戻る 目次 

大友の姫巫女

外伝その五 稲葉山落城

 美濃 稲葉山城

 落城を前にしている城というのは、士気がもの凄く低い。
  だから、こんな噂話が足軽達の間に蔓延しているのにそれを防げない。

「おい、聞いたか?
  西美濃三人衆が織田についたってよ」

「何だって!?
  じゃあ、この城は後詰なしかよ」

「東美濃は織田が切り取り、墨俣に織田側の砦ができ、織田と武田が組んだ事で西美濃が脅えて織田側にぞくぞく寝返っているそうな。
  早く逃げ出したほうがいいかもしれんな……」


  稲葉山城の正面にいる織田軍正面にいる先陣がその西美濃三人衆――安藤守就・稲葉一鉄・氏家卜全――の旗を篭城している斉藤軍将兵はうとましく、そして羨ましく見ていたのだった。

 


  織田軍本陣

「めでたいですのぉ!
  ついに、美濃が殿のものになる!!
  苦節五年。
  長うございましたなぁ」

 重臣がずらりと並んでいる戦評定の場で、小姓のごとくおべっかを使っておだてあげているのは、この織田家において木下藤吉郎以外にいない。
  その席次はかつての末席などではなく、 同じく重臣として先に出世している滝川一益の隣に彼は座っているのだった。
  それほど彼の美濃における功績は抜きん出ていた。
  東美濃征服途中で起こった墨俣築城にて、そのまま城主として斉藤勢を防ぎ続け、竹中半兵衛を口説き落とし、西美濃三人衆を寝返らせたのは彼の功績である。
  もちろん博打ではあった。
  何しろまだ東美濃すら征服しきっていないのに、楔を打つかのように墨俣に城を築くなど。
  だからこそ重臣や諸将が尻込みする中、藤吉郎はいの一番に志願したのだった。
  この前にねねの妊娠が発覚しており、

「男藤吉郎、嫁のため、まだ見ぬ子の為、一世一代の働き所はここ!!」

 と、大見得を切っての志願。
  信長も諸将も、「この猿のおべっかまた始まったよ」と思ってはいたが、子のできた親だけに仕事にハッスルするのはわからんではないなと思い、いらぬ口は出さなかった。

「子供ができた祝いだ。
  猿、墨俣に城ができたらそのままお前にくれてやる」

 信長もまだ自分のものではないので、気楽にほいほい言ってしまったりする。
  何しろ、彼とて以前取り逃がした女間者の「墨俣に城」を戯言で言ったに過ぎない。
  作るとしても、東美濃を切り取ってからでも十分と思っていたし、志願する馬鹿がいるとは思っていなかったのだった。

 で、本気で作りやがったのだから、信長も諸将も斉藤側もびっくりしたわけで。

 秘策は蜂須賀小六率いる野武士集団と、あらかじめ組んだ城作りの材料を木曽川上流から流して作るという発想の転換で、東美濃攻めの材料にまぎれて作られたこれらの材料を織田軍正規兵でない野武士集団によって運ばせた結果、城ができるまで斉藤側はついに気づかなかった。
  この墨俣城ができた事によって、東美濃へ斉藤側が兵を送ることが事実上不可能になり、東美濃は信長の手に落ちたのである。
  もちろん、斉藤側は死に者狂いで墨俣城を落としにかかったが、それができなかったのは近年の美濃攻めでの美濃国人集の戦力低下と、藤吉郎に与えられた三百丁近い鉄砲のおかげである。
  堺や近江国友で鉄砲生産が大友の支援によって著しく盛んになっており、この新兵器を信長は買えるだけ買って藤吉郎に与えた結果、攻勢正面が限られる川に挟まれた墨俣の地で面白いように斉藤兵が屍を築く事になる。
  が、それもある日を境にぴたりと止む事になる。
  織田と武田が手を組み、斉藤を攻める事に合意したからだった。

 

 きっかけは、越後にふらりと現れた足利義輝。
  当人、上野の上泉信綱を尋ねる為に伊勢から尾張・美濃・近江を経て越前に向い、船で越後に降りたついでに、親しかった上杉輝虎に会いに行き、彼の存在が発覚する。
  この為、彼は越後御所と呼ばれる事になる。
  そんな越後御所こと足利義輝だが、側近を呼び寄せる事も無く御内書も出さず政治的な行動はじっと慎んでいたが、将軍が頼ってきた関東管領でもある上杉家の武威は否応無しにも高まってしまう。
  そんな上杉家が川中島に出陣。第五次川中島合戦と呼ばれる合戦が発生する。
  元々は飛騨における武田上杉の代理戦争に、武田軍が上野における上杉家の有力家臣であった長野氏(なお、上泉信綱の主君にあたる)を攻め、その本拠である箕輪城を囲んでいた武田軍は、慌てて、兵をまとめて川中島に対陣。
  にらみ合いの果てに、武田上杉両軍は撤兵する。

 これらの争いで一番の被害者となったのは甲斐の武田家だった。
  政治権威で将軍を擁した上杉家をこれ以上刺激できず、上杉との全面対決を避け、得る物少なく甲斐に戻る事になる。
  ここで武田信玄は岐路に立たされた。
  武田のあくなき領土拡大は、裏返せば領土を拡大しなければ破綻するほどの国の貧しさに起因している。
  しかも、本国甲斐ですら国人集は半独立状態であり、信玄の武威によって武田家の統率は守られていると言ってよかった。
  そして、上野からの撤退によって武田家はその侵略進路を見失う。 
  今川・北条との三国同盟は健在で、残る進路が越後と上野を押さえる上杉と、三河の徳川、尾張の織田と、その織田に攻められている斉藤家だった。
  現状で上杉と争っても川中島合戦のように被害大きく、益は無いとすれば進路は否応無く絞られる。
  おまけに、織田と徳川は同盟関係にあり、どちらかを攻めればどちらかが援軍に来るだろう。
  残るのは美濃斉藤家しかなかった。
  現在、美濃斉藤家は織田信長が攻撃しており、東美濃攻略と同時に美濃墨俣に出城(城主 木下藤吉郎)を築いて本拠稲葉山城を攻撃する準備に追われていた。
  火事場泥棒には最適と考え、美濃出兵の準備を始める事になる。

 

 だが、それは織田信長にとって幸運に繋がった。
  武田軍の武威はその残虐さと一緒に知られており、信長はこの一報を意図的に美濃にばら撒き、斉藤家家臣の切り崩し工作の材料に使ったのだった。
  信長の攻勢に晒されて疲弊していた美濃国人衆にとって、この報はとどめの一撃となった。
  武田の攻撃に晒されるのをさけたい国人衆が相次いで信長に帰順。
  西美濃三人衆と呼ばれる安藤守就・稲葉一鉄・氏家卜全が竹中半兵衛の手引きの元で内応を決めた事によって、斉藤龍興は稲葉山城に押し込められ、熟れた柿のように後は落ちるだけという状況にまで追い込まれるのだった。
  その状況に持ち込んだ上で、信長は武田信玄に対して外交攻勢に出る。
  商業が盛んで肥沃な尾張を押さえるがゆえにできた大量の銭と貢物の献上。
  更に、美濃岩村城主遠山景任を仲介とした交渉で、兵を引かせる事に成功させる。
  武田にすればまだ兵を集める段階で織田から大量の銭を手に入れ、上野撤退で恩賞に不満を持つ家臣達を宥める事ができたのだから何もいう事は無い。
  そんな武田信玄に信長は信長養女と勝頼の婚姻による同盟の他に、「今川攻撃」という一つの提案を出す事になるのだがひとまずおいておく。
 
「一当てするぞ。
  先鋒は西美濃三人衆、次に柴田、佐久間を当てる」

「はっ!」

 名前が呼ばれた柴田勝家や佐久間信盛が立ち上がり陣屋に向かって駆けてゆく。
  西美濃三人衆にも総攻撃の下知を伝える為に伝令が駆けてゆく。

 寄せ貝が鳴る。  
  太鼓が叩かれ、万の兵が動く足音が、旗が風を切る音が、そして兵達の声が戦の開始を告げる。

 織田家の美濃征服事業、その最後を飾る稲葉山城攻めがまもなく始まろうとしていた。
  
「放てぃ!」

 轟音と共に鉄砲が城に向かって放たれる。
  惜しげもなく買い込んだ鉄砲はこの時既に五百丁に達していた。
 
「放てっ!」

 お返しとばかりに、今度は斉藤側が矢と石を、攻め込む織田兵に向けて放つ。
  飛び道具が両軍届く位置に来た結果、矢と石が双方に向かって飛び交い、織田・斉藤分け隔てなく死をばら撒いてゆく。

「かかれ!かかれぃ!!」

「一人も中に入れるな!
  迎え討て!!」

 城攻めにおいて、特に火力による攻城戦が行われない場合の城攻めは、士気が最終的にものを言う。
  その意味で、孤立無援におかれた斉藤兵は最初から勝ちに乗る織田兵の敵ではなかった。
  乱戦のどさくさで兵が逃げる程度なら、まだましな方で、寝返り斉藤兵を討つ斉藤兵まで出る始末。

「逃げるな!
  引いてはならん!!」 

「火をかけよ!
  外郭を焼いてしまうのじゃ!!」

 火矢が放たれ、松明を持った織田兵が外郭の屋敷を焼いてゆく。
  炎と煙で斉藤軍は総崩れとなり、山頂の本丸に逃れてゆき、それを織田兵が追い討つ。
  もはや、稲葉山城に抵抗する力などなかった。
  だから、信長はもう稲葉山城の先を見据えて命を下す。

「一益。
  伊勢を攻めるぞ。
  先陣を勤めよ」

「はっ」

 指名された滝川一益が立ち上がり陣を払う為に去ってゆく。

「長秀、恒興、一益を助けよ」

「はっ」
「御意」

 同じように、丹羽長秀、池田恒興が本陣より去ると、信長は燃え盛る稲葉山城外郭を見る為に本陣を出る。
  小姓に混じって当然のように猿がついているのだが、また小姓時と同じように役に立つから信長もさして気にしない。
  仕事を取られる小姓達にはえらく不評だったりするのだが。

「殿。
  どうか、それがしも城攻めに加えてくだされ」

 小姓時みたく実におだてあげる藤吉郎のおねだりを信長は彼を見もせずに一蹴する。

「たわけ。
  お前の仕事は城が落ちてからだ」

 それは、美濃制圧後の落ち武者狩りや、西美濃三人衆を含めた美濃降将達の管理を意味する。

「はっ!」

 平伏した猿など見ずに信長は燃え盛る稲葉山城を黙って眺めていた。
  その先にある天下を意識し、更なる手を考えていた信長に、藤吉郎が思い出したかのような声を出す。

「そういえば、殿。
  小牧山で我らに槍を向けた間者の正体が分かりましたぞ」

 堺や京での振舞いや、大規模支援している近江国友から鉄砲を買っていればいやでも耳にするのだろうが、それを小牧の間者と結びつけたのは秀吉の持つ諜略の才によるものであろう。
  彼は、信長を喜ばせる為に、何よりもかの女間者とその背後の主を寝返らせようとがんばったのだが。
  当初、西美濃三人衆の誰かと思っていたのだが、それは竹中半兵衛に否定され、そこではじめて美濃勢力外に目がいったのである。

 その報告に、信長はぴくりと体を震わせるが、まだ藤吉郎を見るつもりはないようだ。

「取り込め。
  手はずはお前に任せる」

「それは無理にございます。
  かの姫の申すとおり、十万石、百万石を用意していただかねば。
  おそらく、それでも足りますまい」

 信長が藤吉郎に振り向く。
  彼の台詞の内に、聞き捨てならない単語が含まれていたからだ。

「姫?」

「はっ。
  九州探題、大友左衛門督義鎮が娘、珠姫にございます。
  姫自身、十万石の知行を持つ女大名にて」

 その名前に信長は体を震わせる。
  怒るような声をあげるが、顔は修羅のように笑っていた。
 
「はは……
  姫!そうか!
  大友の姫か!!」

 燃える稲葉山城を背後に信長は狂ったように笑う。
  分かったのだ。
  かの姫が小牧山に来た理由が。
  大友と毛利が西海の覇権をかけて争っているのは天下に鳴り響いている。
  その姫が、何でこんな尾張くんだりまでやってきたのか。
  それは信長を東国から来るであろう大友の相手としてみていたからに他ならない。
  武田でも上杉でも、北条や今川でもないこの織田を。
  これ以上の求愛があるだろうか。
  尾張一国の主でしかない信長に、九州六カ国を治める大友の一族が監視をする。
  それは信長が伸びると判断しての事なのだから。
  かの姫は、自分が考えていた天下という概念を理解しているという事なのだから。

 笑いが止まらない。
  狂ったように笑う信長を藤吉郎を含む小姓達は、稲葉山城落城と美濃征服の喜びの笑みと勘違いしていたがそれはまったく違う。
  彼が生涯をかけて目指す天下というものに明確なライバルとして立ち塞がる、珠姫の宣戦布告を今にして完全に理解したからだった。

「猿。
  なんとしてもあの姫を手に入れよ。
  手段は問わぬ。
  十万石、いや、百万石でも構わぬ。
  わしのまえに連れて来い」

 なお、尾張と美濃二国で百万石である。
  いかにこの二カ国が裕福であるか分かるだろう。

「殿。
  ですが、かの姫は既に毛利……」

 藤吉郎が必死に毛利元鎮の事を説明するが信長は聞いていなかった。
  再度、燃える稲葉山城を眺め、豪胆に言い捨てた。

「女も城と同じよ。
  攻められて落ちぬ城があるものか」

 この十五日後、稲葉山城落城。
  斉藤龍興は辛うじて生きたまま落ち延び、信長はこの地を岐阜と改称する。


  以後、覇王と呼ばれる信長は歴史にその名を燦然と轟かす。
  その彼の先に大友の姫巫女がいるのをまだ誰も知らない。

 


  補足
  史実の稲葉山落城は永禄十(1567)年です。


 



戻る 目次