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大友の姫巫女

南海死闘編

第三十二話 覇王対姫巫女 珠姫の意趣返し

「一つお聞きしたい事が。
  それがしが、我が主にこれらの事を伝えると考えた事はあるのですか?」

「だから、『意趣返し』なのよ。
  あんたの主ならば、全部ぶち壊すまでにどこかで止めるでしょ」


――某姫と某大名の家臣の会話より――


  松永家家臣本多正行から全ての報告がされた後で、松永久秀が取った行動は大爆笑だった。
  ひとしきり笑い転げた後に自らを落ち着かせる為だろう、茶――もちろん、あの平蜘蛛を使った茶だ――を作法どおりではなく、荒々しく飲み干す。

「あの姫、我らに叡山を焼いた後始末をさせようというつもりらしい。
  我が家が叡山を焼いた大悪人として、京の者達に恐れられているというのに困ったものよ」

 白々しく首を横に振りながら、松永久秀は真顔になって頭の中で絵図面を引く。
  基本的なしかけは某姫が立てているから、あとはその仕掛けに自分がどの位置で動くかという事しかない。
  もかも、『ご自由に』なんて言いながらさりげなく選択肢を縛っているあたり、黄泉路に旅立った西国の巨人と同じ臭いがする。
  かつて毒茶に怯えながらも虚勢を張っていた姫が、ついにここまできたかと感慨を抱くのを何故とめられよう。
  作法に則って本多正行に茶を出しながら、松永久秀はその言葉を告げた。

「京に上がって、公方様の顔を見てくる。
  正行。お前は石山に行って繋ぎをつけてこい」

 作法どおりに茶を頂く本多正行にはまだ事態が飲み込めてないらしく、松永久秀は彼の為にもう一言言葉を繋げたのだった。

「織田信長を助けるぞ」

 

 山城国勝竜寺城は、臨戦態勢のまま織田家の越前・加賀侵攻を見送っていた。
  何しろ本願寺攻めにおける最前線であり、京都を守る最後の砦でもある。
  ちなみに、この城には羽柴秀吉の居城であり、蜂須賀正勝や羽柴秀長・竹中重治、山中幸盛や荒木村重などの将と共に五千の兵がこの地を守っていた。
  とはいえ、石山本願寺攻めを大々的に告知しておきながら、奇襲の比叡山延暦寺攻めと内部分裂していた北陸一向一揆殲滅で軍が北陸に行き、五万を超える本願寺門徒が襲ってきたら篭城以外無理と誰もが思っていたのだが。

「……後詰ですか?」

 諸将を前にめずらしく意味が分らないらしい羽柴秀吉に対して、京から帰る途中の松永久秀が笑いながら口を開く。
  ちなみに、現在織田軍の北陸侵攻は越前を掌握し、加賀に踏み込んだ所まで聞こえている。

「左様。
  これから、織田殿が負けるのでその後詰にと。
  羽柴殿。
  功績をあげるならば、それがしと一緒に来られてはいかがか?」

 蜂須賀正勝が怒り顔で口を挟む。
  大将である羽柴秀吉が言えば角が立つが、こうして部下が暴言を吐くならば秀吉が否定し謝ればそれで済む。
  主が松永久秀の意図を理解できない以上、時間を稼ぐのは彼の役目だった。

「これはしたり。
  現在織田軍は加賀に侵入し一向一揆を蹴散らしている。
  それが負けるなど、どのような了見か?」

 その言葉を待っていたかのように、松永久秀が低く笑ってその一言を口にした。

「かの姫が根堀り葉掘り叡山の一件をそれがしに聞いていかれましたぞ。
  全てあるがままに答えたのですが?」

 この一言ではっきりと羽柴秀吉の顔色が変わった。
  ついでに言うと、山中幸盛は九州での負けを思い出したらしく苦々しそうな顔を隠さず、羽柴秀長などは顔に手を置いて己の役目を理解した上でため息をついている。 
  そんな羽柴家臣を横目で眺めながら、顔色を変えずにこちらの一挙一動を見逃さないとしている視線を感じ、その視線の主を探す。

(竹中重治。
  羽柴秀吉の軍師ならばその振る舞いは分る。
  もう一人は、たしか播磨を攻めた時にこちらについた小寺孝高か……)

 そんな内心を笑みで隠しながら、松永久秀は言葉で羽柴秀吉を煽る。

「かの姫は日向遠征時に万全の戦を行いながら、朝廷の和議によって大魚を逃しましたゆえ。
  ましてや、我らが焼いた比叡山延暦寺は元々宇佐八幡宮と縁は深い。
  怒り狂っても仕方なき事」

「そこまで分っておられるのならば、何か手はあるのですか?」

 末席に座っていた小寺孝高が口を出す。
  出てきた言葉は当たり前だが、射抜くような視線を竹中重治と共に松永久秀に向けたままなのが若いと松永久秀は思った。

「だから、後詰よ。
  もう少し言うならば、北陸の戦を終わらせる」

 松永久秀は笑いながらあっさりと策をばらす。
  だが、羽柴秀吉に向けられた目は一瞬たりとも笑ってはいなかった。

「かつて我らが浅井朝倉に攻められ、比叡山に篭る羽目になった顛末は覚えていよう。
  かの姫の手は長いし二つではないぞ。
  織田殿が加賀・越前の戦に手間取って、本願寺門徒がこちらを攻めてきたらどうする?」

 ちなみに、松永久秀も京都防衛の任を受けており、羽柴秀吉の後詰を行わねばならぬ立場にいる。
  彼が動かせる兵は一万ほどあるのだが、羽柴軍と合わせて一万五千では本願寺門徒五万に太刀打ちできるとも思えない。
  織田軍主力の帰還は前提条件だった。

「で、それがしに何をしろと?」

 ここで、いつもの笑顔で羽柴秀吉が松永久秀に問いかける。
  とはいえ、羽柴秀吉も松永久秀を見る目が笑っていない。

「なに、共に後詰に出てくれるだけで十分。
  それがしだけが動けば、織田殿に警戒されますゆえ」

 いけしゃーしゃーと松永久秀は言ってのけるが、そもそも延暦寺を焼くきっかけの一つになった足利義昭のクーデターを組んでいたのは松永久秀だったりする。
  それを知っているがゆえに、羽柴秀吉の笑顔は明るいのにその言葉は氷点下までに冷たい。

「動こうにも本願寺が後ろにいるのに、大将が後詰に行く事もできまいて。
  そもそも松永殿は戦を終わらせると言っておるが、その手はあるのかお尋ねしてよろしいか?」

 その言葉を松永久秀は待っていた。
  彼は珠姫が何で叡山で散った北畠具教の情報を求めたのか理解し、かの姫が本願寺でなく上杉を動かす事を予測していた。
  だから、彼は動いたのだ。
  上杉による足利義輝復権で、彼を追い落とした自分は足利義輝が許したとしても、周りから確実に粛清されるだろうから。
  それを松永久秀が理解した上で、珠姫は意趣返しと言った。
  つまり、彼女の上杉による信長攻撃という報復を食い止めて見せよという挑戦を受け止めたのである。 

「本願寺と和睦するよう朝廷に要請を出す。
  越前・加賀の一向一揆は中が割れて、本願寺坊官の言を聞かぬ事もあり申した。
  それを取って、本願寺内部の争いに手を出したと言い張れば良い」

 本願寺内部の対立をたてにとって、本願寺と争ってないと言い張るのである。
  既に加賀・越前と殺戮の嵐をやらかしている織田軍に対して本願寺がそれを飲むとは到底思えなかったのだが、松永久秀には確信があった。

「何、上杉と囁けば本願寺は折れざるをえまいて」

 北陸一向一揆を一時鎮圧した上杉に対して、本願寺は敵意どころか殺意を向けていた。
  その一向一揆を支援して再蜂起させたのが織田であり、その繋がりは完全に切れてはいない。
  織田と本願寺が潰しあってその後で上杉が全てを平らげるなんて事は、織田が全て征服する以上に許せる訳が無かった。
  もちろん、こちら側の勝手極まるいい訳である事は本願寺側も分っているだろう。
  だが、ここに至るまで本願寺側は、戦争回避の道を模索していた。
  本願寺を攻める事無く比叡山を焼き、同時に足利義昭系の幕臣が織田信長に粛清されていたのも本願寺は掴んでいた。
  だから、

「我々は囮で本命は比叡山と足利義昭だったのでは?」

 という疑心を振り払う事ができなかったのである。
  そこを見逃す松永久秀ではなかった。
  そして、実際に本願寺に根回しをしているのが、三河一向一揆によって主君より離れた本多正行である。
  本願寺内部にもかなり太いつてを持っていた彼の説得に本願寺側は、

「加賀一国の安堵を条件に、織田家との関係改善に応じても良い」

という言質を既に引き出していたのである。
  このあたり、京都という中央にいる謀将松永久秀の真骨頂だった。
  もちろん、その策の全貌をここで語るほど松永久秀もお人よしではない。

「とはいえ、本願寺が我らを疑うのは当然。
  それゆえ、一つ双方納得できる取り決めを決めておこうかと」

 その取り決めを聞いた羽柴秀吉以下織田家諸将は唖然としたのだが、それゆえに松永久秀の案に合意して、羽柴秀長を留守番にして全兵力を持って後詰に赴いたのである。


「織田軍四万が倶利伽羅峠にて上杉軍と戦い壊滅!」

 その急報を木ノ芽峠にて羽柴勢と松永軍が聞いた時、大聖寺城では松永久秀と羽柴秀吉の後詰の報告に沸き立っていた城内の一室で織田信長が京都からの報告に怒り狂っていた。

(足利義昭が朝廷を動かして、比叡山を復興させるだと!!)

 もちろん、そんな事を信長が認める訳が無い。
  足利義昭は信長にとって政治的な御輿であって、担ぎ手である信長の意を汲まずに勝手に動いていい訳がない。
  だからこそ、比叡山焼き討ち時に足利義昭のまわりで動いていた和田惟政と三淵藤英を粛清したのだから。
  おまけに、一連の戦の始まりである延暦寺復興など完全に信長へのあてつけでしかない。

(しかも、上杉との和議を用意しろと言ったのに、本願寺との和睦だと!
  頼んでおらぬぞ!)

 ぶちまけて叫びたい所だが、それをぐっと我慢する。
  倶利伽羅峠の大敗で兵はぼろぼろ、士気は最低の状況である。
  現状で上杉を止められるのならば、それもやむなしと信長の合理的な思考が怒りを抑えたからに他ならない。
  北陸まで信長自らが出向いた事で、松永久秀の蠢動を抑え切れなかったのが原因である。
  ご丁寧に、延暦寺復興には、

「宗派は違えども、同じ御仏を信ずる者として手伝いたい」

 と本願寺が申し出ていたりする。
  つまり、延暦寺跡に本願寺の出城ができるだけだったりする。
  同時に、織田家と本願寺へ朝廷からの和議勧告が出されていた。
  北陸一向一揆は本願寺内部の争いが拡大し越前が騒乱状態になった事を本願寺が詫びて一向一揆を抑える事を約束し、織田はそれを踏まえて加賀における戦を速やかに止めるよう求めていた。
  つまり、越前は織田・加賀は一向宗という事での停戦命令である。
 
(こんなもの認められるか!)

 それが言えるのならば、どれほどいいだろうか?
  現状では目前に迫る上杉軍を前に、織田信長は腹を切る寸前にまで追い詰められていたのだった。
  朝廷が加賀を一向宗の国(もちろん一向一揆を国として認める訳でなく、信長を退かせる事で間接的に認めているに過ぎない)として認めた事で、加賀の戦は上杉対一向一揆にすり替える事ができる。
  その結果、上杉軍に織田軍を討つ大義名分が消失するのだ。
  そして、織田信長は気づいていないが、足利義昭が音頭を取った事で足利義輝の理由も消失していた。
  兄弟子北畠具教の敵討ちは倶利伽羅峠で十分過ぎたし、現状で織田信長が足利義昭を無碍に扱う事はできなくなっていた。
  何よりも、京に戻り将軍として振舞うという事は足利義昭を追い落とす事であり、既に剣豪として生きていた足利義輝にとってそんな未来を求めるつもりは無かったのである。

「明智光秀を呼べ。
  上杉に和議の使者を申し付ける」

 事が幕府だけでなく朝廷まで絡んだこの停戦勧告を、信長は受諾せざるをえなかったのである。
  それは勝敗が違えども、日向で停戦勧告を受け入れた珠姫と同じだったと気づくのは後詰が到着し、全てのしかけを羽柴秀吉より伝えられてからである。

 かくして、織田信長はまたも勝利を譲られた。
  天下という舞台から去った西国の巨人の義娘によって。

 

 一方の上杉も明智光秀から出されたこの停戦を受け入れた。
  政治的御旗である足利義輝がこれ以上の戦を望んでいないといえば、いかな上杉輝虎とて無理強いはできないし、越後を葦名氏が狙う気配を見せていたのである。
  そして、上杉家家臣団も京都に上洛する事を望みながら本音は、

「上洛して越後が他の大名に荒らされるのは御免だ」

 として上洛に対して危惧していたのである。
  何しろ、前例として上洛して天下を差配しながら、領国から離れた為に領国が荒れて帰国せざるを得なくなり、その後に滅亡した大内家なんてものもあったりするし、つい先ごろまで機内を牛耳っていた三好政権も元は管領細川家が京都を支配したなれの果てである。
  京都に上洛して天下を掴むのは魅力的であるが、それゆえの毒――特に本国から大名と重臣が切り離される――が強すぎるのだ。
  更に、関東管領という事もあって、上杉家は関東方面に政治的関心をはらわねばならなかった。
  今は北条家と対武田同盟を結んでいる事もあって軍を向ける必要性はないが、足利義輝によって結ばれた武田との和議に北条家が懸念を示していた。
  ただでさえ、関東は公方関連で大乱を引きこしている。
  古くは観応の擾乱から永享の乱、享徳の乱、長享の乱、永正の乱と、諸大名の兵火は同時に鎌倉府を頂点とする関東公方を玉とする関東支配権の正当性をめぐる争いでもあったのである。
  そして、現在関東を支配している北条家は古河公方を立てている。
  北条家からすれば、足利義輝の権威が上杉と共にあがって諸大名から鎌倉公方に推挙されでもしたら、今までの権威失墜と正当性の喪失という悪夢のダブルコンボを食らう事になる。
  それゆえ、武田と戦火を交えながら、それ以上に上杉家を警戒してたのだった。
  これ以上北条を刺激する事は同盟破棄に繋がりかねない。 

 かくして、時間を欲した織田と距離に怯えた上杉は加賀を境に手打ちが結ばれた。
  正確には朝廷が出した織田の本願寺の和議を上杉が追認した形になるのだが、上杉にとってみれば一向一揆なんて相手にする訳もなく。
  そして、上杉が退かないからを名分に織田も加賀に居座ったまま。
  加賀は北半分を上杉に、南半分を織田によって分割統治される事になり、後の石山合戦の開戦理由となったのである。

 

 こうして、織田信長が意図した最初の天下武布は盛大に挫折した。
  倶利伽羅峠合戦で織田家は武威を大幅に失墜させ、京都近辺の影響力を落とし、建て直しの時間を必要としたのである。
  なんとか確保した越前を明智光秀に与え、朝倉景紀と粟屋勝久を配下に金森長近と河尻秀隆をつけて防備を固めさせたのである。
  なお、撤退する事になっているのだが北加賀に上杉軍がいる事を理由に居座った大聖寺城は、近江の領地を没収された柴田勝家が最後のチャンスとばかり上杉軍や一向一揆より守り通して重臣復帰のきっかけを掴むのだが、それは後の話。


  後詰に現れた松永久秀を見て、織田信長が何を思ったのかは伝えられる事はなかった。
  だが、共に現れた羽柴秀吉に次の命を出した事で、覇王と姫巫女の争いは次の幕に移る。

「尼子残党への支援を本格化させろ。
  それと、岐阜に戻ったらフランシスコ・カブラルを連れて来い」

 と。


 


 

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