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大友の姫巫女

南海死闘編

第八話 木崎原合戦 後編 

元亀元年(1570年)5月4日

 まず、最初に言っておく。
  この合戦における伊東軍は精鋭であり、決して油断している訳ではなかった。
  なぜならば、伊東軍の侵攻路からそれが分かるのである。
  加久藤城へ攻撃をしかけるには、川内川を渡らないといけない。
  しかも、夜襲を企んでいた事から深夜の渡河という暴挙を無事に行っている。
  講談などで語られる川中島合戦などで、

「鞭聲肅肅(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る」

 なんて事が、暴れ川として名高く鳥神尾合戦で大量の伊東兵を溺死させた川内川でできる訳も無く。
  明々と松明をつけて、互いに大声で安否を確かめ、縄を辿りながら渡河してみせたのである。
  さて、ここで不思議に思う事はないだろうか?
  夜半にそんな派手な渡河をかましたら普通気づくだろうと。
  当然の疑問だが、これに伊東軍が出した回答は、
  離れた池島川を渡って迂回して、川内川を渡る。
  という、珠姫が聞いたら、

「馬鹿か!あんたら!!!」

 と、叫ぶ事必死の暴挙で渡河して見せたのである。
  そう。
  この暴挙を伊東軍はさしたる損害なしで達成して見せたのだ。
  これこそ、この伊東軍が精鋭である証拠である。
  事前準備を整え、できうる限り策を張り、精鋭の大軍で奇襲する。
  くどいようだが、あえて言わせてもらう。

 伊東軍は、精鋭であり油断も奢りも無く、この合戦に挑んだのである。

 


  ただ一つ、最初の前提が全て間違っていた以外は。

 


  地理説明

                  飯野城
  ③                 凸  
  ↓               ←A
    加久藤城       ■■■■■■■川内川
     凸     ■■■■■
        ■■■■
     ① ■■
■■■■■■■  木崎原    伊東軍侵攻路
     ↑ ■■■       ↓▲鳥越城跡←←←←←三ツ山城
     ↑   ■■■■■■
     ②←←←←←←←←■■■■■■■■池島川

 


伊東軍
   鳥越城跡 本陣 伊東祐安     千
①         先陣 伊東祐信     千 
②         後詰 伊東祐次     千

  相良軍     佐牟田常陸介   五百

  合計                      三千五百


島津軍
A         島津忠平(義弘)     二百五十

  合計                     二百五十

 


「かかれぇ!!!」

 先陣大将である伊東祐信の声と共に伊東軍は加久藤城に攻めかかった。
  明け方のもっとも闇が濃くなる時間を選んでの総攻撃だったが、この攻撃に対して寡兵しかいない加久藤城兵は矢弾にて答えた。
  まぁ、川内川渡河の時点で赤々と松明を焚いているのだから、気づかない方がおかしい。
  とはいえ、この急襲に近隣の城からの後詰が間に合う筈がない。
  ましてや、伊東軍は加久藤城の元女中から搦め手である鑰掛口から攻撃しているのだから、陥落は間近だろうと楽観視していたのである。
  だが、加久藤城は落ちないどころか、城内に進入する事すらできない。
  それもそのはずで、そもそも鑰掛口の名前の由来が、「鑰(鉤)掛うど」と呼ばれて鉤を掛けて登らなくては通れないというほどの絶壁だったのである。
  おまけに、夜の暗さと若い不慣れな将兵の勘違いで、鑰掛の登り口にある樺山浄慶の屋敷を間違って攻撃して時間を食う始末。
  樺山浄慶父子3人を討ち取って勘違いを悟り、そんな難所だと知らない伊東軍は必死に細い道をがむしゃらに進み、島津軍の弓鉄砲に撃ち取られてゆく。
  鑰掛口での攻防が終わったのは、夜明け直後。
  伊東軍に朝日に照らされた加久藤城の絶壁が、伊東軍将兵の目に露になった瞬間だった。

「……謀られた」

 伊東祐信の呆然とする呟きを耳にする者はいなかった。
  真幸院全体に轟くときの声と、無数にはためく島津家の丸に十の字の旗に誰もが呆然と、そして愕然とした後で叫んでしまったからである。

「島津の大軍に囲まれたぞ!!」

 と。
  その旗の下に兵がいるかどうかなど、考える者は誰もいなかった。


  地理説明

  
  ↑                飯野城
  ③       △         凸  
   △             
    加久藤城    A  ■■■■■■■川内川
     凸  △  ■■■■■
     B △■■■■E       △
C→  ↓ ■■↓←F
■■■■①■■↓         △
       ■■■↓   ▲鳥越城跡
D→  ②   ■↓■■■■
          ←   ■■■■■■■■池島川

     △
     白鳥山         △


伊東軍
   鳥越城跡 本陣 伊東祐安     千
①         先陣 伊東祐信     九百数十 
②         後詰 伊東祐次     千

③ 相良軍(逃亡中)佐牟田常陸介   五百

  合計                      三千四百数十


島津軍
A         島津忠平(義弘) 百五十
B         川上忠智     数十
C         新納忠元     五百
D         島津家久     千
E         鎌田政年     五十
F         五代友喜     五十

△         虚旗
   合計               千八百

 

「引け!
  鳥越城の本陣と合流するぞ!!」

 伊東祐信が兵を戻そうとするが、後ろは暴れ川として名高く、鳥神尾で伊東軍将兵を飲み込んだ川内川である。
  そして、伊東軍先陣は城攻めに疲れ、将兵ともに動揺していた。
  そんな好機を島津軍が見逃すはずが無かった。

「加久藤城から兵が打って出てきます!」

 川上忠智が数十人しかいない手勢をまとめて打って出て、伊東軍を蹴散らしてゆく。
  だが、所詮数十対千ではせいぜい混乱させるだけしかできない。 

「先に、加久藤の城兵を叩くぞ!
  渡る際に、鎧を脱ぎ捨てよ!
  さもなくば、川内川に飲み込まれるぞ!!」

 殿を買って出た伊東祐信とその手勢が、加久藤城兵に向かって突貫する。
  たとえ乱れたとはいえ、数は圧倒的に伊東軍の方が多く、寡勢の島津軍は蹴散らされて加久藤城に戻ってゆく。

「深追いはするな!
  我らも川を渡って、後詰と合流するぞ!!」

 鎧を、中には刀槍すら捨てて、伊東軍は川内川を渡河する。
  その思い切りのよさが、伊東軍先陣の命を救った。
  だが、川内川を渡った伊東軍が見たものは、白鳥山にはためく島津軍の旗。
  鐘や銅鑼を鳴らした手勢が山を下ってこようとする姿だった。

「大口からも島津勢が!
  丸に鍵十字の旗印、新納忠元です!!!」

「白鳥山にも敵勢が!
  奴ら何処からやってきたんだ!!」

 大口からの速すぎる後詰には訳があった。
  伊東軍の行動を島津の間者集団である山潜衆が常時監視をしており、早い段階で後詰に動いたからである。
  とはいえ、島津軍とて万全の体制で臨んだわけではない。
  特に大口方面で焼き働きをするはずだった相良軍の参加は想定外で、彼らが擬兵に驚いて撤退するまでその監視と牽制をせざるを得なかったからである。
  その結果、新納忠元率いる島津軍の参加が少し遅れたと同時に、三ツ山城の監視を外さなければならず、三ツ山城に残っている一条軍三千の動向が不明になる。
  これらの誤算を島津義弘は理解しており、独力での伊東軍撃破に動く。
  手勢三百の内、五十を飯野城の守備に残し、更に鎌田政年率いる五十を木崎原に潜ませ、もう一つ五代友喜率いる五十を敵中突破させて白鳥山背後に進ませたのだ。
  特に五代隊の敵中突破は、地の利と伊東軍の混乱、五十という少数によって助けられて無事に白鳥山までたどり着く。 
  だが、そんな事を伊東軍が知る訳がない。
  そして、鎧を捨ててなんとか脱出に成功していた伊東祐信の先陣が役に立つとも思えなかったのである。

「ここはそれがしが支えるゆえ、はやく本陣と合流を!
  我らはここで島津勢を迎え撃つ!」

 後詰が対岸に布陣していたのは、先陣の退路確保の為であり、伊東祐次にとっては想定の範囲内ではあった。
  この周囲に満ちる島津の大軍に囲まれているという事以外は。
  そして、自分達が本陣と合流できないだろうと既に悟っていた。

「かたじけない!
  本陣まで駆けるぞ!!」

 伊東祐信とて、伊東祐次とこれが今生の別れになる事は理解していたが、名残を惜しむ時間すら残されてはいない。
  馬を池島川に乗り入れさせて悪態をつく。

「相良と一条の連中は何をやっている!!」

 彼らは知らない。
  相良軍が虚旗に驚いて撤退している事を。
  一条軍が合戦前に島津軍の罠を見切った事を。
  一方、鳥越城の伊東軍本陣も事態を把握し、先陣が窮地に陥っている事を理解していた。
  そして、必死に逃げ出そうとしている伊東軍先陣を助けるために、鳥越城から出陣せざるを得なかったのである。

 その瞬間を島津義弘は待っていた。

 川内川と池島川の合流地点にある木崎原に伊東軍先陣と本陣が合流したその時、島津義弘率いる百五十の兵が突撃する。
  朝から昼に太陽が移ろうとしていた初夏の陽気など吹き飛ばす殺戮の宴は、まさに佳境を迎えようとしていた。

 

 地理説明

  
                   飯野城
          △         凸  
   △             
    加久藤城       ■■■■■■■川内川
     凸 C△  ■■■■■
       △■■■■        △
       ■■ A E
■■■■■■■  ④         △
      B■■■    ▲鳥越城跡
     D②  ■■■■■■
      F       ■■■■■■■■池島川

     △
     白鳥山         △


伊東軍
④      本陣 伊東祐安・祐信  二千
②      後詰 伊東祐次      数百

  合計                     二千数百


島津軍
A         島津忠平(義弘) 百五十
B         川上忠智     数十
C         新納忠元     五百
D         島津家久     千
E         鎌田政年     五十
F         五代友喜     五十

△         虚旗
   合計               千八百

 

「島津軍が川内川を渡って突っ込んできます!」

「敵は寡兵ぞ!
  押し返せ!!」

 島津軍百五十の突撃を、伊東軍は先陣と合流した二千の兵で押し返す。
  いくら先陣が使えないとはいえ、本陣の兵だけでも押し返せると総大将の伊東祐安は考え、事実島津軍の突撃は伊東軍に阻まれてじりじりと後退しつつあった。
  そんな島津軍の先頭にて島津義弘は獅子奮迅の働きで伊東軍と戦っていたが、じりじりと伊東兵の波に押しつぶされようとしていた。

「ここは我らが支えるのでお引きくだされ!!」

 この時、殿を引き受けたのは、遠矢下総・久留半五左衛門・野田越中坊・鎌田大炊助・曾木播磨・富永刑部の六人。
  彼ら六人が敵陣に斬り入り、討ち死にするわずかの時間が島津義弘と島津軍を救った。

「引け!
  一旦体制を立て直すぞ!!」

 島津軍は川内川を渡り、飯野城に逃げるそぶりを見せる。
  対岸を見ると、伊東祐次の後詰が島津家久率いる島津軍によって包囲殲滅されようとしていた。
  ここで、島津義弘率いる島津軍を叩き潰してしまわないと、背後を突かれる恐れがあった。
  
「追え!
  島津忠平(義弘)の首を取れ!!」

 伊東祐安の命で伊東軍二千が島津軍を追って川内川を渡る。

「御大将!!
  後詰は……」

 その命に意を唱えようとする伊東祐信の言葉を伊東祐安は叫んで黙らせる。
  後詰の大将で、今まさに包囲殲滅されつつある伊東祐次は伊東祐安の息子だった。

「言うな!!!
  源四郎(伊東祐次)を助けて戦に負けたとあったら、源四郎にしかられるわ!
  敵の大将、島津忠平(義弘)を討って仇をとる!」

 そして、川内川を渡り終えた伊東軍に新納忠元率いる五百が横から殴りつけ、背後から鎌田政年の五十が時を同じく襲い掛かる。
  ちょうど、息子伊東祐次が討ち取られたその瞬間に、伊東祐信もまた島津の包囲網に捕らわれたのである。

 

 地理説明

  
                   飯野城
          △         凸  
   △             
    加久藤城       ■■■■■■■川内川
     凸  △ A■■■■■
       △■■④■        △八幡丘 
       ■■ E         ⑤
■■■■■■■↓  鳥越城跡   △横尾山    
       ■■■↓→→→▲↓
         D■■■■■■→→→→→→伊東軍退路
              ■■■■■■■■池島川

     △
     白鳥山         △


伊東軍
④         伊東祐安         千数百
⑤     一条軍 立花元鎮      二千

  合計                      三千数百


島津軍
A    島津忠平(義弘)・新納忠元     五百
D    島津家久・川上忠智・五代友喜 数百     
E         鎌田政年             五十
△         虚旗
   合計                        千数百

 


  伊東軍は大混乱に陥っていた。

「敵が!
  囲まれたぞ!!」

「足が……
  お、おぼれ……」

 足元は川内川。
  その渡河中の包囲である。
  次々と兵は足を取られて川内川に引きずり込まれてゆく。

「引け!
  鳥越城まで退け!!」

「負けじゃ!負けじゃ!
  この戦負けじゃ!」

「おら、死にたくねぇ!!!」

 阿鼻叫喚の伊東軍は算を乱して敗走する。
  それを、島津軍は次々と討ち取ってゆく。

「もはやこれまで。
  かくなる上は、敵陣に突っ込んで、大将の首を討ち取ってくれるわ!」

 伊東祐信が島津義弘に向けて馬を返して一騎討ちを挑む。
  その武勇凄まじく、憤怒の形相で槍を島津義弘に突き出すが、島津義弘の馬が膝を折ってかろうじてその槍をかわし、必殺の槍がかわされた隙をつかれて島津義弘の槍が伊東祐信のわき腹に刺さり馬から崩れ落ち、そこを足軽に討ち取られた。

「伊東祐信、討ち取ったり!!!」

 その声に更に崩れる伊東軍だが、逆に武勇を誇る者は敵討ちとばかりに、島津義弘に次々と挑んで手勢に討ち取られてゆく。
  中でも、長峰弥四郎は伊東家でも剛勇で知られ、日の丸の前掛けのある兜に大太刀を振り回して島津義弘に迫る。
  咄嗟に従者が出した楯板でその大太刀は阻まれたが、楯板を切り通して従者の兜の吹返しまで切裂くほどの太刀筋だが、刀が押さえられたらどうしようもない。
  楯板から大太刀を抜く間も無く、長峰弥四郎も伊東祐信と同じ運命を辿り、完全に算を乱した伊東軍が壊走しようとした時にその煙が島津義弘の目に映る。

「横尾山から煙が!」
「八幡丘からも同じく!」

 二つの山に派手に立てていた島津軍の虚旗が、赤々と炎に包まれて燃えていた。
  あの辺りに兵はいない。
  ならば、誰が虚旗を焼いたのか?
  その答えは、敵である伊東軍にとって希望の叫びとなって島津義弘に届いたのであった。

「大友軍だ!
  大友軍が後詰に来たぞ!!」

 彼らにとっては、一条という偽りすら捨てるほど切羽詰っていたのだろう。
  そして、この叫びがこの合戦終幕の幕開けとなった。


  地理説明

  
                   飯野城
          △         凸  
   △             
    加久藤城       ■■■■■■■川内川
     凸  △  ■■■■■
       △■■■■         
       ■■           A
■■■■■■■     鳥越城跡   ⑤横尾山    
       ■■■   D▲↓
         ■■■■■■→→→→→→伊東軍退路
              ■■■■■■■■池島川

     △
     白鳥山         △


伊東軍
⑤     一条軍 立花元鎮      二千

  合計                      二千


島津軍
A    島津忠平(義弘)・鎌田政年  三百
D         島津家久          七百     
△         虚旗
   合計                      千

 

 ここで話を、少し戻す。
  深夜にくノ一あさぎの報告で島津軍の罠に気づいた四郎こと立花元鎮は、早急に軍議を開き対策を協議する。
  だが、敵が待ち構えている中での深夜の進軍など、自殺行為に等しい。
  何よりも兵の半分を占める御社衆は、深夜行軍などできぬ兵の士気と錬度しか無い事を四郎自身が一番良く知っていた。

「負けましたな。この戦」

 島清興の響く声が更に深く四郎の耳に突き刺さる。
  集めてみて後で知ったと珠姫自身が笑ったのだが、この一条派遣軍の面子は皆負け戦の経験者だったりする。
  島・松倉は筒井家で松永久秀に国を追われ、怒留湯融泉は太刀洗合戦、恵利暢尭は彦山川合戦、村上吉継は慶徳寺合戦、清水宗治は明善寺合戦で手痛い敗北を喫している。
  そして、四郎と寒田鎮将は北浜夜戦で負け戦の辛酸を味わっていた。
  だから、大体負け戦の空気やパターンなら分かってしまうのだった。嬉しくない事に。
  そんな経験者でも特に武勇の才を誇る島清興が「負ける」とはっきりと言ってしまった為に、諸将はそれをすんなりと受け入れたのである。

「あの姫の事だ。
  そこまで読んでいたのかもしれませぬな。
  だから、我らの起請文に一言たりとも『戦に勝て』と書かなかったとか」

 寒田鎮将がわざとらしく冗談を言って場を盛り上げるが、実際に珠姫がこの戦の負けを読んでいた事など知る由も無い。

「ならば、道は二つ。
  負けを知って打って出るか、このまま帰るか。
  幸いにも伊東家からももう帰っていいと言われましたからな」

 怒留湯融泉が寒田鎮将と同じようにわざとらしく言い捨てる。
  このまま逃げ帰る事が実際にできないからこその物言いだった。
  逃げ帰って、

「お前らいったい何をやっていた?」

 と大友家中から突っ込まれる事が分かりきっていたからである。
  珠姫はかばってくれるだろうが、それでは侍の面目が立たない。
  とはいえ、このまま負け戦に出向いて討ち死にでもしようものなら犬死でしかない。

「伊東軍の撤退を助けるしかございませぬな」

 村上吉継がため息をつきながら、唯一の策を口に出す。
  負けて逃げる伊東軍を助け、追撃に来る島津軍に一太刀浴びせて撤退する。
  だが、口に出して言うのは簡単でも、実際に行うのは恐ろしく困難を伴うのも彼らはわかっていた。

「だが、伊東軍の崩れに巻き込まれたら、我らもひとたまりもありませぬぞ」

 清水宗治が懸念の声をあげる。
  何しろ、彼は明善寺合戦で救援に来た毛利軍が三村軍の総崩れに巻き込まれて同じく崩れた様をその場にいて見ているだけに説得力があった。

「深入りはしない。
  それしかないでしょう」

 四郎が凛とした声で言い、地図に指を這わせる。

「御社衆は日が出たら、この城から鳥越城までの間に柵を作ってもらいたい。
  落ち延びる伊東勢が落ち着けるように飯などを残してな。
  怒留湯殿に恵利殿。よろしいか?」

「心得た」

 あっさりと珠姫との約束を破り、四郎は柵を作るという仕事を名目に御社衆を切り離す。
  兵の士気・錬度を均一にしておかないと、その弱い所から簡単に崩れるという事を戸次鑑連との試し合戦で四郎自身がいやというほど思い知っていた。

「島殿。
  御社衆で使えそうな者はそちらで動かしてもらいたい」

「よかろう」

 とはいえ、御社衆内にも武勇を誇る輩もいるのは事実で、全ての御社衆を切り離して兵を減少させるつもりはない。
  そのあたりの見極めを四郎は島清興に任せたのである。

「残りは、朝にそれがしと共に出陣。
  鳥越城まで出て、伊東軍を助ける」

「「「「「はっ」」」」」

 諸将が声を合わせて了解した後で、島清興が四郎に尋ねる。

「何か策はあるので?」

 その言葉に、ふと遠くを見ながら四郎は呟いた。

「父から聞いた話だ。
  厳島合戦時、毛利は数倍の陶勢を囲んで大勝利に導いた。
  だから、その囲みを解く」

 朝、出陣した一条軍は真幸院から聞こえるときの声に合戦が始まった事を知った。
  そして、この時にあさぎ達間者を一斉に放つ。

「既に合戦が始まっているのに、我らの方に間者を残すとは思えぬ。
  よしんば、残していたとしても、我らの数を越える事はあるまい」

 四郎の読みは的中し、真幸院進撃時に多くの情報を入手することに成功したのである。
  それは、伊東軍が断末魔の叫びをあげて崩壊しつつある事を知る事でもあった。

「これでは死地ではないか!」

 川に囲まれ、無数の虚旗はためく真幸院を見た四郎の叫びは、一条軍全員の心の叫びでもあった。
  なお、同じ叫びをあげて相良軍が逃げ帰っているのだが、それを四郎が知るわけも無い。
  だが、四郎の手元にはあさぎ達間者がちゃんと情報を持ち帰っていた。

「八幡丘、横尾山には兵がおらず、農民達がときの声をあげるのみです」

 その報告を聞いて四郎は確信した。
  多兵で敵を囲むのならば、こんな小細工をせずに後詰として残す。

(その事実は、島津軍はこちらより兵が少ない!!!)

「八幡丘、横尾山を攻めよ!
  囲みを解いて伊東軍を支援する!!!」

 農民達は突如現れた伊東軍二千に驚いてちりちりに逃げ出す。
  そして、無数に刺してあった島津軍の旗を全て燃やしたのだ。
  晴れ渡った初夏の真幸院で高台であるこの二つの陣の旗が燃える様子は、敵味方全軍に見えるだろう。

「島津軍!
  こちらに向かってきます!!」

「伊東軍に池島川沿いに落ち延びるように伝えよ!
  方陣にて敵を待ち構える!」

 敗走する伊東軍を島津家久の手勢に任せて、真っ直ぐに一条軍に突っ込んでくるのは島津義弘。
  既に満身創痍だが、伊東軍を潰した事で士気は高く、鬼人のごとき形相で一条軍に突撃してくる。
  それを四郎は苦笑しつつ眺めた。
  この陣形の事を知っていたら、あの突撃は自殺行為でしかないと分かっていたからである。

「放てい!!!」

 真幸院に轟く最大規模の轟音に、島津・伊東の両兵とも一瞬足が止まる。
  四郎が敗北を知った方陣。
  その陣を使った南蛮人の言葉でこの陣を言うのならば、

 

 テルシオ

 

 と、言う歩兵で構成される要塞だった。 

「何故だ!
  何故、あの陣に近づけぬ!!!」

 憤怒の形相で島津義弘が叫ぶ。
  島津軍とて鉄砲は持っているし、諸大名に比べて保有率は高い。
  だが、大友軍の方陣に近づけない理由は、彼らの鉄砲の使い道にあった。
  島津軍の鉄砲は狙撃で、しかも敵陣突撃の支援攻撃として使われているのに対して、方陣の左右に陣取る大友軍鉄砲隊はそこから正面中央に殺し間を作る制圧射撃に使われていたのである。
  しかも、その鉄砲隊が天下でも有数の技量を誇る雑賀鉄砲衆で、突っ込んだ島津軍が面白いように倒れる。
  その、大友軍正面ででんと構えている長槍隊が抜けない。
  長槍隊の排除を目論んでも、その間に鉄砲に射抜かれる。

「家久殿の横槍が!!」

 島津義弘がにやりと笑う。
  たとえ正面が強力でも、横合いから突っ込まれたら、先ごろまで戦っていた伊東軍と同じく壊走するのが常だ。 
  これで勝ったと思った島津義弘の耳に、轟音と甲高い音が轟き、島津家久勢の戦列を叩き崩す様子がはっきりと見えていた。

「ば、馬鹿な……
  大友の奴ら、横にも鉄砲を置いていたというのか……」

 島津義弘の呟きが事実だからこそ、島津家久勢は大打撃を受けているのだった。
  鉄砲だけではなく、大友軍はこのテルシオ導入に先立って大砲の運用まで始めて、小金原合戦では宗像軍を吹き飛ばしている。
  だが、ただでさえ重たい大砲の運用には日向の山奥という土地柄では難しい事もあって、代わりのものをと探していた四郎は四郎だからこそ気づいたそれを大量に持ってきていたのである。
  棒火矢、焙烙火矢と呼ばれていた水軍が使っていた兵器を。
  また、水軍出身で運用をよく知っている村上水軍出身の村上吉継がいた事も幸いした。
  その案を聞いた珠姫が、

「何処のカチューシャよ……」

 と、謎の異人語を吐いて大笑いしながら大量購入し、村上吉継に持たせていたのである。
  その吹き出る火矢の勢いに島津家久勢の隊列が吹き飛び、撒き散らされた炎が足軽達に燃え広がり隊列を崩してゆき、鉄砲の餌食となる。
  鉄砲による面制圧射撃による敵突撃の粉砕と、野砲による敵隊列の破砕、そして長槍隊による近接攻撃阻止と、それを全周に行える隊形。
  島津のお家芸である『釣り野伏せ』に対する最強の相性を持つこの陣形を、はるか昔から対島津戦を想定していた珠姫が見逃すはすが無く、南蛮人が府内を焼いた直後からその研究と導入を目論んでいたのだった。
  それが、この木崎原で花開く。
  こうして、元から少数だった島津勢は近づく事すらできずに大友軍の方陣から叩き出された。

「ええい。
  敵が追ってきたら、また伏兵で叩くぞ!」

 島津義弘と島津家久は一旦後退して合流し、伏兵をしかけながら逆襲の準備をする。
  が、いくら待てども、大友軍はやってこなかった。

「大友軍!
  陣を焼いて撤退してゆきます!!!」

「しまった!」


  無敵と思われるテルシオにも弱点があり、特に顕著なのが機動力の無さである。
  一度陣を敷いたら簡単に進めないのが難点で、陣を崩して撤退するその瞬間が一番危ないのだった。
  更に、大量の火薬を使う為に荷駄隊の補給がないと戦えないという欠点も持っていた。
  今回その荷駄隊である御社衆は伊東軍敗残兵の吸収と撤退後の防備の為に柵作りに出ており、この場に連れていない。
  そして、彼ら一条軍はこの戦が負け戦である事を分かっている。
  己の面子が守れる程度の戦果を上げるだけと目標を絞っており、兵達の動揺や暴走も清水宗治・村上吉継・寒田鎮将・島清興・松倉重信らの良将達がしっかりと制御し続けていた。

「荷は全て捨てよ!
  兵糧は半分だけ焼き捨てるのだ!!」

「何で半分だけで?」

 四郎の命に寒田鎮将が質問を投げる。
  その答えを四郎はいたずらっぽく笑って告げた。

「兵糧の半分が燃えていて、その隣に無事な兵糧があったらどうする?」

「そりゃ、もったいないから消し……
  なるほど。
  殿もえげつないですな」

 追撃に出る島津兵が見て、火を消せば消す時間だけ逃げられる。
  一条軍・伊東軍合わせて六千が食べる為に用意された大量の兵糧が集められて火がつけられる。

「さぁ、逃げるぞ!
  皆、死にたくなければ駆けよ!!」

 四郎の声に合わせて一条軍は粛々と撤退してゆく。  
  その殿をつとめていた四郎に向かって馬を進める一党が現れる。

「待て!旗を見ろ!!!
  あれは伊東軍だ!!!」

 それは、かろうじて島津軍の追撃から逃れる事ができた伊東軍総大将伊東祐安だった。
  刀は折れ、返り血で鎧は汚れ、兜が飛んだらしくざんばら髪を揺らして鬼気迫る表情で笑う。

「良くぞこられた。
  そのまま帰られたかと思いましたぞ」

 いらない子扱いして勝手に戦を始めたのはそっちだろうがという声を我慢して、四郎は穏やかに伊東祐安に告げる。

「遅れた事は、申し訳なく思っています。
  殿は引き受けますゆえ、早くお引き下され」

 その言葉に伊東祐安が激昂した。

「引くだと!
  あれだけ島津を討ち破っておいて引くだと!!
  ふざけるのも大概にしろ!!!
  ものまま戻ったら源四郎や右衛門(伊東祐安の弟)は何の為に死んだか分からぬでは無いか!
  あと少しなんだぞ!
  あと少しで島津を打ち破って真幸院に伊東の旗を立てられるのだ!
  帰りたくば帰ればいい!
  わしは、伊東家は勝利の報告無しにここから下がらぬぞ!!!」

 そう言い捨てて、伊東祐安とその主従が再度木崎原に突っ込んでゆく。
  それを止める言葉を持たずに四郎が呆然としていると、伊東祐安の後を追ってきたらしい米良重方と柚木崎正家の郎党が四郎に向けて馬を走らせる。

「立花殿。
  御大将は?」

「止める間もなく、戻っていかれた。
  貴殿らはどうするので?」

 その答えは分かっているのに、四郎は尋ねないとならない。
  彼も一軍を率いる大将なのだから。
  そして、二人の答えは予想通りだった。

「御大将が攻めているのに、我らが逃げ出せると?
  これまでの協力、まことに感謝している」

 『日向一の槍つき』と称される柚木崎正家が弓を片手に豪快に笑えば、

「立花殿。
  鳥越城で会う事は適わなんだが、我らを助けてくれて感謝する次第。
  御大将に代わって礼を申させていただく。
  お引きくだされ。
  貴殿を失ったら、伊東は大友に滅ぼされるゆえに」

 米良重方は丁寧な物言いで四郎に撤退を勧める。
  その言葉に抗うすべも無く、四郎はただ二人に言葉をかける事しかできなかった。

「……御武運を」

 ほんの少しだけ、四郎は馬を止めて悩む。
  このまま兵を島津に向けてしまえば勝てるのではないかと。
  島津が寡兵なのは間違いなく、今、四郎が率いる二千で戦場を蹂躙できるのではという甘い誘惑が四郎に囁く。
  そして、軽く頭を振ってその誘惑を振り切った。
  既に伊東軍は深夜から戦い続けて疲弊しきっているし、川を渡ったらしく鎧を脱いで水浸しの兵も多い。
  何より、島津はこちらの来襲を待ち受けていた。
  後どれぐらいの策があるか分からない。 

「義理は果たした!
  兵を引くぞ!
  三ツ山城に帰還する!!」

 そして伊東軍は帰ってこなかった。
  兵を引いた島津軍が、四郎達を捕まえるつもりでかけた伏兵にかかり全滅したという。
  

 
  こうして、木崎原合戦はその幕を閉じた。
  伊東軍三千のうち、伊東祐安をはじめ幹部クラスの武士128人、それを含めた士分250余人、雑兵560人余りを失い、五体満足な者は数えるほどしか残っていなかったという。
  とはいえ勝った島津軍も、島津義弘が率いた300人のうち士分150人、雑兵107人と参加した将兵の半数を喪失。
  後詰に来た新納忠元と島津家久の手勢も、半分以上の死傷者を出すという大損害を蒙ったのであった。

 唯一の例外は四郎が率いた一条派遣軍で、その損害は数十人と少なく、この戦の勝者が誰なのかを雄弁に物語っていた。
  だが、四郎の勝利が何の意味を持たない事を、四郎自身がいやでも思い知っていたのである。 
  後に、『珠姫の火消し』『大友の傭兵大将』と呼ばれる立花元鎮の戦はこうして終わり、これから歴史に否応無く名前を残してゆく事になる。

 

 

木崎原合戦

兵力
  伊東軍   伊東祐安・立花元鎮 他              六千五百
  島津軍   島津義弘・島津家久・新納忠元 他        千八百

損害
  三千(死者・負傷者・行方不明者含む)
   千(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
  伊東祐安・伊東祐次・伊東祐信・柚木崎正家・米良重方・長峰弥四郎 他(伊東軍)

 

 作者より一言。
  木崎原合戦の資料を漁っていたら見つけた、木崎原古戦場の看板より。
  これを見た瞬間、

「あ、これ勝てんわ」

 といやでも悟らざるを。

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