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大友の姫巫女

南海死闘編

第五十一話 アトラス遊戯 天竜川合戦 中編



 信州上原城

 武田家が出陣する際において近隣の国衆が集結する信濃の要衝に武田軍が入ったのは元亀二年(1571年)の冬だった。
  孫子の教えを守り、確実に勝てるまで動かない事を信条にしていた武田信玄はその報告に眉を潜めた。

「国境の美濃の国衆が我らに誼を求めております。
  この件に関して織田信長も了解していると。
  それに伴い、三河・遠江の国境の国衆も我らに誼を求める動きがあり……」

 誼というが、この場合寝返りを意味する。
  優秀な間者網を持ち、情報伝達手段を整えていた武田家の間者は織田信長が出した赦免状を持参していた。
  それによると、倶利伽羅峠の合戦での大敗による武威の低下を詫び、武田家が来襲した時に守れる保障がないと言い切った上で、見限って武田側についてもその罪は問わないと書かれていた。
  事実、この赦免状を理由に人質の解放を織田家に求めた所、何も無く開放されてこの赦免状が本当であるとわかり徳川側の国衆も我先にと寝返りを打診する事態となっていた。

「やりましたな。お屋方様。
  武田の武威に戦う前から勝ちを拾えるとは幸先が良い」

 穴山信君の声にも武田信玄は何も語らない。
  家臣一同が注目する中で、間者に向かって武田信玄はゆっくりと質問を発した。

「国境の城で織田と徳川で残ったのは何処だ?」

「美濃岩村城、三河長篠城、遠江二俣城と犬居城にて」

 間者の答えに一同地図でその城を確認する。
  それらの城が最初の目標になるからだが、戦わずに勝ったというある種の弛緩した空気の中でそれに気づいたのは織田信長と交渉しかの地に詳しい秋山信友だった。

「お屋方様。
  これは……」

「皆まで言うな。
  信長め。賢しいにもこれで手を打てと我らに言ってきておる」

 この寝返りが本当ならば、美濃・三河・遠江の山間部の殆どを掌握した事で武田家は莫大な土地を手に入れた事になる。
  だが、その土地が銭を生むかと言えば別問題だ。
  豊かな濃尾平野や伊勢湾海上利権など、織田・徳川の収益の根幹部分にはまったくと言っていいほどタッチしていない。
  更に、寝返りを受け入れた場合、今度は武田家に保護の義務が出る。
  今回の出陣は比叡山延暦寺焼き討ちを非難して手切れの理由とし、延暦寺復興を大儀名分として掲げて三万の兵を集めている。
  兵を動かすだけで米が消え、銭が消える。
  このまま兵を引いた場合、勝ったはいいが収支は赤字になりかねない。
  武田家とするならば、最低限徳川家の従属もしくは遠江の制圧をしないと割が合わない状況に陥っていたのである。

「さて、どうしましょうかの。
  戦わずに勝ってしまいましたぞ」

 飄々とした声で馬場信春が茶々を入れる。
  この老将は茶々を入れながらも、目は地図からまったく離してはいない。
  その先をどう動くのか見定めようとしているのだった。

「お屋方様が目指す六の勝ちには信長の手打ちは少し足りぬ。
  ならば、何処を足せば六になるかよ」

 山県昌景も肩の力を抜いて地図を眺めるが、常識的に考えるとそれは遠江しかありえないのは誰もが分っていたからである。
  元々、今川から奪い取った駿河の防衛の為に遠江を欲したという所にこの戦の元凶がある。
  しかも、最初の遠江侵攻は国境の大井川にて織田・徳川連合軍と対峙させられたあげくに北条をだしに使われた外交攻勢で撤退に追い込まれたという敗北を喫している以上、二度目はありえないと諸将は誓っていた。
  その北条も今は北条氏政への代替わりもあり、両天秤という名前の中立を保っているので気にする必要は無い。

「織田の弱腰を察するに、徳川への後詰は無いか義理程度だと。
  我らが本願寺をけしかけたので、それに怯えているのでしょう」

 高坂昌信が織田の動向を推測するが、事実、織田家の心臓部に位置する長島本願寺が合戦準備に入った報が入ると、滝川一益や佐久間信盛らを領地に帰して警戒を強めさせていた。
  先の赦免状とあわせて考えると、織田信長は武田とはぎりぎり争わずに、先に長島本願寺を叩くつもりなのだろう。
  そうなれば、武田の攻勢を一手に受ける徳川には後詰はすぐに送れない。
 
  武田信玄は目を閉じて何も語らない。
  いや、語れない。
  この時、病は既に進んでいて、信玄自らも己の命が長くない事を悟らざるを得なくなっていた。
  とはいえ、ここで博打を打たないのも武田信玄という戦国大名の真骨頂である。
  寝返る国衆から人質を取る様に命じた上で、更に間者を放って織田・徳川の動向調べつつ飯田城に兵を勧めたのである。
  飯田城に入った武田軍は更に細かな情報を得る事に成功する。
  徳川家は浜松城と二俣城に兵を集めており、奥三河の国衆の多くが武田側へ寝返りを打診している事。
  美濃岩村城には、城主遠山景任が病死した事もあって織田一門である津田信広を送って守らせている事。
  不思議にも、遠江国境の犬居城主天野景貫がまだ寝返りの使者を出していない事。
  そして、まだ織田軍三万が岐阜から動いていない事などが伝えられたのである。

 

 

地理説明

白 武田
黒 織田・徳川

 

              |
               |
               凸飯田城
               |
   ▲           |
  岩村城         |
               | 
               |   ▲犬居城
               |
        ▲      ▲二俣城
       長篠城    |
               |
               |天
               |竜
               |川
               |
            ▲  |
           浜松城

 

 

 

「おかしい。
  理に適っておらぬ。
  これではまるで、三河に攻め込めと言っているようではないか」

 小山田信茂が訝しがるが、そんな事は皆が分かっている事だった。
  とはいえ、このまま三河を放置したらせっかく寝返った国衆がまた徳川の元に帰ってしまう。
  誰かを三河に送らねばならなかったのである。

「秋山信友。
  伊奈衆を連れて三河の後詰に迎え」

「承知」

 武田信玄は伊奈衆二千を秋山信友に分けてひとまずの懸念を解消する。
  気になるのは、目前の飯田城まで来ているのに遠江国衆の動揺が見られない所だろう。
  事、ここまで来て開戦を疑う者は徳川側にもいない。
  とはいえ、徳川の本拠である三河ですら国衆の動揺が始まっているというのに、犬居城主天野景貫をはじめとした遠江国衆は徳川側に留まり続けていたのである。
  その理由を考えると、結局は岐阜の織田信長に行き着く事になる。

「岐阜の織田信長が動かぬ事で、かえって国衆を落ち着かせるか」

 武田が遠江に攻め込むより三河に攻め込んだ方が織田信長からすれば後詰が送りやすいのは当然である。
  何より本拠地である美濃尾張の隣なのだから。
  その為に織田信長の掣肘を期待して長島本願寺の蜂起を本願寺に頼んでいたのだが、織田信長は長島を無視できるだけの何かの手を打ってきたという事だろう。
  遠江国衆が崩れていないのも三河が先に崩れたからだ。
  己がまだ矢面に立っていないと思えるならば、人はかろうじて理性的な行動が取れるからだ。
  では、織田信長がどんな手を打ったかなのだが、その手については高坂昌信が口にする。

「本願寺からの文なのですが、本願寺の蜂起は石山から始めたいので少し時を欲しいとの事」

 本願寺は石山本願寺を頂点とした一向宗の宗教国家と言っていいだろう。
  武田側からの戦略で本願寺を巻き込んだ形になったが、本願寺とて本願寺の都合というものがある。
  何しろ、織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちから始まった一連の緊張状態に、石山本願寺は数万の門徒を集めて警戒していたのだから。
  それが緩和されて、山科本願寺復興も始まった事で石山本願寺は警戒態勢を解いてしまっていた。
  そして、宗教国家だからこそあちこちに拠点が分散し、本山たる石山が指導しないと末端が有効に機能しないいうジレンマが存在する。
  実際に織田信長にそこを突かれて、延暦寺焼き討ちの後で行われた北陸一向一揆殲滅に本願寺は何も打つ手がなく見殺しにする羽目に陥っている。
  北陸一向一揆殲滅の二の舞を長島では避けたいと本願寺が思うのは当然だろう。
  それゆえ、本願寺側は長島蜂起よりも石山と山科の線を繋いで京都周辺の織田勢力を駆逐する事に主眼がおかれていた。
  もっとも、武田は本願寺の蜂起をあてにして今回の戦を始めた訳ではない。
  織田側に『本願寺が蜂起するかも』と思わせて警戒させている時点で十分な成功と言ってよかったのだ。

「何でも、我らとの戦が始まると聞いて、一万ほど兵が逃げ出したとか。
  動かぬというより動けぬという所なのかもしれぬ」

 穴山信君が岐阜から動かぬ織田信長をそう嘲るが、岐阜からの兵の逃亡は間者だけでなく武田側に寝返った国人衆にからも報告が入っており、虚偽とは考えられなかった。
  この逃亡に激怒した織田信長は兵を近江や越前からも集めるように指示したという。
  その為、徳川側では織田は徳川を見捨てるという声が日増しに高まっているらしいという報告を山家三方衆である菅沼定忠や奥平貞勝から受け取ったばかりである。
  だが、最前線になるはずの遠江では徳川側の動揺がまったく見られないのだ。

「二俣城を何とかせねば、遠江は崩せぬか」

「しかし、徳川のやつら我らが信濃から来るのを読んでいたような素振りだな」

 これは当たらずとも遠からずという所だろう。
  前回の大井川合戦での対峙で、武田軍は徳川軍の素早い防衛線展開の前に大井川を突破できなかった苦い経験がある。
  それを踏まえるならば、渡河に時間がかかる大井川を避けて山間部の信濃側から攻め込むというのを予測して当然だろう。
  三河ではその対策に置いた山家三方衆が軒並み武田側に寝返るという誤算も発生していたのだが、そこまでは武田側も掴んでいない。
  話がそれたが、大井川合戦の後から徳川家は遠江山間部防衛の要として二俣城を整備していた。
  犬居城主天野景貫が武田家に寝返らないのもここに起因するのだろう。
  天竜川から外れる犬居城が寝返っても二俣城が残っている限り先に進めない。
  武田軍が犬居城を攻めると二俣城攻撃の戦力が減る。
  二俣城が落ちれば天野景貫は勝手に寝返って来るのだろう。
 
「気に入らぬな」

 武田信玄が不機嫌そうに吐き捨てる。
  どう考えてもこちらが来るのを分っていたそぶりが見え見えである。
  何も相手が用意していた舞台にこちらから上がる必要は無い。

「馬場。
  二千ほど連れて美濃岩村城を囲め」

「心得た。
  岐阜の織田信長を引きずり出すのですな」

 織田軍の後詰が岩村城に来たならば、徳川側に送れる兵が無くなるので、必然的に徳川は見捨てられるという証明になる。
  武田信玄は慎重な男である。
  万全を期す為に、本隊を飯田城に留めた上で宿将二人に四千の兵を割いてまで相手の策を見破ろうとしたのだった。

 秋山信友が三河に入り、徳川方の長篠城を囲む。
  ほぼ同時期に馬場信春が美濃岩村城を囲み、ここに武田と織田徳川の戦端が開かれる。
  だが、岐阜の織田信長も浜松の徳川家康も動こうとせず、伊奈に武田本隊が留まったまま二週間が過ぎた時にその急報が飛び込んでくる。

「敵襲!
  我が領内に敵が現れて襲われております!」

 武田家は狼煙台をはじめとして情報収集とネットワークが戦国大名の中でも突出するほど発達していた。
  というより、すばやく情報を得ないと山間部ゆえに迎撃が間に合わないとも言う。
  だから、この急報は武田の情報ネットワークが正しく機能していた証拠でもある。

「この忙しい時に襲ってきたのはどいつじゃ!
  織田か!上杉か!
  もしくは北条か!」

 待ってましたとばかりに山県昌景が声をあげる。
  織田徳川に手を出した事で相手の対応待ちだった事もあって気合十分である。
  万一、背後から北条や上杉が殴りかかってきても軍を返して迎撃するだけの防御も用意してあるはずだった。
  だから、敵襲を告げる使者から出てきた言葉に山県昌景はおろか、武田信玄すら虚を突かれた形となった。

「違いまする!
  今川の旗をつけた数千の兵が駿河を襲っております!」

 国を追われた今川家に数千の兵が集まって駿河を攻撃しているとは何の冗談かと。
  だが、そんな空気は使者の報告の続きでぶち壊された。

「大井川を越えた今川の軍勢に今川残党が合流。
  数千にまで膨れ上がり、大筒を用いた攻撃に駿河田中城は落城!
  花沢城も持ちこたえられませぬ!
  早急に後詰を!」

 事態は一刻を争う状況になっているのを嫌でも認識した武田軍首脳部は同時に戦慄せざるを得なかった。
  飯田城がある伊奈郡から駿河まで戻るには、諏訪まで北上して甲斐に帰る必要がある。
  大軍ゆえ急に動く事は難しく、どんなに急いでも二週間はかかってしまう。
  その二週間の間に今川軍がどれだけの勢いで侵略するか考えるだけでも恐ろしい。
  何よりも、対遠江防衛の要と位置づけられていた田中城があっさりと落城する事が想定外である。
  今川の旗とはいえ、大井川を越えた時点で徳川の手の者なのは疑い様が無い。
 
「徳川のやつら正気か!
  目の前に我らが迫っているというのに、駿河に攻め込むなど!」

 次期後継者として今回の出陣に連れてきている諏訪勝頼が思わず声を荒げる。
  とはいえ、その強がりは虚勢が混じっているのを武田信玄は感じてため息をつく。
  勇将であり、義信亡き後の武田を継げるだけの教育はしたとはいえ、若さからくる経験不足はどうしても否めない。
  だが、今はまだ信玄自身がいる。
  彼が己の背中を見て何か感じて欲しいと願いつつ武田信玄は間者を呼んで、ある事を尋ねた。

「浜松城の兵は動いているか?」

「はっ。
  一万ほどの兵が浜松城に詰めておりますが、動いた様子はございませぬ」

 その間者の報告を聞いた内藤昌豊が首をひねった。

「ならば、今川の旗をつけた徳川の兵はどこからやってきたのだ?」

 数千の兵ともなるとその移動が分からぬはずがない。
  どこかにそのからくりがあるはずなのだと考えた武田信玄はしばらくしてそのからくりを見抜く。

「ぬかったわ。
  岐阜の兵が逃げ出したのは偽りか」

 実は偽りという訳ではまったくなかったりする。
  事実、逃げ出しという一万の兵の内、過半数は本当に逃げ出したのだから。
  その為に、三千ほどの兵が逃亡にまぎれて姿をくらましたのを武田側の間者は見落とす事になる。
  さらにこの三千の兵は伊勢に入った後で海路で遠江を目指した為に、海上警戒網を持っていない武田側に把握ができなかったのは当然と言えよう。
  もし、武田が今川水軍を吸収できていたら話は違っていただろうが、伊勢湾海上利権を背景に織田信長が取り込んでしまっており、武田信玄は水軍衆に与える利がかなかったから結果は変わらないと思うが。
  状況は更に悪化する。
  何しろ、武田軍がいる飯田城から現在戦場と化している駿河まで馬を繋いで昼夜走ったとしても五日はかかるのだ。
  翌日には今川氏真が駿河田中城に入城。
  花沢城も落ちて防御が弱い今川館を放棄して久能山城に撤退する事態にまで陥っていた。

「何はともあれ、駿河に後詰を送らねばならぬ。
  秋山と馬場の手勢を飯田城に戻して美濃と三河の押さえとし、穴山信君に山県昌景をつけて駿河に送る」

 武田信玄は堅実な男である。
  だが、その堅実さでは距離という時間を超えられない。
  万一、久能山城が落ちて江尻城にまで今川軍が迫った場合、せっかく成った駿河支配が完全に崩壊しかねない。
  枯れ草に燃える火のごとく暴れまくる今川軍というより実態は織田・徳川軍を、何とかして駿河から引き離す必要があったのである。
  美濃岩村城や三河長篠城から兵を戻したのは、ここで暴れても岐阜の織田信長からの後詰で応対されてしまうからで、駿河で暴れている今川軍を戻すためにはもっと近い場所で危機を演出しなければならなかったのである。

 つまり、万全に防御を固めて待ち構えている遠江二俣城に兵を進めて落とす事以外に。

 武田信玄は織田信長か徳川家康かその両方か分からないが、はっきりと己と武田軍が罠にはまった事を理解した。
  とはいえ、この罠に入って踏み潰す以外に選択肢が無い事もいやでも理解せざるを得なかったのである。
  武田領内で最も豊かである駿河の失落は、ただでさえ豊かでない武田領内にて致命的打撃を受けるし、武田より中立を取ろうとしていた北条とて今川復活となれば武田側につくとも限らない。
  何よりも、駿河失落による経済的損失と北条が反武田に回った場合、勝つ事によって作られてきた武田信玄という幻影が崩れ去って、大名権が振るえない国人衆の連合政権に武田家が戻りかねない。
  第四次川中島合戦時では上杉輝虎に戦術レベルで看破されて大苦戦に陥ったが、今回の戦は戦略レベルにで看破されて罠に落ちるという事態に武田信玄は病とは別の意味で寒気が止まらなかった。
  そして、穴山信君らを分けた武田軍二万四千は青崩峠を越えて遠江に雪崩れ込む。

 彼らを待ち受ける火と鉄の宴を知る事無く。



 

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