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大友の姫巫女

南海死闘編

 第二十五話 対島津外線作戦計画  ……の挫折

 後に日向での珠姫と家臣のやりとりを小耳に挟んだ田原鑑種は、遅くに出来た嫡男をあやしながら、妻にその事を告げた。

「あの姫がふざけている時ほど、怖いものは無いぞ。
  何しろ、筑前国人衆はあの姫のおふざけで殆ど潰されたようなものだからな」

 田原鑑種の前の苗字は高橋。
  田原鑑種の妻の父は田原親宏。
  両方とも、珠から目をつけられていながら、辛うじて粛清を回避できた家だった。
  次期加判衆につく事が約束された男は、そういって幼い嫡男にあの姫の怖さを教えたのだが赤子である彼に分るはずがなく、父の手の中で笑顔を見せていた。

 

 日向 美々津 珠姫本陣にて

 珠姫の御在所は美々津の商家一軒を丸ごと借り切って、そこを住処にしていた。
  ちなみに、近隣の商家も買い取って、ここに奉行所が作られる事になっている。
  で、そんな珠姫の御在所に呼ばれたのが三人。
  戸次鑑連と志賀親守と角隈石宗の三人である。
  この三人、佐土原城で日向国人衆および遠征軍諸将の前で、珠姫を叱り付けたという共通項を持つ。
  それが理由でお手打ちかとも考えたが、あの姫はそこまでうつけではない。
  その前に、一夜の相手に呼ばれたかと冗談を思いついてしまったあたりで、この姫への評価はまぁ察して欲しい。

「姫様。一同揃いましてございます」

「入ってきて、適当に座って頂戴」

 ふすまを開けると、乱雑に散らばった紙の束。
  中央に広げられた九州南部の地図を睨み付けながら、珠姫は三人を呼びつけた。

「姫様……これは……」

 志賀親守が何か言う前に、珠姫が紙を彼に投げつける。
  受け取って広げてみると、肥後大畑合戦の不手際を詫び、相良頼定が相良家を継ぐと同時に水俣を含めた葦北の地全部を大友に献上すると書いた誓紙だった。

「肥後方面も結構しゃれにならない状況になっているのよ。
  高橋鎮理を日向に回したからね。
  だから、三人の意見を聞きたいのよ」

 じっと地図を睨んだまま、とはいえ明らかに振る舞いが佐土原城の時と違っている。
  叱った成果が出たかと三人がなんとなく思ったのを察してか、珠が先に口を開く。

「あ、勘違いしないで。
  表向きは、『できるけどやらない姫様』路線で行くから。
  これからもどんどん叱って頂戴」

 その一言で角隈石宗が笑い出す。
  大友家の軍師だけあって、珠姫が何を狙っているのか理解したのだった。

「ははは。
  佐土原での一件は我らの間違いでしたか。
  しかし、姫様。
  芝居なら、もう少し我らにも計ってもらいたいもので」

 あのふざけた姿勢を芝居と言い切った角隈石宗だが、三人の眼下に見える真顔の姫は間違いなくできる姫だった。
  何しろ、珠姫は口を開くのに視線は地図からまったく離さない。

「謀は少数を以って……ね。
  おかげで、日向国人衆守らないといけないじゃないの。
  それに、嘘は言ってないわよ。嘘は」

 そう言って笑う珠姫の笑みに、三人はぞくりと悪寒が走った。
  珠姫は日向国人衆が島津に寝返る事を前提に、佐土原でああいう振る舞いをしたのだと。

「日向の復興は大友にとっても一大事業よ。
  銭のない島津がそれをできる訳がない。
  間違いなく、日向を取った島津は破綻するでしょうね。
  日向に地獄を残したまま」

 珠姫が狙ったのは、わざと突き放すことで日向国人衆を島津に走らせ、荒れきった日向南部を島津に献上する事で、島津を完全に財政破綻させるつもりだったのである。
  しかも、その破綻時に限界まで搾取されて、日向に地獄が現出する事すら見越した上で。
  そこで、わざとらしくため息をつく。
  空気を変えたかったのだろうが、部屋の空気は間違いなく一気に下がった。

「私も甘いわ。
  わざわざ、策を提示して寝返っても逃げても構わないと突っぱねたのに、助けを求める手を握っちゃうなんてね。
  黄泉路でチートじじいが見ていたら説教物よ。きっと」

「ち、ちいとじじい?」

「毛利元就」

 志賀親守の言葉に珠姫が即座に訂正を入れた時、部屋の空気は最低にまで冷え切った。
  三人は思い出す。
  この姫はあの西海の覇者と知略を尽くし、大友家を守り抜いたという事を。
  彼女の手によって秋月・田原・筑紫・西園寺・高橋・原田・立花・宗像・竜造寺の各家は粛清されるか、痛い目を見ているのである。
  おふざけが過ぎるし、色狂いは父親に似てますます悪くなるが、父親と同じくその身はしっかりと返り血で染まっているのが大友珠という姫君の本性である。
  冷え切った空気を気にするそぶりも無く、珠姫は一枚の地図を角隈石宗に渡す。
  それは、珠が本来取ろうと思っていた内線作戦の全貌が描かれていた。

「ライヘンバッハプランって言うらしいわよ。
  この策の元は、南蛮人が考えたみたいだけど」

 三人の耳に、珠姫の言葉が届いていない。
  いや、届くはすがない。
  それぐらい、この計画は空前のものだったのである。
  薩摩・大隈を領有する島津軍三万を日向高城川もしくは肥後緑川にて迎撃。
  それを拘束する間に、南蛮船二十隻とその他の船千隻を数える大友・毛利連合水軍が日向国油津を起点に鹿児島湾に突入。
  島津の本拠を叩き潰すと同時に、戻ってきた島津軍を拘束した部隊と共に挟み撃ちにするという壮大な計画である。
  何よりも参加兵力が、拘束する両軍が各国からかき集めた四万の計八万。
  逆上陸軍が、毛利軍まで加えた二万という総計十万という大軍勢で揉み潰す規模の大きさに、誰も口を開かない。
  だが、その壮大さゆえに出る違和感に戸次鑑連が真っ先に気づいて、問題点を口にする。

「姫様。
  この策では、兵や船が現状と違いまする」

「今はね。
  これは、今から五年後に行うつもりの策よ」

 それが何を意味するのか、三人はいやでも分った。
  元々大友珠は各国から上がる珠待望論に押されて、長寿丸への繋ぎとして、大友家当主に立つと言う事を。
  志賀親守が自らに確認するかの声で、それを口にした。     

「元服なされる長寿丸様の初陣……」

 その震え気味の声に、珠姫は初めて三人を見据えて微笑んだ。
  その笑みが、魅力的でかつ誘惑的だからこそ、三人の悪寒は止まらない。

「ご名答。
  『珠姫ですら戦わなかった島津相手に勝利する』
  これ以上ない、家督相続の理由になるでしょ。
  初陣でしくじると厄介よ。
  お隣の毛利じゃないけどね。
  私が当主になるのは、この策を実行できるだけ大友家を富ませる為かな」

 事実、毛利輝元は初陣となった明禅寺合戦でまさかの敗北を喫し、その権威確立に四苦八苦している。
  それが、反乱などに繋がっていなのは、実際に国と軍を動かす吉川元春と小早川隆景が毛利輝元に忠誠を誓っているからに他ならない。
  更に悪い事に、珠姫の初陣は対毛利で門司城攻防戦という大戦で、戸次鑑連のサポートがあったとはいえしっかりと武功を立てている。
  そんな珠姫の後を継ぐ長寿丸は、大友家を継ぐ時の仮想敵が島津しか残っていない事が、彼にとって最大の不幸になろうとしていた。
 
「島津相手に勝利する。
  もしくは、島津に通じた日向国人衆を粛清させる事で、長寿丸初陣とし、家督相続とする。
  でなきゃ、こんな外道策立てないわよ」

 日向国人衆を暴発させるのも、島津の出方による一つの策でしかない。
  島津が強いか、毛利や織田などの状況変化で大兵が出せないならば、初陣を日向国人衆に切り替えて島津とは手打ちをしてもいいという安全弁でもあったのである。
  その日向国人衆の暴発ですら今回の倍の兵力である四万を動員するという念の入れよう。
  ただ一つだけ珠姫が読み違えたのは、日向国人衆が彼女の想像以上に疲弊しきっていて、島津を恨みきっているという事だけ。

「で、これを踏まえたうえで再度聞くわよ。
  計画に修正は入れるけど、これを前提に五年後に長寿丸に島津を潰させるわ。
  誰を肥後に送ればいいと思う?」

 最初に適応した角隈石宗が、軍師として珠姫にいくつかの事を指摘する。

「姫様。
  葦北の地は死地にございまする。
  陸の孤島に、菊池の残党。
  阿蘇を敵に回すことも考えねばなりませぬ。
  日向以上にやっかいかと」

「やっぱり」

 珠姫がため息をついて葦北郡の地図を眺める。
  この地は三太郎峠という赤松太郎峠・佐敷太郎峠・津奈木太郎峠という三つの峠があり、陸路では恐ろしく時間がかかる。
  おまけに、本家は滅んだとはいえ、大友家の宿敵菊池氏の本拠だっただけに菊池氏系国人衆も多い。
  何よりも、肥後と言う九州の中心にあって、かつ相良家以外は戦に晒される事がなかったので戦力が残っているのだった。
  ここを日向国人衆と同じく島津に渡したら、本国豊後が危なくなる。
  とはいえ、今から粛清の手を向けようにもその理由がない。

「肥後国人衆を動かし、葦北郡は肥後国人衆にあげるべきかと」

「とはいえ、阿蘇家は避けるべきでは。
  かの家が、この地を取ってしまったら、ほぼ国持ち大名となって我等の統制を聞くかどうかあやしいぞ」

 戸次鑑連の声に志賀親守が懸念を表明する。
  それに珠姫が口を挟んだ。

「本当ならば、南関まで下がりたかったのよね。
  ただ、そこまで下がると肥前竜造寺がどう動くかわからないし、盟友たる阿蘇家を見捨てる事になるわ。
  策は用いるけど、恩を仇で返すほど落ちぶれてはいないわよ」

 珠姫もそうだが、大友家は恐ろしいぐらいに阿蘇家に対して気を使っている。
  それは、大友二階崩れから始まる大友義鎮の内乱においてずっと、阿蘇家が好意的中立を取り続けていたからに他ならない。
  そして、阿蘇家の守護神たる甲斐宗運の絶妙なバランス感覚のおかげでもある。
  珠自身も、崩壊したが菱刈・相良・伊東の三家同盟結成に尽力してもらい、小金原合戦では兵を出して少なくない武功をあげている。
  そんな事もあって、阿蘇家の待遇は大友全域の大名・国人衆の指針になっているのだった。
  このあたり、珠姫自身が戦乱続く豊前・筑前にかかりきりになっていたうえに、その当初から島津の台頭と竜造寺の勃興からはなから肥後を捨て地として放置していた自業自得であるのだが。

「ここは捨て地ね。
  切り捨てても問題なく、それなりにがんばってくれると嬉しい都合のいい奴……
  居るにはいるけど、もったいないなぁ……」

 幸いにもそんなとても都合のいい人材が居る事にはいるのだが、ここで使い捨てていいのかと迷っていたりする。

「筒井残党……か」

 木崎原合戦から日向侵攻まで一線で働き続けて、その功績は評価されるべきである。
  しかも、葦北郡丸々だから十分大名と呼べるだけの大出世である。
  流浪の民である筒井家残党にとっては大和の地に帰ることが悲願ではあろうが、仮の住まいとして復帰のための力を蓄えるのは絶対に必要ではあったのだ。
 
「筒井を水俣城に置いて、高橋鎮理と佐伯惟教を日向に置く事を前提で、一つ案を立てているの。
  少し見てくれない?」

 珠姫はまた三人に一つの地図を見せる。
  これには、肥後から薩摩に向けての国境線全域からの同時進行計画だった。

「焼き働きが主な仕事となるけど、久七峠と堀切峠の二つを島津から奪還するわ。
  本当は日向からも陽動を出したいのだけど、今回はパス。
  今年一杯、継続的に兵を動かして島津を消耗させる。
  出水側には筒井と隈府鎮台の兵、特に菊池家系列の国衆を断続的に、天草からも水軍衆を出して沿岸を襲わせるわ。
  攻勢正面になる相良家は阿蘇家が兵を出す事で、私たちは過度な介入をしない。
  隈府鎮台三千に阿蘇家千の四千を主体として、できれば大口盆地まで取りたいというのは欲張りでしょうね」

 自分で言いながらため息をつくぐらいだから、珠姫もこの策に欠陥がある事が分かっていた。
  彼女が恐れる『あの』島津に四千をぽっち。
  それならば、まだ粥餅田の時に全軍突撃していた方がましである。
  何よりも、筒井も相良も大崩壊をやらかした伊東家よりはましだが、消耗しきっていた。
  肝心の攻勢正面のこの二家が戦力を回復させるのは、最低でも三年は待たないといけないだろう。
  そして、御社衆はその殆どを四郎につけて、毛利軍として石山本願寺救援に向かわせる事が既に決定している。

「駄目だわ……日向も肥後も三年は動けないわ……
  戦力回復はこちらが先でしょうけど、島津が三年もじっとしていると思う?」

 もはや、大友軍は全力での島津侵攻を行えない。
  四国では長宗我部に火がつけられて燻っているし、借金という鎖を外した竜造寺が大人しくしているとは思えない。
  そして、毛利はこれから否応なく織田信長と熾烈な消耗戦をやる羽目になる。
  地図を見ていた戸次鑑連が響く声で、珠姫にそれを伝えた。

「あまり考えなさるな」

 と。
  まさかの言葉に珠姫は呆然、他の二人も口を閉ざしたまま成り行きを見守るしかない。

「姫様が先を見据え、遥か遠くを見ておられるのは我らでも知っている事。
  ですが、姫様も全知全能ではござらぬ。
  何よりも先を見て脅えるのは、切り株に二度目の兎が当たるのを待つように愚かな事ですぞ」

 重く、響くがゆえに力強く戸次鑑連が言い放った。

「何よりも勘違いしているのは、次に大友を背負うのは珠姫様。
  貴方にございます。
  そんな先の事まで考えてどうなさいます。
  我らは、今の大友を背負う姫様に忠誠を尽くすのですぞ」

 固まった珠姫が二度ほど瞬きしてぽつり。

「あのさ。
  一応聞くけど、私が大友継いだら内紛が確定で起こるのは理解してそれを言うのよね?」

「起こしませぬ」

 力強く、あまりに頼れる一言を当然のように戸次鑑連が言いきる。
  それは、珠がいくらがんばっても勝てない年長さ――大人――の頼もしさだと気付くのは、彼女が大人と呼ばれる年になってからである。
 
「それがしが、角隈殿も志賀殿も府内のお館さまも喜んで姫を支えましょう。
  姫様。
  我らを頼りなされ。
  姫様よりも学も才も無いですが、姫様より長く生きておるゆえ、世の無常になれておりますゆえ」

 ぐっと泣きそうな顔で珠姫が堪える。
  それは大名として立つ最後の意地なのだろう。
  だから、そんな意地に答えるべく、戸次鑑連は己の武勲と生き様をかけて次の言葉で誓った。

「島津ごときに、大友の家は滅ぼさせませぬ」

「あ、ありがとう……
  ごめん。
  目に何か入ったみたい……」

 何かが目に入ったふりをして涙をぬぐう珠姫を見て、三人は笑う。
  これで終わればいい話だったのだろう。多分。

「ですが!
  大名として立たれるのならば、少しは立場というものをご理解していただく!!
  政千代や麟殿の文によると、『遊女よりあさましく畜生のまねをして遊ぶ』とはどう言う了見ですか!!!」

 涙を拭こうとした珠姫の手が止まった。ぴたりと。
  何を言っているのか分からないと顔で珠姫は訴えているのだが、長年戦場で生きてきた大友の武神は、相手の気が緩んだ時が最高のチャンスという戦訓に忠実に則って追い討ちをかける。

「え!?
  い、いや……ちょっと……
  ここは『イイハナシカナー』で終わるのがすじ……」

 事態の急変に全くついていけない珠姫は、既に戦の主導権を失っていた。
  彼女も知っていただろうに。
  戸次鑑連という男が、ただの武人だけでなく、よく人を見て叱り、褒める人格者であったという事を。

「『これらかもどんどん叱って頂戴』。
  と、先ほどそれがしは聞こえたような気がしましたが?」

 たまらず、志賀親守と角隈石宗が笑い出すが、それを睨みつけて止めるような余裕は珠姫には残っていなかった。
  だから、ものの見事に罠に落ちる。

「いや、だからそれは……」

「まさか、ここで前言を翻すような事はなさいませぬでしょうな。
  姫様?」 

 どどめの一撃を鬼すら逃げ出す眼光で凄まれた時点で、珠姫の戦線は完全に崩壊していた。
  『この忠臣の諫言を聞き流して、よく国を傾けるまで女と宗教に狂えたよな。父上』と別の意味で涙目になりながら、珠は白旗を掲げた。

「……ごめんなさい。
  私がわるうございました」

  


  後に、決定的対決が始まるまで、何度か起こった大友と島津間の危機的状況に対して、珠姫は次の言葉で不安がる臣民を抑えたという。

「起こってから考えるわよ。
  とりあえず、戸次鑑連に任せるから」

 そして、戸次鑑連は実際に何度か軍を率いて国境線上で姿を見せつけ、

『参らせ候 戸次鑑連』

 と書いた矢を島津側に射掛けて島津との国境間に薄氷のような平和を作り出し、
  島津側からも、島津忠平(義弘)名で矢が届くようになり、

『島津において戸次を忘れず』

 と書かれた矢が大友領で発見されるようになったという。
  また、木崎原から一連の合戦での死者を島津が弔う時は、大友側も弔問とその支援を行ったりと、珠姫が最も欲した時間を作り出す事に成功したのだった。

 




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