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大友の姫巫女

南海死闘編

第三十七話 姫の帰還 大友家同紋衆寄合

  
「……」
「……」
「……」

 めちゃくちゃ視線が痛い珠でございます。
  まぁ、部外者扱いされるのは分かっていたけど、この視線はちょっとね。

「姫様。
  この間姫様をお産みになられたばかりというのに、このような場所に来られるのはいかがなものかと」

 一応皆を代表して吉岡鑑興が口を開く。
  まぁ、はなから右から左に聞き流す事にしている私は手を振ってそれに答えることにした。

「ああ、気にしないでいいわよ。
  一度見てみたかったのよ。寄合ってやつを。
  口を出すつもりは無いから、置物か漬物石だと思って」

(思える訳ねーだろ!!!)

 という皆様の熱い視線のつっこみを右から左に聞き流しながら、私はにこにこ営業スマイルでちょこんと壁の端に座って同紋衆の皆様を眺めていたのであった。
  日本の権力構造は二重になっているとはよく耳にする言葉である。
  その時によく説明に出されるのが、権威と権力の分離、要するに皇室と政府(幕府)の関係で説明されていたりするのだが、これも少し違う。
  日本の権力構造は『徹底的なまでに』二重なのだ。
  つまり、権力機関である政府や幕府ですらその命令系統が二重に分かれている事を意味する。

 さて、ここで説明する前に一つ問題を出してみよう。
  日本の権力者は政府(幕府)組織図において何処に位置するか?
  位置的には第二位や第三位が実権を持っている事が多いのだ。
  たとえば、飛鳥時代。
  聖徳太子についてはひとまずおいておくが、実権を行使した人間をあげると蘇我馬子や中大兄皇子(彼は最後は天皇になったけど)など、側近によって政権が運営されていた。
  たとえば、奈良から平安時代。
  藤原氏全盛期のこの時代の言葉『摂関政治』の元である摂政・関白自体が全てを物語っている。
  たとえば、鎌倉幕府。
  北条氏が実権を握った時、彼らはついに将軍につかずに執権の地位にとどまった。
  たとえば、室町幕府。
  これも将軍家が力を失いながらもその地位は今だある訳で、実際に政権を運営していたのは管領細川氏やその細川氏を傀儡にした三好家で、そんな彼らを更に傀儡として織田信長が権力を握ろうと色々やっていたり。
  たとえば、江戸幕府。
  日本の政治組織として最も高度で全ての日本式組織のアーキテクトとなったシステムを作り上げた彼らは、実務は将軍より老中が担当する事が多かった。
  たとえば、某国。
  ラ党政権での意思決定機関は党政務調査会と呼ばれる組織で、この政務調査会の決定がなければ政策として採用されなかった。
  なお、このあたりの事を綺麗に無視して政治主導の名の下に権力を一元化しようとした我が党の迷走ぶりは語るまでもない。
  歴史というのは面白いもので、調べてみると似たような事例はしっかりと残っていたりするから笑えるのである。
  後醍醐天皇の建武の新政なども権力の一元化の果てに崩壊した訳で、調べると色々と乾いた笑いが出るのでお勧め。
  こんな風に二重構造によって政権が運営されているシステムだか、ちゃんと理由が存在する。
  その納得すると同時に大爆笑する事請け合いな素敵な理由を、某国ラ党税調の説明より紹介しよう。

「様々な利害関係が存在する税制問題において、うかつに声を出して決定方針を示すと自分の選挙の落選という形で責任を取られるとして、党内全体で多数決で決定する問題としては及び腰になりやすい性格の仕組みから専門知識を持った権威者が裁定するしかない」(wikiより)

 これを戦国風に変換するとこうなる。

「様々な利害関係が存在する年貢問題において、うかつに声を出して決定方針を示すと自家の滅亡という形で責任を取られるとして、大名家全体で多数決で決定する問題としては及び腰になりやすい性格の仕組みから専門知識を持った権威者が裁定するしかない」

 弄ったのは名詞ばかり。
  いかに日本という国が古くから徹底的に権力を二重に分けていたかおわかりだろう。
  これを踏まえて、今私がいる場所を説明しよう。

 大友家同紋衆寄合。

 大友家の中枢を支配する大友一門の分家からなる同紋衆の集まりの席である。
  基本的に、大友家における意思決定は大名および加判衆の加判(サイン)によって文章として発せられる。
  そして、その加判衆に選ばれるのはこの同紋衆というのが最近の慣例となっている。
  ならば、この集まりで根回しや談合や密約ってのが行われるのが当然といえば当然な訳で。
  表向きの意思決定機関である評定を私が他国の大名や有力者に解放してサロン化した結果、実務が全部この寄合に集まっているのである。
  その為、ここで決まった事はそのまま評定に出されて異議も無くシャンシャンと通過する訳で。
  お遊びで、沸騰都市と化している博多の慣行をと博多一本締めを評定の最後に入れてみたらいつのまにかこれも慣例化したり。

「……」
「……」
「……」

 困ったな。
  なんで寄合参加者は誰も口を開かないのかな?かな?

「置物~漬物石~ざしきわらじ~~~~~~♪」

 挑発がてらに適当な歌を歌ってみるが、やっぱり知らん顔である。
  あ、言い忘れた。
  現在この場にいる主だった同紋衆の方々をご紹介しよう。

 吉岡鑑興・戸次鑑連・志賀親守・吉弘鑑理・志賀鑑隆・田原鑑種・一万田親実・木付鎮秀・田北鑑重・臼杵鑑速・朽網鑑康

 オールスター勢ぞろいである。
  普通、これだけ集まると大名あたりは『謀反か!』と警戒するし、実際父上も警戒していたので私がこうして置石として鎮座する事に。
  普段の集まりは吉岡鑑興の館、つまりこの間亡くなった吉岡長増老がこの寄合を主導していたのである。
  んで、相変わらずこの屋敷で寄合をするらしいと掴んだ私は、麟姉さんの所に遊びに来たを名目にずうずうしく屋敷に侵入。
  そのまま止めれる人間が居ない事をいい事に、寄合の席に強行突破してちょこんと座る事に。
  それが、冒頭の沈黙である。 

 なお、普通彼らの寄合は二・三人で集まったり手紙でやりとりしたりという形で取りまとめられる。
  だから、その取次や代筆をする下級武士にもかなり権力が付随する。
  同時に、彼ら同紋衆の下級武士から私が嫌われているのはここに起因する。
  姫巫女衆という手足を持つ私は、情報と意思決定の命令系統が異なるのだ。
  観念したらしい吉岡鑑興がため息をついて一万田親実を見ると、彼はいきなり私に向かって土下座をする。

「この一万田親実。
  姫様の命を守れず、長宗我部の跋扈を止める事ができずに姫様の顔に泥を塗った事、いかような処罰でも受ける所存にて」

「いや、気にしなくていいわよ。
  今だ腸煮えくりかえるけど、あっこを放置していた私の自業自得って事で」

 軽くいなすが、豊後外に領地を持つ面子すら集めた寄合の話し合いが、私への謝罪で終わる訳がない。
  一万田親実の謝罪はこれから入る本題の枕詞だろうとわくわくしながら聞いていた私に、寄合を主導する臼杵鑑速からとんでもない一言が飛び込んできた。

「それでは始めさせてもらおう。
  集まってもらったのは他でもない。
  それがしが加判衆を退く事とその後任について決めたいと思う」 

 理由は既に実務については始まっている私の家督継承である。
  私が家督を継いでいる間に、他紋衆、特に佐伯惟教と立花元鎮が加判衆に入るのを彼ら同紋衆はひどく警戒していた。
  大友二階崩れや小原鑑元の乱という同紋・他紋の争いを知っている彼らからすると、同じ争いを避けかつ既得権益を侵されないようにするのは当然といえよう。
  その結果、加判衆六人の内志賀親守・吉弘鑑理・一万田親実という三人が退き、代わりに志賀鑑隆・田原鑑種・木付鎮秀の三人が入る事が決定していた。
  臼杵鑑速は留任する事は当然と思っていただけに、この寝耳に水の発言に現在絶賛フリーズ中。
  臼杵鑑速は博多奉行として筑前全域を監視・監督しつつ、大友家の外務大臣として他家と外交を繰り広げた欠かす事のできない重要人物の一人である。
  その顔見せだろうとたかをくくっていた私に冷水をぶっかけられたような衝撃を与えた臼杵鑑速の加判衆を辞するという一言に、再起動したらしい私の目がしっかりと語っていたらしい。

「説明、してくれるんでしょうね?」

 と。
  そして、それに気づかない臼杵鑑速ではなく、私のために淡々と既に皆には語られていたであろう理由を口にする。

「近年進められていた加判衆の大身化と豊後外の移転の結果、一つ問題が生じつつあります。
  筑前に同紋衆が偏りすぎて、第二の立花が出かねないのです」

 今の四郎がいる立花ではない。
  西大友と呼ばれて権勢を誇った、大友家分家としての立花家の事だ。
  毛利との争いで毛利側国衆を粛清した私は、大名の独裁化を進めるために本国豊後の有力同紋衆を筑前にばら撒いた。
  今いる面子でも田原・臼杵・戸次は筑前の方が豊後より領地が多かったりするし、一万田は筑前ではないが私が征服した伊予に大領を持っている。
  この結果、万一豊後外に旗印――多分私の事だろうな――ができた場合、同紋衆同士争うという骨肉の争いになる訳で、それを回避しようというのが元々の趣旨らしい。
  で、田原家は三人の娘達を使って領地を分割する事でこれに答え、戸次家は戸次鑑連に遅い男子が生まれた(そういえば神力で作ったの忘れていた)事を良い事に、筑前の領地を養子の戸次鎮連に継がせてかつ宗像家息女(戸次鑑連と色姫が生んだ娘だ)とくっつける事で宗像家として再興する事に。
  そして臼杵家は加判衆の職を辞すると同時に、柑子岳城をはじめとした博多近辺の領地を返上して府内に活動の場を戻すという。

「今の府内と博多・門司を行き来する事に疲れました。
  田原殿が入るのを機に後ろに下がろうかと」

 そう言われると何も言い返す事ができない私である。
  大友家の外交を一手に取り仕切っていた事もあり、府内と博多・門司を往復する日々で体を壊したら目も当てられない。
  ちなみに、臼杵鑑速が後任を託す気まんまんの田原鑑種は旧姓一万田であり、大内義長時の大内家の家老として動いた文武両道の傑物で、最近子煩悩な昼行灯が板についているけどその前は私が粛清を企んだほどの超危険人物である。
  なんとなくだが、流転に近い人生の果てに掴んだ栄光を素直に祝福したくなると同時に、目を離すと何をするか分からない緊迫感がブレンドされたなんともいえぬ気持ちが。が。

「現在建設が進んでいる福岡城・小倉城にそれぞれ方分を移す事が決まっており、これにより博多・門司・府内の三箇所で交渉が行えるよう体制が整う事になる。
  府内はそれがしが、博多には立花元鎮殿を、門司は田原親賢殿をあてて、田原鑑種殿が全てを差配してもらいたい」

 拡張し続ける博多の外郭都市として中州の西側に城と城下町をセットで作っていたのだが、この福岡という名前は後の黒田氏が入るまで使われていなかった。
  うかつにもそれをぽろりと言ってしまった為に、命名者は私になっている。
  なお、その時にでっちあげた理由が、
  『この城ができる丘に福が来ますように』と私が願ったからという。
  ついでにその工事祈願祭に少し南風なんて吹かせてみたりして。
  福を運んでくれる南風が吹く丘。
  分かる人にしかわからない自己満足な駄洒落である。

「心得た。
  ちなみに、姫様が『柑子岳城の領地を手放してやっていけるのか?』と目で質問していらっしゃるぞ。
  臼杵殿。あの姫様の事だからこれ幸いと領地を押し付けかねんので、説明してやった方がいいのではないか?」

 田原鑑種のからかい声に一座から一斉にあがる笑い声。
  むっつり顔で『なんでばれた』と語るが一応声は出していない。
  糸島半島全域を含めた博多西部をほぼ領土とする柑子岳城城督の地位は四万石を超える。
  当然、それを手放すという事は、それで養っていた家臣の食い扶持がなくなる事を意味する訳で。
  そこまで考えていた私に、臼杵鑑速は笑みを浮かべながらその理由を口にした。

「少し姫様の真似事をして座屋に銭と名前を貸しまして」

 納得。
  座屋――株式会社――に投資していたというか、長く博多奉行を務めて博多商人にも知り合いが多い彼は名貸しに格好の相手だったと。
  そんな臼杵鑑速の笑顔を見ながら私は感動を抑えることができなかった。
  ああ、私は今近代資本主義における資本家の誕生を目にしているんだと。
  臼杵家というのは実は少し特殊な家である。
  名前が表すとおり元は臼杵を領地としていたのだが、山に囲まれて良港を持つ臼杵を大友宗家が直轄地に指定。
  その代替として与えられたのが博多に近い糸島半島の柑子岳城で、長く外交を担当していた事もあり商業についての理解もあった。
  で、武家として土地を領地とするよりも、座屋の配当の方が確実じゃないかと気づいたらしい。
  柑子岳城の領地を担保に銭を借りて投資を続けた結果、今や領地を手放してもやっていけるだけの収益を手にすることになったと。
  こうなると今度は粛清の危険があって土地が邪魔になってくる。
  うわ。
  聞けば聞くほど、私が通った道をきっちりトレースしてやがる。臼杵鑑速。
  で、私がしたかった領地を返上して、府内に屋敷を構えて一線を引く事で粛清から逃れるつもりらしい。
  私の納得した顔を見た臼杵鑑速も理解したと見て、臼杵鑑速はそのまま話を進める。

「それがしの後任に朽網鑑康殿を押したいと思っている」

 朽網鑑康は元は入田家の次男で朽網親満の乱で滅亡した朽網家を継ぐ事になったのだけど、元の家である入田家が大友二階崩れで失脚した事もあり大友一門の中でも警戒されていた家でもあった。
  そんな彼の加判衆入りというのは、私が志願した入田義実を日向防衛の要職につけた事に他ならない。
  私自身はまったく意図してなかったけど、彼を要職につけた事で次期当主による恩赦を与えたと豊後国人衆に受けとられたらしい。 
  そして、戸次鑑連の前妻の家が入田家だった事も考えると、案外この後任を働きかけたのは彼かなと考えたり考えなかったり。
  朽網鑑康はまっすぐに私の顔を見据えて、ただ静かに平伏した。
  その顔に涙が浮かんでいたのを見た以上、私が言う事はただ一つ。

「今の私は漬物石~反対なんてするわけない~~~♪」

 あ、朽網鑑康の体が震えている。
  感謝しているのか、下手な歌に笑いを堪えているのか、その両方か。
  そんな私達を見ながら、臼杵鑑速が明らかに笑いを堪えた声で議事を進める。

「後は日向方分の設置だが、功績と年を考えて佐伯惟教殿を押したい。
  姫様が行われる日向復興において鎮台を攻めとすれば方分は守りの要。
  異存はあるまいか?」

 それを淡々と聞きながら、私は父上になんてこの寄合の説明をしようかと考えていた。

 


後日 府内城茶室にて

「どうだった?娘よ?」

「よほど、同紋衆の方々は四郎や佐伯殿や田原親賢の加判衆入りを恐れているのですね。
  この三人を旨みのある地位につけて加判衆から遠ざける腹積もりで」

「だけではなさそうだぞ。娘よ。
  おそらく、大名に成った時の為に戸次と臼杵と吉弘の三人がかりで色々と説教する気らしい。
  覚悟しておく事だな」

「うげ。
  父上の御乱交をお諌めするのが先でしょうに……」

 

 作者より一言。
  本文中に出したwikiページは『税制調査会』で検索をかけてください。


 


 

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