線の波が消費地でもある畿内にも押し寄せてきており、この記事は優れた遊女に渡航滞在費珠姫持ちで九州に来て学んでもらいその技術を広めようという事が書かれていた。
  なお、この『京都遊郭案内』の版元は一条家になっており、一条家の京における収入源の一つとなっていたりする。 

 

「失礼致します。
  羽柴様がお見えに」

 障子向こうから古田重然の奥方であるおせんの声が聞こえて、今川氏真の顔がめんどくさいと歪む。
  京都に着てからの今川氏真は幕府と朝廷に挨拶をした後は織田家の接待をのきなみ断り、京都の端に屋敷を構えて風流の日々を送っていた。
  今回の古田重然の元への訪問は、武田攻めの戦の縁と茶人としての趣味人としてである。

「そんな顔をしてくださるな。
  大名だった今川殿には分らぬかも知れぬが、それがしは羽柴様の下につく身の上にて」

 笑い顔で古田重然が釈明するが、そもそも論点がずれている事に古田重然は気づかない。
  羽柴秀吉自らやってくるという事実、つまり幕府内部の足利義昭との亀裂はかなり深いものになっているらしいという事実に。
  そんな今川氏真の評価は実はまだ甘かった事が判明する。

「これはこれは。羽柴様。
  今、今川殿を歓待していた次第にて」

「いや、場に乱入したのはこちらゆえ。
  そのまま続けられよ。
  大殿もそう言ってらっしゃる」

 羽柴秀吉の後に入ってきた織田信長は、ここが戦場かと言わんばかりの顔で今川氏真を睨みつけ、今川氏真も戦国大名の顔にてそれを受け止めたのだった。


(な、何だ……この重苦しい戦場のような茶席は……)

 織田信長から発せられるプレッシャーに古田重然が額から垂れる汗を手ぬぐいで拭うが、今川氏真は何処吹く風で優雅に茶を飲み続ける。
  なお、こういう時に羽柴秀吉は己の存在を消すんだなと古田重然は知るが今はどうでもいい事だろう。
  織田信長も今川氏真も己が発すべき言葉を捜す。
  それは既に会話という合戦だった。
  戦力再編中にも関わらず武田軍に大打撃を与えた天竜川合戦の教訓として、大筒という大規模火力の優位性と野戦築城技術に諸大名家は注目するだろうし、織田信長もそれを教訓としていた。
  だからこそ、東の脅威が減退した今こそ本願寺を倒すべきと考えていたのである。
 
「勝てぬな」

 双方暗黙の認識を確認した上で今川氏真が機先を制す。
  織田信長の認識であろう、今川氏真を使った足利義昭と松永久秀の牽制と武力による本願寺制圧と否定して見せた。
  今川氏真には織田家が抱えている構造的欠陥がありありと見えていたのである。

「たとえそれがしを公方に据えたしても、畿内の諸侯は今の幕府には誰も従わぬ。
  むしろ、従えばかえって家が滅びかねん」

「本願寺が勝つとでも?」

 再編途上の兵はともかく火砲については武田攻めと同じ、いやそれ以上の用意をさせるつもりだっただけに織田信長の声には不機嫌が混じっていた。
  それを耳にして今川氏真は何も分っていないと言いたげに首を横に振る。

「幕府が割れている事が問題なのだ」

 権威無き武力。
  今の織田家を指すのに相応しい言葉がこれである。
  足利義昭を抱えて京都を押さえてはいるが、その権威は越後に逃れた足利義輝によって否定されかねないものだった。
  それが、倶利伽羅峠合戦において織田軍が壊滅的打撃を受けた事によって一気に露呈した。
  もちろん、織田信長とて現状の既得権益を保障し保護をしているのだが、上杉輝虎が足利義輝を擁して上洛した場合に、織田信長(が命じた足利義昭)の命令が全てひっくり返りかねないからだ。
  武田軍に勝った事で武威についてはかなりの改善が見込めるが、もう一回上杉と戦ができるかといえば織田信長でも首を横に振らざるを得ない。
  更に、織田家が基本下克上によって成り上がった事もここに来て響いてくる。
  畿内は日本の中枢であると同時に既得権益の巣でもあったからこれを壊した事で、彼らを敵に回したのだ。
  松永久秀がでかい顔をして巣食っているのは、ここに起因する。
  細川、三好、織田と利害を調整し続けた才能を有しているからで、織田信長よろしく権威と既得権益を破壊する訳でもなく、足利義輝が帰還しても言い訳が立つだけの理由を松永久秀が与えてくれるからに他ならない。
  なお、その理由なのだが、織田信長の背後から裏切ったあげくに、

「織田信長にいやいや従ったまでで」

 という、厚顔無恥厚かましい限りの言い訳だが、それが認められなくて松永久秀の首が取られたとしても、それゆえに責任者が腹を切った形になってその下が一気に助かる所に松永久秀という男の調整力の凄みがある。
  彼自身生きようが死のうが構わず、彼の下に集まった既得権益と権威を救済できる所に彼の力の源泉がある。
  つまり、織田信長が負けた時に対する保険。
  今川氏真は己自身の経験と父今川義元が苦労し続けた利害調整と、その調整を保障する権威というものを十二分に理解していたからこそ、それを織田信長に指摘してみせる。
  そして、今ではそれがわからぬ織田信長ではない。

「戦うは上杉と?」

 今、上杉と戦うだけの力は無いと言外に込めて織田信長が吐き捨てる。
  その姿を見た今川氏真がやれやれと肩をすくめて見せるが、次に彼が吐いた言葉は織田信長だけでなく羽柴秀吉や古田重然も唖然とした一言だった。

「何故戦わねばならぬ?
  足利義輝殿の京への帰還をお認めになればよろしかろうて」

 手の中に握っているのならば、玉は一つでも二つでも構わない。
  そう今川氏真は言っている訳で、幕府の一本化が成れば頭が義昭でも義輝でも構わない。
  同時に、武力を背景にした幕命の権威も格段に上がるから、保険としての松永久秀の価値が急落するだろう。
  大名を捨てて傍観者に徹する事ができたゆえの今川氏真渾身の一手だった。
  ついでに、西国担当の羽柴秀吉はともかく、織田信長でも気づいていない『足利義輝を関東公方』にという関東の声を消して見せる妻の実家である北条家のオーダーまでこなすあたり彼も只者ではない。
 
「上杉殿は従うとお思いか?」

 ここで織田信長の前に出る形で隠れていた羽柴秀吉が口を挟む。
  流動的な状況だからこそ織田信長に考える時間を与えるのが彼の仕事。
  そして、そんな事は分かりきっていたからこそ、織田信長は鋭くにらむのみで口を閉じたまま。

「今のままでは従わぬであろう。
  だから、朝廷を動かすのよ」

 その手があったかと羽柴秀吉の顔に驚愕が浮かぶが、これも彼が下からの成り上がりゆえ。
  上から見ていた今川氏真とは元々見る視点が違うのだ。
  守護大名から戦国大名に変わった今川氏真の視点は、それゆえやはり成り上がって高みについた織田信長より高い。
  それを押さえ込むだけのしがらみもまたついていたのだが、国を捨てて風流人を気取っている今の今川氏真にその制約も無い。

「朝廷……」

 話がまったく分からないがゆえに、完全に傍観者となった古田重然が何も考える事もなくただその言葉を呟く。
  だが、中枢にて織田家を動かしていた織田信長やその手足となって働いていた羽柴秀吉にはその言葉はひどく重たく響いた。
  織田信長は天下布武を旗印に掲げるだけあって、朝廷もいずれは征服する場所にしかまだ考えていなかったし、権威という大義名分は幕府再興という形で足利義昭を保護しているだけで一応手に入れることができていたのでそこで満足していたのだ。
  だが、本気で天下というものが見え出してきた今、その権威というものの魔力がどれほどやっかいかという事を否応なく認識せざるを得ない。
  少し歴史を遡れば南北朝時代という親兄弟敵味方に分かれて争う乱世があったばかりである。
  今川氏真は現状の将軍家分裂がそのまま南北朝……京都と越後だから東西府時代になりかねないと指摘して見せたのである。
  そして、目を逸らした織田信長は『京都遊郭案内』でドヤ顔を晒して彼の前に立ちはだかっている珠姫を見て、唐突に理解する。

(何で大友家が太宰大弐を欲したのか……理由はそこか。
  我らが幕府役職を与えても否定されかねないからか。
  大友義鎮が持っている九州探題は先代である足利義輝が与えたものだから、その正当性を否定できない)

 同時に、九州のみででかい顔をすればいいとばかりに九州由来の官位や役職に留まって、中央に召喚される官位や役職を避けまくっていたりするのだが、そこまでは織田信長も気づかない。
  だが、幕府分裂が権威を伴ってかつての応仁の乱よろしく諸侯が敵味方に分かれた場合、今の織田信長に分かる事が一つだけある。

「大友と毛利は確実に越後につくな」

 足利義輝が生きていておまけに(本人は剣豪として生きたいのだが)政治的に動いてしまった以上、その権威によって求心力を得ている大友家と毛利家にとって当たり前の話である。
  そんな眺めから見れば、倶利伽羅峠でのあの姫の動きはある意味で必然。
  そこに思い至った以上、彼の目はいやでも京の廟堂に向く。
  足利義昭や松永久秀に丸投げし、大友や毛利が連合を組んだ正当性を与えたあの御簾の向こうが彼にとって新たなる戦場となる。

「邪魔をした。
  猿。行くぞ」

「ま、待ってくだされ!大殿!!
  すまぬ。
  この無礼はいずれ」

 一度決めたら即座に動く織田信長は朝廷対策の為に茶室から去り、その後を羽柴秀吉が追いかける。
  後に残るは、何が起こったのかよく分かっていない古田重然と、仕事は終えたとばかりに茶を飲む今川氏真。

「茶が冷めてしまったわ。
  古田殿。
  もう一杯よろしいか?」

   


 

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