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大友の姫巫女

南海死闘編

第十六話 日向侵攻 大畑合戦 

 基本的に長期戦を想定していた大友家勢力の中において、相良家が何故突出したのかといえば彼らには突出する理由があったからに他ならない。
  今回の日向遠征における実質的な総司令官である珠姫はまったく気にしていなかったが、相良家は彼らから見ればお家取り潰しの危機に瀕しているように見えたのである。
  まず第一に、鳥神尾合戦時の『決して攻めるな』という珠姫の命を無視した無断突出による惨敗とその復旧支援。
  この時点で相良家は既に珠姫に頭が上がらなくなっていたりする。
  にもかかわらず、第二の失態として木崎原合戦時の後詰の無断撤退。
  あげくに肝心の伊東軍が壊滅的打撃を受けるというおまけつきで、島津に一撃与えて無事に帰還してみせた一条派遣軍と比べてもその差は歴然としている。

「あんたら何やっていた?」

 と、珠姫が突っ込めばまったく言い逃れできない大失態をやらかしている。
  そしてとどめとなったのが、その木崎原合戦に兵を率いて出陣していた佐牟田常陸介の寝返り。
  仏の顔も三度までというのならば、これ以上なく相良家はアウトであった。
  そして、これら全ての事について珠姫が何も言ってこない事が、相良家家中の疑心暗鬼を更に深める結果となったのである。
  珠姫がお飾りの大将で何も言わないのならばそれはそれなのだが、彼女は秋月や筑紫、原田や宗像等の筑前国衆を容赦なく粛清した過去をしっかりと持つ、大大名大友家の次期後継者である。
  ただでさえ、肥後は相良家や阿蘇家という国衆の力が強くて、大名独裁を目指している大友家といえども刺激する事無く尊重する路線をとっているだけに、このまま失態を続けている相良をほおって置くほど甘くは無い。
  下手すれば粛清の果てに取り潰しという未来だってありえるのだった。
  それを、相良義陽をはじめとする相良家の一同が理解していない訳が無かった。
  そして、そんな心理状態を島津歳久は読みきっていたのである。


  地理説明


  相良家 白
  島津家 黒


         人吉城
          凸


             大畑城
              凸

     久七峠        堀切峠(加久藤峠)
       ▲          △
 

 大口城            加久藤城
   ▲              ▲

 

 人吉における相良家の対島津国境というのは二つあって、一つは薩摩国大口に繋がる久七峠から人吉に入る道。
  もう一つは、堀切峠(加久藤峠)を通って、日向国加久藤に抜ける道である。
  で、この二つの道が交わるのが人吉であり、久七峠と堀切峠の間には険しい険しい九州山地が横たわっていた。
  この二つの峠を守備していたのが相良家一門衆である佐牟田家だったのだが、勇将の誉れ高い佐牟田長堅が暗殺され、佐牟田常陸介が寝返った事で、島津家は久七峠を押さえて人吉に攻め上がる道を確保したのである。
  大口城から兵を率いて、寝返った佐牟田家一党まで配下に収めたこの攻め手の大将は島津以久で、島津義久にとっては叔父にあたる。

「久七峠を確保できたのは、佐牟田家一同のおかげよ。
  このまま先陣を任せるゆえ、島津の為に更なる武功をあげてもらいたい」

 峠の頂上に築かれた陣地内で、島津以久が佐牟田常陸介を諸将の前で褒め称える。
  こうやって寝返った国衆を満座で褒め称えるのは政治的パフォーマンスでしかないが、兵力が絶対的に不足している島津家にとって、彼が率いていた五百近い兵数というのはそれだけの功績でもあったのだ。
  ちなみに、この久七峠にいる島津軍はこの佐牟田家の手勢を合わせても千人しかない。

「ありがたき幸せ!
  このまま人吉まで我らが先導する所存で。
  狙いは水俣ですか?」

 佐牟田常陸介も後が無いだけあって必死である。
  もっとも、この地にやってきた島津軍の数を見て落胆したのは秘密だが、相良と島津の因縁の地である水俣に大兵を出していると言われれば納得せざるを得ない。

「いや、貴殿の力を存分に活かせる戦場を用意した。
  それは……」

 島津以久はもったいぶった口調でその土地の場所を告げた。
  もっとも、島津以久も島津歳久からその場所を教えられただけだったのだが。

 

 水俣方面は島津軍は島津義虎と新納忠元率いる三千の兵が攻め寄せており、実は各地に派兵している島津軍の中でも一番兵を集中させていた。
  そのため、

「これが島津の主力では?」

 の声が大友側から出ては消えていたりする。
  もっとも、

「兵ではなく、将。
  島津四兄弟が率いているのが主力に違いないわ」

 という珠姫の強引な主張で、日向に大兵をかき集めているのだが。
  とはいえ、最前線たる水俣を軽視していた訳でもなく、水俣城包囲の急報に隈府鎮台の志賀鑑隆と阿蘇家の甲斐宗運がそれぞれ兵を千ずつ率いて南下中だし、相良家自体も人吉から千程度の兵を水俣に送る事を検討していたのである。
  だが、久七峠陥落という急報に相良軍の動きが止まる。

「久七峠の兵がこのまま人吉に押してきたら……」

 ここで相良家の領地の特殊事情が出てくる。
  本拠地人吉と現在救援を求めている水俣の間には祝坂峠という難所があり、水俣まで兵を出してしまったら戻るのにえらく時間がかかるのだ。
  そればかりではない。
  人吉と水俣の両方が狙われた事で、相良家に向かった後詰も二分され、甲斐宗運の手勢が人吉に向かう事に。

「今の島津に人吉を突く兵は無い」

 と、甲斐宗運は見切っていたのだが、政治がそれを許さない。
  一門でもあった佐牟田家の離反は、相良家内部の国人衆の動揺を誘っていたのである。
  同盟国である阿蘇家の後詰は、相良家内部の動揺を抑える効果を狙っていたのだった。
  同時に、水俣に大友家評定衆でもあった志賀鑑隆をそのまま向かわせたのは、これ以上の失態を大友家に見せたくなかったという裏事情も存在していた。
  水俣城を守るのは犬童頼安で、寡兵ながらも城を守り島津軍を寄せ付けなかった。
  ちなみに、新納忠元と、

 夏風にみなまた(水俣)落ちる木の葉かな (新納忠元)
  よせて(寄せ手)はしづむ月のうら波   (犬童頼安)

 なんて歌合戦をやっていたりするのだが、後詰を待つ相良軍と兵を失いたくない島津軍のある種弛緩した空気がこの状況を作り出したといえよう。

 

 水俣方面がこんな状況だから、必然的に焦点は人吉に移る。
  久七峠の島津軍を追い払えたら、人吉の相良軍を水俣に送る事ができ、島津軍を押し返す事ができる。
  人吉にいる相良軍の兵力は二千。
  後詰にやってくる阿蘇軍千と合わせたら三千で、強攻すれば落とせない訳ではない。
  かくして、出陣準備をしていた相良軍にその報告は飛び込んできた。

「堀切峠(加久藤峠)に島津軍数百!
  島津義久自らの出陣です!!」

 第三者的に見れば『罠だろ』と見え見えなのだが、それは相良軍も理解していた。
  とはいえ、既に大失態を三度も繰り返し、肥後戦線を危機的状況に追い込んだのは相良の自業自得である。
  だが、ここで島津軍の総大将である島津義久を討ち取る事ができれば、逆転満塁ホームランの大金星。
  その誘惑に、相良軍首脳部が勝てなかったのを誰が攻める事ができるだろうか。

「今ここで島津義久を討てば、全ての失策を帳消しにする事ができますぞ!」

 丸目長恵が出陣を主張する。
  実際、彼は珠姫に会っているだけにその危機感は強い。
  かの姫の剣は恐れる事は無いだろうが、あの姫は剣を持たない方が怖い。
  その方向に彼自身が諭しているだけに、現在の相良家のどうしようもない失態続きに焦っていたのだった。

「されば、こちらに向かっている阿蘇家の軍勢と合わせて……」

 深水長智が堅実な策を提案するが、丸目長恵はそれに対して首を横に振る。

「我等だけで手柄を取るべきです。
  阿蘇と手柄を山分けしたら、それまでの失態に対して弁明する事になりかねぬ」

 ちなみに、相良家の外交担当は本来は深水長智の方だったりする。
  彼が大友への支援要請の全てを取り仕切っていれば、珠姫の思考や意図、その構想から相良に何かするとは考えない事が分かっただろう。
  だが、鳥神尾の大敗から背後に当たる阿蘇家との交渉と支援を確実にする為に、彼は阿蘇家に出向いていた。
  だから、丸目長恵が何故焦っているのかが彼には理解できない。

「島津義久がこちらに出向いただけで、大友にとっては朗報だろう。
  そのまま動向を見張りつつ、久七峠を奪い返し、水俣を守りきれば何も問題は無い」

「それで、相良が秋月よろしく大友に潰されたらどうするつもりだ!」

「そもそも、大友が我等を潰すと何故考える?」

「ならば、尋ねろというのか!
  『失態続きのわれらの家を潰す考えがおありか』と!!」

 軍議の席でみの二将の意見対立が、そのまま主戦論と持久論に成り代わって真っ二つに割れる。
  それぞれに言い分があるだけに、まとめるべき相良義陽自身も迷いに迷って結論を先延ばしする始末。
  双方にしこりを残したままの散会となり、ただでさえ佐牟田常陸介が寝返った動揺が収まっていない中、この結論先延ばしは最悪の結果を導き出す。

「なんだと!」

「はっ。
  丸目長恵とその手勢が人吉を出て、大畑城に向かっております!!」

 丸目長恵の単独出撃にあわてる人吉城内。
  このまま見捨てる訳にもいかず、相良軍は否応無く全力で出撃せざるをえなかった。

「深水長智。
  後を頼む」

「はっ。
  甲斐殿にはそれがしから事の次第を伝えておきます故。
  御武運を」

 こうして、相良軍二千は自ら島津歳久の罠に飛び込んだ。
 

 
  相良軍、大畑城に到着。
  丸目長恵が無断出撃について詫びるが、それを相良義陽が許したのは、彼を粛清すると佐牟田常陸介離反から始まった国衆の動揺が致命的になると考えたからに過ぎない。
  半ば罰にも等しい先陣を丸目長恵に命じて、堀切峠(加久藤峠)に到着した相良軍が眼下に見下ろした島津軍の旗ははるかに多かった。いや、多すぎた。
  数千、下手したら万に届きかねないほどにはためく島津の『丸に十字』の旗を見下ろして相良義陽と丸目長恵は苦虫を潰したような顔で叫ばすにはいられなかった。

「しまった!
  偽旗に騙されたか!!」
 
  堀切峠の南に位置するはあの加久藤城。
  佐牟田常陸介が偽旗で逃げ帰ったあの木崎原のある真幸院である。
  明らかに多すぎる偽旗にそう考えてしまうのも無理はない。
  ときの声は聞こえてくるが、木崎原では農民が叫んでいた事は相良家でももう掴んでいる。
  では、ここにいるはずの島津軍は何処にいる?
  真幸院の隣は大口である。
  そして、大口からは島津が占拠した久七峠を経て人吉に繋がっている。
  とどめに、まだ阿蘇軍は人吉に到着していない。

「まずい!
  久七峠の手勢が人吉を突く!!
  急いで戻るぞ!!!」

 急進撃、急撤退で兵が消耗しない方がおかしい。
  大慌てで、撤退を開始する相良軍にときの声だけでなく銃撃が轟く。

「なんだと!?」

「堀切峠の関所が島津に攻撃を受けています!!」

 最初に正しい情報を与え、実際に見えるのは偽旗で膨らませた姿。
  ならば、必然的に騙された事を悟り、彼ら自身が勝手に彼らが取られたらまずい最悪の手を考え付くだろう。
  そして、撤退する所を偽旗の下に潜んでいた兵で急襲する。
  島津歳久会心の策だった。

「逃げるな!
  島津の兵は少ない!!
  押し戻せ!」

 峠の山頂という有利な地形なのに、相良軍は島津軍に押され続ける。
  謀られた事実と木崎原での島津軍の幻想が消耗しきった相良軍に心理的衝撃として伝わり、何よりも久七峠の島津軍に人吉を突かれる恐怖に相良軍は恐慌状態に陥いる。
  険しい山の中の峠で恐慌を起こした相良軍が、総崩れになるのに時間はかからなかった。

「ここはそれがしが殿を!
  はやく殿を落ち延びくだされ!!」

 島津の足軽を次々と切り倒して丸目長恵が叫ぶ。
  凄腕の剣豪といえども、銃弾飛び交う戦場で戦局が戻る訳も無いが、総崩れを防ぐ程度の活躍はしていた。

「すまぬ。後を頼む。
  引け!!」

 丸目長恵の手勢を残して相良軍が撤退する。
  だが、島津軍は殿となった丸目長恵の手勢に追撃をかけず、矢弾を放つのみで襲ってこない。
  その為になんとか丸目長恵とその手勢は生き残ったがその理由は大畑城で明らかになる。

「大畑城に島津軍が!」
「こっちに向かってくるぞ!!」
「やつら何処から現れたんだ!!!」

 実は大畑近辺で久七峠からの道と堀切峠の道が繋がっていたのだった。
  獣道程度だが、軍が通れない事も無い。
  そんな地の利を佐牟田常陸介とその手勢は持っていたし、大畑城は対島津の最前線だけあって、佐牟田の手勢も詰めていて顔見知りも多かった。
  そして、鳥神尾の大敗で主戦力を失っていた相良家では大友の支援で傭兵を大量に雇用していたが、彼らは基本的に勝ち馬に乗る。
  久七峠から来た島津軍は人吉ではなく最初から大畑を狙い、出できた相良軍を叩く作戦だったのである。
  堀切峠から逃れてきた相良軍にこの攻撃を支える力は残っていなかった。

「早くお逃げを!」

 必死に敵の攻撃を支える旗本の叫び声を、相良義陽はただ首を横に振って拒否した。
  ここで大敗し彼自身の首が取れたとしても、それはそれでよし。
  今までの大失態に自ら責任を取ったと言い訳するように深水長智に既に諭している。
  そして、ここに島津軍が来たという事は人吉を攻めない事を意味し、今から押し出したとしても盟友である甲斐宗運の手勢は人吉に入った後。
  肥後での大名としての地位は失うかもしれないが、少なくとも取り潰しだけはなくなったと、妙な安堵感と共に眼前に広がる修羅場を人事のように眺めていたのだった。

(たしかに、この戦は島津の勝ちだ。
  だが、人吉に家を残した我等の勝利ぞ……)

 相良義陽の首が飛んだ時、彼は床几に座ったまま笑っていたという。


大畑合戦

兵力
  相良軍   相良義陽・丸目長恵               二千
  島津軍   島津義久・島津以久・佐牟田常陸介  千数百

損害
  千(死者・負傷者・行方不明者含む)
  寡少(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
  相良義陽(相良軍)

 

 大畑合戦の後、島津軍は大畑城を捨てて久七峠と堀切峠に兵を戻す。
  総大将討死にという異常事態に混乱している相良家に、悠々と撤退する島津軍を追撃する事などできる訳が無かった。
  とりあえず、甲斐宗運と深水長智の協議の結果、相良義陽の弟である相良頼定が後を継いだが、その代償として水俣を含めた葦北の地全部を大友に献上する事に。

「何であんな最前線を貰わなきゃならないのよ……」

 と、壮絶に頭を抱え込んだ珠姫だが、過去の大失態など気にせず(というか、相良の考え過ぎなのだが)に相良頼定が後を継ぐ事を承認したのだった。
  なお、これらの処理の最中に勝手に突出し大敗の原因となった丸目長恵は領地没収の上相良家を退去し、剣聖上泉信綱の元に修行に行くのだがそれは別の話。
  肥後情勢の悪化に伴い、珠姫は即座に日向遠征軍の後詰としていた吉弘鑑理率いる日出鎮台三千を肥後に急派。
  現役加判衆を送り出す事で、肥後の動揺を押さえようと躍起になっていた。
  これらの手配を終えて、珠姫自身が率いる本陣がついに日向に出陣。
  負け続きの戦にけりをつけるべく、自ら日向に乗り込んできたのだった。
  それを島津歳久が狙っている事をあえて承知の上で。


 
  日向 美々津

「姫様の本陣が到着……なんだあれは?」
「毛利の水軍衆!?
  何でこんな所に……凄い数だ……」

 毛利水軍の船に翻る赤旗の杏葉――後に赤札杏葉と呼ばれる――を眺めながら、珠姫丸の上で珠姫は証文の束を海に投げ捨てる。
 
「本当は、あんたらの借金消したくないんだけど、なりふり構ってられなくなったから。
  期待しているわよ。
  鍋島信生」

 

 こうして、南九州全域で行われていたこの戦はついに佳境を迎える。





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