戻る 目次 

大友の姫巫女

第九十七話 覇王対姫巫女 叡山篭城顛末  

 第一次信長包囲網。
  こう歴史に呼ばれる事になる足利義輝派諸大名の攻勢は、姉川での敗戦にも関わらず三好軍の天王寺崩れによって足利義昭派の畿内優勢が確立しつつあった。
  この第一次包囲網最後の合戦とその包囲網の破綻を決定づけたのが比叡山籠城であり、後の史書に「生涯で最大の危機」と言わしめるほど信長を追い詰めた籠城戦は一本の矢を放つ事無く、一人の死傷者も出る事無く終わった。


  堅田に集結した織田軍は三万。
  とはいえ、大半が三好側から寝返った軍勢であり、馬廻りをはじめとするあてになる戦力は長躯機動で人馬とも疲れきっていた。
  対して、和邇に集結した朝倉軍は物見の報告によると一万五千を数え、先の姉川合戦で奮戦した朝倉景紀が率いているという。

「俺は何度も負けてきたが、『これは駄目だ』と思い知った戦が三つある。
  まぁ、その内の一つはこの間の姉川なんだが。
  上杉輝虎はどの時にどの行動をすれば相手が嫌がるか知り尽くしているのだろう。
  お主等、寡兵で戦も終わりかかっている時に姉川を渡れるか?」

 織田軍の羽柴秀吉の陣内にて酒を飲みながら、山中幸盛は楽しそうに語る。
  この男、織田家に流れ羽柴秀吉の配下となってから飛ぶ鳥を落とすがごとく功績を積み上げている。
  中でも、竹中半兵衛と共に姉川合戦での羽柴隊崩壊回避を主導し、その後の織田軍の殿として大活躍し織田信長自身からも賞され、

「俺の馬廻りに来ないか?」

 と、誘われたが、

「それがしの旗は尼子と、拾っていただいた羽柴の旗のみで」

 と断った経緯もあり、羽柴家でも弟秀長、軍師竹中半兵衛に継ぐ発言権と影響力を持っていたのである。
  合戦前の暇な陣中でそんな彼の話を聞こうと、仙石権兵衛や掘久太郎などの若侍だけでなく、前田利家や前田慶次、佐々内蔵助も来ていたりする。
  山中幸盛は、西国でも十傑に入る名将四人と戦って負けて、かつ生き残っている。
  それを自嘲気味に語るが、負けたがゆえに見える戦の真理や兵の動かし方など聞き手にとって得るものが沢山あるので、いつの間にか彼の周りには人が絶えないのである。
  なお、その山中幸盛の隣で女中姿の井筒女之介が皆に酌をし、侍達の告白を悉く断っていたりするのはまぁご愛嬌という事で。

「月山富田城での合戦で、毛利の両川、吉川元春と小早川隆景を相手にしたが、その時の二将?
  そうだな。吉川勢は何よりどの状況下でも旗指物が揺らがない。
  完全に兵を掌握している証拠だ。
  ところが、小早川勢は戦場では吉川勢よりはるかに勇猛で、大将自ら攻めてきていたりする。
  あれで、両川というのは文の小早川と武の吉川というのだから不思議なものだ。
  だが、一番怖いと思い知ったのはあの両川を率いる毛利元就だな。
  勝ち易きに勝つを心がけているから、俺がどれだけ奮戦しても結果として城は落ち尼子は滅んだ。
  再興を目指しているが、あれが生きている限り易しくは再興させてはくれぬよ」

 なんて話を披露していたりするから酒の席も楽しくなるというもの。
  らんらんと目を輝かせて仙石権兵衛が次の話をねだる。

「山中殿。
  今度は九州三将の話を是非」

 九州三将というのは、近年九州で起こった合戦の中で講談や絵巻物になって人々の口に上るようになった、

 太刀洗・水城合戦の鍋島信生
  戸神尾合戦の島津義弘
  小金原合戦の戸次鑑連 

 の三人の事を指しており、この内鍋島信生と戸次鑑連の二将と戦って負けたとはいえ、山中幸盛は生き残ったのである。
  今、彼の周りで酒盛りをしている連中は、彼の話から実になる所を取り出して自分の糧に出来るだけの技量を持っていた。

「島津殿は勘弁してくれ。
  流石に自ら刀を合わせた事がない将を語るわけにもいかぬ。
  そうだな……
  鍋島信生は、孫子の『疾如風』そのままだな。
  いつの間にかそこにいて、そしてそれが勝ち負けに繋がっている。
  やつに何度も勝ちを邪魔された身とすれば、あまり褒めたくはないがな」

 よほど堪えたのだろう。
  鍋島信生の事を語る時の山中幸盛の顔は痛々しさを隠しきれていなかった。

「では、戸次鑑連殿は?」

 掘久太郎の合いの手に答える山中幸盛の顔は、すがすがしいぐらいの笑みが広がっていた。

「勝てぬよ。
  あれからひたすら考え、夢の中ですらかの将と戦ってみた。
  だが、どのように戦っても、それに応対していつの間にか我が方が負けているのだ。
  そう思わせるだけの何かを、戸次鑑連は持っている」

 あの全てを失った小金原合戦を何度も何度も脳内で想定して合戦を行っても、一勝とて戸次鑑連から奪えていなかった。
  そう思わせる経験や、戦績が巨大な幻想として山中幸盛を捕らえているのだが、この捕らえ所のない疑心暗鬼こそ戸次鑑連の強さの源でもあった。
  そして、その疑心暗鬼を現実に変えるだけの将才に、彼の指揮に応えられる兵達。
  それを小金原合戦でいやというほど見せ付けられていただけに、彼の言葉には重さがあった。

「分かるか?
  戸次鑑連はあの一戦で全てを終わらせる為だけに、本陣を危険に晒して見せた。
  こっちが食いつくのを分かっている上でだ。
  こちらの出方を読み、我らをその場所に誘導させて、大筒と鉄砲の一斉攻撃で我らを潰して見せて、我らの壊滅を見せ付けて残りを完膚なきまでに潰した。
  あのまま本陣を晒さずに戦っても勝てたのは間違いない。
  だが、宗像本陣など少なくない兵が逃げ出して戦が長期に長引くのを避けるが為の策、戦の先まで考えている」

 そこまで語った山中幸盛ははっきりとした羨望のまなざしで夜空を見上げた。

「後で女之介から聞いたのだが、大友義鎮は戸次鑑連については戦の全権を任せているそうだ。
  あの珠姫すら豊後から出る事無く、兵糧を荷駄で戸次鑑連に届けるのみ。
  『戸次鑑連が負けるようなら仕方ない』。
  あの二人は府内でそう言ったらしいぞ。
  武人として、将として、これほどの評価は無いだろうよ」

 語り終えて淡々と酒を飲む山中幸盛に、皆押し黙る。
  そんな沈黙の中、餓鬼が悪戯をするような笑みで前田慶次は尋ねる。

「では、山中殿の手勢に我らがいた場合はどうか?
  それがしこと前田慶次なら、一騎で戸次鑑連の首を持ってきてみせる所存」

「ふん!
  貴様ごときで戸次鑑連の手勢を抜けるとは増長も華々しい。
  山中殿。
  貴殿の指揮下に前田利家も入れて頂きたい。
  戸次鑑連の手前で山中殿を止めた高橋鎮理程度ならそれがしで蹴散らしてご覧に入れよう」 
   
「そして、両者とも最後鉄砲で射抜かれるだろうよ。
  お前ら、山中殿の話の何を聞いておったのだ。
  あの場に必要だったのは我が佐々内蔵助であり、それがしの鉄砲で戸次鑑連を射抜いてみせよう」

 皆、酒が入っていい加減で口も回っている。
  まぁ、酒の席での武功自慢なんてこんなものなのだが、山中幸盛も彼らの戯言を聞きながら楽しそうに酒を飲む。
  横道正光や秋上久家と同じように騒ぎながら酒を飲んだ事を思い出しながら。

(あの戦、小金原合戦を羽柴殿や織田信長様が率いていればどうなっただろうか?)

 ふと思ったそれを山中幸盛はそのまま酒と共に飲み込んだ。
  この陣の主である羽柴秀吉は信長の本陣に呼ばれてまだ帰ってきていなかった。

 

「解せませぬな。
  彼らが落された横山城の後詰だったのは分かっている。
  ならば、何故浅井家の小谷城に入らず、越前にも帰らずにここにいるか?」

 織田信長本陣で行われている軍議の席で、実に白々しく質問をする松永久秀の台詞に諸将は誰も続かない。
  いや、続きたくても目の前にいる織田信長の怒気に押されて誰も口を開けない。
  そんな中で陽気な声をあげて場を盛り上げるのは羽柴秀吉しかいない。

「朝倉軍が浅井家の後詰で兵を集めていたのは事実。
  ですが、我らが横山城を早く落し、三好三人衆に向かったので京を狙ったかと。
  寡兵で殿と公方様が京を出られたのが好機に見えたのでしょう。
  何しろ、朝倉家は上杉家と組んで足利義輝公を奉っておりますからな」

 羽柴秀吉の分析に諸将は頷く。
  そして、中央の地図に目を向けるが、相手である朝倉軍は動こうともしない。
  小競り合いどころか、挑発しても黙っている始末。

「押し切りましょう。
  兵は我が方が多い。
  押しつぶしてしまえば、そのまま近江浅井領全て平らげられますぞ」

 宇佐山城主森可成が考えるのも面倒とばかり、強硬論を主張する。
  後詰である朝倉軍の崩壊は、近江の浅井家をはじめとした朝倉従属大名の離反を狙えるし、京都を足利義輝側勢力圏から遠ざけて安全地帯に持ち込めるメリットがあった。
  だが、その魅力的な提案を羽柴秀吉が否定する。

「ですが、既に兵糧が底をつきつつあります。
  これ以上の対陣は無理かと」

 諜報官としての側面と同時に内政官として織田家に地歩を築いていた秀吉は、朝倉景紀の狙いをほぼ正確に見通していた。
  姉川合戦から始まった一連の戦闘で織田軍は数万の兵を数ヶ月に渡って動かし続けている。
  ましてや、今回率いている元三好側将兵の兵給も面倒見なければならなくなったために、織田軍の兵給線は破綻寸前にまで追い込まれていた。
  織田家がいくら豊かな濃尾を押さえているとはいえ、三万の将兵を食わせる兵糧を近江の琵琶湖西岸まで持ってくるだけの力は残っていない。
  それを秀吉は既に信長に伝えているし、森可成も分かっていた。
  つまり、二人の応答は諸将に対して現状を認識してもらう為でしかない。
  攻めるか引くかは、全て中央で対峙している織田信長の手に委ねられている。

「朝倉は、何処から兵糧を得ている?」

 武田の飛騨攻略の支援に出て損害の少なかったゆえに、ここまで引っ張られた丹羽長秀が呻く様に呟く。
  姉川合戦で壊滅的打撃を受けた柴田勝家隊はまだ再編成が終わらず、観音寺城に残して近隣の警備をさせざるを得なかったのだ。
  丹羽長秀の呟きに答えたのは松永久秀で、楽しそうに朝倉の兵糧の種明かしをする。

「若狭から買っているのでしょう。
  九州米を」

 その一言が織田信長の顔を更に険しくしているのを分かって、実に楽しそうに松永久秀は言ってのける。
  この時期、九州から流れてくる米は不作知らずで、日本海航路を中心に京に安定供給されていた。
  京への物流の道は二つあり、一つは若狭から近江琵琶湖水運を使って京へ。
  もう一つは、瀬戸内海から淀川を遡って小椋池から京への二つである。
  淀川ルートは瀬戸内海を押さえていた毛利の力が強く、大友は近江国友の鉄砲を欲して若狭側のルートを整備し、隠岐水軍を使って鋼と共に米を運んでいた。
  そして、若狭湾最大の港である敦賀港を領地に含む朝倉景紀は、そのメリットを知り尽くしている。
  なお、数ヶ月前に成立した大友毛利連合によって、京への物流はこの二家が独占している。
  大友領の米は朝倉に流れ、織田の物流で瀬戸内海を通す物は毛利の船で運ばれていた。
  こうして対峙しているだけで、両家に笑いが止まらないほどの富が転がり込んでゆくのを、織田信長はいやでも自覚せざるを得なかったのだ。 
  
「このままでは先に飢えるは我ら。
  ここは和議を結び、兵を引くべきかと」

「いかにも。
  三好の戦から続けての戦で、既に兵の中に里心つく者もおる」

 ここぞとばかりに三好側から寝返った池田勝正と伊丹親興が和議を提案する。
  彼らにとってこの戦で得る物は何も無いだけに士気も低いし、兵糧も尽きて織田軍から借りる始末。
  だが、織田信長は口を開かない。
  この軍議の直前に急報が飛び込み、事態の急変とこの対陣の理由を突きつけたからである。


「油坂峠より朝倉軍が美濃を襲撃!
  岐阜城を目指しています!
  朝倉軍の馬印の中に斎藤龍興の旗もあり!!」


  美濃と越前国境に当たる油坂峠は交通の要衝でもあり、かつては朝倉宗滴が兵を率いて攻めた事もある侵攻路でもあった。
  もちろん、信長とてこの要衝を軽視していたわけではない。
  だが、姉川合戦で打撃を受けた美濃衆を率いて横山城を落したばかりで、織田軍の主力はまだ近江に留まっている。
  そして、摂津の三好三人衆を退ける為に信長自身が突出して敵を蹴散らしたのは、彼と彼の馬廻りしか自由に動ける手駒が無かったからである。
  その報告を聞いた信長自身が姉川など比べ物にならないぐらいの死地にいる事をいやでも自覚していた。

(どっちだ?
  姫巫女と毛利元就……あるいは両方か?)

 この仕掛けが上杉輝虎では無く、毛利元就もしくは大友珠の仕掛けである事を信長はいち早く看破した。
  何しろ、姉川合戦で蹴散らされた経験があるだけに、上杉輝虎がこのような搦め手で攻めるとは思えない。
  戦場で全てのけりをつけられるだけの軍事的才能があるがゆえに、戦略を無視できるのが上杉輝虎という男だと織田信長は思っていたし、餌をぶら下げて敵を袋小路に追い込む様子は厳島合戦の毛利元就の常套手段でもあったからだ。
  そして、信長の読みは正鵠を得ていた。
  京都には毛利元就の最も優秀な教え子である小早川隆景と大友珠が滞在していたのだから。 
  この二人のコンビーネーションプレイは辛辣を極めていた。
  前世知識と日本地理という凶悪極まりない知識を持っている大友珠が情況を分析し、小早川隆景が偶発的情況を即興で親譲りの致死性の罠に変えてゆく。
  この二人がした事は、たった二つでしかない。
  珠が本国に文を書き、若狭・越前への米の安定供給を博多商人達に頼んだ事と、畿内でくすぶっていた斎藤龍興に接触して朝倉景鏡の元へ走らせた事のみ。
  たったこれだけである。
  だから、京の警護と二人の監視をしていた羽柴秀吉の配下も見逃してしまったのである。

 
  そう。
  朝倉家の内部が朝倉景鏡派と朝倉景紀派の二派に分かれていた事を知っており、姉川合戦で失脚した朝倉景鏡の所領が油坂峠に隣接する大野郡である事を知っているのならば。
  朝倉景鏡が失脚から巻き返しを図るぐらい野心が強いことを知っているのならば。
  斎藤龍興が今だ反信長に燃えている事を知っているのならば。
  特に、朝倉家当主朝倉義景が内政家としてはともかく、大名として朝倉家の内部統制ができないという事を知っているのならば。
  摂津や近江の戦で美濃の織田軍が一時的に出払ってしまっている事が分かるのならば。
  大名独裁体制を確立している織田家において、織田信長を孤立させるという事が何を意味するか分かっているのならば。
  これだけでいいのだ。 


「多方向から攻撃を受けた信長は、それを各個撃破せざるを得ない状況に追い込まれているわ。
  だから、それをさせない為に多方向『同時』攻撃に切り替える必要があるの。
  そして、大将である信長の動きを封じ込める。
  厳島よ」

「彼にとっての宮尾城は京都。
  なるほど。
  どちらかといえば、姫のお父上が企んでいた大内輝弘の長門上陸の方が近いのでは?」

「分かる?」

 そんな会話が京都の一条亭で行われていた事を織田信長は知らない。
  既に織田信長はこの地からの撤退を決意している。
  問題は、このまま兵を引いた後での朝倉軍の追撃をかわしきれるかという事。
  既に細川藤孝に命じて朝廷和議の段取りを作るように命じている。
  問題は、その朝廷和議が整うまでの時間が足りない。
  兵糧は近く枯渇するし、飢えた兵で戦える訳もなく、それが京の治安悪化に繋がったら政治的致命傷を負いかねない。
  中山道を確保したのはいいが、琵琶湖の水運はまだ織田の影響下に従っていない。
  兵を引くのは構わないが、その為には現在対峙している朝倉軍二万が京を落さない事が絶対条件である。

「宇佐山城に引くぞ」

 その信長の声に降将達は安堵のため息をつき、信長の家臣達は撤退戦の事を考えて真っ青になる。
  士気も低く、内応の可能性すらある降将達に殿を任せられる訳が無い。
  そして、宇佐山城は落ちると京まで防ぐものがない最終防衛線でもある。
  兵糧に不安があり、士気と忠誠に不安がある現在の織田軍をそこまで後退させ、同時に摂津や和泉の諸将を帰して最精鋭のみで防衛する腹積もりだった。 
  だが、その構想に異を唱える将が立ち上がった。

「後退することにおいては依存はござらぬ。
  じゃが、宇佐山城のみに背後を任すのは不安が残る。
  いかがであろうか?
  宇佐山城に退くのではなく、別の場所に陣を移すというのは?」

 実に楽しそうな笑みを浮かべて、松永久秀は淡々と抑揚のない声で信長に語りかける。
  声とは裏腹の笑顔がたまらなく信長を不快にさせるが、それぐらいで案を持つ者を切り捨てるほど彼はうつけではなかった。
  その沈黙を肯定と捕らえた久秀は、実に楽しそうな声で続きを口にする。

「特に問題なのは兵糧。
  これが足りるのならば、朝廷の和議斡旋まで時間が稼げます。
  それだけの米を蓄えており、宇佐山城の後詰の位置にちょうどいい場所があります。
  そこに兵を退くのです」

 松永久秀が何を言っているのか分かった諸将が、悪魔を見るような目で彼を見つめるが、松永久秀は澄ました顔でその場所を言ってのけた。


「比叡山延暦寺」


  と。


 


戻る 目次