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大友の姫巫女

南海死闘編

第五十六話 アトラス遊戯 あとしまつ


駿河湾 南蛮船上にて

「良かったので?」

「構わぬよ。
  色々遺恨があれども、得た物は十分故」

 恐る恐る振ってみた古田重然に対して、振られた今川氏真は億劫に頷いて見せる。
  天竜川での大勝利に伴い駿河の徳川領有が確定し、隣接する事になった北条家との外交関係樹立に向けて徳川家康の要請にて彼らは南蛮船の乗客となっている。
  この使い走りに近い要請を今川氏真が受けたのと同時に、今川家の家督を徳川家康に譲る事を表明。
  徳川家康から送られた多額の褒賞と共に、彼は正式に隠居した上で駿河より去る事を望んだ。

「徳川殿は駿河を今川殿に任せる意向だったのではありませぬか。
  国持ち大名に返り咲けるのに、それを捨てるとはそれがしなどには分りませぬな」

 古田重然が何でこの場にいるかと言うと徳川家に使者として派遣されたからで、文人にて趣味人たる今川氏真のお守がその仕事内容だった。
  趣味で互いの気が合った事もあって、こうして二人とも船旅を楽しむ事に。

「古田殿は知らぬし、知らぬままの方がいいだろうが、家臣に裏切られて国を追われた恥辱を晴らし、今川の名を我が代で落さなかった事に今はほっとしておるのだ」 

 武田信玄による今川領侵攻では、多くの家臣が今川家を見限り武田家についた。
  その多くの家がまた今川に寝返って、新たに徳川の傘下となろうとしている。
  そして、名ばかりは国持ち大名ではあるが、実質的には徳川領になる駿河の統治は徳川から派遣された家臣が監視・運営を行う事が決まっていた。
  怨恨と因縁と利権渦巻く駿河統治は貧乏くじでしかないと今川氏真は見抜いていたのだった。
  今川氏真の隠居に伴って駿河に入るのは徳川信康で、徳川領内はこれに伴って家臣団の再編と統制で駿河を徳川領にしようと躍起になっているはすである。
  今川家の家督を徳川信康に直接渡すのではなく、徳川家康に渡したのも今川氏真が無能ではない証。
  滅んだ今川の家督を徳川家後継者に渡して今川に戻せば徳川家臣団と軋轢が出るのは必然だが、徳川家康に渡す事で家康の次男以降に今川の家督を渡せるからである。
  ついでに今川の血の入る今川旧臣の娘でも嫁にすれば、今川旧臣も黙らざるを得ない。
  これによって、徳川家の一門衆として今川家が位置づけられると同時に、今川は徳川の下につく事が序列でも明らかになるので、急拡大した家臣団の統制に大いに役立つだろう。
  そして、万一今川旧臣が謀反を起こそうにも、旗印である今川氏真がいなければ求心力は一気に落ちるし、それを防ぐために徳川から暗殺者が送られる事も無い。

「狡兎死した後の走狗は、烹らる前に去るのが一番。
  一生食うに困らぬ銭は手に入れたので、心行くまま趣味に耽る事ができようて」

 今川氏真の懐には、徳川家康が出した多額の証文が入っているはずである。
  武田家の駿河支配を崩壊させた原因の一つが、この証文だった。
  統治そのものは今川家よりも占領軍だった武田家の方が公正で公平だったりする。
  だが、武田家の占領によって駿河が畿内や関東の市場から切り離されて、現金決済の為に多額の銭が必要になって今川家臣の多くの家ではかえって窮乏する結果になってしまっていた。
  武田家も甲州金などで銭の確保と流通で対抗しようとしたが、穀物の大生産地である北条と消費地で市場が整っている織田が海上で繋がってしまった為に、完全に商人達から足元を見られてふっかけられたらどうにもならない。
  なんのことはない。
  武田家は戦う前から、経済戦で完敗していたのである。
 
「しかし、この南蛮船というのは凄いの。
  西国で戦が変わったのも頷ける」

 今川氏真の言葉に、古田重然が苦笑する。

「ですな。
  聞いてはいたのですが、これほどとは思いませなんだ」

 武田家の駿河支配を崩壊させたもう一つの要因である軍事力だが、その決定打となった久能山城への洋上砲撃をさせたのが古田重然だったのである。
  彼は西国に使者として赴いて日向侵攻中の大友珠と話す傍ら、大友軍が行った火力戦というものをつぶさに見ていたのである。
  で、織田家の要請によってスペインの南蛮船が参加を決めた際に、織田信長にこの事を話してこの洋上砲撃をさせたのだった。
  田中城は城の全周を取り囲んでの砲撃で、城の何処にも逃げ場が無いと武田軍に思い知らせる戦術的衝撃だったのに対して、久能山城砲撃は駿河湾の沿岸全てが何処も安全ではないという戦略級の衝撃だったのである。
  事実、今川軍の久能山城落城からは沿岸部を中心に、武田軍の後詰を待たずしてドミノが倒れるがごとく降伏・開城が相次いで武田軍を撤退に追い込んだのである。
  なお、この功績を織田信長は高く評価して河内国高屋城五万石を与えられる(もちろん、先に与えられた勝竜寺城はそのまま)のだが、本願寺とボンバーマンに挟まれる死地の城代に誰を置けばいいかという武人としての苦悩と、堺が近いゆえに茶三昧が楽しめると茶人としての喜びの板挟みに苦しむ事になるのだがそれは自業自得だろう。

「で、次は本願寺ですか」
「でしょうな。
  既に論功褒賞を終え、大殿は京に向ったとか」

 互いが互いを利用しようと企んでいた武田と本願寺の同盟関係は、天竜川合戦における武田家の大敗によって本願寺に一番の貧乏くじを引かせることになった。
  武田家が織田・徳川連合軍に打撃を与えてから蜂起すればいいと考えていた本願寺側は、天竜川合戦の武田軍の大敗の報に呆然とし、織田軍が論功褒賞を終えて軍の多くを京に向かわせている事に愕然とした。
  これができたのも、先の倶利伽羅峠合戦の大敗によって織田家家臣団が再編されて美濃・尾張に織田家直轄領が増えたのと、かき集めたのが雑兵で銭を払う事で契約を継続できた事、そしてその支払いを織田家が出した証文で行った事があげられる。
  この天竜川合戦で落ち目と見られていた織田家の証文は急騰して証文支払いが可能になり、

「織田家の証文なら割引無しで引き取るわよ」

 と、どごぞの姫君が勝手に信用保証を与えたものだから、織田家の財務は急速に回復していたのである。
  もちろん、最初から最後まで織田が負けるとは毛頭思っていなかった某姫は、この織田証文相場にて木崎原合戦時の十分の一程度のささやかな利益をあげていたりするのだが、それはどうでもいい話。
  天竜川合戦に参加した織田軍三万全てが本願寺に投入できる訳も無く、羽柴秀吉など京都近くに領地を持っている連中の帰還に合わせて織田信長馬周り三千が京都に入るだけなのだが。
  それでも、総大将の京都入りで万一があったら近隣より二・三万は駆けつけるだろうから、本願寺は完全に開戦のタイミングを失っていた。

「この船旅にて北条と手を組めば武田を東西から挟む事になり申す。
  そうなれば武田とて鎧袖一触でござろうて」

 これは古田重然は知らぬ事なのだが、既に織田信長は武田に向けて講和の使者を送っていた。
  本願寺攻めに絞るという理由もあるのだろうが、同時に武田領は徳川に譲るというサインでもあり、徳川家康もそれを了承していた。
  この船旅で北条と徳川が関係を構築できれば、甲斐から信濃・上野にかけて武田攻めの前線ができあがる。
  そして、北条と上杉は冷却しつつあるがまだ外交関係は残っていたのである。
  つまり、徳川・北条・上杉による武田領分割はほぼ確定されており、織田はこれに割って入っても領有できるのは信濃の一部のみで美味しくないから、武田に使者を送る事で武田だけでなく隣接三家にも恩を売ったのだ。

「氏真殿。
  この使者が終わった後は何か考えておいでで?」

 織田信長から直に言い渡された密命の枕詞をおくびに出さずに古田重然は今川氏真に尋ねる。
  重荷を下ろしたようなすっきりした笑顔を古田重然に向けて今川氏真はさわやかに答えた。

「何も。
  長男の顔を見るもよし。
  京に出て風雅に耽るもよし。
  先の事は考えておらぬよ」

 今川氏真の正室で北条氏康の娘である早川殿は去年長男を実家である北条家にて生んでおり、今回の戦では身の安全を考えて小田原から動かさなかったのである。
  北条側からすれば、今川氏真が駿河に返り咲く事を期待しているのだろうが、本人にその気は無いし北条側への見返りである武田の弱体化と徳川との外交関係構築があるから北条側も断りづらいだろう。
  とはいえ、今川氏真がこのまま北条家に滞在するには少しばかり居心地が悪いのは確かで、だからこそ京に出てという言葉が出てくるのだった。
  それを認識した上で、古田重然は真顔に戻って主君である織田信長の言葉を伝える。

「我が主である織田信長様は、御相伴衆たる今川氏真殿を京都にてお迎えしたく」

 その一言を聞いた今川氏真が風流人から戦国大名の顔に戻る。
  何を織田信長が求めているのか、推測できたからだ。

「それがしを迎え入れても、役には立つまいよ」

 相伴衆とは室町幕府における役職的な身分の一つで、将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事である。
  それが今ではステータスとして残り、今川氏真も箔をつけるためにこれを幕府からもらっていた。
  だが、箔とはいえ席次は管領に次ぐ要職である。
  京にて迎えるという事は、幕府内部にて働けと暗に示していたのだ。

「居てもらうだけで結構。
  公方様はそれで悪巧みを止めましょうて」

 ここで今川家という家の重みが出てくる。
  今川家は足利氏御一家である吉良家の分家にあたり、足利将軍家の親族として足利宗家の継承権を有しているのだった。
  そこまで見るのならば、織田信長が今川氏真を相伴衆のままで使う訳がない。 

「止めなければ、それがしを飾り公方に据えるつもりか?」

 その一言が刃のように古田重然に突き刺さる。
  ただの茶人でしかない古田重然はこの戦国大名今川氏真の刃に切り刻まれるのみ。
  だから、古田重然は茶人として今川氏真を風流人の土俵に引きずり込んだ。
  南蛮船の船員にお湯を持ってこさせ、某姫の太宰府歌会にてもらった握り棒がついている筒のような茶碗を今川氏真の前にかかげる。
  今川氏真の目が風流人に戻る。

「珍しい品ですな」
「西国で流通しているとか。
  珍しい茶もあり申すぞ」

 懐から取り出したのは紙に包まれた黒い粉。
  筒のような茶碗の上にこの紙を乗せてゆっくりとお湯を注ぐ。
  紙の下から黒い液体が茶碗の中にたれるのと同時に、えもいわれぬ香ばしい香りが潮風に混じって広がった。

「良き香りですな」
「これを送って頂いたさる姫君は『黒茶』と呼んでいるとか。
  味は苦いが、甘き物と食べると味が際立つとか」

 握り棒がついている筒のような茶碗を今川氏真に差し出すと今川氏真はその取っ手を持って、黒茶を恐る恐る味わう。

「確かに苦い。
  だが、これは癖になるかも知れぬ」

 その言葉にしてやったりの笑みを浮かべる古田重然。
  同じ趣味人だからこそこの新しき茶を知りたいし、己の中に取り入れたいのだ。
  そして、それが手に入るのは最も近くても京でしかないのは調べがついていた。

「古田殿のお話をお受けするかどうかは即答しかねるが、京には一度行ってみたいとは思っておったところ」

「それがしには、その言葉で十分」

 そこから先は別の人間が口説くだろう。
  織田家は人材が豊富なのだ。
  それが分かっているだけに、今川氏真も苦笑せざるを得ない。

「まったく、京で誰の相手をせねばならぬのやら」

 古田重然は目的が達成できたので、実に気楽にその相手を言ってのけた。
  それが、予言となって近い未来に壮絶な幕府および朝廷内権力闘争として実現する事をこの二人は知らない。

「こうやって茶の相手をするのであるならば、御相伴衆の松永殿か、権大納言の一条兼定卿かと」




 

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