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大友の姫巫女

第九十八話 覇王対姫巫女 毛利的喧嘩の買い方  

 京都一条亭の櫓の一つで月見の宴が催されていた。
  本来なら公家らしく月を眺めつつ歌を詠み、その風流を楽しむ所ではあるが、今回の宴の客人達は誰一人として月を見ていなかった。
  のんびりと満月を眺めながら、歌を読もうと思った一条兼定がその試みを断念せねばならぬほど、客人達は殺気だっていたのでる。
  今日の月見の宴の客人は、細川藤孝と小早川隆景に松永久秀の代理として呼ばれた本多正行。
  なお、珠姫は呼ばれていない。
  病で伏せっているという名目で休んでいるが、彼女が出ない事で黒幕が誰かを教えるためでもある。

「織田が叡山に篭ってから数日。
  本国美濃はかなり大事になっているとか」

 まずは部外者顔で小早川隆景が先制パンチを繰り出す。
  それに細川藤孝は顔には出さず、用意していた文句をすらすらと口に出した。

「近江に出していた軍勢も帰りつつあるし、尾張や伊勢より後詰が動いておる。
  まもなく、美濃から朝倉勢を駆逐したと届くであろう」

 嘘はついていない。
  事実、国力差を考えたら朝倉軍の美濃侵攻は失敗する事が分かっている自殺行為にしか見えない。
  裏が無いならば。

「ほぅ。
  その織田勢が退いた近江横山城に、浅井勢が襲い掛かっていると聞くが?」

 隠していた事実をあっさりと小早川隆景に言われて、細川藤孝の顔に動揺が走る。
  織田信長を叡山に追い込み、本国美濃が混乱して兵を返している情況で浅井勢が動かない訳が無かった。
  なお、叡山に退いた織田軍に朝倉軍は追撃どころか和邇から動こうともせずにじっとしている。
  それが無言のプレッシャーとなって信長の帰還を許さない。

「小早川殿。
  細川殿をあまり追い詰めるでない。
  麿がこうして場を貸したのは雅な話ができればとの事ゆえ。
  そんなに殺伐としていれば、歌もいいものができまいて」

 一条兼定が扇子を仰ぎながら小早川隆景をたしなめる。
  その様が実に雅になっているのだが、それには目も留めずに細川藤孝は一条兼定に食ってかかる。

「一条殿。
  お聞きするが、織田と朝倉の和議を留めたのはいかな理由か?」

 朝廷の和議勧告を朝議で討議しようと細川藤孝や足利義昭が動いても、公卿達はのらりくらりとかわすばかり。
  彼らの話の前に、一条兼定と小早川隆景が銭と共にこう囁いたからに他ならない。

「叡山にまで追い詰められている織田殿ばかりにいい顔を向けていて良いものか?」

 と。

「これはしたり。
  関白二条殿は何故か毛利輝元殿の官位について朝議をお開きにならないとか。
  それと同じ事が起こっただけではなかろうか?
  なにしろ、麿のみで朝議が動くとも思えぬしのぉ」

「……」

 ほっほっほと雅に笑う一条兼定の後ろでガンたれている小早川隆景によって、これが毛利輝元任官問題の意趣返しであることを否応無く細川藤孝は理解したのである。
  細川藤孝の頬を冷や汗が伝う。
  この段階での大友毛利連合の敵側への加盟は織田信長や足利義昭にとって悪夢に等しい。
  今更ながら足利義昭が誰に喧嘩を売ったのか思い知り打開策を考えている最中に、今度は陪臣ゆえ宴席の端で控えていた本多正行に小早川隆景が声をかける。

「本多殿にお聞きするが、叡山籠城は本多殿の主の策とか?」

 既に叡山近郊に展開した織田軍は、摂津や三好勢から寝返った連中に帰国許可を与えて兵を返している。
  結果、宇佐山城に森可成の千が篭り、叡山近隣に信長本陣と松永勢・羽柴勢の合わせて一万二千が展開していた。

「はっ。
  盟友である織田殿をお助けせんと申し出たのですが、叡山の門徒と揉めており陣がまだ完成していないていたらく。
  なんとか門徒を説得できぬかと頭を悩ます次第で」

 その報告をする本多正行の顔は暗いそぶりなどまったくない。
  叡山本体への入場を拒まれているからであり、彼らの持つ兵糧徴発も難航していた。
  元々朝倉とも仲が良く、織田の事を成り上がりと蔑視していた叡山門徒が素直に従うわけが無い事を、誰よりも一番彼の主である松永久秀が知っていた。
  にも拘らず、彼は叡山に織田軍を導いた。

「そういえば、それがしの義妹になる姫がこちらに来ているのですが、かの姫は叡山とも繋がりの深い宇佐で巫女をしているとか。
  何かお手伝いができるのやもしれませぬな」

 宇佐八幡宮は天台宗である六郷満山を抱え、敷地内に弥勒寺を抱える神仏混合の由緒古い社である。
  その姫巫女である彼女は経典にも詳しく、彼女に説法で勝てる僧がいないほどの仏教にも詳しかったりする。
  だから、宇佐で学んだ僧の多くがこの叡山にやってきていたりする。
  そんな姫巫女と叡山の繋がりを久秀が知らぬ訳が無い。

「それはありがたいが、その姫にお返しができぬと我が主なら言うでしょうな」

 実に楽しそうに本多正行が笑う。
  その笑みに細川藤孝はいやでも気づかざるを得ない。
  だが、細川藤孝に更なる衝撃が襲う。

「ならば、そのお返しは麻呂が用意しようかのぉ。
  実は、姫を養女にと考えておっての」

 一条兼定がほざいた戯言がどれほどやばい事かを細川藤孝は即座に理解した。
  一条兼定の母は大友義鑑の娘、現大友家当主義鎮の姉に当たる。
  つまり、珠姫から見れば一条家というのは親戚だったりする訳で、一条兼定がほざく一条家の養女という事は一条本家乗っ取りが成功している現在において、彼女の身分が摂関家に順ずるという扱いを受けざるを得ない。
  一条家つまり、大友側の調停工作が失敗しているのは、一条家の代替わりで官位がまだ低い事が最大の理由である。
  それを覆すとんでもない手を一条兼定は言っているのだった。 
  現在の珠姫の公的身分は、外従五位下宇佐八幡禰宜という神職である。
  神職でかつ女ならそれほど怖くない。
  何より外位の頂点は珠姫が今ついている外従五位までだ。
  だが、これに摂関家という身分触媒が加わるととんでもないものに化ける。
  准后の可能性が出てくるからであり、もちろん一条兼定はこれを狙っているに違いない。

 准后とは、太皇太后、皇太后、皇后の三后(三宮)に准ずるという意味を持つ称号で、宣下されると臣下でありながら皇族同等の待遇となる公家の頂点の位の一つである。
  これのやばい所は、経済的に優遇する目的で天皇の夫人、皇族、公卿、将軍家、高僧(<ここ特に重要)に与えられる事で、宇佐八幡宮は弥勒寺という寺まで抱えていたりする。
  そして、足利義満以降義昭に至るまで足利将軍に准后が宣下されている。
  足利将軍と同位に上がる事は、将軍家分裂の現状において更なる権威失墜を招きかねない。

「じゃが、九州の地より姫を京に住まわせるのもあれなのでな。
  立ち消えになったところよ。
  春の月見話の肴にするには、少し雅さが足りぬかな」

 いけしゃーしゃーと一条兼定が言ってのけるが、これ以上なく脅している。
  准后だけでなく女官位でも摂関家は優遇されており、源氏物語などに出てくる女御以上の格で配属され、天皇の妻になることも可能となる。
  それの意味する所は、


  大友・毛利連合による藤原氏や平家のやった朝廷を使った支配による室町幕府そのものの否定


  に他ならない。
  大友・毛利連合は武力・経済力ともに現在の天下において突出しており、その支配を天下に認めさせる正当性である権威のみが不足していた。
  珠姫入内という手はその権威を得ることができ、大友・毛利連合が天下の覇者となる全ての条件を揃える最後の一手となるだろう。

「そういえば、その姫様は六郷満山に新たに高僧招きたいらしく、こちらに来て徳の高い僧を探しているとか。
  本多殿。誰か心当たりはござらぬか?」

「おお、ちょうどいい。
  南都興福寺の門徒がいるのだが」

 楽しそうに会話を弾ませる小早川隆景と本多正行を一条兼定は楽しそうに眺める。
  細川藤孝以外の三者が既に提携をしている事を否応なく彼は自覚した。
  南都興福寺の門徒とはごまかしているが、松永久秀によって大和を追われた筒井家の事を指していた。
  宗教勢力からの武家化という事もあって、松永久秀が大和を掌握した後でも地下に潜伏して無視できない勢力を持っていたのだった。
  そんな彼等を引き取って欲しいという要求は、松永久秀の潜在的謀反勢力を引き取る代わりに、彼が大友毛利連合に手を貸す事を意味していた。
  そして、細川藤孝に閃光が走る。 
  彼の主君の一人である織田信長が否応無くとんでもない死地にいる事を。
  脅威なのは朝倉軍ではない。
  死地に追い込んで寝返るつもりの松永久秀こそ、最大の脅威なのだと。
  そこまで思っていた細川藤孝に疑念が生じる。

(何で、珠姫入内という一手を見せ付けた?)

 もちろん、松永久秀が本気で寝返るとは思えない。
  彼自身が三好三人衆と組んでもう一人の足利義輝を追い出した張本人なのだから。
  だが、大友毛利を背後に「信長と手を切れ」と足利義昭に迫った場合は?
  細川藤孝は、信長を助ける為には彼らの要求を呑むしかないという事を覚悟した。

「……我が主君、足利義昭様は昨日からお体の具合が悪い。
  おそらく、数日は二条の屋敷で床に伏せる事になるでしょうな」

 暗に、毛利輝元の任官妨害を止める事を認めた細川藤孝に、彼以外の三人が目で笑う。
  組んでいたのをもう隠す事無く、彼らはその先を語る。

「毛利殿へは右馬頭が妥当ではと公卿達がおっしゃっていたでおしゃる」

「ならば、我が弟は大宰大鑑あたりか」

「姫へも礼はせねばならぬ。
  典侍あたりをお願いできぬか?一条殿」

「心得たでおじゃる。
  これは頼みなのじゃが、麻呂は近衛府に勤めておるが、内裏を守る兵もおらぬ。
  誰か兵を融通してくれる所を知らぬであろうか?」

「でしたら、我が松永の兵をお使いくだされ。
  織田殿は浅井朝倉と忙しいゆえに」

 その三者の連携に細川藤孝は口を挟めない。
  そして、彼は間違っていた。
  彼の主君である織田信長が、虎の尾を思いっきり踏んづけた代償がこれであるという事を。
  珠姫でも、四郎でも、小早川隆景でも、松永久秀でもない。
  海路運ばれたその文の指示を見て、珠姫も四郎も小早川隆景すら絶句し、後に知らされた松永久秀が大笑いをして乗った策謀の目的は、

「わしの家族に手を出すな」

 という恫喝でしかない事を。

 

 
「兄上」 

 その声で、場より音が消え四郎が入ってくる。
  きちんとした身だしなみで作法に則って入る彼の半刻前は、ひまをかこった珠姫のお相手をしていたなんて、珠姫の実態を知らない細川藤孝は気づかないだろう。
  四郎から文を受け取った小早川隆景が実にわざとらしい声をあげる。

「おお、安芸の父より文が。
  先の備前の戦で宇喜多家と和議を結びたいと。
  朝廷にご足労をかけてほしいとな」

 あえて宇喜多を名指しする所にこのえげつなさがある。
  それは、大国である毛利が宇喜多を独立勢力とみなす事を意味するのだから。
  そして、明善寺合戦に大勝利した宇喜多直家を、浦上家はいやでも疑心暗鬼で見てしまうだろう。
  何より宇喜多家は祖父・能家が浦上家家臣である島村盛実らによって粛清された過去があるのだから。 

 楽しそうに語る三人を尻目に、細川藤考はこの一件を急いで叡山にいる信長に知らせねばと思った。
  同時に、自分が先の見えない泥沼につかったかのような錯覚に陥るのだった。
  この翌日、手のひらを返すように比叡山が態度を軟化。
  兵糧が提供され織田軍は息を吹き返す。
  それから更に数日経って、朝廷が織田と朝倉の戦に仲介する事で叡山篭城も終わり、近江と美濃の朝倉軍も兵を越前に帰す。
  この朝廷の動きに畿内の人間は引きつけられて、毛利と宇喜多の和議仲介や西国の幾人かが官位をあげていたりする事など話題に上らなかった。
  だが、その数日で近江横山城は浅井軍によって奪還されており、守将織田信治は城と運命を共にしていた。 
  それでも、京を守り通した織田信長は屈辱が分かるようにした上で勝利を譲られた。
  彼が傲慢と称した珠姫と同じ考えを持ち、珠姫や小早川隆景、松永久秀を操って全ての手を組んだ毛利元就に。
 


  織田と朝倉の和議が結ばれ、織田軍が京に帰還してくる。
  信長も京での処理をした後に岐阜に戻る手筈となっていた。
  京に入った信長の視野に、その見物にきた姫巫女一党がいる。
  さて、何を言ってやろうかと信長が考えていた時、珠姫の隣にいた四郎が動いた。

「えっ!?」

 珠姫を強引に抱きしめての口づけ。
  珠姫自身も何をされているのか分からずに、手が宙に浮いたまま。
  舌まで入れて激しく求める四郎に自然と珠姫も合わせてしまい、衆人環視の中の羞恥プレイの後、珠姫を抱きしめたまま四郎は信長を睨みつけた。


「手を出すな。信長。
  珠は俺の女だ」


  その光景をじっと見ていた信長は楽しそうに笑って馬を走らせ、慌てて追いかける馬廻りと共にその視野から消える。
  残ったのは呆然としている珠姫と、今頃になって恥ずかしくなったのか顔が真っ赤な四郎と、そんな二人をにやにや眺める二人の従者のみ。

「申し訳ございませぬ。姫。
  それがし、どうしても信長に一言申したく、あのような……
  罰はいかにも受ける所存で」

 いつものような申し開きをする四郎だが、目は笑っていた。
  はっきりとした男の目の笑みに、珠姫も我に戻って笑う。

「びっくりしたわよ。
  だから……」

 珠姫も四郎と同じように抱きつく。
  それを支える四郎の腕が男らしいとなんとなく思いながら、珠姫は罰を口にした。


「もう一回して」


  作者より一言
  次回で第一部的完結予定。


 

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