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大友の姫巫女

南海死闘編

第十五話 日向侵攻 高城川チキンラン 

「大友軍第二陣、美々津入場!」

 その声に、先に美々津にいた大友軍将兵に緊張が走る。
  それはそうだろう。
  大友軍における決戦戦力の中で最強を誇る戸次鑑連率いる軍勢が中核なのだから。
  規律正しく行軍し、精悍な顔つきの将兵と共に馬上から指揮するは、陣代として前線で指揮を取る戸次鑑連。
  その後ろに、由布惟信と小野鎮幸が馬を進めている。
  小金原合戦で大友軍勝利の原動力となった彼らが美々津に到着したという事は、大友軍がいよいよ本格的に南下する事を意味していた。 

「伊東が佐土原を捨てたというのはまことか?」

「まことだ。
  伊東義祐は一族を引き連れて飫肥に落ち延びた。
  飫肥は立花殿が後詰に入っており、ここで兵を整えて再度押し出すつもりらしい。
  で、島津はまだその佐土原に入城していない」

 第二陣到着後、早急に開かれた軍議の席で戸次鑑連が放った第一声に答えたのが、第一陣を取りまとめていた佐伯惟教である。
  ちなみに、この伊東家が佐土原放棄を決断していた時に、大友軍は何をしていたか?
  美々津近辺および日向北部の足場を固めるべく、美々津以北の城を落としていたのだった。
  先に日向に入っていた立花元鎮は島津の北進に動揺し、性急に軍を南に進め財府城を攻めようとしたが、その為にも背後にあたる日向三城を攻略する必要に迫られたのだった。
  これに成功し、豊後との連絡線を確保した大友軍は立花元鎮が珠姫の指示でそのまま飫肥に転進。
  後を佐伯惟教が引き継ぐこととなったが、佐伯惟教は塩見城開城後に逸る諸将を抑えてそのまま山側の山陰城の攻略に向かったのである。

「日向は、山を制した者が勝つ」

 立花元鎮よりはるかに日向の土地勘があり、日向国人衆にも知己が多い佐伯惟教はそう言って山陰城に兵を進めた。
  山陰城城主は米良重直といい、島津に寝返った米良矩重の分家筋に当たる家である。
  この事実だけでも、日向山岳部における米良一族の影響力がいかに強大であるかを示しており、大軍ゆえに海路を選択した珠姫の盲点でもあった日向山岳部の掌握を珠姫はそのまま追認した。
  同様に、祖母山系を源とする大神系一族の頂点である佐伯氏というネームバリューは日向山岳地帯でも絶大な影響力を持っており、山陰城の米良重直も降伏・開城。
  更にその奥にあたる星原城の奈須祐貞も降伏し、これによって山側から後方連絡線を遮断する動きを封じる事ができた大友軍は、安心して兵を南に向ける事がでるようになったのである。
  とはいえ、その間に伊東家の動揺は続き、多くの諸城が寝返った結果伊東義祐は佐土原城防衛は無理と判断。
  飫肥城に落ち延び、そこで兵を再編して島津軍を追い払うという方針に切り替えたのだった。
  その判断をしたのも、伊東家の崩壊を防ぎたい珠姫が海路で後詰を油津に送り込んだからなのだが。
  同時に、伊東義祐はこの時点で大友に従属する旨を伝えており、伊東家滅亡を前提に計画を立てていた珠姫にすれば戦略条件の激変に頭を抱えていた。
  もっとも、美々津以北を完全に掌握した事で、こうして戸次鑑連率いる第二陣が無事に到着したのだが、博多の商人連中の圧力でその後の派兵計画まで狂っている事はまだ美々津には届いていない。
  大兵にもかかわらず、それゆえに危険をきっちりと排除して足場を固めきった佐伯惟教もやはり名将だったのである。

「大兵には大兵の戦いがある。
  わざわざ寡兵の戦を選択する必要もあるまい。
  堅実に、穴無く兵を押せば、島津にはそれを受け止める兵もあるまいて。
  伊東が生きようが滅ぼうが、我等には関係ない」

 この場に珠姫がいれば頭を抱えそうな発言を佐伯惟教は言い切るが、前線指揮官の発言とすればまったくもって正しい。
  それだけで無く、珠姫あたりの立場をよく分かっているから次の言葉も出てくる。

「米良殿には須木城へ文を出すように頼んである。
  米良一族が島津に通じたのは伊東帰雲斎の横暴が原因。
  排除できるならば、島津はこのまま立ち枯れるだろうよ」

 この日向での戦が土地ではなく、人で決まる事を佐伯惟教はあっさりと言ってのけた。
  それを分かっていたからこそ、佐伯惟教は島津の佐土原放置にも、伊東帰雲斎に恨みを持つ落合兼朝が篭る財府城に手を出さなかったのである。
  伊東帰雲斎が排除できた時点で、落合兼朝も米良矩重も島津に通じる理由が無くなるのだった。
  それは珠姫も理解しており、伊東家従属の条件に『伊東帰雲斎の追放』と『伊東義祐の出家、隠居』をあげているのだが、そのあたりの交渉は飫肥にあがった立花元鎮に任せている。

「では、伊東帰雲斎が排除されるまで我等はここで待てばいいかな?」

 戸次鑑連が実に白々しく言ってのけるがこれは佐伯惟教への誘い水だった。
  大友家中でもっとも日向と伊東家に精通している佐伯惟教が、このまま珠姫に下駄を預けたままで戦を終わらせる訳も無い。
  彼女の諜略がかかりやすい下準備をする事も前線指揮官の勤めである。

「日向は、山を制した者が勝つ。
  これは、山手の城々が深く入り組んでいるので放置される事が多く、海手で攻め込んだ者が山手より後ろを突かれる事が多いからだ。
  財府城も同じで、ここを落とす前にこの山手の城を潰す必要がある」

 佐伯惟教は中央に置かれた地図の財府城より少し山側の城を指した。


地理説明

白 大友軍(伊東)
黒 島津軍
              ↑
              美々津 
    石の城(予定)
     凸
        高城 松山砦(予定)
        ▲  凸

           財部城
             ▲
     穂北城
      凸

 三納城
   凸  
            富田城
       都於郡城  凸
        ▲    
          佐土原城(放置)
           ▲


「高城。
  この城を落とす。
  とはいえ、この城は海側から攻めるのには少し骨が折れる。
  高城川と切原川に囲まれた高台にある城だ」

 城主は野村蔵人佐。
  島津に寝返った内山城主野村松綱の一族で、野村松綱の蜂起と同じくして伊東家に反旗を翻していた。
  財府城を攻めると、ここから側面を突かれる為に落とさねばならぬ城の一つである。

「姫様が聞いたら、『攻めるな』と言いたくなる城だな」

 朽網鑑康が茶化して諸将に笑いが広がる。
  木崎原合戦時の起請文『川を渡るな』と念を押した珠姫の逸話は、木崎原の伊東軍の壊滅と立花元鎮率いる一条派遣軍の帰還で畏怖の念を持たれて広がっていたのだった。
  そんな笑いが収まるのを見計らって、佐伯惟教は高城よりさらに上流の場所を指差す。

「今回、帰参した米良家・奈須家の手勢を使い、この城に付城を築く。
  場所はここだ」

 佐伯惟教の声に、何で財府進撃を遅らせてまで山岳部掌握を優先させたか皆が理解する。
  土地勘ある国人衆を抑える事で戦を有利に進めると同時に、彼らを一手に集めて別方面に動かしてしまえば寝返って背後を突かれる恐れも無い。
  佐伯惟教は美々津以北を完全に掌握し、美々津を揺るがない大友軍の拠点とする事に成功していたのだった。

「ここは石ノ城と言って、今は廃城同然だ。
  だが、高城川上流にあたり、ここを押さえる事で高城川が渡り易くなる。
  この城は裏手に道があり、それが此度帰順した奈須家の所領と繋がっている。
  兵糧および資材の手配をお願いしたい」

「わかった。
  それがしから姫様に頼んでおく。
  ちなみに、米良家・奈須家の手勢の軍監は誰にするつもりなのだ?」

 内政畑であり、今回の兵給にも関与していた志賀親守が佐伯惟教の要望を了解すると同時に、そこに誰を派遣するかを尋ねる。
  それも用意していたらしく、佐伯惟教はあっさりとその人物の名前を告げた。

「土持親成殿」

 ある意味当然の人選に諸将も納得する。
  衰えたりとはいえ、日向有数の名家で伊東家と度々争うだけの格を持つ家。
  土持親成自身も才豊かで、今回帰参した米良家・奈須家とも付き合いがある。
  任せるのならば、彼以上の適任も居ないだろう。

「よかろう。
  佐伯殿の案に乗ろう。
  それで、山手の付城を築くのならば、海手の付城は何処にするのだ?」

 提案を総大将として了承した戸次鑑連が佐伯惟教に続きを促す。
  それに佐伯惟教は高城近くの高台を指差した。

「海手側の攻め手はここに陣城を作る。
  この松山と呼ばれる高台に陣城を築いて高城を囲む」

 その説明に朽網鑑康が異を唱える。
  高城に攻勢正面を向けると、本来の目標である財府城への戦力が薄くなる懸念からである。

「落とすのではなく、囲むだけでいいのではないか?
  どうせ、財府城を落とす為に財府の渡しを越えるのだろう。
  この城が障害にならないだけで兵を先に進めるべきでは?」

 それに対して口を挟んだのは、美々津に残った島清興である。
  大友家中において新参者かつある種の部外者でもあるのだが、堂々とした立ち振る舞いがそれを指摘させない。

「財府から先なのだが、兵糧は美々津から荷駄で運ぶ以上、この高城川は完全に掌握しておきたい。
  同時に、高城を落とせば、穂北城経由で都於郡城に迫れる」

 都於郡城というのは、先に病で亡くなった伊東義益の城で、伊東家の城の中でも別格の本城扱いの城だった。
  この城と佐土原城が伊東家の中核と位置付けられている以上、無視する訳にもいかない。
  なお、佐土原の伊東家退去と同じくしてこの城も島津軍に開城している。
 
「当の島津は今、何処にいる?」

 その質問を発したのは柴田礼能。
  槍の名手でかつ怪力であった事から南蛮人から「大友のヘラクレス」と呼ばれる剛の者である。
  その問いに日向国国人である三田井親武がすっと地図のある場所を指した。

「忍びの者によると穂北城に向かっているとか。
  穂北城主壱岐加賀守と三納城主飯田祐恵はまだ伊東側だが、島津は三納城には目もくれずに穂北城を囲んでいるとか。
  やつらも高城を目指していると見える」

 その報告を聞いて一堂黙り込む。
  状況が混沌としている中で、彼ら島津軍の突出を訝しがっているのだった。

「何であいつら一ツ瀬川を渡るんだ?
  三納城を落として、一ツ瀬川沿いに陣を築けば守りやすいだろうに?」

 小野鎮幸が首を傾げる。
  日向南部の薩摩側は島津の脅威を感じていたのから雪崩を打って寝返っていったが、都於郡城より北の三納城・穂北城・富田城の三城は反島津の姿勢を崩していなかった。
  木先原合戦で縁者を討ち取られた恨みもあるが、何よりも美々津に大友軍が陣取っているのが大きい。
  島津側についた財部城と高城が抜ければ、大友軍は佐土原城に後詰が送れたし、伊東義祐の飫肥退去という事態も無かっただろう。
  もっとも、この三城の城主にとって滑稽なのは、大友も伊東家を救う気はないという所なのだが。

「一つ気になる報告がある。
  島津の奴等、落とした城から兵糧を全て持ち出しているらしい」

 由布惟信の報告に諸将が更に首を傾げる。
  兵糧の持ち出しと言えば聞こえがいいが、やっているのは乱捕り(略奪)であり、そんな事をすれば間違いなくその土地の民衆は離反する。
  にも拘らず、島津軍は強引に北進を続けている。
  この理由は何だ?


「誘っているらしいな。
  我等を」


  低く呟かれた声の主を諸将が目で追うと、あっさりと島津の意図を見破った戸次鑑連が笑っていた。

「どういう理由かは知らぬが、島津のやつらは我等に勝つ策があるらしい。
  考えられるに、高城か財府城の後詰か、穂北城を囲む振りをして後詰にくる我等と当たるつもりか。
  そのどちらかだろうよ」

「では、その誘いに乗るか?」

 佐伯惟教の声に戸次鑑連は首を横に振った。

「佐伯殿が足場を固めたお陰で、美々津より北は心配する必要は無い。
  ならば、島津の選択肢は二つしかない。
  戦うか、逃げるかだ」

 重く響く戸次鑑連の声に、諸将は雷神と呼ばれし大友の宿将の凄みを感じる。
  状況を単純化して、それを理解させるのは誰にでもできることではない。

「此度の戦は、日向を得る事が肝要。
  ならば、今は島津という蝿を潰すより追い払うのみで構わぬ。
  まず高城を落とし、財府城に諜略をしかけよ」

 自分の立場を良く分かっている戸次鑑連この軍議を冗談にて終わらせた。
  それがある種の自虐に聞こえるのは、既に自分の知る戦とは違うと彼自身が知っていたからに他ならないのだが。

「そこから先は、姫様の戦よ」

 と。

 


  美々津で戸次鑑連が島津軍の行動を看破してみせた頃、島津義弘は高城を目指し穂北城を囲んでいた。
 
「山田有信。
  そなたにはつらい任務を頼まねばならぬ」

「なんの!
  これぞ家の誉れ。
  はっきりと言ってくだされ。
  高城にて死ねと!!」

 島津義弘の悲痛な顔に、山田有信は笑ってその命を受けた。
  かつて、薩摩・大隈・日向の太守だった事もあって、島津家はそれなりに日向の土地勘を持っていた。
  同時に、雪崩をうって寝返った伊東家の諸城からの情報もしっかりと集めて、高城の重要性を看破していたのである。
  高城が落ちない限り、大友軍は大兵で高城川を渡れない。
  それが分かっていたからこそ、島津軍も強引な北上を続けていたのだった。
  できる事なら、全軍を持って高城に向かいたかったが、三納城と穂北城が靡かない以上危険を犯すわけにはいかなかった。
  彼が率いる兵は日向方面に島津が回せる全ての兵力なのだから。
  とはいえ、高城に島津の旗を立てたい。
  結果として、穂北城を囲んで城兵が打って出る事を防いで、少数の兵を高城に派遣する事しかできなかったのである。
  その数たったの五十人。
  一騎当千の兵とはいえ、二万の兵に囲まれかねない高城に送るにはあまりにもすくない兵である。

「で、それがしは何時死ねばよろしいか?」

「できるだけ遅く。
  我等が退くだけの時を稼いでほしい」

 既に大筒の運用を始めている大友軍に対してそれがどれほど無謀な命令であるか、島津義弘はいやというほど分かっていた。
  大友軍が損害を省みずに強攻すれば、一日持つかどうかと島津義弘は判断していたのだから。
  それを知らぬ山田有信ではない。
  己を含めて将兵を死地に送る命を受けた者として当然の質問をあえて山田有信は問いかけた。

「一つだけお聞かせくだされ。
  それがしの死が島津の勝利に繋がるのでしょうか?」

 島津義弘はただ頷いただけだったが、それで十分だった。
  島津義弘の顔は揺らいでいない。
  島津義弘は島津の勝利のために、山田有信とその手勢を死地に送り込むのだと。
  
「ではこれにて。
  殿の勝利、三途の川より見守らせていただきまする」

 山田有信と入れ違いに島津家久で陣中に入る。
  兄が何を命じたのか察したが、それを言う感傷も時間も今の家久は持ち合わせていなかった。

「兵糧を全てかき集めて送っている。
  事を終えるのに急いで三日という所か」

 大友軍が急進するなら、都於郡城や佐土原城まで届く日数である。
  山田有信には最低でもそれだけの時を稼いで貰わねばならなかった。
  彼がそれだけの時を稼ぐ事を信じて、島津義弘は弟である家久にその命を告げた。

「夜陰に紛れて、兵を退くぞ。
  大友を、珠姫を蟻地獄に誘い込む」

 穂北城より分派した山田有信の手勢は、寡兵ゆえに大友軍より先に高城入場を果たす。
  篭城準備をしていた野村蔵人佐は、この寡兵を城門前まで出迎えるという厚遇にて出迎えた。
  篭城側にとって少ないとはいえ援軍の存在は、指揮を高める上で影響が大きかったからである。
  海手側より大友軍先陣が高城に迫った時、高城にはためく島津の「丸に十字」の旗に大友軍は進撃を停止。
  同時に、島津軍が後退する報告が届いて、予定通りに石の城および松山に付城を築いて長期戦の構えを取ったのである。

 結果、高城は攻められる事も無く、一週間という時を稼ぎ出したのだった。

 

 その報告は山田有信が高城に篭って一週間、大友軍がこれから高城を攻める時に飛び込んできた。

「相良軍が肥後国大畑にて島津義久率いる島津軍と戦い大敗。
  相良軍総崩れ。相良義陽討死」

 の急報が。


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