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大友の姫巫女

第九十話 覇王対毘沙門天 姉川合戦 

 美濃国 岐阜城 

 年がかわった織田家本拠地において兵が動員されてゆく。
  その目的は近江国浅井家だった。

「浅井を攻める」

 悪化するばかりの織田家の対外情勢の打破に向けて、熟考を重ねていた織田信長はついに浅井家に対しての交渉を打ち切り、対浅井朝倉戦に打って出る事を決断した。
  関が原とて雪なのだが、朝倉本拠に通じる木ノ芽峠も雪に覆われてすぐに援軍に出せないと踏んだからである。
  ましてや、浅井朝倉のバックに居る越後の上杉家は言うに及ばす。
  更に織田を通じて足利義昭を奉じる形となった武田家が対上杉戦を再開。
  その戦場は本拠越後ではなく、織田の支援を受けられる飛騨。これはあくまで囮。
  武田信玄の狙いは雪で援軍が出しにくく、北条の支援が受けられる上野国長野家だった。
  既に武田家を苦しめた名将長野業正は亡く、先の侵攻では上杉家の足利義輝来訪による政治的威信に兵を引いたが、織田と組んだことで足利義昭という大義名分を得た上、北条にも支援を取り付けて箕輪城を落す気満々である。
  こうして上杉の目を関東に集めた上で、浅井朝倉を叩く事で畿内の安定を狙ったのだった。

 浅井戦は諜略によって始まった。
  浅井側国境を守り、苅安城と長比城を守備する鎌刃城主堀秀村が、堀家家老樋口直房の説得によって織田家に寝返りを決めたのである。
  これを手引きをしていたのが、縁のある羽柴秀吉配下の竹中半兵衛なのだが、彼が秀吉に従って京都近辺に居た事が彼らの不運となった。
  内応を疑っていた浅井側がこの事実をつきとめてしまい、1566年(永禄9年)頭に二将はいやでも兵をあげて信長に救援を求めなくてはならなかったのだ。
  結果、浅井側に攻められて鎌刃城は落城、苅安城も捨てて長比城にて篭城する事に。
  これも浅井側が堀家を監視していたのと、西国交易、特に筑前の鋼が近江国友にて鉄砲に変わる若狭湾交易が盛んな事もあって、街道が整備されて兵を迅速に動かせたのも大きい。
  長比城を囲んでいた浅井軍はそこで堀秀村救援に駆けつけた織田軍と交戦。
  双方兵を引くが、これで浅井の反織田路線が決定的となる。
  対織田戦に向けて、浅井家は直ちに朝倉家に支援を要請。
  織田家も対浅井戦を進め、兵を岐阜から出す事になったのである。

 こうして、今回の浅井朝倉戦において、織田信長はかなり危険な橋を渡る羽目になった。
  特に京都から西の旧三好領は織田家の支配を受けておらず、四国に逃れた三好三人衆がいつ逆襲するか分かっていない。
  本来なら、西国に成立した大友毛利連合に四国を叩いてもらいたい所なのだが、その交渉も松永久秀のせいで頓挫している。
  その結果、京近辺の防衛に羽柴秀吉を、更に西から来るであろう三好三人衆に対して、松永久秀と三好義継と畠山高政を配置せざるをえなかった。
  京都と岐阜の間も兵を置かないと孤立しかねないので、観音寺城に柴田勝家を、伊勢に滝川一益を置いて万一に備えさせている。
  更に、武田の飛騨攻略戦支援に丹羽長秀を将とする三千を出す事になり、織田家の将兵は個々に散る羽目に。
  とはいえ、これでも動員は織田の方が多いのだから、いかに織田家が支配している尾張・美濃・伊勢が豊かかわかろうというもの。
  織田家主力は二万を超え、その中核は西美濃三人衆(稲葉良通・安藤守就・氏家直元)をはじめとする美濃・尾張衆。
  織田家譜代から佐久間信盛や坂井政尚、森可成、池田恒興らが呼ばれ、更に徳川家康率いる三千の三河衆まで駆けつけたのだった。
  長比城を辛うじて押さえた織田軍はそのまま苅安城を攻撃し、一月後に奪回。
  また、観音寺城の柴田勝家や京都に滞在していた羽柴秀吉、足利義昭の家臣でもあった明智光秀らが率いる一万が南近江から挟撃。
  佐和山城は落とせなかった(現在も明智光秀が包囲している)が、鎌刃城をはじめとする中山道の諸城を落として、京と美濃の直通路確保に成功したのである。
  羽柴・柴田勢と合流し三万にまで膨れた織田軍はそのまま浅井征服を狙い、小谷城を視野におさめる横山城を狙うが、既に小谷城には浅井援軍として雪路を走破した朝倉景鏡・景紀を総大将にした朝倉軍二万が来ており、浅井軍五千を加えて姉川の対岸に陣を構えた浅井朝倉連合軍二万五千との激突は目前に迫っていた。
  

 地理説明
  白 浅井側  朝倉軍と共に姉川に布陣
  黒 織田側  横山城織田軍包囲中

 

       小谷城
         凸

        姉川

        横山城     苅安城
          凸       ▲


                 長比城
                  ▲

 

         鎌刃城
           ▲

 佐和山城(明智光秀包囲中)
   凸
  

 


「何?
  それはまことか?」

 織田軍羽柴陣内にて、その声をあげたのはその陣内で中央に座っていた羽柴秀吉。
  その声をあげさせたのは、織田家中でも新興の羽柴勢において揺るぎ無い地位を短期間で確立した山中幸盛で、彼の背後には美少女くノ一にしか見えない井筒女之介が控えていた。
  彼(彼女)は尼子滅亡後に大友が保護した鉢屋衆の忍びだったが、山中幸盛と流浪の尼子勢を見捨てられずに秀吉の旗下についたのである。
  なお、当初女之介の性別を知らない秀吉が閨に招こうとして、男と知ってひどくがっかりとしたのは家中の語り草になっていたりする。
  ちなみに、この話のおちは愛人ができたと激怒したねねが、秀吉と女之介本人から話を聞いて大爆笑。
  それがねねの手紙で信長本人にまで伝わってしまい、

「まぁ、愛人じゃないからいいじゃないか。
  ところで、俺もその美少年を見てみたいのだが」(意訳)

 という男同士の恋愛も許されていた戦国らしいエピソードに仕上がったという。
  

 話を元に戻そう。

「はっ。
  上杉軍が敦賀港に上陸。
  兵数は分からねど、その馬印から上杉輝虎本人に間違いないかと」

 山中幸盛の背後に控える女之介が中性的なソプラノで不機嫌極まる報告を告げる。
  秀吉の隣で軍師たる竹中半兵衛が顎に手を当てて考え込み、その隣では秀吉の与力としてつけられた蜂須賀正勝が低くうめき声をあげていた。
  なお、弟の羽柴秀長は勝龍寺城の守備についているのでこの場にはいない。
  秀吉は一度大きく息を吐き出して、女之介に向けて口を開いた。

「この事は、誰かに漏らしたか?」

「いえ。
  殿の許しがあるならば、すぐに大殿にお知らせ致しますが?」

「許す。
  すぐに伝えよ」

 秀吉が言い終わる前に女之介の姿が見えなくなる。
  その事など気にする事もなく秀吉は皆に向けて否応無く現実をつきつけた。

「今の報告がまことなら、もう上杉勢は小谷城に入っている可能性が高い」

 いかに忍びといえども、越前敦賀港からここまで敵領を隠れての報告である。
  ならば上杉軍が小谷城に入ったという最悪の可能性を考慮した方が、しないよりましである。
  上杉輝虎がこっちに来る事は織田信長にとって想定外に違いなかった。
  関東情勢は上杉側に不利であり、北条氏康と武田信玄の同時侵攻に関東諸侯は悲鳴のような救援を越後に送っていたはずである。 
  にもかかわらず、上杉輝虎はこっちに来た。
  関東管領という名を得て数度にわたる関東侵攻をご破算にしかねない情況にもかかわらず、将軍義輝という義を取った上杉輝虎を利で考えてしまった織田信長の失敗であろう。
  とはいえ、敦賀港という事は海路で来た事になり、船で運べる兵数を考えると馬廻ぐらいしか連れて来ていないに違いない。

「案ずる事はない。
  兵は我が方が多いのだ。
  負けるはずは無い」

 秀吉は虚勢を張って笑って見せるが、何よりも上杉軍の強さを知って恐れていたのが、彼の上司である織田信長であったのを秀吉は知っていた。
  だが、大将が不安がっていては勝てる戦でも負けてしまうので、虚勢を張り続けないといけないのだった。
  彼の不安は翌朝現実となる。

「敵襲!
  朝倉勢の朝駆けにござる!!」

 早朝、姉川を挟み戦に備えて渡河場所を探していた足軽同士の小競り合いだったのだが、上杉輝虎出陣を知った織田勢が過剰反応をしてしまい、それに浅井朝倉勢が釣られる形で戦闘が激化。
  朝日が山にかかる頃には、既に双方とも主力を投入して、姉川は双方の血が流れるようになっていた。
  この渡河戦を制したのは浅井朝倉軍で、特に地元である浅井勢は地元の地の利を生かして織田軍先鋒である坂井政尚隊を蹴散らしたのである。
  坂井政尚は討死し坂井隊は四散、渡河地点を確保した浅井朝倉軍はそのまま織田軍本陣に向けて襲い掛かる。
  これに対して、織田軍は鶴翼の陣を敷いてその攻撃を受け止めようとしていた。

 

 
 
----------姉川---------              
               C
               A
           B   ③②              
           ④  
              ①

               ⑤
               
               凸
              横山城             


織田軍                                       三万
①信長本陣       織田信長                    四千
②織田軍右翼     安藤守就・氏家直元・稲葉良通   六千
③織田軍主力     佐久間信盛・坂井政尚・森可成   一万
④織田軍左翼     柴田勝家・羽柴秀吉           五千
⑤横山城警戒部隊 池田恒興・徳川家康           五千

浅井朝倉軍                                   二万五千
A浅井軍          浅井長政・遠藤直経・阿閉貞征   五千
B朝倉軍本隊      朝倉景鏡・前波新八郎・魚住景固 一万
C朝倉軍別働隊    朝倉景紀・山崎吉家・真柄直隆   一万

             
  浅井朝倉軍にしてみると、姉川において坂井隊を蹴散らした段階で兵を引いても良かったし、事実浅井長政やその後詰に来ていた朝倉景紀は兵を引かせるつもりだった。
  だが、朝倉軍本隊を率いる朝倉景鏡が了解無く渡河し突出してしまい、仕方なく後に続いたのである。
  今回、浅井の援軍に来ていた朝倉軍は大名である朝倉義景本人の出馬はせず、朝倉家における一門である朝倉景鏡と朝倉景紀に同じ兵を与えて送り出していた。
  この二将は朝倉家中における派閥のトップ同士であり、加賀攻めでは席次をめぐって朝倉景紀の息子が切腹する異常事態を引き起こし、あわや同士討ちかという事態にまで発展しかかるぐらいに仲が悪い。
  この派閥対立は敦賀港を領地にして経済的に裕福な景紀派と、加賀侵攻によって影響力を強めた景鏡派という朝倉家の統治地域の派閥対立から発生していた。
  それが回避されたのも上杉輝虎が加賀まで出張った事で、朝倉側も朝倉義景自身が出馬せざるをえず、義景の調停が成功したからである。
  一応景鏡を上位という事で立てているが、今回の兵数の割り振りを見て分かるように同権に等しく、朝倉義景がいかに二将を調停したかその苦労が忍ばれる。
  話がそれたが、朝倉景鏡突出の背景にはこのような事情があったのだった。
  そして、当然の事だが彼らは上杉輝虎の援軍到来、それもすぐ近くまで来ている事を知っていた。
  だから、朝倉景鏡は突出したのである。
  浅井家は朝倉家の従属大名だから朝倉側が上位で指揮を進められるが、少数とはいえ上杉輝虎なんてビックネームが出張ってきたら、朝倉一門とはいえ重臣でしかない朝倉景鏡はその命令を拒む事は難しい。
  なお、加賀での戦では、一向一揆勢力と対峙している朝倉景鏡に対して、上杉輝虎は少数の兵で一揆勢の後方を撹乱・崩壊させて勝利を掴んでいる。
  もちろん、一揆勢を拘束し続けた朝倉景鏡の将才も並のものではないのだが、その苦労に対して華麗に武功を見せ付けた上杉輝虎に対して不満と嫉妬があったのである。

「猪に正面から当たる必要はない。
  ゆるゆる当たりながら引くぞ」

 羽柴隊の先陣に陣取っていた尼子勢を率いる山中幸盛が、落ち着いた声で兵達を指揮して羽柴隊を後退させて行く。
  彼も彼が率いる尼子勢も小金原合戦を生き残った者達ばかりで、これぐらいの劣勢などなんとも思わない。
  とはいえ、二倍の兵に襲い掛かられた織田軍左翼は甚大な損害を出す事になるのだが。
  織田軍左翼にとって不幸なのは、本来横槍を入れる織田軍主力が坂井政尚隊の崩壊で動けず、その上浅井軍に食いつかれたので織田軍右翼の横槍で辛うじて主力の崩壊を食い止めている情況だったのである。
  結果、織田軍左翼と主力の間が薄くなり、本陣への道を開いてしまう。
  その間隙を朝倉景鏡は逃すつもりは無かった。
  同時に、織田信長も朝倉景鏡を逃すつもりは無かった。
  織田信長は躊躇う事無く、本陣を前に出し織田軍主力と左翼の間を塞ぐ。
  更に、織田軍左翼と織田軍主力の最後尾に位置する森可成隊に横槍を命じて、半包囲を完成させたのである。
  三方向からの包囲攻撃に朝倉景鏡隊は前波新八郎が討死し、中段の魚住景固隊までが崩壊寸前に追い込まれるが、それを阻んだのが浅井軍の織田軍主力に対する攻撃だった。
  織田軍右翼の横槍を朝倉景紀隊が支えるという見事な連携で、特に真柄直隆・直澄の二人の兄弟の奮迅に織田軍右翼の将兵が近寄れず、彼らが稼いだ時間で浅井軍の遠藤直経が織田軍主力に突貫。
  これを食い破り、森可成隊の背後に当たる佐久間信盛隊を崩壊寸前に追い込み、森隊の横槍の勢いを鈍らせたのである。
  この時、横山城警戒部隊として後方に置かれていた、池田恒興・徳川家康の両隊も戦場に駆けつけ、援軍を見た佐久間隊が崩壊寸前から立ち直り攻勢を強化。
  佐久間隊の回復による織田軍主力の立ち直りを見て、浅井朝倉軍は後退を決意する。
  だが、織田軍は池田・徳川の両隊を追撃に投入し、それを見た織田軍右翼の安藤・氏家・稲葉の各将も攻撃を強化。
  朝倉景鏡隊後退を支援する為に浅井軍と朝倉景紀隊は、最後の予備兵力である山崎吉家隊と阿閉貞征隊を出して更に血を流す羽目に陥ったが、朝倉景鏡隊が織田信長本陣に深く食い込んでいた為に姉川まで戻れない。
  そんな時に、羽柴秀吉や織田信長が恐れていた事態が出現する。

「姉川対岸に毘の旗印!
  上杉勢です!!」

           D
----------姉川---------              
               AC
            ④B③ ②              
             ⑤
              ①

               
               
               凸
              横山城       
 
 
織田軍                                      二万五千
①信長本陣        織田信長                  三千
②織田軍右翼      安藤守就・氏家直元・稲葉良通 五千
③織田軍主力      佐久間信盛・森可成         六千
④織田軍左翼      柴田勝家・羽柴秀吉         三千
⑤横山城警戒部隊  池田恒興・徳川家康         五千

浅井朝倉軍                                          一万九千                                                                                                                                                                                                                                   
A浅井軍        浅井長政・遠藤直経・阿閉貞征    三千
B朝倉軍本隊    朝倉景鏡・魚住景固            五千
C朝倉軍別働隊  朝倉景紀・山崎吉家・真柄直隆    八千 
D上杉軍       上杉輝虎                      三千

                                          
「うろたえるな!
  戦の手前顔を出しに来ているにすぎぬ!
  もうすぐ敵が崩れるのに、やつらが川を渡る訳が無い!!」         

 誰の声か分からぬが、その声は織田軍将兵一同の願いだったのだろう。                                    
  そして、その願いは見事に踏みにじられた。

「上杉勢!渡河!!
  姉川を渡ってこちらへ押し寄せてきます!」

 その瞬間、勝っているのにも関わらず、織田軍は恐慌状態に陥ってしまった。
  織田軍の兵は国衆動員ではなく、あふれ者を雇い入れる傭兵が主体になっている。
  だからこそ、敵よりも多くいつでも戦ができるのだが、その分錬度なんて当てにできる訳が無い。
  そんな彼らにとって、戦国最強の呼び声高い上杉軍と正面で戦うなど、まっぴらごめんである。
  率いるは軍神上杉輝虎。
  連れている兵は少数なれど、全員が第四次川中島合戦参加者によって占められている最精鋭である。
  織田軍は何しろ今は勝っているのだ。
  無理して命なんて失いたくない。

「殿!
  ここは後退を!
  上杉勢が狙うは一番弱いここ織田左翼ですぞ!」

 負け戦を知り尽くしている山中幸盛が、坂井隊崩壊と友人である坂井久蔵討死の報告に頭の血がのぼって無謀にも突っ込んでいこうとした仙石権兵衛をぶん殴って押し止め、馬上から羽柴秀吉に向かって叫ぶ。
  自分達がどれほど危ない場所にいるか、勝っていると思った瞬間から負け戦に転がり込んだ将兵の士気崩壊など、出雲と九州で彼は味わい尽くしていたからこその進言だった。

「殿、それがしも同じ意見です。
  今引かねば我らは潰されます」

 秀吉の隣にいた竹中半兵衛も、山中幸盛と同じように引く事を進言する。
  目の前の朝倉軍は既に総崩れに近い状況に陥っている。
  それは手柄の山が眼前にあるという事で、羽柴隊からも手柄を求めて勝手に追撃をかけている足軽が多数いたのである。
  敗走寸前の敵軍、そして小数なれど戦国最強を名乗る上杉軍の突進。
  迷いが無かったと言えば嘘になる。
  だが、山中幸盛の経験と竹中半兵衛の理論が同じ意見、後退を進言している。
  羽柴秀吉は人たらしである。
  それは彼が、人の話を聞くからに他ならない。

「下がるぞ!
  徳川隊と連携が取れる所まで引けい!」

 一瞬だけ、後悔の顔を浮かべるが羽柴隊は朝倉軍追撃から一歩引いて、徳川隊と連携が取れる位置まで後退する事になったのだった。
  そして、それは羽柴秀吉や山中幸盛の命をも救う事になった。
  羽柴隊は後ろ髪引かれながらも徳川隊と連携が取れる場所まで後退し、柴田隊は上杉軍出現に動揺しつつも勝ち戦と功績をあげるチャンスと上杉軍に向かって突き進んでゆく。

 鎧袖一触。

 気合が、

 経験が、

 覚悟が、

 信頼が、

 その全てが柴田隊には足りていなかった。

 

「そして何より、速さが足りない」

 

 馬上から車懸りの陣で上杉軍を指揮していた上杉輝虎がぽつりと叩き潰した柴田勝家隊について漏らす。
  上杉軍はさも当然のように柴田隊を叩き潰し、織田軍の包囲に大きな穴があいて朝倉景鏡隊がそこから逃れてゆく。
  彼の視線は逃れる朝倉軍などもはや見ておらず、次の獲物に向かっていた。
  朝倉景鏡隊と浅井軍に兵を出した為に広がってしまった織田軍主力である。
  柴田隊の崩壊を目の当たりにした織田軍主力に上杉軍を止められる訳が無かった。
  
「柴田隊!総崩れ!」
「羽柴隊、佐久間隊後退します!」
「森隊が支援を求めています!」

 本陣に次々と悲鳴のように転がり込んでくる敗報にも、織田信長は眉一つ動かさなかった。
  その眉が動かざるを得ない報告が、南に派遣していた物見から飛び込んでくる。

「横山城に動きが!
  打って出る可能性あり!」

 目の前で浅井朝倉軍が負ける所を目撃し、今まさに城から逃げ出そうとしていた横山城将兵は上杉勢の鬼神のごとき働きに勇気付けられ、徳川・池田勢が浅井朝倉軍追撃に出てそのまま山を下れば信長本陣までがら空きである事に気づいたからに他ならない。
  この時代に相応しくないほどの戦略思考と合理性を持っていた信長は、既にこの戦の存在意義を見いだしていなかった。
  今回の浅井戦の目的は中山道の確保であり、横山城攻撃からはじまる浅井征服戦はおまけでしかない。
  ならば、ここで無理をせずに兵を引いて、長比城・鎌刃城などの城の確保につとめ、上杉輝虎が帰るのを待てばいい。
  関東は間違いなく危機的状況だし、武田が本拠越後でもつけば否応無く帰らざるを得ないのだから。
  そこまで考えた織田信長は立ち上がって、大声でその一言を告げる。

「引くぞ!
  馬持てい!!」

 そう言い捨てて、数騎の供回りのみで戦場から離脱してしまったのである。
  この瞬間、織田軍はほとんど手にしていた勝利を捨てる事となった。
  もはや追撃どころの話ではなく、総大将の離脱という仰天事態に織田軍は大混乱に陥ったのである。
  もっとも、浅井朝倉軍も追撃をかける余裕などなく、上杉軍も浅井朝倉軍撤退の支援のみに徹していたので動こうとはしなかった。
  とはいえ、跳ね返り者や打って出た横山城城兵に対して殿として織田軍崩壊を救ったのは、羽柴秀吉・池田恒興・徳川家康の三将で、特に羽柴秀吉はこの殿の成功で謀略・諜報や内政官としてでなく武将としての地位を完全に確立する事になり、一軍を任せられる者と見られるようになったのである。

 一方、辛うじて負けなかったとはいえ浅井朝倉軍も多大な犠牲を強いられ、横山城以南は佐和山城しか残っていない事実に呆然とする。
  織田信長の読みどおり、上杉輝虎はその翌日には敦賀港に向けて兵を戻さなければならなかった。
  もはや関東の情勢悪化は無視できない所にまできており、

「あと、一月。
  この地に留まれたら、京まで進めたものを……」

 そう言い残して小谷城を去らねばならなかったのである。
  なお、横山城はこの半月後に再度襲ってきた織田軍二万によって陥落し、佐和山城も明智光秀の包囲と諜略によって開城・降伏。
  浅井を支援するはずの朝倉家では、無断突出の一件によって朝倉景鏡が失脚するという政変真っ只中で、浅井を助けるどころではなかったのである。


  戦術的勝利を捨てて、戦略的勝利を確保した織田信長だが、その綱渡りは相変わらずのままだった。
  姉川合戦で不穏となった織田家の求心力を回復するために、尾張・美濃衆を再度集めた横山城再攻撃で横山城を落したはいいが、摂津国野田城・福島城にて三好三人衆が上陸・蜂起の急報が横山城再攻撃に参加していない羽柴秀吉からもたらされたのである。
  なお、彼の文は二通あって、落城によって燃え落ちる横山城を背景にもう一通の文を読んだ織田信長は、魔王と呼ぶに相応しい笑みを浮かべて呟いたのだった。

「ようやく来たか。
  待ちわびたぞ。姫巫女」

 その文にはこう書かれていた。

「和議斡旋と毛利輝元任官問題で大友と毛利の使者が近く船で堺に上がる予定。
  大友側は臼杵鑑速と珠姫、毛利側は安国寺恵瓊と小早川隆景で、堺町衆および松永久秀の供応を受ける予定……」

 

姉川合戦

 兵力
  織田軍            織田信長・他                      三万
  浅井・朝倉・上杉軍   浅井長政・朝倉景鏡他・上杉輝虎      二万八千    

損害
  一万(死者・負傷者・行方不明者含む)
  九千(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死

 坂井政尚(織田軍)
  前波新八郎(朝倉軍)

 


地理メモ

  
横山城   滋賀県長浜市堀部町
鎌刃城   滋賀県米原市番場
苅安城   滋賀県米原市弥高の弥高百坊  (苅安賀城)
佐和山城  滋賀県彦根市佐和山町・鳥居本町

 




 


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