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大友の姫巫女

南海死闘編

第四話 右筆の間茶飲み話 

元亀元年(1570)年 府内 府内城 二の丸政所

「これじゃ駄目ね。
  やり直して頂戴」

 仕事をしています。珠です。
  書類を突き返した相手は寺社奉行の大友親貞。
  付き添いの奈多鎮基も一緒です。

「問題は相手に名を残したまま、こちらが実を取る形にしないといけないのよ。
  強権で押してみなさい。
  国東半島で一揆が勃発するわよ」

 親貞君の仕事として寺社に対する影響力の低下を画策した提案を却下した理由は、宇佐八幡および六郷満山寺院群の荘園群の没収・直轄領化という提案があまりにもストレート過ぎたからである。
  まぁ、奈多鎮基の補佐ではそうなるだろうなとは思っていたけど。
  ちなみに、この手は奈多鎮基の父親である鑑基が散々やった手である。
  具体的には、宇佐八幡の分社である奈多八幡に荘園を移し、荘園収入の半分は大名に、残りの半分は奈多八幡にという手で、寺社奉行も兼ねていた奈多鑑基の裁定は常に奈多八幡側に有利になり、それが史実では宇佐八幡の大内・毛利側へ走らせる遠因にもなった。
  まぁ、宇佐に人質に出ていた私がその裁定を妨害し、新田開発等で宇佐側を宥めた結果そんな事態は起こってないが、今度は宇佐八幡自体の力が強くなりすぎるという事態にに頭を悩ます羽目に。

「義姉上なら押さえる事ができるのでは?」

「あ・の・ね・ぇ。親貞。
  私は加判衆右筆であると同時に、宇佐八幡禰宜である事分かっている?」

 ちなみに、現在の私の公的身分は従四位下典侍という女官位にかわっているが、宇佐八幡禰宜の名前の方が九州では通りがいいのでこっちの方を使っていたりする。
  私の新田開発や座の収入などもあり、かつての栄華再びと思わせるほどの繁栄を宇佐八幡は味わっていた。

「しかし、姫様は大友家を継ぐお方。
  ならば、大友家に有利となる裁定を断るとは思いませぬが」

 横から口を出した奈多鎮基を睨みつける。
  一呼吸おいて笑みを浮かべたまま、ゆっくりとある事を口に出した。

「あしからず言っておくけど、宇佐八幡および六郷満山への対処は、大友家領内の全ての寺社に対する基本として扱われる。
  そのような案を持って来いって言っているの。
  この案だと奈多八幡の荘園も同じ形で奪えるけどそれでいいのかしら?
  彼ら、揉めるなら寺社奉行では埒が明かぬと加判衆評定に持ち込むだろうし、私はそれを受理するわよ。
  何しろ、まだ宇佐八幡禰宜ですので」

 私が激怒している事に気づいた二人は真っ青になるが、先に頭を下げたのは親貞の方だった。

「申し訳ございませぬ。義姉上。
  この親貞、まだ力及ばす姉上の手を煩わせる事になろうとは」 

「いいわよ。
  かわいい義弟の為にやっている事なんだから。
  多少の失敗はこっちで何とかするから、萎縮せずに案を持ってきなさい。
  下がってよし」

「はっ」

 二人が下がったのを確認して、私はため息をつく。
  とりあえず、部下の失敗時に頭を下げる程度の頭はあるという事ね。親貞君。
  今回の提案は、実際は奈多鎮基が作った事を私は見抜いていた。
  あれだけあからさまだと、かえって親貞君を気の毒に思ってしまうから不思議だ。

「姫様。
  一休みなされては?」

 控えて仕事をしていた麟姉さんが声をかけてくれたので、それに従う事に。

「そうね。
  一息つきましょうか。
  政千代、お茶と茶菓子を持ってきてくれないかしら?」

「はい」

 ちなみに私の仕事場である府内城右筆の仕事場は、男どもから『女の城』と呼ばれていたりする。
  何しろ私に、その補佐をする麟姉さんに政千代、必ずどちらかがついてる護衛役の八重・九重姫、更に忍の舞・霞・綾音の誰か一人がつき、彼女達にそれぞれ手伝いの姫巫女衆が二・三人つく大所帯なのだ。
  ここに陳情に来た国衆は、誰もがその女達の視線に耐えられないらしく、用件を言ってそそくさと逃げるように去る始末。
  今や九州はおろか西国にも影響力を与える大大名となった大友家は、書類仕事が飛躍的に増加。
  とはいえ、読み書き算盤ができる人間を組織的に投入できたのは私とその配下である姫巫女衆しかなかったので、この女の城を崩そうにも崩せないというていたらく。
  おかげで、現在大友領内の読み書き算盤の普及率は急上昇中である。
  更に、国衆は人質代わりに子弟子女を杉乃井に預けるし、遊郭に隣接する学び舎という中々カオスな施設群が。
  『学び舎を卒業する時に別のも卒業するのですね。わかります』と一人ツボに入って笑い転げたのを奇異の目で見られたのは内緒。

「あー疲れた」
「今日のお茶請けはカステラだそうですよ」
「やった。私これ好きなの」
「美味」
「毒見は済ませているのでどうぞ」

 わいわいがやがや。
  茶道なんてそっちのけ、わびもさびもない女の宴である。
  しかも、ここにいる主要メンバー全員が子持ちのママさんである。

「そういや、旦那とうまくやってる?」
「はい。……あっちの方も……」
「あらあら」
「うちも問題ない」
「はいはい。のろけ乙」

 こんなのりである。
  あ、舞は尼子から亡命してきた鉢屋衆の鉢屋弥之三郎の血を引く忍と結婚して、正式に大友家直属の忍び衆の長に。
  遊女に歩き巫女、鉢屋衆に英彦山の山伏というカオス組織を切り盛りするのは大変らしく、そのくせ私の護衛までするのだからいつ仕事をしているのかと不思議で仕方ない。
  まぁ、大まかな方針と人事予算権を私が握っているという厄介事をさせてないから大丈夫なのかも。
  その分私が地獄だが。

「姫様。
  吉岡長増老がお茶菓子として饅頭を持ってきたと」

「いいわよ。
  お通しして」

 さすが吉岡老。女を動かすすべを心得ている。
  公式での面会だとどうしてもガードが固くなるけど、こんなお茶会時にお茶請けまで持ってこられたらいやでもガードが下がるではないか。

「邪魔するの。
  会ったのは田北老の葬儀の時以来でしたかのぉ?」

「そうですね。
  田北老も角牟礼城で往生できたから幸せでしょう」

 お茶請けの饅頭を侍女に渡してしみじみと私と吉岡老は語る。
  先ごろの事だけど、田北老こと田北鑑生がひっそりと世を去った。
  杉乃井で若侍相手に持てる全てを教えていた彼は、正月なので故郷である角牟礼城に戻り、そのまま眠るように逝ってしまったのだった。
  本来門司の戦でその生を終えていた武将は、いい爺となって後輩達にその武を教えて去り、角牟礼城で行われた葬式では私や父上だけでなく、彼の薫陶を受けた四郎や小野和泉など杉乃井の若侍全員が葬儀に参列したのである。

「『このまま往生したら、北浜で負けたまま終わってしまう』と嘆いていたが、それが本当になろうとはのぉ」

 吉岡老の言葉には懐かしさがあり、私もそのぼやきを思い出して笑みをこぼす。
  彼の最後の戦となった北浜夜戦の後、小金原合戦を経て毛利家と和議を結んだ大友家は、平和という果実を手にして夜盗や一揆鎮圧はあれどついに大きな戦は今に至るまで起こしていなかった。
  ちなみに、この平和な時に一線にて兵を預かっている四郎と小野和泉はよほど北浜夜戦の敗北が堪えたのだろう。
  猛訓練している時ですら、

「南蛮人が攻めてきたときに……」

 と、己の失敗を語り、それを二度と繰り返さないように兵の掌握を心がけているという。
  なお、明善寺合戦で同じように兵の掌握ができずに大敗を喫した毛利輝元も、四郎の文のやり取りでその事に気をつけようと吉川元春に教えを請うているとか。
  人間失敗しないと学ばないものである。

「で、吉岡老がわざわざこんな所にやってきたという事は親貞君がらみの事ね。
  来ると思っていたわ」

「姫様には適いませぬな」

 吉岡長増は大友親貞の後見人である。
  一門として豊後国衆を束ねられる親貞君の勢力確立の為に、落ち目の奈多鎮基を抱き込もうと考えたのだろうけど、使えないとわかったのでその尻拭いに来た訳だ。
  なんというかご愁傷様である。

「独り言だけど、田原親賢の方がまだましだと思うけど」

「はて、何か聞こえたような?」

 田原親賢の親は奈多鑑基で、奈多鎮基とは兄弟の関係にある。
  親貞君の与党に奈多家を抱きこませるなら、窓口を田原親賢に変えろという私の忠告は間違いなく吉岡老には届いただろう。
  事実、この後で何をやったか知らないが寺社奉行の補佐に奈多鎮基ではなく田原親賢がつくのだから、吉岡老は老いてもないし手も速いと感心するのは別の話。

「で、姫様。
  この一件はどのように収めるつもりで?」

「難しいわね。
  とりあえず、寺社が持つ武力を削る所から始めようかなと思っているわ。
  鎮台に彼らを所属させるから、そこから少しずつ切り崩すしかないわね」

 たとえば、私の直属組織である御社衆や姫巫女衆も寺社勢力である。
  これに宇佐八幡なら武家化した時枝氏という武装勢力があったり、六郷満山の寺院群の僧兵は無視できないだけの兵力を有していた。
  これらを鎮台に組み込む事で、彼らを取り込むのが狙いである。

「あとはお坊さん達が抱え込んでいる銭を吐き出させないと。
  この間の南蛮僧の問答の話は聞いた?」

 南蛮人達の襲撃後、ものすごく住民感情が悪化したキリスト教だが、私が徹底的に保護した事もあってその布教活動は続けられていたのだった。
  もちろん、そんな状況は寺社勢力には面白くないらしく、私の前での公開問答会というか、朝まで生テレビみたいな討論会が開かれたのだった。
  これに宣教師達が大惨敗。
  ちなみに、我が父上はキリスト教にすっころぶ前まで禅宗にはまっており、怡雲宗悦というお坊さんを招いて臼杵に寿林寺という寺を作っている最中だったりする。
  という訳で、父上ご観覧でこの怡雲宗悦の容赦ない攻撃にたじたじの宣教師達なので、私が宣教師側に立って援護をしなければならぬ羽目に。

「唯一絶対の神様はかれらの故郷を救うのに忙しいから、『こっちに来るまで待ってくれ』と伝えるために彼らがやってきたのよ。
  まぁ、弥勒菩薩様より早くこっちにくるつもりじゃないの?」

 の私のフォローに怡雲宗悦はおろか父上まで大爆笑。
  なんでか宣教師達が顔を真っ赤にして私にお礼を言っていたけど、何か怒らせたのだろうか?
  それはともかく、その場で私が訴えたのはかれら坊さん達が救おうとしなかった絶対的弱者を宣教師達が救っている事実であり、たとえ偽善と言われようと物でつると言われようが、手をさし伸ばした事実は評価すべきであると。
  このあたりを訴えると笑っていた父上はおろか怡雲宗悦も黙り込む。

「差し伸べられた手を引っ込めさせるのならば、代わりに誰がその手を差し伸べるの?
  なお、私は彼らの行いを正しいと思い、宇佐八幡および六郷満山の寺院群に彼ら宣教師に負けぬよう施しをするように命じるつもりです。
  彼ら宣教師達より私達は銭も米も持っているのですから。
  その時は、お坊様も私達と共に彼らへ手を差し伸べてほしいのですが」

「もちろん。
  拙僧とて、貧しき者に御仏の教えを伝えるのは使命ゆえ」

 こんなやりとりで弱者に対する施しで銭を吐き出させる予定なのだ。
  そして、ただ銭を与えるだけでは貧困は解決しない。
  この手の問題は時間がかかるが王道のみが解決の道である。

「弱者に職と教育を」

 寺社を教育機関として整備し、その費用を施しとして寺社に負担させる。
  もちろん、その教育内容はしっかり大名家が管理・監視する。
  そして職は新田開発や交易等で大名家が用意する事で、彼らを中産階級に押し上げると同時に彼らの忠誠心を大名家に向かわせるのだ。
  実るのに十年はかかるだろうなぁ。

 まぁ、そんな話をつらつらとお茶を飲みながら語っていたのだが、いつの間にか部屋がしーんと。
  何で黙っているのかな?みんな?

「姫様。
  すばらしい考えにございます。
  わたくし、姫様の手足となって働ける事がこんなに嬉しいと思った事はございません!!」

「姫様も立派になられましたのぉ……
  それがしもいつ黄泉路に旅立っても問題はなさそうじゃ」
 
  麟姉さんに政千代泣かないでください。すごく恥ずかしいので。
  あと、吉岡老簡単にくたばらないでください。父上に直言できる数少ない人なんですから。
  そんなこんなをやっていると、どたどたと音を立てて四郎が部屋に。

「な、何事です!?」
「なんでもないの!
  で、試し合戦はどうだったの?」

 今日、四郎は試し合戦の為に杉乃井御社衆を率いて訓練に出たのだけど、汗を流した為かさっぱりした姿なのだが悔しさが顔から滲み出ていた。

「申し訳ございませぬ。姫。
  それがしの不徳で試し合戦に負けてしまいました」

 よほど悔しかったのだろう。
  畳につけた手が震えている。
  しかし、杉乃井御社衆って旗本鎮台に負けて、南蛮人戦で崩れてといい所はないけど、その度に猛訓練をしていた私が気楽に動かせる御社衆では最精鋭のはずなんだけど?
  私の疑問が顔に出ていたのだろう。
  四郎がぽつりぽつりと報告する。

「此度の試し合戦は新たにできた日出鎮台が相手で、御社衆を寒田鎮将が率い、立花家からも清水宗治の手勢を連れて始めた次第。
  日出鎮台は吉弘鎮信殿が大将に、奈多政基殿と六郷満山僧兵衆が出て始めたのですが、左翼に陣取った僧兵衆が手薄と見て攻め立てたのですが崩れず……」

「その間に、吉弘鎮信殿率いる本陣に突っ込まれたって訳か。
  そりゃ負けるわ」

 途中で手が見えたので思わず口を出してしまい、四郎に驚かれるがそれを気にせずにそのまま手の内を見てきたかのように話す。

「大友最精鋭の一つである吉弘家の郎党相手に御社衆がかなう訳が無い。
  ならば、右翼か左翼を崩して挟んでしまうという四郎の方針は間違っていないわ。
  四郎が間違えたのは、いえ、侮ったのは左翼の僧兵衆を烏合の衆と思って調べてなかったでしょ。
  今の報告で僧兵衆を誰が率いていたか言わなかった。いえ、言えなかったのね」

 私に指摘されて見事なまでに呆然とする四郎。
  この敗戦で四郎も大きくなってくれるといいんだけれど。

「姫様はもしかして、僧兵衆の率いていた者に心得があるので?」

「ええ。だって私が引っ張ってきたんだから。
  四郎が日出鎮台に勝つ為には、左翼ではなく右翼の奈多殿を攻めるべきだったわね」

 清水宗治を連れてきたのだから、彼を左翼にぶつけたのだろう。
  それが正しいがゆえに四郎は敗れたのだ。

「大和より逃れし筒井家の僧、順慶殿に従う筒井党の侍大将、島清興殿よ」

 そう四郎に告げて、種明かしをした私はお茶を飲むのだった。

(清水宗治の猛攻を支えられるのならば、対島津戦に十分使えるわ)

と内心ほくそ笑みながら。

 なお、私が狙った『弱者に職と教育を』は、聞いていた吉岡老経由で親貞君が提案し、無事に加判衆評定でも通り彼の功績となった。


 

 


 

 

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