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大友の姫巫女

南海死闘編

第三十五話 鳥無き島の出来人 岩倉合戦 

 
  阿波国 白地城

 この城は四国のへそとも言える要地に位置し、阿波・土佐・伊予・讃岐など何処にも進出する事ができる戦略拠点だった。
  四国制覇をひそかな野望として持っていた長宗我部元親にとって、絶対に押さえねばならぬ土地でもあるのだが、そこに漲る野心は何処にも見えない。

「土佐はまずしき国。
  家臣に十分な恩賞を与え家族が安全に暮らしていくには、豊かな土地を得なければならぬ」

 かつて家臣に語ったとされる長宗我部元親の野望だが、皮肉にもその前提が崩壊していたからである。
  他でもない、土佐制圧の最後の障害として立ちはだかっている大友珠姫のせいで。

 大友毛利連合の成立による西国の巨大通商圏の成立は大規模公共事業の増大と、その物流に使われる造船ブームを引き起こしていた。
  そして、木材価格が高騰し土佐杉として名高い土佐国の木材が飛ぶように売れたからである。
  なんで珠姫が長宗我部に竜造寺や島津の時よろしく経済封鎖をしかけなかったのかというと、一つは一条領という緩衝地帯があった事があげられる。
  土佐国は一条家を中心に緩やかな国衆の連合(長宗我部もその一つ)を作っている事から、長宗我部狙い撃ちの経済封鎖ができないというのが一つ。
  さらに長宗我部家臣団にも特色があり、一条家寺社奉行を長宗我部元親がしていた事から寺社関係者の家臣が多く、寺社特権で経済封鎖を無効化できるという強みもあった。
  おまけに、コネ的に瀬戸内水軍経由で毛利との繋がりもあり、さらに大友と毛利が争った時に大友側が出した不可侵協定に乗ったりと敵対的でない事から、手を出すのをためらったというのもある。
  まぁ、一番大きな理由は珠姫が九州や信長の動向に気を払いすぎて見事に忘れていたというのと、はなから四国は捨て地と割り切っていたのでその成長を気にしながらも放置を決めたのが大きい。
  そんな状況下に長宗我部元親は時代の波に乗る。
  各国ともに甚大な被害を蒙った永禄の大飢饉(1567年)を無傷に乗り切る事で、一躍四国にその名前を轟かしたのだ。
  その理由も皮肉な事に土佐国が貧しい土地しか無かった事にある。
  土佐はその山ばかりの土地ゆえに食料自給率が低く、食料は近隣から買う事によって成り立っていた。
  宿毛商人などはその流れから古くから栄えており、何よりも穀物の急上昇に対応できるだけの商品(木材)を持っていた事が彼らを飢餓から救った。
  一条領という緩衝地帯を通じて食料は土佐に安定供給され、そのおこぼれをもらう形で長宗我部は辛くも飢餓を乗り切ったのである。
  奉行の瀧本寺非有が山林の管理を進め違法伐採を防ぎ、久武親信が宿毛商人と折衝を繰り返して価格交渉をした事も大きかったのだが、それを決断した長宗我部元親は『土佐の出来人』として一気に名声を獲得したのである。
  この飢饉克服の声望はその後に行われた阿波戦において遺憾なく発揮され、阿波国衆の切り崩しに大いに役に立ちこの白地城開城に繋がっている。
  だが、ここにいる兵達は『一領具足』として土佐の戦に活躍した兵ではない。
  銭で雇われている兵だが、珠姫が雇っては負ける御社衆みたいな傭兵ではなく、職業軍人による正規兵達である。
  これも、西国連合成立による市場経済の効能だった。
  銭によって安定的に物が買えるのならば、田畑を耕すより銭を集める方が生活は安定する。
  その結果ただでさえ土地が貧しい土佐では兵農分離が自然発生してしまい、『一領具足』あがりの常備兵団を抱える一大軍事大名に成り上がってしまったのだ。
  その数四千。
  最新式の武器防具に身を固め、鉄砲保有量は大友・毛利に落ちるが近沢越後守を中心に砲術を研究して運用は四国随一を誇り、一年中戦争ができる最強軍団の誕生である。
  それだけではない。
  『一領具足』のシステムは今でも機能しているし、紀伊国雑賀衆を傭兵に雇って更なる兵の増強も図っている。
  実際、阿波国牟岐方面での合戦では五千の兵を動員したが、そのうちの千人は雑賀衆(もちろん鉄砲隊つき)だった。
  珠姫は『一領具足』から動員兵数を八千と見ていたが、既に傭兵まで含めて長宗我部家の最大動員兵数は一万二千を超えていたのである。
  なお、その繁栄から織田信長に目をつけられて土佐守および土佐守護の打診を受けて反大友毛利の切り崩しにあったり、第二次倶利伽羅峠合戦での壊滅的打撃から長宗我部の軍制を真似て常備軍制に舵をきったりするのだがそれは後の話。

 そんな長宗我部元親だが、正直な所阿波征服に本気で取り組んでいる訳ではなかった。
  常に食料を買わねばならぬ土佐の現状から吉野川流域を持つ阿波の穀倉地帯は魅力的ではあったが、現状無理してまで取る必要も無い。
  牟岐方面への進入は弟である島親益を海部城主である海部友光に殺された報復という面が大きく、白地城攻撃もその陽動にすぎなかったのである。

「無理をする事もあるまい。
  岡豊城が落城し一度没落した家が土佐の過半を制し、家臣も銭で不自由なく暮らしている。
  何を好んで戦をする事があろうか」

 人というのは不思議なもので、欲していた時には手に入らずあきらめた時に転がり込むというのが多々ある。
  長宗我部元親にとって阿波一国というのはそんなものだったのである。
  三好義継の帰還から始まった讃阿擾乱は三好三人衆の敗死によって一気に吹き出て、細川真之と三好長治の対立に発展。
  阿波国人衆を真っ二つに割ってしまったのである。
  そんな中、中富川にて細川真之の手勢と三好長治の手勢が合戦に及んで双方引き分けたが、勢力的には劣っている細川真之側は外部の手助けを求めた。
  それが長宗我部元親だった。
  いくら野心が萎えたとはいえ、転がり込んできた物を拾わないほどの聖人君子ではない。
  二つ返事に了解して、阿波白地城に侵攻。
  讃岐国の香川之景や香西佳清が謀反を起こすほど三好長治は見限られており、細川真之の謀反にどどめを刺されて、白地城主大西覚養は領地の安堵を条件に降伏したのである。
  長宗我部元親が白地城より眼下に流れる吉野川を眺めていると、一人の武将が声をかけた。

「何を見ておいででしたか?殿」

「『人間万事塞翁が馬』と思ってな。
  土佐統一の邪魔をしたのも大友の姫ならば、阿波攻略のきっかけをくれたのもその姫ときた。
  忠兵衛。
  かの姫はやはり傑物よの」

 かつて大友家が行い武将としての珠姫の地位を確立した南伊予侵攻において、一条領の争奪において対峙した谷忠澄は何も言わぬ事で主君に賛同した。
  彼は珠姫の事を彼の主君にこう語っていた。

「打つ手、策、兵の速さ。
  どれもすべて我が方を圧倒しておりました。
  これは、大友側がはるか前に南予侵攻を企んでいた証拠かと。
  大大名が万全の策を持って押し寄せるならば、我らは勝てませぬ」

 その言葉を聞いて、長宗我部元親は万感の思いを込めてため息を漏らしたのである。
  大国が万全の準備を持って大兵で押してくる。
  その時国人でしかない長宗我部家にその兵法の常道が使えたらと天を見上げて思いを漏らす。

「勝てぬか……」

「今は」

 主君の諦めにも似た呟きを否定したのも目の前にいる谷忠澄に他ならない。
  言葉に力を込めて、力強く主君に訴える。

「一芸に熟達すべきです。
  多芸を欲ばる者は巧みになりませぬ。
  あの姫を師とし、あの姫に勝てる一芸を得れるならば、天の時は殿にも開かれましょう」

 元神官だけあって言う事が説教じみているが、それゆえに長宗我部元親の心にすとんと落ちた。
  だからこそ、それを谷忠澄に尋ねる。

「ならば、あの姫に勝てる一芸は何だと思う?」

「『天の時』、『地の利』、『人の和』とあって、天の時は天次第、人の和とてかの姫も極めるでしょう。
  ならば、地の利こそ殿が極めるべきものかと。
  何よりも、殿はこの四国にいるのにかの姫は常に四国にはおりませぬ。
  これならば、かの姫に勝てるでしょう」

 何かを極めるには絶対的な才能・努力・師の力が必要である。
  そして谷忠澄という師に珠姫という手本を元に、長宗我部元親は絶対的な努力をひたすら行ったのである。
  その努力は見事に花開く。
  一条家という緩衝地帯からただひたすら国を富まし、地理的要因から市場経済の恩恵を受け、大友家の兵制を調べて常備軍という珠姫が目指していた正解に一足先にたどり着く。
  ただひたすら四国のみを考え、狙い、動いた長宗我部元親の執念が実ったのである。
  それゆえ、長宗我部元親と谷忠澄はこうして吉野川を眺めている。

「夢を見た」

 脈絡も無い言葉だが、それゆえ谷忠澄は黙って主君に話の続きを促す。

「合戦の夢だ。
  弓を射ていたのだが、弓の玄は切れ、矢は悉く折れていた。
  この先の戦を考えると不吉な夢だ」

 この主君はかつて姫若子と呼ばれるほどおとなしく優しい性格をしていた。
  その名残からか、こうして時折不安に襲われるのだ。
  谷忠澄は一度ゆっくりと息を吸い込んで、大声で主君の不安を吹き飛ばす。

「それは吉兆!
  強い玄、強い矢ほどかえって折れやすいもの。
  それほどに強い武具が夢に出たならば、今後の合戦は必ず勝つ事間違いなし!!
  この夢は武神八幡大菩薩の御神託でありましょう」

 もちろん、そんな事はないのだが、事実が夢に追随する。
  阿波国の西の要衝の一つである岩倉城が長宗我部に内応したのである。
  阿波国岩倉城は元々三好一族の三好康長の居城だった。
  ところが、畿内で織田信長と交戦し三好義継が信長側についた時に織田側につき、その所領は三好三人衆に横領されていた。
  三好康長は三好義継の出奔に同調する事無く、今も羽柴秀吉の下で城主(三好義継が出奔した高屋城を与えられた)をやっていたりする。
  そんな経緯から、息子三好康俊や従兄弟の横田宗昭および重臣塩田一閑等も畿内に移ってしまっており、三好三人衆がいない今、岩倉城は隣の脇城城主武田信顕が預かっていたのである。
  ちなみに、武田信顕は武田信虎の庶子で父信虎と共に追放された駿河で過ごし、三好長慶の計らいにより三好氏に仕官。
  長慶の死後も三好長治に引き続き仕え、城主にまで出世した男だったりする。
  そんな彼だからこそ父違いで傀儡に甘んじていた細川真之に同情していたのだった。
  それゆえ、長宗我部軍が白地城を落として危機が現実になる前に、寝返って恩を売ろうとしたのである。
  彼は脇城の防衛を優先させるという理由で岩倉城を放棄した上で、三好長治にこんな報告を送る。

『我らは三好家の臣であるのに、長宗我部の強圧に致し方なく岩倉城を放棄したこと、誠に口惜しい。
  ですが同じく長宗我部に屈した大西殿によると、間もなく土佐勢が本国に引き上げることになっています。
  長宗我部の軍勢が減少した隙に攻撃を仕掛ければ、勝利間違いありません。
  軍勢を差し向けられれば、我々もきっとお味方仕ります』

 この報告に三好長治はとびついた。
  篠原長房、香川之景と香西佳清に細川真之と自らの自業自得とはいえ蜂起した敵に対して優位に立つ為にも、彼は何よりも勝利を欲していたのである。
  勝瑞城に守備兵を残し、二千の兵と自らの出陣によって岩倉城の奪還に動いたのである。
  ちなみに、率いる兵が二千でしかないのも篠原長房を警戒してしたのと、日和見した阿波国人衆が兵を送らなかった苦肉の理由があったりする。
  少ないとは三好長治も思っていたが、武田信顕の元にいる千人の兵をあてにしての出陣でもある。
  この時点で既に三好三人衆と同じ末路を歩んでいるのに三好長治はまだ気づいていない。
  川島惟忠を先陣に、武田信顕を後詰として長宗我部の守将比江山親興が守る岩倉城を攻撃したのである。
  岩倉城を攻める寄せ手は、脇城から合力の軍勢が来るものだと考えていた。
  が、脇城より出撃した武田勢はそのまま三好軍に対して攻撃を始めたのである。

「我ら守護細川真之殿について、逆賊三好長治を討つ!
  敵は三好勢ぞ!
  かかれ!!!!!」


「謀略か!?」
「寝返りだ!
  武田信顕が寝返ったぞ!!」
「岩倉城より兵が出て!
  挟まれるぞ!!!」

 背後からかつ味方と思っていた武田信顕の攻撃に三好勢は大混乱に陥る。
  しかもその地は山中で陣を変える事が難しく、享楽に耽っていた三好長治に体制を立て直せという方が無理だった。

「何故我らを攻撃する!」
「我らは味方じゃ!止めよ!!」
「谷に落ちる!助けてくれぃ!!」

 山中の壊走で三好軍は多くの将兵が谷底に落ち、殿を引き受けた川島惟忠が討ち死に。
  三好長治も敗走中に落ち武者狩りの手にかかり命を落とし、三好軍二千人は消滅したのである。
  こうして、自ら軍を殆ど動かす事無く、阿波における正当性は細川真之とそれを支える長宗我部元親の手に落ちる。
  後は、阿波中枢である勝瑞城に入城すると同時に、残った最後の権威である三好義継だけ。
  この勝利は瞬く間に四国全土に広がり、讃岐国の香川之景・香西佳清に伊予国の金子元成までもが長宗我部側に走る結果となる。

「長宗我部が勝つでしょうよ」 

 と珠姫は思っていたが、あまりに早く圧倒的な事態の急変に言葉を失うばかり。
  しかも、上桜城に篭城していた篠原長房が勝瑞城に入り三好義継の入城を請う使者が来た時点で、この勝負の負けをいやでも悟った。

「細川殿は三好長治の悪政を正し、同時に阿波における三好一族の功績も考慮に入れて、三好家当主として三好義継様に勝瑞城に入って頂きたく」

 この場合、細川真之(長宗我部元親)の配下となれと言っているのと同義語である。
  篠原長房もむざむざ長宗我部の下になどつきたくはないが、三好三人衆の四国逃亡からその排除、細川真之と三好長治の対立など荒れに荒れきっており、何はともあれ誰もが平和を求めたのである。
  そして、長宗我部の好き勝手にさせぬだけの才と自負を篠原長房は持っていた。

「あくまで、阿波を統治するは細川殿。
  長宗我部ではございませぬ。
  ここはそれがしに免じてどうか勝瑞城に入って頂きたく……」

 この申し出に珠姫は大反対した。
  当然である。
  いくら、御社衆の捨て場とばかりに気楽に始めた三好支援だが、藪をつついたら大蛇が出てきたなみの状況変化をなんとしても取り戻そうと頭に血がのぼっていたのである。

「この城に残れるならば淡路の援軍も期待できるわ。
  讃岐だって十河城を中心にまだ東半分が残っている。
  今、あなたが勝瑞城に出ていったら壊滅状態の阿波国人衆を率いて、長宗我部元親と最終的に戦わないといけないのよ!
  負けて滅ぶに決まっているじゃない!!!」

 珠姫ははっきりとここで長宗我部を食い留めないと、土佐・阿波・讃岐を領有する大大名に成り上がる事を見越していた。
  いくら捨て地とはいえ、島津を潰しそこねて竜造寺の鎖を外した現状で、長宗我部が制御できない大大名に成り上がった場合、彼らが長宗我部と組むのは分りきっていたからだ。

「毛利に支援?
  いや、尼子残党と宇喜多直家の一件で動けないわ……
  宇和島鎮台を動かして一条経由で……」

 のしのし歩きながら必死に状況打開を考える珠姫の呟きに、四郎が容赦ない一言を付け加える。

「姫。
  一万田殿は近く行われる加判衆の大幅な変更に伴って豊後に戻っておりまする」

 珠姫が暫定的に大友家当主として立つ下準備として最高意思決定機関である加判衆六人の内三人が間もなく入れ替わるという人事上の大移動が行われようとしており、加判衆の椅子を弟である田原鑑種に譲る形となった宇和島鎮台の一万田親実は引継ぎのために府内に戻っていたのである。
  日向戦で大規模動員を行った後で、しかも加判衆人事異動という大友家という組織が動けないその隙を突かれた形となった。
  四郎も安宅冬康も冷酷に三好家が詰んだ状況を理解していた。
  その上で、三好家滅亡を規定路線とした珠姫の身の振り方に焦点を移していたのである。
  何よりも大友家は珠姫の円滑な家督継承を目指して日向遠征という大功を得た珠姫の経歴に傷をつけたくなかったし、四郎も安宅冬康も引田合戦の勝利で一応の面目は保っていた。
  しかもまずい事に、今回の畿内出陣は毛利の戦であり四郎や安宅冬康など珠姫の直臣と言ってもよく、かつ他紋衆ばかりの戦だった事が事態をややこしくしている。 
  豊後国人衆の中心である大友一門を祖に持つ同紋衆は、珠姫の家督継承を最後まで反対していたのを二人は忘れていなかった。
  一門に対する反発と内紛については毛利元就から徹底的に薫陶を受けた四郎も、危うく一門から粛清されかかった安宅冬康もいやと言うほど心得ている。
  ここまでは、姫のお遊びでかつ勝っているので大手を振って豊後に帰れる。
  だが、ここから先は日向遠征並の賭けが待っている事を二人はしっかりと自覚していたのである。
  まだうわ言の様に考えを呟く珠姫を尻目に安宅冬康が小声で四郎に告げ、四郎も珠姫に気づかれないように答えた。 

「姫様を逃がせ」
「承知」

 御社衆二千とその兵糧を全て三好義継に渡す事を条件に安宅冬康が珠姫一同の帰国を宣言、三好義継もこれを追認せざるを得なかった。
  こうして、阿波と讃岐の半分に長宗我部の息がかかった細川真之政権が正式に発足するが、その政権がすぐ崩壊する事も関係者の誰もが理解していたのである。


「ここで長宗我部を止めないとあいつらが四国取っちゃうのにぃぃぃ!!」

 強引に珠姫丸に乗せられて四国から追われる珠姫の戯言を真剣に聞く者は、四郎や安宅冬康を含めて誰もいなかった。
  あと一戦。ここで踏ん張れば、長宗我部を土佐という監獄に押し留める事ができるのだ。
  それをしないがゆえに全てが、三好義継支援も引田合戦も最終的に全てが無駄になる事を珠姫はいやでも理解していた。
  引田城から白地城まで直線距離にして約六十キロ。

「たった十五里なのに!
  長宗我部はそこにいる!
  ここで引き返したら全てが無駄になる事が…… 
  この戦が……」

 捨てゲームである事は珠姫自身も理解していた。
  とはいえ、その捨て時はまだ先であると認識していたゆえに出た叫びが、大独逸帝国海軍高海艦隊所属戦艦ティルピッツ副長と同じである事を誰が責められよう。
  眼下から離れる四国の山並みの先に、アイスランドのレイキャビク港に集結する日英米枢軸艦隊(レイテ沖の米太平洋艦隊でも可)を幻視した彼女は頭が冷えて四郎と安宅冬康の行為を認めはしたが、彼女は今回の畿内遠征が完全な負けである事を理解して敗北感と屈辱を手土産に九州に逃げ帰ったのである。

 

 珠姫の予言は的中する。
  後年、篠原長房が細川真之によって粛清されると同時に、三好義継が細川真之に対し謀反。
  細川真之は三好義継によって滅ぼされたが、これが長宗我部の阿波介入の大義名分となる。
  阿波国中富川にて兵・質ともに勝る長宗我部軍は三好軍に壊滅的打撃を与える大勝利を収め、これが三好家崩壊の決定打となる。
  三好義継は腹を切り勝瑞城は落城。
  その報を府内で聞いた珠姫がどういう反応をしたか、歴史は記していない。

 

岩倉合戦

兵力
  細川軍 武田信顕・比江山親興   千数百
  三好軍 三好長治・川島惟忠      二千

損害
  細川軍                                     数百(死者・負傷者・行方不明者含む)
  三好軍                                     二千(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
  三好長治・川島惟忠(三好軍)


 


 

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