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大友の姫巫女

外伝その三 リスボン-ローマ-マドリード 

 リスボン。
  それは大航海時代の主役の都市の名前。
  大航海時代の船達の多くはここを母港に夢と野心を積んで世界に広がったのである。
  その成果は黄金や香辛料となってこの国に莫大な富をもたらす事になる。
  だから、そんな港町の酒場は当時の世界情勢を知る上で貴重な情報交換の場所だった。

「だから、女達が凄いんだって。
  あれを味わったらリスボンの女すら田舎娘に見えちまう」

 偉そうに語っているのはアジア帰りの船の船員。
  無事に帰りついた代償に、船室いっぱいの香辛料を積み込んで売りさばいた為、船員達にもそのおこぼれが渡り、こうして酒や女に還元されてゆく。

「そんなに凄いのか?
  そのベップという街の女は?」

 この手の話に海の男達が食いつかない訳が無い。
  話す男を取り囲んで、まだ見ぬ女達を思い、酒をあおる。

「ああ。
  黒髪で小柄な女が多いが、全員高級娼婦みたいなものだ。
  女達は絹の衣装を身にまとい、珊瑚や金の髪留めで髪を結って、学がある。
  筆談だが、明という国の文字が書けるなら、意思疎通もできる。
  で、客は必ず主人扱いで常に俺達を立てる。
  そして建物が清潔、酒も食事も上手い。
  そして女の抱き心地ときたら!!」

 ここで話す男は己の杯をあおり喉を潤して、皆が一番聞きたいだろう事を語りだす。

「まず女が臭くない。
  それどころか、清潔でいい臭いがする。
  それだけじゃないぞ!
  温泉が湧いていて、俺達の体を女が洗ってくれるんだ。女の体で!!」

「ちょっと待て!!!
  風呂で体を洗うという事は……女も裸だよな?」

 大事な事なので聞いていた男が尋ねると、予想外の解答が帰ってきた。

「だ・か・ら!
  裸の女が肌を合わせて、それで俺の体の垢を擦り落としたっていっているんだ!!!」

 その衝撃の発言に男達の目の色が変わる。
  この時期、欧州では黒死病と呼ばれるペストが大流行しており、その原因と目されていた浴場が次々と姿を消していた。
  同時に、同時に体臭がきつくなり、それによって香水の文化が花開く事になるのだが、ひとまず男の話に戻る事にしよう。

「女達は俺達が持ち込んだ石鹸を自らの体につけて、俺に抱きつくんだ。
  女の胸が動くたびに背中の垢が落ちてゆく、腕を洗う時なんて女が俺に跨ってたわしで洗うんだぞ!
  で、あれは石鹸の泡がついた手で洗い流した後で、口でしゃぶって綺麗にするんだぞ!!!」

 想像した女に欲情したらしく股間を押さえる者もいる。

「口だけじゃないぞ!
  俺の仲間には、胸で挟まれて洗われたやつもいるんだ!
  当然、その後も天国さ!!
  もう一回、俺はベップに行くんだ!!!」

 大航海時代における船の帰還率の例でマゼランの世界一周を出すと、出発時、250人いた人員が帰還時18人にまで激減する、凄まじいものだった。
  それほどの航海であるがゆえに得た物も大きく、帰ってきたこの男も下っ端とはいえ、一生慎ましく暮らすだけの金を手に入れている。
  にもかかわらず、また航海に出るという。

「ただ一つ、ベップに問題があるといえば女を連れ帰る事ができないんだ。
  『奴隷として買いたい』と言っても許してくれないし、武器で脅してもその倍以上の武器で脅されるからな。
  今度はベップに行った事のある奴を集めて、買い取れるように交渉するんだ。
  あのベップの女をリスボンにつれて来て見ろ!!
  今いる、リスボン女なんてみんな穴に蜘蛛が巣をはるぜ!!!」

 下卑た口調で女の味を思い出しながら、男は男達に語る。
  それは、新たな黄金伝説であった。


  ローマ。
  この街を支配しているのは神だった。
  神の代理人としてこの地に君臨するローマ教皇とその取り巻きがこの街を、いや西欧を動かしていた時期がたしかにあった。
  そう。あったのだ。
  今では、その権威が大いに揺らいでいる。
  マルティン・ルターらによりカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起こされ、その影響力はドイツに広がりつつあった。
  それに対抗してローマ内部でも体制内運動が起こり、改革派教皇としてパウルス4世がローマ教皇に選ばれる。
  異端審問所を作り禁書目録を作った教皇の耳に極東の魔女の事が耳に入ったのは、ある種歴史の必然だったのかもしれない。
  「教皇の精鋭部隊」と呼ばれたイエズス会からの報告に教皇は目を疑い、そして激怒する事になる。

 その極東の島国の姫は派遣された宣教師と同じぐらい聖書の事を良く知っていた。
  その姫はガリレオの書を求め、マキャヴェッリの『君主論』を求め、レオナルド・ダ・ヴィンチのありとあらゆるものを求めた。
  その姫は性を推奨し、快楽に走り、かの地で神に帰依した者を悪魔に改修させていた。

 さらに許しがたい報告がインド洋からもたらされた。
  海賊をしていたキリスト教商船がイスラム商人を襲って荷を奪ったのだが、その荷がキリスト教女性だったのだ。
  かの地が女奴隷を高く買い取る事を知ったイスラム商人が、東欧からの女奴隷を売り払おうとしていたらしく、この事件は欧州に衝撃を与える事になった。

 これらの権威の揺らぐ行為の数々は魔女からの挑戦と教皇は受け取った。
  蛮族を正しい道へ導く為に始められた布教を邪魔する魔女など、この地から消してしまわねばならない。
  激怒した教皇はその姫を異端及び魔女と認定。
  「火あぶりにかけろ!」とまで言ったという。

 だが、教皇は姫を火あぶりにかける手を持っていないし、その力も無い。
  だから、その力を持つ者へ命じたのだった。
  当時最大最強の力を持つカトリックの守護者に。


  マドリード。
  この街にある宮殿の主は、世界の王と呼んでも差し支えないだろう。
  スペイン王フェリペ2世。
  新大陸・スペイン・イタリア・ネーデルラントを支配し、太陽の沈まない帝国を作りつつあった。
  とはいえ、この時期の彼はその太陽の沈まない帝国の維持に四苦八苦していた。
  新大陸から持ち込んだ銀は価格革命を引き起こしてかえって国家財政を苦しめたし、プロテスタントとの宗教対立はネーデルラントの独立問題に発展しそうになっていた。
  更に、東地中海は強大な大帝国オスマントルコが君臨し、欧州はかの大帝国の脅威に脅えていたと言っても過言ではない。
  そんな彼にパウルス4世の極東の魔女追討など歯牙にもかける問題ではなかった。
  ……本来なら。

 だが、いくつかの事情と条件が、彼に極東情勢を考えるだけの時間と猶予を与えたのだ。

 第一に財政面。
  この魔女がいる国の隣に、欧州にも聞こえるイワミ銀山がある。
  そして、新大陸の銀採取だが現地住民の酷使と伝染病の流行により、大幅な減産が見込まれていたのだった。
  既にアフリカから黒人奴隷を大量に輸入する措置で切り抜ける腹積もりだったが、回復には時間がかかる事が予想されていた。
  何より、ポルトガルにかの銀山権益を独占させる事など彼はまったく考えてはいなかった。
  既に一度スペインは破産を宣言しており、これ以上の財政の打撃を考えるなら、安定して取れる銀山は喉から手が出るほど欲しかったのだった。

 第二に外交面。
  トルデシリャス条約やサラゴサ条約によってポルトガルとの間で世界分割協定が成立していた。
  ところが、今回のパウルス4世の極東の魔女追討はその条約を反故にできる最大のチャンスでもあった。
  既に新大陸を分割し、アフリカやインド洋の権益が確定している状況で、アジアというのは最後に残った未確定地でもあったのだ。
  それをスペインに有利に修正できるこの状況を彼は見逃すつもりはなかった。

 最後に軍事面。
  既に1559年9月、メキシコ副王ヴィラスコにフィリピン征服と植民地化を命じ、この後メキシコ副王領としてのフィリピン征服事業が始まっている。
  その戦力を転用できると彼は判断していたのだった。
  1564年の暮れに五隻のガレオン船に500人の兵と修道士を乗せて、あとはメキシコの港で出港を待つばかりのこの艦隊の目的地に、彼は一言付け加えたのだった。
  「ベップ」と。


  後に、100年にも及ぶ日欧の軍事衝突はこうした理由によって始められた。
  この軍事衝突は後に「欧州の終わりの始まり」と呼ばれる事になるが、その事を知る物は誰も。そう、誰も存在しない。

 


  なお、その元凶の極東の魔女は、その年の年末、

「ひ、姫……もう……」

「だぁめ。
  まだ、するのぉ……」

 何かを覚えたサルのように、男妾の上で腰を振っていたのだが。


 


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