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大友の姫巫女

南海死闘編

第四十九話 アトラス遊戯 水俣城密談 


 彼らにとってそれは悪魔のささやきだろう。

「我が主君織田信長様は筒井家に対して支援を約束しており、一刻も早い大和への帰参を求めております」

 大和を追われて放浪し、大友の旗の下で水俣という借りの住まいを得る事ができた。
  だが、その仮住まいに住んで間もなくこの誘い。
  もう少し早ければ何も考えずにその手を取っただろう。

「織田殿のお誘いはありがたいしだいで。
  ですが、我らは流浪し、戦い続けてやっとここに借りの宿を見つけた次第。
  お役に立てるかといえば……」

 人というのは戦以外でも消える。
  ある者は筒井そのものに見切りをつけて松永の旗に寝返り、またある者は放浪の地にて第二の人生を歩む。
  病に倒れる者、借金の果てに消える者、女に溺れて沈む者、そんな事で人は簡単に消えてしまうのだ。
  だからこそ、この地で休み、新たに同士を募り、己の願いである大和帰参を確認する時間は絶対に必要だったのである。
  その婉曲な否定表現を持って、この流浪の筒井家の旗頭である筒井順慶の言葉に織田家の使者である長谷川宗仁と仲介した島津家の上井覚兼は、渋い顔を表に出さずにはいられなかった。
  主の言葉が部屋に消えるのを待って、控えていた島清興が質問を投げかける。

「大友は織田とは争うつもりも無いし、取次役の羽柴殿との関係も良好だ。
  お聞きしたいのは、なんで織田殿の使者がこちらに出向いているかという事なのだが?」

 島清興の言葉に長谷川宗仁が言葉を詰まらせる。
  その隙を突かれまいと上井覚兼が言葉の間に割り込んだ。

「畿内での動きはご存知か?
  織田殿は倶利伽羅峠の敗北から立ち直り、失った多くの将兵を立て直すために家柄・身分関係なく人を集めているのだ。
  そんな折に、こちらの用件で畿内に行った島津家久殿から織田殿にお主等が流浪している事を話したら興味を持たれてな。
  いらぬ世話かと思われたら申し訳ない」

 戦っていると言って人や物の動きは阻害できない。
  ましてや、最前線だからこそその相手の交渉は互いに不意の開戦を避けるうえでも必要だったのである。
  だからこそ、水俣城にてこんな話が行われている。

「いや、事実畿内に帰れるとあらば多くの者は喜ぶだろう。
  我等が流浪しているのは広く知れ渡っているしな」

 同じく控えていた松倉重信がフォローに回る事であえてこの話題を流す。
  この話を受けるにせよ断るにせよ、もっと多くの情報が必要だからだ。
  だから、相手の過失を突くよりも全体像を把握する方が先と松倉重信は判断したからに他ならない。
  松倉重信が島清興の方をちらりと見れば、島清興も少しだけ首を動かす事で応える。
  これが筒井家の役割分担だった。

「我が島津家も堂々と戦でこの地を奪うのならばともかく、後ろから斬りつけるような卑怯な真似はするつもりはござらぬ。
  話がまとまった場合、必要ならば誓紙を出しても構わぬと我が主君義久殿は申しております」

 少し前の話になるのだが、大友と島津の決戦が回避されたのを見届けたかのように島津貴久がこの世を去った。
  先代島津忠良と共に薩摩統一から大隅制圧と島津中興の祖として名高い彼の葬儀には大友側からも使者を派遣したぐらいである。
  そして、代替わりした島津家を率いるのは長男義久とその兄弟達。
  代替わりで混乱が起きるかと思っていた周囲の期待をもろともせずに、一致結束して頑強に大友家の九州支配に抵抗を続けていた。 
  まぁ、そんな淡い期待なんてまったく信じていなかった某姫の経済封鎖で真綿で締め付けてはいたが、まだ窒息には至っていない。

「それに、筒井家の皆様は勘違いをしておられる。
  我らは大友家に喧嘩を売るつもりは無い。
  あくまで大和を牛耳る松永久秀を討つ為に、貴殿らの力を借りたい織田殿の手助けをしているのみで」

 上井覚兼の言葉はたしかに筋は通っている。
  だが、筒井家が大和に帰参した場合、島津家にもメリットがある事をこの場の全員が理解していた。
  肥後国大畑合戦で当主が討ち死にした相良家は今でも体制を立て直せておらず、家中が大友派と島津派に分かれて抗争を続けていたのだ。
  なお、島津派のトップが先の大畑合戦で島津に寝返った後で再度帰参し大畑城主となった佐牟田常陸介だったりする。
  これも急場の家督継承で大名となった相良頼定が家臣団を掌握できてないのと、久七峠と堀切峠を島津に握られているからその気になったら人吉盆地を蹂躙できるという距離的圧迫感が大きい。
  長期的に見て大友の優位は動かないのだが、その短い時間で自分達が蹂躙されますと分かっていてなおその優位につきたいとは思わないのは人の性である。
  この距離的制約から、珠姫も筑前で見せたような国人衆粛清を相良家に行なわずに放置を決め込んでいた。
  彼女は徹頭徹尾日向でも肥後でも大友領奥地にて島津を迎え撃つように動いており、隈府鎮台の背後に当たる山々に陣城を築いてそこを最終防衛線にするよう田原鑑種に命じていたりする。
  その時に街道の工事も行っており、工事に際して整備された坂を名前を取って『田原坂』と言うようになったとか。
  話がそれた。
  相良家がこのような状況なので、水俣が動揺したならば大友家の肥後戦線が大崩壊をしかねなかったのだ。
  できる事ならば筒井家の水俣入りと同時に相良家を粛清して信頼できる家臣に任せるという案も無かった訳ではないのだが、荒れに荒れた日向一国を復興させる為に肥後に回せる人材が枯渇してしまっていた。
  同時に、戦後の統治の事を考えて力を持ちすぎた肥後国人衆に血を流してもらおうと某姫が防衛線を田原坂まで下げさせているあたり、この姫もやる事がえげつない。
  そんな事だから大友の敵対者に『大友の雌狐』と陰口を叩かれるのだが、実の父親に『毛利狐』と罵倒されていた事を考えるとちゃんと義父と娘の関係だなぁと知った時に大友の雌狐は思ったり思わなかったり。
  なお、

(キャラ的には肉だと思うんだけど。はがない的に考えて)

 というその雌狐自身のツッコミは幸いにも周囲に伝わっていない。
  何しろ部室でエロゲー発覚時の雌狐の罵倒をそのままリアルでやっちゃっているから、雌狐の罵倒を聞いた家臣一同はみな首を縦に振ること間違いがない。
  また話がそれた。
  まぁ、島津軍が人吉盆地経由で八代に突っ込んできたら水俣自体が囲まれるので、『死地』と認識されて筒井家に与えられたという経緯はしっかりと筒井家も認識していたりする。
  そのあたりを含めて筒井家には珠姫自身から降伏・寝返りOKと破格に近い自由裁量権が与えられていたりする。
  もちろん、そんな事をすれば破格の待遇を用意してくれた珠姫の顔に泥を塗るし、自らの信用も大暴落なのでかえって忠誠心を高めていたりするのだが。
  とはいえ、まさか島津家が織田家と組んで大和帰参を提案してくるなんて想定はしなかった訳で、それを責めるのも酷だろう。

「少しお聞きしてよろしいか?」

 それまで黙っていた筒井順慶の言葉がこの状況をひっくり返す。
  飾りとはいえ実権がない訳ではない彼は、飾りゆえに注意しなければならないある事に気づいたのである。

「この一件、羽柴殿はご存知か?」

 先ほどから黙っていた長谷川宗仁の額に汗が浮かぶ。
  家同士の付き合いだからこそ、その取次役と呼ばれる外交担当者の意向を無視する訳にはいかない。
  大友家については羽柴秀吉が取次役としての地位を確定させている。
  筒井家は当然ながら大友家の下にいる訳で、それならば羽柴秀吉の了解の下で動いているはずである。
  さっき島清興が切り込んだ質問をさらに深くえぐり込んだ筒井順慶の質問に、言い返せない長谷川宗仁を見限って上井覚兼が吹っ切れた声で核心をばらす。

「いや。
  長谷川殿は島津家取次役である滝川一益殿の配下ゆえ」

 人が集まれば派閥ができるのは自然の理。
  そこのあるのは、織田家中における派閥争いの一側面だったのである。
  倶利伽羅峠合戦の大敗からの危機を脱した織田信長は、西国に対して幾人かの将を担当につかせて同時攻略という方針を採っていた。
  丹後攻略から山陰に関して攻め込むは丹羽長秀。
  播磨攻略に抜擢されたのは荒木村重。
  京都を守り、松永久秀と石山本願寺の監視を任されたのは羽柴秀吉という具合に。
  西国では活発に動きながら、東国では守りに入っていた。
  南加賀では上杉家と一向宗の残党に脅かされつつも柴田勝家が死守し、越前の明智光秀がその後詰につき、尾張では佐久間信盛が兵を再編しつつ武田家と揉めている三河の徳川家康の支援に回るといった具合に。
  現在の織田家にとって、毛利勢力圏とまだ接していない(との建前で)西国を攻めているが、東国は武田・上杉という強大な大名と接しておりこれ以上の拡張は難しいからだ。
  更にやっかいなのが、東国の外交環境の変化である。
  関東の雄である北条家の当主北条氏康は病に倒れ、既に実務はその子氏政が引き継いでいる状況で、同盟を組んでいた上杉家との手切れが噂されていた。
  倶利伽羅峠で大勝利した上杉家は勝ち過ぎたのである。
  上杉家は北陸の大半を支配化に収め、政治的に動いた足利義輝を見た関東の反北条勢力は水面下で『足利義輝を関東公方に』と蠢きだしたのだ。
  過去、三増峠にて小田原を攻めて撤退する武田軍とそれを追撃した北条軍との間で合戦が発生し、この合戦に敗北した事で『上杉家頼りにならず』という声が大きくなっており、それに目をつけた武田信玄が北条家との外交関係改善に乗り出していたのだ。
  で、ここで滝川一益の立場に変化が生じる。
  北伊勢を領地にしていた彼は伊賀方面からの松永久秀の監視と同時に、水軍を使っての徳川家康の支援という任務を与えられていた。
  事実、彼の水軍衆の活躍による迅速な後詰で徳川家は武田家の侵攻を断念させる事ができたのだが、その為に徳川家の弱体化が防がれて佐久間信盛の支援で問題ないと織田信長が判断したのだ。
  で、新たに与えられた任務は水軍衆を使った大友毛利連合の切り崩し、つまり島津と長宗我部を海上交通路で繋ぐ事である。
  その過程で、筒井家なんて駒を島津経由で見つけてしまったのはある種必然と言えよう。
  薩摩・大隈に強固な防衛体制を敷く島津家は、珠姫がしかけた経済封鎖を破る事ができずに苦闘していた。
  そこに、長宗我部の仲介で織田が手を差し伸べた。
  島津側はその差し伸べた手に飛びつき、島津家久を畿内に派遣して織田との繋ぎをつけると同時に、その差し伸べた手のお礼に隣接する水俣に配属された新領主である筒井家の存在をたれこんだのである。
  こうして、島津は滝川一益の既得権益となった。
  同時に筒井家を動かして松永家に楔を打ち込む事ができるならば、それも滝川一益の権益になると目論んだゆえの今回の会談なのだ。
  羽柴秀吉は大友家と親しくする事で既に多くの富を手に入れ、滝川一益は敵対して崩す事でその富を掠め取ろうと企んでいたのだ。
  そして、その背後には相反する戦略を採用しながら、大戦略として大友毛利連合の解体をもくろむ織田信長の黙認がある。
  少なくとも織田信長の中では大友家も毛利家も存続についてはやぶさかではないのだが、この二家によって形成された西国の巨大流通圏だけは絶対に解体して織田家の中に組み込まねばならないほど巨万の富を生み出していた。
  そしてその解体の過程で転がり込む富はその担当武将の懐に入るのは間違いない。
  具体的には門司と博多奉行として。
  珠姫が作り上げたシステムのからくりまでは理解できていなかったが、その中核として繁栄し続けていたこの二つの都市利権は目に見えるだけに、天下布武を旗印に進む織田家の中枢に位置する者たちにとって先にある目標の一つになっていたのである。
  そんな内幕を長谷川宗仁も上井覚兼も知らせるつもりは毛頭無い。

 結局、今回の会談において何も得る話もなく長谷川宗仁と上井覚兼をお引取り願って、その一部始終を珠姫にタレこむ事で筒井家は忠義を見せた。
  とはいえ、この二者とのパイプを切らなかったあたり、筒井順慶もまた戦国大名だったといえよう。

 半年後、この二人は再度水俣城にやってくる。
  日本中を驚愕させた、織田・徳川連合軍で戦国最強を謳われた武田軍に大打撃を与えた『天竜川合戦』の勝報と共に。



 


 

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