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大友の姫巫女

南海死闘編

第四十一話 尼子の残光 山崎城俯瞰

「絶景……かな」

 建てられたばかりの山崎城天守からの景色の感想を前田利家は漏らし、その感想に城主たる羽柴秀吉は満足そうに頷いたのだった。
京の西の出口である山崎には天王山という山があり、隘路になっている山崎で敵を迎え撃つ事によって少ない兵で京都を守る事ができる。
その為、勝竜寺城城主だった羽柴秀吉は早くからこの山に砦を築いていたのだが、信長の認可を得た上で正式に石垣造りの城として再建築をし終えた所だったのである。
また、西国街道と宿場の整備を推進しつつ羽柴家家臣団の武家屋敷などを移築した事で京への交通の要所として山崎は栄え、城主である秀吉の懐に無視できないほどの銭を落としていた。
これによって淀古城と繋がって石山本願寺勢から京を守るという防衛線が完成したと同時に、倶梨伽羅峠合戦で大打撃を受けた織田家が城によって寡兵で拠点を防御しなければならない守勢に追い込まれていた事を意味していた。

「左介に茶を用意させている。
一息ついてゆくといい。淀古城主殿」

 秀吉の言葉に前田利家が頷きながら、まだ建設途中の己の城を眺める。
倶梨伽羅峠の大敗による人材の枯渇という危機に対して、織田信長は若手の抜擢という形でそれに対処し馬周りから一気に城主になる者が続出したのである。
佐々成政や前田利家もそんな一人で、前田利家は淀古城主という大抜擢によって京の守りを任されたのだが、密かに双方の城主の奥方同士が協力して信長に働きかけたという話もちらちらと。

「しかし、大方殿様がおめでたとは……明るい話題よのぉ……」
「そうじゃのぉ……」

 何も知らないであろう前田利家の一言に、汗を拭きながら羽柴秀吉は答える。
まさか、大方殿様の妊娠や彼の淀古城主大抜擢の影に、自分の妻であるねねがもの凄く関与しているなんて言える訳がない。
まぁ、やはりというかまたおまえかというか元凶は某西国の姫君なんだが。
その姫の畿内滞在中に馬が合った某姫とねねさんは、手紙のやりとりなんてのをする仲になっていたのである。
何しろねねさんは一男一女の子宝に恵まれ、女ぶりも城主の奥方ぶりも板について絶好調中だったりする。
某姫の方も気楽に愚痴が言えるので、まつさんまで混じっての手紙越しぶっちゃけトーク大会が。

 意訳するとこんな感じ。

「旦那が浮気した」
「あきらめろ。あれは直らない」
「まぁ、無理よね。あれ」

「城主の奥方になったけど仕事がわからない」
「どこが分からないか言って。城主のしごとのいろは本あげるから」
「あ、うちも欲しい。ちょーだい」

「旦那単身赴任中。性欲をもてあます」
「あんた女はべらせてるから、それではらせば?」
「わかるわ。やってないとしたくなるのよね。あれ」

「畜生相手のまぐわい、家臣一同に泣いてとめられた」
「……気持ちいいの?」
「……ちょっと興味があるかも」

「私より淫乱な奥方げっと」
「まじ?あんた以上の色狂いっていたの?」
「12でやりやがったそこ、ちょっと九州まで来い」 
「けど、少しその人の性の技術は身につけたいかなって」

「子育てに悩むのよねぇ」
「あんたの所少ないからでしょ。うちはさっさと乳母に預けたわよ」
「うちも面倒だから乳母つけて保育所に入れた」
「「保育所って何?」」

 後世に残った文を解析した学者達が「今の女性とあんまり変わってねー」と何だか絶望した文のやり取りの中にあった問題の文を見てみよう。

「知り合いに子供ができなくて困っているのがいるのよ。子宝祈願のお札くれない?」
「だから、あんた誰に物頼んでいるか分かって言っているんだろうな。おい」
「どーせ、あんたの事だから何だかんだ言ってお札渡すんでしょ。さっさと渡しなさいよ」
「はいはい。お札もらって祈願してくるから、旦那に請求書送るからね」

 もちろん、お札をもらってきた某姫は力を使った訳もなく。
宇佐八幡宮で売っていた子宝祈願のお札をそのまま送っただけだったりする。
だが、某姫はねねさんの手紙コミュニケーションを舐めていた。
旦那の主君にも手紙を出すぐらいならば、その主君の奥方にも手紙を出している可能性を見事なまでに失念していたのである。
おまけに、信長の寵愛のあった生駒御前が亡くなっていた事も大きかった。
鰯の頭も信心すら。
ましてやご利益がねね自身が証明している大友の姫巫女のお札(と思い込んでいる)である。
宇佐八幡宮に織田信長名義で一万貫の寄進が届けられたと同時に、『濃姫妊娠』の報告が入ってきた時、

「あ、できなかった訳じゃないんだ……あはは……」

 と放心したまま笑い続けて家中から壮絶に心配されたりしたのだがそれはさておき。
尾張衆および美濃衆が倶梨伽羅峠合戦で大打撃を受けた後だけあってこの濃姫妊娠は政治的に吉報として伝えられ、若手の抜擢ともあいまって織田家は守勢に追い込まれていたが組織は活性化していたのである。
なお、

「なんであんた子供つくっているのよ!」
「あんたがこっちにきて子供作らないからよ!」

 という色々頭を抱えそうな文が某姫と某大名の奥方の間をねねさん経由で行き交ったらしいが、歴史には残されていない。
閑話休題。


「おお、前田殿。良き所に。
ちょうど湯が沸いた次第で」

 羽柴秀吉の山崎城移転に伴い、空いた勝竜寺城主に入ったのがここで茶を立てている古田重然だったりする。
中川清秀の妹を嫁にもらった事と、美濃・尾張衆の再編に伴う移動、そして西国の某姫にさしで会える茶人という事から秀吉が信長に頼んで勝竜寺城を譲ったのだった。
その時に、松永久秀のいたずらなのだが名目上の譲渡主である珠姫にちゃんと一筆入れて了解をもらうあたり、人たらしと呼ばれる所以である。
さり気に知行も倍になっていたりするのだが、山崎城や淀古城の後詰の位置にある為に否応なく合戦に巻き込まれる訳で。
武人としての喜びと茶人としての迷惑さで彼の立てる茶は微妙に苦い。

「お、この茶室は西国風ですな」
「師の好みとは違いますが、武人ならばこちらの方が色々都合がよいのでござるよ」

 前田利家の感嘆の声に古田重然は照れくさそうに答える。
そこそこの広さの間取りにくつろげる程度の茶室は珠姫や大友義鎮が好んで作った茶室であり、地図や書状を持ち込んで密談をするのに実に適したつくりになっていた。
勝竜寺城主に推挙してもらったお礼として古田重然が造ったので、勝手知ったる茶室とばかりに茶を振舞っていたり。 
そして、茶でもてなした後に茶室に誰も居ない事を確認して羽柴秀吉が小声でやばい話を切り出す。

「丹波の件だが、いくつか話しておきたい事がある。
此度の戦、狙いは丹波ではない」

 その爆弾発言に聞いていた二人の顔色が変わる。
それでも秀吉の言葉は低く、そして小さかった。

「我らは倶梨伽羅峠の大敗を乗り越える為に時間を欲している。
幸いかな妙な動きをした武田はひとまず静まったが、西はこの様だ。
正直に言うと、丹波攻めすらそれがしは反対なのだ」

 現在行われている合戦そのものの全否定に唖然とする二人だが、秀吉の言葉の齟齬に前田利家は気づいてそれを確かめる。

「まて。
『それがしは反対』と言ったな?
という事は、これは大殿の策か?」

 前田利家の質問に秀吉は何も答えなかったが、それゆえにそれが本当であるとわかる。
周囲に敵を抱えている織田家の場合、上杉に当たるにはトラウマが酷く、武田家はとりあえず動きを封じた以上攻めるとしたら西しかないのはわかっている。
支配領域の拡大を狙った丹波侵攻だと前田利家は思っていたのだが、羽柴秀吉の真顔からそれだけではないもっと深い所の話だと悟らざるを得ない。

「本願寺を潰したいが、その為には公方様と松永が邪魔だ。
別の意味で、かの姫も邪魔なのだがそちらは手を打っている」

 公方こと足利義昭が邪魔をするのは、本願寺や松永久秀が居なくなったら自分が用済みになる事を恐れているからだ。
松永久秀も同じで、他の二者がなくなったら確実に信長が粛清する事を確信していた。
その為、織田信長によって領地を失った池田勝正と伊丹親興を保護して部将として使い出して、織田家と対峙するにおいて決定的に足りない将の確保に動いていたのである。 
本願寺だけは少し違い、北陸での一向一揆殲滅に頭にきてはいるが信長との全面対決をするのに迷いがあった。
比叡山延暦寺焼き討ちや北陸一向一揆鎮圧時における織田と上杉のジェノサイドに衝撃を受けたというのもあるし、自給自足の独立王国として物資も権威も足りていたから積極的に開戦する必要がなかったのも大きい。
さらに、朝廷による和睦で延暦寺支援と称して山科本願寺を復興させる許可をもらい、現在大城郭もとい大寺院が建築中である。
そして、倶梨伽羅峠合戦の顛末から『織田が潰れれば上杉がやってくる』と本願寺上層部は判断しており、開戦して上杉に全て持って行かれるのを恐れたのである。

「本願寺の蜂起については、この城や淀古城で支えつつ芥川山城から側面を叩く。
山科本願寺の為に近江との行き来ができなくなった場合、丹波が要となる。
これが丹波攻めの一つだ」


地理説明

八木城(攻城中)
▲                       大津


■    山科本願寺

勝竜寺城
凸  凸
山崎城  淀古城
芥川山城   凸

 



石山本願寺   

 


芥川山城は丹波に向かう間道があり、三好政権時代はここを拠点に三好家が畿内を支配していたのである。
現在の城主は長岡藤孝で、この間道を用いて荒木村重を先頭に高山重友や中川清秀らが丹波に雪崩れ込んでいた。
万が一本願寺が蜂起した場合はこの軍勢で石山本願寺からの軍勢を拘束しつつ、山科本願寺を落とすまで持ちこたえるというのが基本戦略となる。
ここまで話すと、二人にもそれぞれの役回りが見えてくる。

「つまり、我等の仕事は山科からの一向宗を防ぐ事か」

 古田重然のため息に、羽柴秀吉が頷く。
彼の城である淀古城は状況によって山科だけでなく石山からも攻撃を受けかねないからだ。
とはいえ、木津・桂・宇治の三川が合流する場所だから簡単に落ちるとも思っていないが。

「待て。
松永が邪魔と言っておきながら、大和方面への手配がまったくしていないではないか。
松永が動いたら、我らは孤立するぞ!」

 前田利家の指摘に唖然とした顔で地図を眺める古田重然。
これが将としての差なのだろうとなんとなく羽柴秀吉は思ったりもしたが、それは本人である古田重然が一番知っているのだろうから口に出すことはしない。
代わりに、前田利家の指摘に淡々と答える。

「大殿は公方様と松永を共食いさせようと企んでいる」

 現在、信長を振り回して乗りに乗っている松永久秀だが、彼にも政治的欠点が存在する。
その中で彼の致命的な欠点は、彼が一代で成り上がったという事そのものだったりする。
松永久秀の領国は善政を行っていることで有名である。
だが、これは裏を返せば『善政を行わないと誰もついてこない』とも言う。
地盤・看板(知名度・威信)・鞄(資金)が欠けていた戦国の梟雄達は、それゆえに民の支持が生命線だったのだ。
更に松永久秀は暗殺などで色々と黒い疑惑もあり、それを隠す為にも権力者側にいる事が絶対条件になっていた。
だからこそ、細川・三好・織田と渡り歩きながら、幕府組織に精通して畿内の権力バランス調整に苦心し続けたのである。

「む、たしか丹波の内藤宗勝殿は松永殿の弟だったはず」

 茶人として畿内でも名が知れだした古田重然がそれに気づいたのは、彼の元に茶会を通じて情報が集まるからに他ならない。
そして、その事実が提示されると現在秀吉が行っている丹波侵攻がまったく別の色に見えてくる。
謀反を起こして討伐対象になっているのは、荻野(赤井)直正と芦田五郎(赤井忠家)の赤井家。
これに内藤家と波多野家の三家が丹波国内で覇を競い合っていたのだった。
三好政権の崩壊と足利義輝の逃亡、織田信長の台頭と足利義昭の擁立と畿内の政変に丹波が関与できなかったのが、この三家が三すくみ状態になっていたからで、赤井一族の蜂起の遠因に内藤家の内紛があげられていた。
内藤宗勝が荻野直正によって討ち取られると、元が養子だった内藤宗勝の息子内藤如安と本家筋の内藤有勝の間でお家争いが勃発。
内藤如安が八木城を捨てて松永久秀を頼って落ち延びれば、羽柴秀吉率いる丹波侵攻軍が即座に介入して現在八木城攻めが続行中だったりする。
そして、八木城落城後の内藤如安復帰について足利義昭がごねている所を羽柴秀吉は掴んで信長に報告していたのである。

「できれば、公方様に松永討伐令を出してもらいたいものだ。
その時、松永が兵を出すなら、いやでも京を目指さざるを得ない。
我らは公方様の命に従って、松永軍に横槍を入れる。
だから丹波に深入りはできんのだ」

 借金してまでかき集めた羽柴軍は、丹波侵攻という名目の裏に本願寺と松永に対抗するべく組織されたのだった。
そして、その想定状況は限りなく死地に近い。
羽柴秀吉が話したかったのはこれだった。

「迷惑をかける。
すまん」

 素直に頭を下げた羽柴秀吉に、二人とも何も言う気にはなれなかった。
こうして全てを晒して頭を下げる事ができるからこそ人たらしと呼ばれる訳で。

「何、城主に推薦してもらったのだ。
恩を返すのはこちらよ」

「それがしも同じく。
戦では役に立たぬかもしれませぬが、恩を返す程度の志は持っているつもりですぞ」

 その人たらしの真骨頂を見せられて、二人とも秀吉の事を悪く言う訳が無い。
まぁ、こんな事を羽柴軍参加武将全員にやっているのだけど、誰一人として文句を言わないあたり全てを物語っている。
こうして、密談という名の茶会が終わる。
茶室から出てきた三人だが、前田利家が聞き忘れていた事を思い出す。

「そうだ。
今の先陣は荒木殿だが、誰が荻野直正がいる黒井城まで行くんだ?」

 松永排除を目的にするならば、畿内情勢を知り抜いている荒木村重は外す事はできない。
そして、赤井一族の拠点である黒井城まで攻めるには丹波奥地まで入らねばならず、京都近辺の防衛を考えたら寡兵で攻め込んでゆかねばならない貧乏くじである。
だから、当り前の事を羽柴秀吉は淡々と告げた。

「八木城を落としたら荒木殿を交代させる。
その後釜だが、自ら志願したよ。
尼子勝久率いる尼子党だ」


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