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大友の姫巫女

第八十六話 覇王対姫巫女  京都二条御所今昔 


 京都。

 それはこの戦国の世において首都と呼ばれる街のはずである。
  とはいえ、既に皇族や公家は政治から退き、政府である所の幕府は形だけであるが、この街は都なのだった。
  多くの諸侯はこの街に兵を引きつれ、天下に号令したいと思うからこそ、この街を目指す。
  そして、そのような大名達の夢を果さんと、一人の男が京都に乗り込んだ。

「賑っているじゃないか。思ったよりも」

 それが、足利義昭を引き連れて京に乗り込んだ、織田信長の感想だった。


  織田信長の京の滞在は多忙を極めた。
  京都無血開場のお膳立てを整えた松永久秀と会見後、兵をそのまま摂津・和泉・河内に出し、三好義継を支援して三好三人衆を阿波にたたき出すと、今度は本願寺や堺に対して矢銭を要求する。
  朝廷にも使者を出して多くの金品を献上し、足利義昭の御座所として二条の御所を修復したかと思えば、上洛によってご機嫌伺いをする大名達に謁見し、己の権威を確立する。
  摂津・和泉・河内は頭になっていた三好三人衆が逃亡したので、ひとまず三好義継を支援する織田信長と松永久秀に従っており、何かあったら反旗を翻すのが丸見えだった。
  また、京との道である鈴鹿越えを脅かす六角残党討伐の為に結構な兵も出ており、京の安全は危ういバランスの上で成り立っているのは、誰よりも織田信長自身が一番良く知っていた。

「殿。
  細川殿と明智殿がお待ちです」

「ふむ。
  大和の蛇についてだったか?
  猿よ」

「はっ。
  公方様は喜ばないでしょうが、松永殿を幕府奉行衆に入れざるをえないかと」

 猿、羽柴藤吉郎の言葉に織田信長の顔がぴくりと動く。
  大和の蛇と信長が名づけた、三好家に仕えて幕府を動かしていた畿内の巨人。松永久秀。
  現在、彼を排除するには危険が伴っている。
  彼は堺町衆とパイプを持ち、大和という畿内のど真ん中に領地を持ち、隣国伊賀より大量の間者を雇って情報を集めていた。
  そして、彼の背後には一代で成り上がった西国の英傑毛利元就と、急速に纏りつつある西国経済圏を作り上げた女傑大友珠がいる。
  このような男に対抗できる人間は信長を除いたら、藤吉郎以外には滝川一益ぐらいしかいないが、彼は六角残党討伐と鈴鹿越えの安定の為に伊勢から動けず、藤吉郎しか残っていなかったという理由もある。
  かくして、織田家京都奉行兼勝龍寺城城主、羽柴藤吉郎秀吉は誕生する。

 偶然と、悪意によって。

「あの蛇は欲が強すぎる。
  その欲の先さえ見ていれば、さして怖くは無い。
  問題は、あの蛇の後ろだ」

 松永久秀は、三好三人衆の一人であった岩成友通の居城だった勝龍寺城を信長に献上した時に、こんな事をほざいたのだった。

「伝言を。
  『猿に伝えて。出産祝いよ』だそうで」
 
  珠姫が尾張に出向いて信長に会ったのを久秀が知ったのは、彼女が尾張を去ってから秀吉が信長の命を受けて彼女の事を捜索しだしてからである。
  何しろ金払いと巫女姿の一団で調べれば、確実に引っかかる容姿だっただけに、そのワードに注目している者がいる事を秀吉は失念していたのだ。
  伊賀の忍びを雇える久秀の情報網に秀吉が引っかかり、そこから芋づる式に信長までたどり着いたのは、久秀の謀才が超一流レベルにある証左であろう。
  勝龍寺城譲渡は、珠姫についてどれだけ知っているかの久秀の先制パンチ(つまり出産祝いは久秀の出任せ)であり、信長に珠姫を意識させて、本当の実行者である久秀を隠す目的もあったのである。
  この一件で、信長が珠姫に執着している事と、その珠姫担当が羽柴秀吉である事が分かり、府内の珠姫にいい出産祝いができたと内心笑いが止まらなかったのである。
  とはいえ、その時の信長の大爆笑と、重臣一同がら向けられた疑念と嫉妬心などおくびに出さずに信長におべんちゃらを言い続ける藤吉郎の陰に隠れて、笑みを浮かべた久秀の笑みの理由に気づいた者はいない。
  なお、

「俺のものでもないから、もらっとけ」

 と、笑い疲れた信長の一言にて、秀吉は一城の主という大出世を遂げる事になるから人生とは分からない。
  なお、彼はこの後の嫉妬回避に丹羽長秀と柴田勝家から一文字ずつ貰って、羽柴性に変え、秀吉の名前もこれ以後使うようになる。
  この時期の織田家は石高による兵数動員と一線を画しているから石高では分からないが、この地を得た秀吉は対松永への京都防衛の砦として蜂須賀正勝率いる川並衆を中核とした信長の与力三千の兵を配下につけて、この地に常駐していた。
  待望の長男が生まれ、足軽から城主への転進を遂げた秀吉は、今あぶらが乗りに乗っている。
  弟秀長に妻のねね、母のなかなど一族だけでなく、軍師竹中半兵衛等を連れて勝龍寺城に乗り込んだ秀吉はその人身掌握術で、京に無視できない影響力を築くことに成功し、それが信長の京支配を支えていたのである。
  なお、ここで秀吉の配下になった者で尼子家再興を誓い、九州から流れてきた山中幸盛という若武者もいるが、元が近江京極家の分家だった事もあって尼子残党を率いて六角残党討伐に多大な功績をあげ、新興の羽柴家にて重きをなしていくのだがそれは後の話。

「猿。
  近く兵を美濃に戻す。
  観音寺城は勝家に、伊勢は一益に任せるのでよきに計らえ」

「はっ」

 そして、二人とも会話を止める。
  その先の間には、足利義昭を補佐する細川藤考と明智光秀の二人が待ち構えていた。
  兼帯といい、足利義昭と織田信長という二人の主君に仕えている二人だが、立場上将軍家が織田家より上になる為にこういう虚構じみた話し合いが持たれる事になったのである。

「お忙しいところを……」
「構わぬ。
  用件を申せ」

 明智光秀の挨拶を切り捨てた織田信長は本題に入る事を望み、それを受けて細川藤考が口を開く。

「では。
  上杉の襲来は今年の夏になると」

「ほう」

 秀麗な顔が皮肉に歪む。
  彼の計算では上杉襲来は二ヵ月後と踏んでいたからだ。

「秋の収穫を考えると、八月までには兵を帰したいはずだ。
  それがどういう理由で、夏までという楽観的な理由になったのか是非聞かせてもらおうか」

 信長の凄みのある問いかけに対して、それに明智光秀が才ある声で答える。
  その声に若干の棘があったのは、先ほどの挨拶を潰された意趣返しなのだろうか。

「発想が違うのです。
  武田や上杉の兵が何故強いかご存知ですか?」

 信長は答えない。
  その問いかけで恥をかくのは自分だと、先に秀吉が横から口を出したからである。

「それは国が貧しくて、食う為に……」

 光秀の才ある顔に笑みがうっすらと浮かぶ。
  その答えを光秀は求めていたし、それを光秀が求めている事を秀吉が分かっていたのに気づいたからだ。
  織田家の中枢に食い込んでゆく二人の出会いは決して悪くは無かった。

「食う為に戦をするような連中が、夏にまじめに畑仕事なんてしますか?」

「なるほど」

 畑仕事に才能があるやつも居れば、人殺しに才能がある奴も居る。
  畑仕事ができる連中を動員すればその国は飢える訳で、彼らはその収入によって人殺しに才のある輩を雇っていたのである。
  ここで、傭兵という言葉を使わなかったのはやっている事は傭兵なのだが彼らよりはるかにきつく地縁血縁に縛られており、どちらかといえば職業軍人という扱いの方が近いからである。
  そんな職業軍人という連中が軍の全てではない。
  だが、そういう戦馬鹿な連中が武田や上杉の軍団の強さの背骨になっていた事は、否定できない事実だったのである。
  武田はともかく上杉家は恐ろしいほど兵給組織が貧弱だが、関東に度々出兵してこれたのは、地場勢力が上杉軍を支えていたからである。
  そんな彼らだけの夏の出兵では、収穫減は起こりえないのである。
  大げさに頷き、賛意を示す秀吉に光秀はわが意を得たりという顔になる。
  それを信長があまりいい機嫌で見ていない事を光秀は気づかずに話を進める。

「それに、上杉殿は義に夢を見られておられる。
  なまじ小田原まで攻めた時に、関東の諸侯がこぞって従ったので、今回も同じと考えるでしょう。
  下手すれば、単機でも彼は京に来ようとするでしょうな」

 そこまで話した光秀はやっと信長の機嫌が悪くなっている事に気づく。
  一を知って十を理解する天才である信長にとって、順序だてた解説など時間の無駄でしかない。
  それに気づいて話をがらりと変える事ができるのも、光秀が並みの才人ではない証左なのだが。

「各個に叩きましょう。
  その為にも松永殿はこちら側に取り込んでおく必要があります」

 こうして、この場での話の議題を口に出して、信長はやっと口を開いた。

「公方様は了承しているのか?」

「もちろんです。
  いずれ、退治せねばとは思いますが、今ではない。
  それは理解しておられます」

 その問いかけに答えたのは細川藤孝。
  明智光秀が足利義昭の裏も含めた謀略系を担当しているのなら、細川藤孝は表の調停を担当していたのである。

「最初に叩くのは朝倉か」

 信長の決定に細川藤孝は眉をひそめた。

「浅井は一応使者を送ってきましたが、領内の通過については渋っています。
  浅井との交渉中に京に踏み込んだ事で、『信義を知らぬ』と先の当主である久政殿がごねており」

 浅井領通過は京と美濃を結ぶ最短ルートだった事もあって、織田家にとって現在最も頭の痛い問題になっていた。
  松永久秀という毒と手を組んだ事で京都近辺を無血開城できたのは大きかったが、それによって『浅井と交渉中なのに松永と組んだ』と浅井側の態度が硬化したのである。
  これで将軍が義昭一人なら最悪将軍の権威というあやふやなものに全て押し付けてしまえるのだが、越後に足利義輝がいる以上その権威も『うちは義輝派だ』で瓦解するのである。
  しかも、浅井は対六角氏との抗争の関係から朝倉と縁が深く、朝倉の従属大名とみなされていたのも大きい。
  信長の『朝倉を叩く』は、必然的に浅井まで敵に回すことを暗に言っていた。
 
「西を一時的だが気にしなくていいようにする。
  その為に堺と本願寺に無理難題をふっかけたのだ」

「その無理難題で、堺町衆や本願寺が……」
「そういう事ですか」

 細川藤孝のぼやきに近い口を止めたのは、秀吉の甲高い声だった。

「無理難題を吹っかけて、本題に入るつもりですな。
  本願寺には加賀の再蜂起、堺には毛利と大友の上洛を促がさせると」

 制圧下にある加賀の本願寺勢力が根絶やしになったわけではない。
  長きに渡る支配でその末端はしっかりと息づいており、加賀の再蜂起は上洛を狙う上杉にとって大きな問題となるだろう。
  そして西国を実質支配している大友と毛利に上洛を促し義昭の権威を認めさせる事で、西の脅威を完全に消し去る腹積もりなのだった。
  何しろ、海を越えた阿波に本拠がある三好家も、この巨大勢力の誕生で阿波や讃岐の防備を固めたという噂がこちらに届いていたぐらいである。
  本願寺を対上杉朝倉戦に引きずり込み、毛利大友連合と組む事で三好を牽制し西を安定させる。
  その為の無理難題なのだ。

「藤孝。
  矢銭が払えぬなら代わりに……」

 

「払うそうですぞ」

  

 第三者の声に信長を含めた全員が固まる。
  何で貴様がここにいると言いたいのだが、それを来た当人の前で言ってもにやにや笑うのみだろう。
  その声の主である、松永久秀は四人の目の前で一枚の証文を取り出して広げてみせる。

「本願寺、堺双方にかけられていた二万貫、あわせて四万貫の証文がこれです。
  『本願寺の分もまとめて払ってあげるわよ。はした金だし』と、堺町衆のお得意様よりのお言葉つきで」

 はっきりとこれ以上なく信長が怒っているのが分かる。
  彼がたくらんだ西側安定化を松永久秀はその大友毛利連合を使って阻害して見せたのである。
  なお、珠姫自身は堺に矢銭のいちゃもんをつけられた事を知っていたので、気楽に『払ってあげるわよ』と先に証文を送っただけだったりする。
  それを、己の手柄に変えたのは当然のように松永久秀の独断である。
  三好三人衆が畿内に再上陸したら己の身だって危ないのだが、その危険を犯してまでこういうパフォーマンスをする理由は一つしかない。

「上杉相手の戦は是非がんばっていただきたい。
  西の守りはそれがしがきっちりと承るゆえ」

 松永上杉戦不参加宣言を信長は苦々しい顔で了承せざるを得なかった。


  その日、信長の機嫌は最後までなおる事はなかった。





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