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大友の姫巫女

南海死闘編

第十九話 日向侵攻 日向丸ごとハウマッチ 

「ひめさま~。
  お茶持ってきたよ。
  で、田原さまが『まだか?』って」

「ありがとう。知瑠乃。
  とりあえず、田原親賢には何かごまかしておいて」

「わかった!
  田原さまには『なにかごまかす』って言えばいいんだね!
  言ってくるっ!!」

「ちょっとまったぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 なんだか〆切前の作家のようなやりとりから始まっています。
  珠です。
  何が悲しゅうて、美々津くんだりにまできて、缶詰になっているのかと言いますと。
  島津がしかけてきた焦土作戦に対して、発生した避難民対策に頭を抱えていたのだった。
  戸次鑑連がもたらしたその報告に、奈落に落ちる感覚を味わいながら、次に沸いてきた感情は激怒だった。

 おーけー分かった。
  島津よ。
  あんた、誰に喧嘩売ったか、思い知らせてやる。

 

 その喧嘩、百億倍で買ってあげようじゃないの。

 

 で、島津がどうやっても勝てない銭でこの問題を解決する事に。
  さて、少し長くなるが、焦土戦術とそれにおける対策について話をしたい。
  焦土戦術というのは、防御側がその土地の家を焼いて食料を奪い、攻撃側にその土地の攻撃価値を失わせ、かつ利用させない戦術のことである。
  これを戦国時代なんかでやられると、難民が暴徒化して一揆が起きるわ、ただでさえ弱い兵給線が完全に崩壊するわとたまったものではないのだが、防御側も当然その土地の民からめっさ恨まれる諸刃の剣だったりする。
  島津とて、本国薩摩では到底できない戦術なんだが、外周部でまだ自分の領地でなかった日向だからやったという所か。
  ちなみに、今回の日向戦の場合だと高城川以南の占領地が不安定になるのでそこには兵力置かないといけないわ、兵給線破綻を避ける為に兵を帰国させないといけないわとやっぱりマイナス要因が即座に出るぐらいで。
  毛利水軍借受と後詰の吉弘鑑理率いる日出鎮台三千を戦線崩壊危機にある肥後の後詰に回した事で、今すくどうにかなる状況ではないのだが、高城川から南に兵を進めたら確実に泥沼にはまり込む。
  という訳で、避難民をまとめて日向から追い出す事に。
  美々津から船に乗せて、府内や門司・博多に連れて行って、そこで職を紹介させるのだ。
  もちろん、戦が終わったら日向に帰る事前提の話なのだが、あてもなく職を紹介できると言っている訳ではない。
  現在、私は最高のケインズ政策――戦争――をやっているのだから。
  豊後では日向向け荷駄の徴発で需要はうなぎのぼりだし、日向を制圧できたら日向復興事業が待っている。
  よしんば、この戦で負けても最悪台湾やルソンに送りつければいいし。
  ニューフロンティアが消滅した21世紀では色々と問題が顕在化していたケインズ政策だが、この戦国時代なら何処にでもニューフロンティアは転がっているのだった。
  では、流れてくる難民がどれぐらいなのか?
  それを計算してみよう。
  現在の伊東家が確保している領地は五万石で、約十五万石分の領地を島津が占領し、そこで略奪をしている事になる。
  石高計算では、基本的に一万石につき兵士二百五十人を供給できると言われている。
  そして、人口における兵士比率というのは5%が基本で、それ以上の徴兵は生産活動などの社会に悪影響を与えると言われている。
  で、これを当てはめるならば、

 250×15=3750
  全人口における兵士数5%=3750人
  =75000人

 この七万五千人が現在略奪を受けている地域に住んでいると思われる人口である。
  現在日向に送っている兵力の約五倍である。
  考えただけで頭が痛くなる人数だが、幸いにも彼らが美々津にまで来れるのならば、話は別である。
  美々津の港には兵糧を降ろして帰る空の船が溢れているのだから。
  となれば、どうやって彼らを美々津にまで連れてくるかだ。
  現在、角隈石宗を使者に財府城に開城を迫ると同時に、松山砦の佐伯惟教には高城攻撃中止・待機命令を出している。
  さすがに七万五千が一斉に群がったら、美々津ではさばき切れない。
  だから、戦場である事を利用して、難民の退路を財府城経由に誘導させるのだ。
  財府城が抜ければ、富田城経由で放置が確認されている佐土原城まで道が繋がる。
  難民の誘導を考えたら、都於郡城までが進出限界線だろう。
  高城を落とすのはそれからでいい。
  難民の美々津搬送は帰りの荷駄隊に任せる。

 で、だ。  
  知瑠乃が持ってきたお茶をすすりながら、修羅場をふと眺める。
  そこには、鉢巻を巻いた四郎と志賀親守が、木で作った定規を片手に紙に筆で線をひいていた。
  更に、豊後から急遽召喚した朝倉一玄と大谷吉房が計算を検算しており、大谷紀之介と大神甚四郎が算盤片手に計算に疲れたのかオーバーヒートでぶっ倒れている。
  何をさせていたか、そろそろ答えをばらそう。

 荷駄と難民を統括するダイヤグラムの作成である。

 ダイヤグラム。つまり運行管理表を導入する事で、何処にどれだけの荷駄があって、現在どれだけの兵糧や難民を運んでいるか一目で分かるという優れものである。
  更に、現実に運行している荷駄隊には全てカンバンと名づけた木札を持たせて受け渡しをする事で、リードタイムを把握し意識させる。
  目指せ、赤い電車の逝っとけダイヤ。
  最終的には、赤い電車の品川駅を目指すのだ。
  これで、佐土原まで兵糧を大量に搬送しつつ、難民を一気に日向から一時的に追い出すのだ。
  まぁ、海路が神力で難破を考えなくていいからのチートシステム導入なのだが。

 これが実現したら、一揆をはじめとした背後の破壊工作をかなり考えなくてよくなる。
  つまり、大兵でひた押しに押せる。
  しかも、難民の支持が全てこっちが総取りとリターンがでかい。

 で、だ。
  問題は、その概念と計算ができるやつが圧倒的に少ない訳で。
  私が統括して、とりあえず計算できる人間をかき集めてのこのザマである。
  冒頭の田原親賢の催促は、彼が荷駄担当の現場責任者だから、修羅場に引っ張れなかったという事もある。
  あと、白貴姉さんのお供に何でかついてきた知瑠乃なんだが、いいや知瑠乃だしと放置していたら、

「ぼくも行くんだ!」

と長寿丸が盛大にごねるし、ひっそりと今回初陣の長寿丸の近習連中が私に、

「どうか、知瑠乃だけは前に出さないでくれ」

って土下座するし、あんたらそんなに知瑠乃が怖いか。
  うん。私は怖いから良く分かる。補正的意味で。
  という訳で、お茶組みをさせていたり。
  修羅場の中、いいマスコットとして動いてくれている。
  あー、太陽が黄色い。

「姫様。これを」

 四郎から受け取った最終のダイヤグラムを眺めて、最後の確認をする。
  ちゃんとスジに余力もあるし、一応問題らしい問題は見えない。
  後は実際のトラブルに私が応対して、スジを引き直せばいいだけである。
  そういえば、国鉄のダイヤ改正がこんな修羅場だったそうなとふと思いながら、私は皆に声をかけた。

「お疲れ様。
  これで問題はないわよ。
  私が、田原親賢の所のまで持ってゆくから休んでて頂戴」

 その瞬間、最後まで張り詰めていた気が緩んだのだろう。四郎達がへなへなと畳に倒れこむ。
  ……見なかった事にしてあげよう。

 

「ひめさま。
  なんか騒がしいね?」

「ほんとよね。
  何かあったかしら?」

 ちなみに、私の本営は美々津の商家を一軒丸ごと借り切っていたりする。
  妙に騒がしい美々津の街のざわめきを庭から聞きながら、知瑠乃と護衛の姫巫女衆と共に田原親賢の所に。
  ちなみに、今の発言で姫巫女衆の一人が先に駆けて何事かと調べているはずである。
  一応先の島津による佐牟田長堅暗殺を警戒して、この商家に丸々天岩戸結界を張っていたりするのだが。

「姫様。できあがりましたか」

 その田原親賢の第一声と、忙しそうにかつ嬉しそうに働く彼の家臣の姿を見て、私は警戒を下げた。

「何がいい事があったの?」

「はっ。
  先ほど、早馬で角隈石宗殿が財府城の落合兼朝と和議を結び、開城すると。
  これで、高城川を越えて佐土原に向かう事ができますな」

 さすが大友家の軍師をしているだけあって、頭も回るし弁も立つ。
  落合兼朝が伊東帰雲斎を処分した事でこちら側についた報告だった。
  顔に笑みが浮かんでいる事を自覚しつつ、私は田原親賢にできあがったダイヤグラムを渡す。

「島津に一泡吹かせるわよ。
  第二陣を財府城に向かわせて、先陣は美々津で一度休ませて再編。
  高橋鎮理に本陣の兵千をつけて松山砦の後詰に送るわ。
  都於郡城まで押すわよ」

「はっ」

 ダイヤグラムを受け取った田原親賢がそれを家臣に手渡して、大急ぎで書き写してゆく。
  それを眺めながら、なんとなく頭に日向の地図を浮かべて先の事を考える。
  伊東家を残すことにしたので、飫肥方面に兵を入れる必要がなくなった。
  となれば、佐土原城および都於郡城の防衛の為に大淀川の線で迎え撃つと思ったのだが、やつらの乱捕りでこちらを抑えきれると思ったのか。
  それが、間違いである事を思い知らせてやる。
  一万以上の兵力で日向国境まで迫った時に島津のやつらがどんな顔をするか楽しみ……

 ん?

 という、事は、

 決戦場は木崎原かっ!!!!

 盛り上がっていた怒りの炎が冷水をかぶったかのごとく、みるみる下がっていくのが分かる。
  ああ、耳川大勝利の後で『夢をもう一度』って根白坂で決戦を挑んだ島津が、同じ事を考えるならここしかないわな。
  しまった。
  完全に島津の策に乗った。
  七千の兵で突っ込んで敗北した木崎原に約二倍の一万四千しか持っていけないなんて、敗北フラグじゃないか。
  うわ。
  という事は、肥後大畑の島津の勝利もこの前振りかよ。
  実際、後詰として吉弘鑑理の三千を肥後に送ってしまったし、大将討ち取られて動揺続く相良家を抱えた状況で水俣に兵を送れる訳もない。
  考えたくないが、間違いなく木崎原に島津は動因兵力の全てを集めてきている。

「ひめさまどうしたの?
  おかおあおいよ?」

「ん?
  疲れちゃったみたい。
  知瑠乃。奥で休みましょうか」

「うん!」

 言えるわけがない。
  島津に十倍以下しかない兵力で、地の利もない木崎原で戦って負ける事を考えてしまったなんて。

 

 奥に戻って、しばらく頭を冷やしていると、高橋鎮理が鎧姿でやってくる。

「姫様。
  出陣前の挨拶に……」

「堅苦しいのはいいわよ。
  で、高橋鎮理。
  絶対に高城を攻めないでね」

 挨拶途中で遮った私の声に高橋鎮理が怪訝な顔をするのを無視して私は言葉を続ける。

「いずれ、島津とは雌雄を決する大戦が行われるわ。
  高城ごとき小城であなたの兵を失いたくないのよ。
  松山砦には先陣を休ませた後に再度派遣するから、あなたには本陣で私の側で戦ってもらうわよ」

 言えない。
  高橋鎮理の顔を見て、彼がやらかした大玉砕筑前岩屋城の戦いを思い出したなんて。
  あれで、島津は九州統一を逃したのだから同じ愚を犯してはいけない。
  間違いなく高城に入っている島津兵は死兵だから、攻めたらおびただしい損害が出る。
 
「では、決戦の場は?」

「日向国 真幸院 木崎原。
  あんた、あっこで島津忠平に勝つ自身ある?」

 漏れた不安を高橋鎮理は笑い飛ばした。
  日ごろ真面目な彼が、私の怯えを吹き飛ばす為に無理して作った笑いだったが。

「ご心配なさるな。
  島津忠平にできた事が、それがしや、戸次殿や小野殿、鍋島殿にできぬと思いますか?
  ましてや、姫様も伊予での戦で見事戦って見せたではござらぬか」

 その笑みと言葉に、ふと昔を思い出す。
  気づいてみたら、不安が無くなった訳ではないが不必要な怯えは消えていた。

「あの時は、無茶をしたわね。
  鳥坂峠だっけ?」

 後になって知ったが、鳥坂峠の完勝は西国で思いっきり轟いたらしい。
  私の武将としての実績は、この鳥坂峠合戦をはじめとした南予侵攻で確立したと言っていい。
  もっとも、これをもって島津義弘や毛利元就等のチート武将と同列に並ばれて語られたと知って、思いっきり悶絶したのだが。

「はい。
  陣中央に抜擢して頂いたのに、おいしい所は立花殿と佐田殿に持っていかれましたが。
  此度はあの二人においしい所を渡さぬつもりですので」

 わかって言っているのだろうが、陣中央に置かれる時点であんたの率いる兵があの時一番信頼できると言っているようなものだったのだが。
  基本的に使えない四郎率いる御社衆や、囮となって大損害を出した佐田鎮綱率いる宇佐衆と比べたらいけない。

「言うようになったじゃない。
  けど、小金原で尼子勢を止めたみたいな働きを期待しているわ」

 二人して笑う。
  やれる事は全てやった。
  ならば、天命を尽くすのみ。

「姫様。こちらにおられましたか。
  何やら、楽しそうに話されていたようですが?」

 何かの書類を持って四郎が入ってくる。
  いたずらっぽく、四郎にウインクして、さっきまでの話をかいつまんで話すことにした。

「次の島津の戦、四郎や佐田鎮綱に負けないって」

 


  この日から五日後。
  放置されていた佐土原城に戸次鑑連率いる大友軍第二陣入城。
  更にそれから二日後。
  小野鎮幸率いる第二陣の一部が、同じく放棄されていた都於郡城に入場。
  この時点で、かなりの避難民がこの二城に集っていたが、油津港を抱える飫肥城との陸路を繋ぐ事に成功した大友軍は、たいした混乱も無く難民をさばききった。
  と同時に島津に寝返った日向の諸城に内応の書簡を送りながら、虎視眈々と木崎原突入を狙っていた。

 同じように持てる全ての兵を集めた島津軍も、木崎原でいまや遅しと大友軍を待ち受けているのを理解した上で。


 




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