戻る 目次 

大友の姫巫女

南海死闘編

第十四話 日向侵攻 新田肩衝と大兵の誤算

 珠です。
  四郎とつかの間のわっふるを楽しんで府内に帰ってきたら……

「姫様。この戦そろそろ終わりにしてくれませぬか?」

 島井宗室が大名物を手土産に土下座をしていました。
  何事?

「博多商人の間で動揺が広がっているのです。
  弱りきった伊東ならまだしも、島津を相手とすると九州大乱になりかねぬと。
  そうなれば、商売にどのような影響が出るか」

 あー、そう来たか。
  戦争ってのは、戦闘だけ考えるものではない。
  あくまで政治の一手段なのだ。
  日向・薩摩・大隈にまたがる大乱が大友側勝利に終わっても、こんどはその復興が責任としてのしかかる。
  それは、かなりの銭と人的資源を注ぎ込まねばならない一大事業となる訳で。

「姫様の商いに、薩摩大隈はいらぬでしょう。
  ならば、そこは捨てても構わぬではございませぬか。
  呂宋や台湾、南蛮の商いに支障が出かねませぬ」

 何かひっかかる言い方よねと思いながら、土産の箱をぱかりとあけて……
  ちょ!おま!?

 

 新田肩衝きたこれ!!!

 

「これ、どっから手に入れたのよ?」

「まぁ、色々とございまして」

 さすがに顔色を変えた私に島井宗室がニヤリと笑う。
  話を聞くと、三好政長(宗三)が持っていたこれは彼が摂津中島江口の戦いで戦死した後、息子である三好政康が持っていたらしい。
  で、三好政康が織田信長から追われて野田・福島で兵を上げた時の銭の担保がこれだったとか。
  そりゃ、これ一つで数千の兵を作るだけの銭の担保になるわな。
  その後の三好家は四国で長宗我部の侵攻に追われる日々で、とうてい借りた銭を支払える訳もなく。
  そこに目をつけた島井宗室が大金を目の前に積んで分捕ってきたと。

「経緯はわかったけど、なんで私なのよ。
  父上にあげればそりゃ狂喜するでしょうに?」

 その問いを待っていたかのように、島井宗室がとってもいい笑顔で笑う。
  こういう時のいい笑顔の事を世間一般では『悪魔の笑み』という。

「この事をお父上にお伝えすれば、お父上がどう動くか姫様もご存知で。
  それをせずに、こうしてお願いにあがる我等の窮状を考えていただければと」

 これ、世間一般では脅迫っていわね?
  私が言う事聞かなかったら、『新田肩衝渡してお願いしたのに言う事聞いてくれない』とちくるんだろうな。
  珠姫特融打ち切ってやろうかしら。
  ん?

「こんな事するって事は、何かあったわね。
  言いなさい」

 そうなのだ。
  現状、私の一存でどうとでも首を取り替えれる商人がここまでするというのは、何かあったはずなのだ。
  それも、私をこんな小細工で脅さないといけないぐらいに。

「さすが姫様には隠し事ができませぬな。
  神屋貞清が南蛮船を門司と堺の航路で運用しだしているのですよ」

 はい?
  どこから持ってきた?その南蛮船?
  私の疑念が顔に出ていたらしく、島井宗室がそのからくりを口にした。

「毛利が造り出した南蛮船を用いて」


  あ!?

 ああ……

 あの腐れアンパンっ!
  人のドル箱に手ぇ突っ込みやがって!!!!」

「姫様。
  その腐れあんぱんやどる箱とは何で?」

「こっちの話よ!
  気にしない事!!」

 途中から心の叫びがだだ漏れだったらしいが、そんなことは今はどうでもいい。
  そーいえば、すっかり忘れていた。
  毛利も南蛮船の建造を始めたんだった。私の支援で。
  けど、毛利も今浦上戦をやっているはずだったと思って、即座にその理由に気づいて苦笑する。
  毛利が掌握している瀬戸内水軍は、南蛮船を使わなくてもいいぐらいの規模と船数だった。
  たとえば、木津川海戦で毛利がかき集めた七百隻の船というのは、兵にして五千程度の兵給を維持する事ができる。
  実際、史実の播磨戦で五千の兵を上陸させて、黒田官兵衛の率いる五百の兵に返り討ちにあっていたりする。
  ……なにやってんだよ。毛利軍は……
  それはさておき。
  響灘海戦で打撃を受けたとはいえ、その全ての船が沈められた訳でもなく、南蛮船への置き換えも進んではいないが、現在備前の宇喜多直家相手に対峙している現状なら南蛮船の活躍は必要ない。
  主戦線の美作は高田城が吉川元春によって落城し、現在岩屋城で浦上と毛利がにらみ合っている状況である。
  小早川隆景が宇喜多直家を牽制しているから、浦上軍は全力で吉川元春率いる毛利軍に当たれず、戦そのものは毛利優位に進んでいるらしい。
  浦上の後詰を行いたい織田家は、播磨上月城に羽柴秀吉・松永久秀を送り込んで攻略を目指したが、先ごろ兵を返したという報告が届いている。
  浦上が長くないと悟ったからか、宇喜多が寝返ると確信したからかあるいはその両方か。
  どっちにしろ、毛利が対浦上戦で順調に戦を進めているのは間違いがない。
  で、話を南蛮船に戻すのだが、現在毛利は呉に作った造船所で三隻ほど南蛮船を持っていたりする。
  そして、私が島井宗室に南蛮船をレンタルしたように、神屋貞清が毛利にレンタルをお願いしたのだろう。
  毛利輝元は無能ではないのだろうが、天然というか空気読めない所があるからなぁ。
  神屋貞清のお願いをさして考えずにほいほい許可しそうだから怖い。

「しかし、それでも腑に落ちないわね。
  あの輝元が許可を出したのはわかるけど、商人側からの要望だけで動くとも思えないし。
  誰か武家側でこれを押した人間がいるんでしょうけど、それは誰かわかる?」

 それを聞いた島井宗室の顔が実に言いにくそうに歪む。

「実は……神屋殿が接触していたのは、立花様の御正室にて……」

 あー納得。
  というか、あのちっぱいは後で泣かす。
  瀬戸内水軍にコネがあって、神屋貞清が接触できて、私が激怒した場合に宥める事ができる四郎に接触できる人物。
  見事だ。

「そこまで調べているんだから、どう接触したかも分かっているんでしょうが。
  全部吐いてしまいなさいよ」

 私の投げやりな言葉に、島井宗室も苦笑しつつからくりをばらす。

「はっ。
  実は、この日向戦に大友の南蛮船が総動員されるのはご存知かと思われますが」

 ご存知も何もその手配したの私じゃん。
  レンタルの条件である戦時使用という事で、全運行スケジュールを白紙にして、違約金まで支払い、代替船の手配までしたのに何が問題かと。
  なんて突っ込みは心の中でしつつ黙って話を聞くと、話がとんでもない方向に。

「皆、南蛮船の便利さに慣れてしまい……」

 あ、そういう事か。
  人間便利なものを知るとそれ以前に戻るのはなかなか無理がある。
  ただでさえ、門司-堺間に投入していた南蛮船は最速かつ大容量だからドル箱と化した訳で。

「博多の商人が困っておる。
  姫の戦ゆえ手出しはすまいが、そちらが持つ南蛮船でなんとかできぬか?」

 と、親元(鶴姫の親は村上水軍)に泣きついたんだろうな。
  で、水軍側も渡りに船と。
  何しろ、ライバルの大友南蛮船が休業しているのだから。
  ああ、腹が立つが私の自業自得でもある。
  そこまで見えた私が盛大にため息をつくと、島井宗室が盛大にぶっちゃける。

「姫様が銭を貸し出した後、博多では合従連衡が進んでおり、多くの商家が大店化しつつあります。
  その結果、『大友寄り』でも『毛利寄り』でもない商家ができつつあり、私や神屋殿が脅威を感じているのですよ」

 これも自業自得なのだが、珠姫特融の結果、多くの商家に債権を持つ事になった私は図らずも所有と経営の分離を促す結果になっていたのだった。
  金というのは小銭をちまちま集めるより、大金を運用したほうがリターンがでかい性質を持つ。
  なまじ、私あての債務を皆が持ってしまったがために、

『返済するのならまとめた方がよくね?
  債務が大きくなったら潰しにくいだろうし』

 どこぞの不良債権処理でえらく聞こえてきたフレーズだが、理にはかなっている。
  そして、私が提唱した保険というシステムに彼らは目をつけたのだった。
  各人が名を連ねる座を作り、そこで銭を出し合って船を出し、その銭の配分に合わせて分け前を得るというシステムを商売にも使えないかと。
  株式会社の誕生である。
  こっちでは『○○座屋』と名乗っているみたいだが、やっている事は株式会社まんまである。
  売買自由な証文経済と保険システムがめぐりめぐって株式会社に繋がるとは、経営史もびっくりである。
  で、そこまで話が進んでいるならこっちはその方向だけを示してやればあとは勝手に育つだろうと、たかをくくっていたのだがこんな形で繋がるとは。
  なるほど。
  新田肩衝持って島井宗室が陳情に来る訳だ。

「私や神屋殿は大友や毛利にまだ顔が利きます。
  ですが、この座屋が流行れば、私や神屋殿を超える商家が出で来るでしょう。
  そうなる前に神屋殿は手を打ったのでしょうし、それがしも打ちたいと思っております。
  薩摩・大隈程度の上がりならば、我等の船で稼ぎ出してごらんにいれましょう。
  ですから、姫様。
  何とぞ此度の戦を御広げになってくださいますな……」

 島井宗室の嘆願に私は盛大にため息をついてみせたのだった。

 


「姫様!
  南蛮船を四隻にするって正気か!!」

 府内城の一室。
  今回の日向戦の兵給を一括管理しているその部屋で、朝倉一玄が悲鳴のような質問を私にぶつけるが、私の声は冷酷だった。

「南蛮船七隻のうち、三隻は門司と堺の航路に戻すわ。
  代わりに、本陣と後詰の出陣は延期。
  四郎の手勢を南蛮船で油津に上げるから、美々津への荷駄は南蛮船三隻で行います」

 これでも、島井宗室の嘆願を受け取った私のぎりぎりの妥協点なのだ。
  門司-堺航路への三隻投入というのは、門司と堺の両方に必ず大友の南蛮船がいる体制である。
  定期性を考えたら、これで毛利南蛮船と互角に戦えるはすである。
  南蛮船使用の変更について即座にそろばんをはじいていた大谷吉房が、その惨状に青ざめて手を額に当てているが見ないふりをする。
  ただでさえ、対島津戦を想定して意図的に豊後南部のインフラ整備を後回しにしていたつけがここに出ている。
  荷駄は細い山道連なる日向街道をのろのろ進み、南蛮船以外の船ではとうてい侵攻軍全体の兵給が維持できない。
  これで略奪OKにすれば少しは変わるかといえば、現在の占領地である日向北部は山ばかりでそもそも略奪する物がない。
  今回の荷駄を実質的に統括する田原親賢が真顔で私に尋ねる。

「理由を話して頂けるのでしょうな?」

「商人どもの要望よ。
  今、ここで南蛮船を取り上げると府内が寂れるって」

 この理由は真実ではないのだが、一番的を得ているように聞こえるので私はこう答えた。
  何しろ、交易路の概念や、株式会社化による商人の肥大あたりを話して理解できるとは思えないし。

「今回の戦はあくまで伊東家を滅ぼすのが目的なのに、すでに伊東家の所領の過半が島津家が握っているでしょ。
  そのまま島津を潰す戦をやって欲しくないってさ。
  まぁ、木崎原の完勝を知っていれば、みんなそう言うわよねぇ」

 情報というものは常に正しく流れているわけではない。
  木崎原での島津の勝利は島津の損害を覆い隠す、『二十倍もの敵を退けた無敵島津軍!』なる幻想を持って九州はおろか西国に広がっているのだった。
  私があくまで伊東家に焦点を絞ったのはこれが理由である。
  日向に限定し、その中で問題となる真幸院の扱いで対島津戦開戦を目論んでいただけに、伊東家の予想以上に速い崩壊と島津の急進撃にロジックエラーが点りだしているのだった。
  何しろ、『伊東家を滅ぼす戦』なのに、油津に四郎を上げて飫肥城近辺を守備させるという矛盾が。が。
  まぁ、いざとなれば四郎にはまた一条の旗をつけてもらえばいいとして。
 
「延岡鎮台、大野鎮台、臼杵鎮台は予定通りで?」

 田原親賢の問いに私は首を縦にふった。

「ええ。
  第二陣(小野鎮幸率いる久留米鎮台も)まではきっちりと美々津に送り出す。
  先陣が率いているのが、延岡鎮台と一条派遣軍の残りで二千五百。
  四郎が油津に持っていった千と、傭兵連中で契約が終わって帰る千は省くわ。
  第二陣は想定どおりだから七千。
  一応これでも無理なく戦えるはずよ」

 問題はこの九千五百で島津を打倒できるかである。
  島津戦を開戦した場合、島津義久が土下座するか、鹿児島まで攻め上がるかしないと戦そのものが終わらない。
  最悪、朝廷講和の可能性も視野に入れておいた方がいいのかもしれない。

「お尋ねしますが、此度の戦、姫様は日向に出る事はなくなったので?」

 大谷吉房の質問に私は今度は首を横にふった。

「ここで私が出陣をやめたら『臆病者』って豊後国人衆に罵られるわよ。
  伊東家と戦うにせよ、島津家と戦うにせよ美々津には出ます」  

 これだけ大規模な仕掛けを作った以上、修正や変更はあれども中止だけはありえない。
  それは、私が次期後継者から外れる事になりかねないし、大友家臣団の内部分裂に繋がりかねないからだ。

「なんとしても高城川までは押さえるわよ。
  そこから先は……」

 そう言いかけて、言葉がとまった私を皆が見ているが、すでに気にする余裕がない。
  戦うのか?
  島津軍と耳川主戦場で?

 


追伸 その一
  全部終わった後で、鶴姫は宣言どおりゲンコツグリグリ攻撃にて泣かした。
  やらかした理由は案の上、
「わらわいい事したであろ?」
  という善意だった。


追伸 その二
  毛利宛にドスの効いたお手紙『何、人のシマに手出しているのかしら?ワレ』と書いて送ったら、輝元のチートじじい譲りの長文謝罪文がやってきた。
  それでも毛利側は南蛮船の運航を止めなかったあたり、やっぱりあれもチートじじいの血は流れているんだなぁ。

 


作者より一言。
  新田肩衝が大友宗麟の手に渡った経緯については、はっきりしていない所があるのでこっちで創作しています。


 


戻る 目次