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大友の姫巫女

南海死闘編

第三十六話 姫の帰還 鍋と間者と一夜川 


「な、何……これ……」

 九州に帰ってきた珠です。
  で、杉乃井の書斎でのんびり本でも読もうと思ったら、部屋いっぱいの書類の束が。が。

「姫様がどこぞにお遊びに行っている間に溜まった書状でございますが。何か?」

 超棒読みで解説ありがとう。麟姉さん。
  というか、大友家の行政機構はそこまで無能じゃないだろう。
  身代わりの恋にはちゃんと『評定で微笑んでサインをするだけの簡単なお仕事』って押し付け……げふんげふん。身代わりをしてもらったはずなのだから。
  じと目で麟姉さんを睨む事少し、すくりと麟姉さんは微笑んで数枚の書類を差し出す。

「冗談ですわ。姫様。
  姫様の仕事として残っているのは、この数枚の書状に花押を入れていただけたらと」

 見ると、父上はおろか他の加判衆すら花押を入れていないという事は、判断にこまったからこっちに投げたと見た。
  ……。
  じっと眺める事しばらく。
  顔いっぱいに汗が吹き出るのがとまらない。

「あ、あのさ。
  麟姉さん。
  まさかとおもうけど、目の前の紙の束って……」

 とてもいい笑顔で麟姉さんは現実をつきつけてくれた。

「はい。
  その書状に花押を押す参考になる書状全てですわ」

 つまり、全部読めというのか。これを。
  手からひらりと花押を待つ書状が落ちる。
  そこには、竜造寺家家老鍋島信生からの書状で、端的に言うと、

『筑後川流域を開発するから、銭貸せ』

 という文字が書かれていた。

 

 原因は自業自得なんだけどやっぱり私にある。
  日向と肥後に対しての経済的な梃入れをする為に、大規模な公共事業に踏み切ったのだ。
  島津との戦で荒地同然と化した日向についてはまだ計画がまとまっていなかったのだが、相良家以外は疲弊していない肥後については街道整備と治水対策という形で計画が進み既にゴーサインが出ている。
  で、ここでちょっとスケベ心を出したのが失敗だった。

「水道橋でも作ろうか」

 評定の席で呟いた何気ない一言だけど、その席に露骨に利害が絡む阿蘇家の甲斐宗運がいた事が今思うと失敗だったと思う。うん。

「なんですかな?それは?」

 甲斐宗運の言葉に語気が強いなとは思っていたけど、ある意味で評定というのはサロン的側面があるので雑談気分で私は簡単に説明をする。
  当然、他国の評定衆も耳を傾けている事を気にせずに。

「南蛮では水の無い所に水道、つまり用水路を引いて水を持ってくるのだけど、谷なんかで水が持って行けない場所のために石橋をかけて水を通すのよ」

 ローマ水道が頭にあるから説明がすらすらと。
  しかも通潤橋なんて実例も知っているから、そのまま口を滑らせる。

「たしか阿蘇家の本拠近くの白糸台地って、水の出が良くなかったって聞いた事があるわね。
  今までのお礼を兼ねて、作ってみましょうか?
  もちろん、費用は私持ちで阿蘇殿が了解すればだけど」

「何故、民のためになる事をわが殿が断る事がござろうか」

 もちろん収穫UPに繋がる公共事業をしかも他人の銭でするなんて好条件を断る訳も無く。
  こちらも水道橋建設技術習得を目指して南蛮書物の取り寄せから、大陸から石職人を呼び寄せて十年仕事でやるかという考えだったのだけど。
  他にも白川・緑川・菊池川の総合河川整備計画とあわせてという事もあり、完成の暁には肥後だけで十万石以上の増収が見込める事になる。
  しかも、その全てを肥後国人衆にあげるという大盤振る舞いである。
  もちろん裏もある。
  これだけの大規模長期間にわたる土木工事をすると、途中で島津や竜造寺に寝返られなくなるという裏の目論見が。
  何しろ、元で0で完成後は総取りOKのノーリスク・ハイリターン案件である。
  ただネックなのは、その完成時までじっと待つ事ができるかという事のみ。
  その間こちらが暴政なんてしなければ肥後はずっと大友で安定するだろう。
  後、島津戦の第二戦線として今度は肥後国人衆も動員して屍を晒してもらう予定だったり。
  それに、できた米をはじめとする収穫物の運搬や換金は博多商人を通じて行うのだろうから、そこから取り返せるという目算もあったり。
  それが、私が畿内に出発する前の状況だったのだ。

 ところが、この竜造寺家の書状が事態を激変させる。
  既に北部九州では街道整備および治水による好景気が続いており、この肥後・日向での公共事業が何をもたらすかを多くの国人衆が理解していたのである。
  つまり、私の肥後開発は利益誘導と理解された訳で、これが当たらずとも遠からずなのがまた救いようが無い。
  かくして、竜造寺家の嘆願から始まった利益誘導目的の公共事業誘致に、各国の国人衆の突き上げを食らった評定衆が次々と便乗して部屋を埋め尽くす嘆願書の山に。
  大友家の行政機構は無能ではないというか、無能では生きてゆけない。
  既に指示が出るならば即座にGOサインが出せる準備ができている。
  だからこそ、私にその判断基準となる前例を作ってくれという訳だ。
  銭もある。人も集められる。戦も今のところは島津ぐらいだがここも穏やか。
  だから必要なのは各国の利害を調節しつつ、全体的なグランドデザインを書ける人間がその基本方針を打ち出せばいい。
  つまり、本当に必要な所だけを私に丸投げしたのである。
  私はため息をついて、竜造寺家の書状を手にとって読み出したのだった。 


「姫様もご機嫌麗しく……」

「堅苦しい挨拶はいいわよ。鍋島信生。
  で、そちらの小姓はどなた?」

「竜造寺隆信様の小姓で、今回鍋島様の付き人を命じられた成富新九郎でございます」
 
  数日後の府内城にて鍋島信生から話を聞く為に召喚する。
  この時点で既に視線でお互い斬り合っているような空気が流れているのだけど、付き人の成富新九郎は臆す事無く挨拶をするあたり大物になる人間と見た。

「時間も惜しいから本題に入りましょうか。
  何を考えているの?」

「民の事ですが何か?」

 即答しやがったので、たまらず爆笑する。
  ここまで正論を言い切るといっそ清々しい。

「それについては反対できないわよ。
  けど、竜造寺家は江上武種や神代長良に養子を送ったり色々やっているからどうなのかなと」

 江上武種や神代長良は元々竜造寺家と同じ守護大名少弐家の家臣だった家で、竜造寺家が少弐から独立した後は少弐家主戦力として竜造寺軍と度々争い、少弐家滅亡後もあまり仲は良くなかった。
  それが、竜造寺飼い殺しを企んでいた私が、島津戦の為にその鎖を解き放ったとたんにこれである。
  それもこれも、太刀洗合戦から始まる竜造寺軍の武勇の誉れが近隣国衆に対する影響を与えているのだから、自業自得以外の何者でもない。
  今、気づいたが竜造寺軍も太刀洗合戦より負け知らずだったり、というか鍋島信生が凄すぎるのだ。
  だから島津と共倒れを狙っていたのだけど、それを鍋島信生は間違いなく知っている。
  にもかかわらず、なんでまた鎖に繋がれるような借金の申し込みをしたかだ。
 
「まぁ、色々とありまして」

「ぜひ、色々の所を聞かせて頂きたいわね。
  それによっては、この案件について考えなくも無いわよ」

 指で床をとんとん叩きながら私は話を促す。
  それに鍋島信生はふっと空気を緩めてその色々を口にする。

「取引をと思いまして」

「取引って何よ?」

「大友側に忍ばせている間者について」

 それか。
  ある意味納得する理由を突きつけられて、私はぽんと手を叩く。
  日向の島津戦時において、島津の間者に入られて常に後手後手に回っていたのを排除できたのも、鍋島信生と竜造寺家が忍ばせていた間者のおかげである。
  で、その竜造寺家の間者摘発をしようと思ってはいたのだけど、その助命が目的か。
  優れた間者というのは替えがきかないし、育てるのも時間がかかる。
  大友家とて島津戦において百人近い間者を失っており、京都の出先機関でもあった比叡山延暦寺の焼き討ちと合わせて、これから行う竜造寺家の間者排除も入れると大友家の諜報団の回復に二・三年はかかると舞から報告を受けていた。
  それぐらい優秀な間者は替えがきかないのだ。
  しかし、鍋島信生が嘆願するほどの忍びって誰だ?
 
「いいわ。
  助ける代わりにその忍の名前を教えなさい」

「加藤段蔵」

「ぶっ!!!!!」

 とんでもないビックネームに私が噴き出し、隠れて控えていた姫巫女衆のくノ一達も緊迫しているのをいやでも感じる。
  聞くと、上杉家を逃げ出した後で次の仕官先を探そうと考えた時に、私とチート爺が知略を尽くしていた西国が浮かんだらしい。
  で、既に優秀な忍び組織を用意していた毛利ではなく大友に狙いをつけて九州に来たのだけど、時既に遅く私が鉢屋衆の取り込みを決めたので安く売り込む事になると判断したと。
  なんてもったいない。
  私が知っていたら万金出して、三顧の礼で迎えにいったというのに……
  そうなると大友に対抗する勢力となるが、毛利はだめ。島津も自前の諜報団である山潜衆があるので却下。
  ついでに雇用されたがいいが、粛清される主君には雇われたくない。
  そんな訳で、目をつけたのが太刀洗合戦で注目されていた鍋島信生だった訳だ。
  加藤段蔵を得た鍋島信生はその能力をフルに活用して、水城合戦や小金原合戦で大功をあげる。
  特に宗像軍の足を止めさせた、犬鳴峠を下ってくる剣花菱の旗印の演出は加藤段蔵のプロデュースだったとか。納得。
  こうして信頼を得た加藤段蔵はめでたく登用されて大友家への任務につき、そこから先はご存知のとおり。
  ちくしょう。
  助けるって言った前言を撤回したい……
  もちろん、鍋島信生が目で『二言はありませぬよな。姫』ってガンたれてるし。

「いいわ。
  加藤段蔵についての助命嘆願を許します。
  証書を書くから少し待って」

 私は控えていた麟姉さんを呼んで、加藤段蔵助命の証書に花押を書く。
  それを手にした鍋島信生がその証書を確認した後に、深く私に頭を下げた。

「姫様の懐の深さ、真に感服するしだいで」

「吐いた唾が飲み込めなかっただけよ。
  とりあえず、取引の件は納得しました。
  じゃあ、本題に入りましょうか」

「えっ?」

 あ、鍋島信生が固まっている。
  いいものが見れたと笑みを浮かべて私はやっぱり控えていた政千代に一枚の地図を持ってこさせる。
  その地図を見た二人の目が点になる。
  その顔に優越感に少しだけひたって、私は口を開く。

「だれがしないって言ったの?
  やるからには徹底的にするわ。
  筑後川総合開発計画の骨子がこれよ」

 目玉は豊後の国境である夜明から始まり、朝倉街道経由で御笠川につないで博多に水を持ってゆく分水構想である。
  と、同時に筑紫平野全域に堤から水車・クリークに代表される溜池群の計画に二人して目が点のまま。

「近隣国人衆の要望を全部取り入れていたら、ここまで大きくなっちゃったのよ。
  で、この計画をするにあたってどうしても河口域を持つ竜造寺の動向が分からなかった。
  今日あなた達を呼んだ理由はそれよ」

 治水対策の骨子は行き着く所、『何処に水を逃がすか』にかかっている。
  大規模な農業用水を作ったとしても、最後はその水を海に逃がさないといけない。
  竜造寺の動向が分からない状況ではその水を博多のほうに逃がすしかなかったのだか、筑後川河口域を領地に持つ竜造寺がこの計画に乗ってくれば話は別である。

「三十年、いや五十年はかかるでしょうね。
  けど、完成したらこの地域だけで百万石以上の米が取れるわ。
  想像してみて。
  尽きる事の無い稲穂の海が広がっているあなた達の故郷を。
  よほどの事が無い限り、飢えて死ぬ人がいないくなる未来を」

「という事は、肥後の水橋の話は……」

 鍋島信生が得心がいった呟きを耳にして、私は嬉しそうに微笑む。

「そう。
  これの為の技術習得にあったのよ。
  どう?
  一枚噛んでみない?
  もちろん、銭は私が出すわよ」

 鍋島信生の目論見は、国衆の嘆願続出による飽和で取引を持ちかけて加藤段蔵を逃がす所にあった。
  それだけならば何も問題は無い。

「若輩の身ですが、姫様に意見を申し上げたく!」

「控えろ!新九郎!!」

 この状況で意見を言おうとする成富新九郎を鍋島信生が叱責するが、私が手でそれを遮らせる。
  やはり彼も大物になるだろう。

「どうぞ言って頂戴」

「はっ。
  姫様には失礼かと思いますが、我が竜造寺家はかつて反旗を翻して許された姫様の警戒も強い家だと思いまする。
  にもかかわらず、それがしはこの待遇に裏があると下衆の勘ぐりをしてしまうを止める事ができませぬ。
  よろしければ、この待遇をするに至った理由を教えていただけないでしょうか?」

 そりゃそうだ。
  竜造寺側から見たら、断られて当然の提案だったからからこそ、本命の加藤段蔵助命嘆願の取引材料にしたのだ。
  それが成功したばかりか、取引材料の銭借り受けすらOKなんておいしい話、裏があると思われて当然だろう。
  だから、決死の覚悟で顔中汗だらけで尋ねてきた成富新九郎に私は笑ってこう答えてやった。

「民の為って言ったら駄目かな?」

 ぽかんとする成富新九郎に私はつかつかと近づいて、広げられていた筑後川総合開発計画の地図を手渡す。
  竜造寺の動向が分からなかったので、肥前エリアが白紙の地図を。

「私に対して意見を言った褒美にあげるわ。
  それを使って、民の為にその力使ってみなさいな」

 

 


   


 

「どうだった?信生?」

「完敗です。殿」

「どうしてだ?
  大友に忍ばせた間者の助命も勝ち取り、開墾の銭まで借り受けたのだろう?」

「はっ。
  これによって、竜造寺は十万石、いや二十万石は石高を増やせるでしょう。
  その時、大友は百万石以上石高を増やしているのです」

「……」


 


 

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