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大友の姫巫女

外伝その七 中津城建設秘話

 『珠姫の城』。
  そう呼ばれる中津城だが、その紆余曲折は語り草となり、

『中津の城を作るが先か、青の洞門を掘るのが先か』

 という言葉が残るぐらいの大工事だったのである。
  そもそも、中津には鎮台と名づけられた地方向け司令部があり、兵舎群と備蓄倉庫からなる施設がおいてあった。
  が、この鎮台というのは城ではない。

「元々地方への反乱に対処する為の攻勢組織が守りに入っちゃ駄目でしょ」

 とは珠姫の言葉だが、同時に城を築く事による地元国衆への配慮もあって、この施設は堀と土壁のみで作られている。
  この地に詰めの将が入り、有事に備える仕組みは南蛮人の襲撃によってその能力を発揮し、南蛮人撃退やその後の三家謀反の鎮圧に大いに役立った。
  とはいえ、役立ったのは鎮台という組織であって、その鎮台という土地が役に立った訳ではなく、施設も倉庫等は拡張したが城と呼べる物ではなかったのである。 
  それが城に化けるにはそれ相応の理由というのがある。

 珠姫の筑前守護代就任。
  これは和議が成立した毛利家との政治的妥協の産物であり、と同時に隠岐守護代を珠姫に渡している。
  と、同時に豊前国人衆が激昂したのである。

「おらが国の姫様をよそに渡しちゃなんねぇ!」

 もちろん、激昂したのも理由がある。
  たとえ名貸しとはいえ守護代になれば、その守護代の国に城を建てて、そこに住まなければならない。
  そして、その国の国人衆を雇って彼らの大名にならねばならないのである。
  たとえ杉乃井に常駐してようと、府内で仕事をしてようと、こまめに宇佐に帰る珠姫は宇佐八幡の巫女であり、宇佐の、豊前の誇るおらたちの姫なのだった。
  一揆も辞さぬ覚悟で彼らは大友家に嘆願し、その取り纏め役であった佐田隆居や城井鎮房を困らせる始末。
  当然珠姫や彼女の父である大友義鎮の耳にも入り。

「名貸しなら一国でも二国でも同じよ」

 と、なし崩し的に彼女に豊前守護代を押し付けたのだった。
  同時に後継者についても正式に大友義鎮から家中に伝えられ、

「長寿丸の元服前までは、珠が第一位、親貞を第二位とする。
  元服後は義鎮後見の元、珠が後を継ぎ、その後しばらくして元服した長寿丸に継がせる。
  以後、一線を引いた珠を第一位、幼き弟である新九郎を第二位、親貞は第三位の継承として、おのおの家を興すように」

 という布告が出ていたりする。
  なお、先の小金原合戦の功績によって、大友親貞は寺社奉行兼鳥屋山城城代として百五十町(大雑把に約六千石)の田畑を与えられ、近く義鎮次女の梓姫と祝言をあげる事になっている。
  この領地、香春岳城城主だった珠姫と同じであり、彼への期待の高さをうかがわせる良い例である。
  大友親貞の後見人は吉岡長増であり、吉岡家現当主である吉岡鎮興を始めとする野津原衆が彼の後ろにつく事になる。
  これも、外様である佐田隆居をはじめとする宇佐衆が後ろについた珠姫と比べると、譜代で固められているあたり珠姫より優遇しているというより功績が大きすぎる珠姫とのバランスを取ったという所だろうか。

 余談だが、城主と城代はそれぞれ意味が違う。
  双方ともその城の大将である事には代わらないが、城主は城とその回りの領地まで持つ一国一城の主なのに対して、城代は直轄領の城の預かり主という立場でしかない。
  まぁ、預かり期間が長くなれば長くなるほど、城代が城主になるのは良くある事で。
  珠が城代では無く、城主として香春岳城を与えられたのも、敵地だった事と宇佐八幡と縁が深い香春の地を治めるのに宇佐の巫女という名前が使えたからに他ならない。
  事実、珠は香春岳城にも足は運んだが、基本は城代である高橋鎮理に任せっぱなしだったりする。
  後、城代の上に複数の城を統括する城督というものもあったりする。
  これについていたのが、史実の戸次鑑連こと立花道雪といえばどれほどの価値かお分かりだろう。


  話がそれた。
  こういう訳で、分家を起こす予定の珠だが、その領国がしゃれにならないほど大きい。
  名貸しとはいえ筑前四十万石、豊前約三十万石の合計七十万石が彼女の領土となり、博多や門司もその領内にある事から、実収入は百万石をはるかに超える。
  ちなみに、大友家全体の石高が約二百万石ぐらい。
  これがいかに大きいか理解できただろうか?
  ちなみに、珠姫自身が直接統治している領地が筑豊・香春・宇佐・別府の約十四万五千石。
  以前から行われていた河川開発と、秋月残党の蜂起に呼応した秋月旧臣の領地を没収したからである。
  それと、三家謀反で空いた筑前約十七万石の差配も義鎮から任されており、全て自領に組み込めば約三十一万五千石という一国の主に相応しい大名に化ける。
  当人、

「めんどいからや」

 で、誰かに押し付ける気満々なのだが。
  もちろん、同盟国や従属国を除く大友家内全武将の中でトップである。
  ちなみに、次点が伊予に飛び地を持つ豊後一万田城城主一万田親実の五万五千石、その次が、筑豊・秋月を治める古処山城城主田原親宏で五万石、その次が筑前原田領を任された筑前糸島半島の飛び地を持つ柑子岳城城督臼杵鑑速である四万二千石だったりする。
  全員大友占領地に多く飛び地を持っており、占領地統治の為と本国である豊後を大友宗家の直轄にしようという狙いからなのだが、それでも珠の持つ領地は群を抜いていた。

 これが、次期後継者の格なのだと言わんばかりだが、その格には見栄えというものあるという事を珠姫は思い知ったのである。


「城ですってぇ!?」


  わざわざ宇佐から出向いてきた珠姫の爺である佐田隆居が、苦りきった顔で珠姫に進言する。
  彼女の数少ない本当に頭の上がらない人物の一人なのだか、彼も格なるもののあいまいなものに振り回されて疲労困憊していたのだった。

「姫が分家を興すに当たって、相応しい城をと皆が求めております」

「だって、杉乃井あるじゃん」

 同じように説得したのだろう。
  白髪の増えた佐田隆居がため息をつきながら、「建前」を述べた。

「姫様。
  杉乃井は、『御殿』でございます」

「あ……」

 たかが名前、されど名前である。
  元が大友本家直轄領だったので、府内への出先の屋敷として作ったのが杉乃井御殿である。
  どう見ても城郭だし、実際南蛮人の襲撃を撃退しているのだが、『城』ではなく『御殿』なのである。彼らにとっては。

「じゃあ、宇佐……は、神社で返されるわね。
  香春岳はどうよ?」

 まだ、事態を良く分かっていない珠姫に、佐田隆居が一から昏々と説明する。 

「つまり、姫様が新たな居を博多に構えないかと皆心配しておるのです」

「あ~なるほど」

 ぽんと手を叩く珠姫。
  彼女の頭には、九州にやってきて受け入れられるまで時間のかかった某球団や、北海道や東北に望まれて行って受け入れられた某球団などが頭に浮かぶ。
  さしあたって、香春岳城は彼ら豊前国人衆からすれば北九州市民球場と見た。
  おらが国のものだから、ホーム球場は立派にしたいという訳だ。
  もちろん、サービスもいっぱいつけて。
  うわ。大名のやっている事って、人殺す以外球団経営とあんまり変わんないしゃんと内心盛大に珠姫が凹んだのは内緒。

「まぁ、銭はあるから作りましょうか」

 大規模公共事業とそれに伴うインフラ整備は経済を活性化させる。
  既に証文経済に移行している珠姫がいる大友家にとって、借金は払えなければという但し書きがつくが恐れるものではない。
  父である大友義鎮の承諾を得た上での、珠姫の正式なGOサインによって、珠姫領内にて城誘致の盛大な暗闘が始まった。
  真っ先に手を上げたのが、当然の事だが商人の町である博多。
  彼女の愛人である毛利元鎮が博多奉行になる事も知っているだけに、立花山城に是非と猛烈アピールをかける。
  それに待ったと噛み付いたのが、発展著しい門司。
  自治都市である門司の隣にある小倉に城をと言い出したのである。
  で、これに宇佐が「姫様の城はここだろ。常識的に考えて」とか言い出すから揉めに揉めた。
  結果、三者痛み分けの形を取って、選ばれたのが中津だったのである。
  なお、不満だらだらの博多は福岡城、小倉は小倉城と大友家として城を新設しているので矛を収めている。あしからず。
  宇佐に近く、山国川河口にあたる中津は小祝という三角州もあって、港を作るのに最適だったのである。
  それに、軍事的にも山を越えるが日田に抜ける要衝にあり、筑前や筑後で何かあった時に駆けつけられるという利点もあった。
  なお、冒頭にあげた青の洞門だが、珠姫が真っ先に掘削し、固い岩盤部を豪快に火薬で爆破したり大砲の砲弾をぶつけたりして五年で開通させ、日本初の発破工事と言われている。

 城の縄張りは、梯郭式を採用。
  山国川沿いに本丸を置き、その回りを二の丸や先に作られていた鎮台施設を外郭に取り入れて扇の様に広がる様から、後に扇城と呼ばれるようになる。
  極力広大な縄張りを意識していたのは、大砲の攻撃を恐れた為で、同時に外郭各所に物見櫓と砲台を塹壕で繋いだ事から、土竜城とも呼ばれるようになる。
  この城は、大砲が戦術として取り入れられた上ではじめて作られる要塞でもあったのである。
  また、山国川という川の側にある事から水堀を多く用い運河の用途も果たすように設計されていた。
  この城でも天守は作られ、府内城は高台の上に天守を築いたが、河口という標高の低い場所ゆえ、天守を含む本丸は石垣で高く上げられている。
  天守の層は三層望楼型で、四層の府内城に遠慮しているが、構成は連結式で天守と本丸御殿がくっついている形を取っている。
  これについては珠姫自身が言葉を残しているのだが、

「大砲で攻められたら、本丸落ちるわよ。
  だから、本丸は飾りよ。飾り」

 と、生活優先で作ったからに他ならない。
  全ては外郭の砲台との有機的な連携を前提とするあたり仕方ないのだが、その割り切りの良さもこの時代から離れている。
  で、工事は難航を極めた。
  特に、石垣組みとその上に立つ天守の土台の安定が軟弱な地盤の為に思うようにならず、山国川の洪水も指摘されて城造りより山国側の堤防建設を先に優先させたのである。
  このあたり、城そのものを飾りと言い切った珠姫の真骨頂だろう。
  なお、山国川治水事業とこの堤防の完成によって、この地は広大に広がる稲穂の海に化け、九州でも有数の穀倉地帯となるのだが後の話。
  五年かけて山国川堤防ができあがり、水はけが改善されるとようやく城の工事が本格化する。
  天守完成がその翌年、本丸完成がその翌年。
  総構えが完成したのは更に三年ほど待たねばならなかったのである。
 
  城下町も栄え、小祝の港には多くの船が止まり、宇佐やその門前港になっていた長洲の町とも街道が更に整備されて、豊前国南部は文字通り珠姫の王国と化したのである。
  まぁ、そんな場所だから当然のように遊郭も置かれ、そんな遊郭の一つに、元服していない純情な少年しか入れない遊郭『夢倶楽部』なるものができ、
  毎夜毎夜、城からきた女中が怒りながら太夫姿の女性を引っぱっていったという昔話が残っているが、まぁ気のせいだろう。

「姫様っ!
  毎夜、毎夜遊びほうけて……
  今日という今日はもう許しませんからねっ!!
  何が、『胸さわっていいわよ!別・料・金!!』
  ですかっ!!
  姫様!あなた四郎様との間に何人子供がいると思っているんですかっ!!」

「ちょ!
  麟姉さんまって、私はぴゅあな少年達をおちょく……げふんげふん。
  愛でて世の中を教えるために……
  のぉぉぉぉ!
  耳引っ張っちゃだめぇぇぇ!!!」

 なお、

『悪い事をすると、長刀持った夜叉顔の美人女中に耳引っ張って連れて行かれるぞ』

 という子供を叱る言葉もしっかりと現在に至るまで中津に残っていたりするのだが、それも気のせいだろう。
  多分……  
 
       


  作者より一言
  八十三話にて豊前守護代を外したのは、話の時間軸的におかしいなと感じたからで、その後のご指摘の通り豊前守護代はつけないと豊前国人衆が納まらないと私も思っていました。
  で、こうして豊前守護代就任の為に一話作った次第。
  掲示板を騒がせてしまって本当にごめんない。

 地理メモ
  鳥屋山城(鳥屋城) 豊後大野市朝地町鳥田




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