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大友の姫巫女

第七十九話 戦争芸術終章 響灘海戦 

 肥前国 唐津港

 集まった軍船は約二百隻。
  その中でひときわ目を引くのが三隻の南蛮船だった。
  そのうちの一隻は他の二隻より大きいが、今回の大将である安宅冬康は小ぶりな方の南蛮船に乗っていた。
  そんな南蛮船から女達が小船で降りてゆく。
  今回の航海の慰安にとわざわざ唐津にまで珠姫がつけてくれた博多の遊女達である。
  この航海において、最後まで珠姫は自ら乗ろうとしており、家中全員の総反対によって挫折したという経緯がある。
  その時、

「『監獄戦艦』がぁ……『ヴィクトワール』がぁ……」

 と謎の言葉を吐きながら泣く泣く諦めた珠姫の姿が見られたのだが、何を言っていたのかは家中の誰にも分かっていなかった。
  とはいえ、府内からの出航において盛大に祈祷という名のストリップをやらかして、人員が増えた最初の評定に取り上げられるほどの大問題となっていたり。
  まぁ、母親の比売御前と影武者の恋を引き連れて船上ショーなんてやれば、そりゃ大問題にもなろうというもので。
  ちなみに、珠姫の母親たる比売御前はというと、大友義鎮と奈多夫人公認の筋金入りの色狂いで、珠姫の父親についてはその色狂いから、

「本当に殿の子か?」

 という出生についての疑惑はずっとついてまわり、小原鑑元の乱の時には寵臣である一万田鑑相を敵側に走らせ、珠姫自身も宇佐八幡に人質として出す結果となる。
  そんな比売御前だが、その言動もまったくぶれが無く、

「孕まなければ浮気じゃない」

 という迷言をほざいて、各地の祈祷時に遊び狂っている始末。
  で、この船上ショーを知って激怒した義鎮と四郎は慌てて駆けつけたら、その艶妖さにそのまま虜になって、怒るに怒れなかったりする。
  まぁ、義鎮と比売御前を知る重臣にとって、親が親だから珠姫もと思っていたが、見事なまでにその血が開花しているので頭が痛い事この上ない。


「わたし、戦に出れないから……
  受け止めてあげるくらいしかできないんだ」


  評定での弁明時になんだか、「サクセス!」とか叫びそうな怪しげなポーズまで決めた珠姫だが、参加した重臣一同から『何言ってんだこの姫』という無言の集中砲火を浴びると、

「仕事が忙しくて息抜きがしたかったのよぉぉぉ……」

 泣きながら評定の席で復興と戦の書類を処理(一日遊ぶだけで加速度的に書類が溜まるので、評定中も処理する羽目に。自業自得だが)しつつ、恨み言をぶつけるという高等戦術で評定衆を困らせるし。
  とりあえずの常識論でお茶を濁す事が第一回拡大評定の結論となっている辺り、大友家の将来は別の意味で怪しかったりする。


 
  さておき、府内を出航した船団は府内を襲った南蛮人が乗ってきたガレオン船が一隻と、ポルトガルから買ったり大神で作ったキャラック船が三隻の計四隻。
  航海は順調に進み、日向美々津に到着。
  飫肥の戦が緊迫している情報を掴んで、船団は油津には寄らずに一気に大隈・薩摩を越える事を決意する。
  その途中で、一隻が船団からはぐれて行方不明となったが、薩摩から北上する際には対馬海流にも乗ったこともあり、肥前横瀬浦に到着したのである。
  船団到着の報告が原鶴遊郭に届けられ、更に船団は唐津に入港。
  同時に松浦党を中核とする大友水軍が唐津に集結し、いまや遅しと全船団が出航を待ち構えている状態だった。

「船団を分けるですと?」

 最後の確認の為に安宅冬康の乗る旗艦『珠姫丸』に集まった諸将は、安宅冬康の第一声に怪訝な声をあげた。

「毛利が彦島に集めた船は警固衆の船が二百隻、更に沖家水軍が三百隻もある。
  五百隻の船を相手に船団を分けるは、必敗と思うがいかに?」

 松浦水軍の大将である松浦隆信が、懸念を表明するが、安宅冬康は動じない。

「既に、沖家水軍には手を打っている。
  戦意も低く、三百隻全てを相手にする事もあるまい。
  我らは警固衆を叩く事だけを考えればよろしい」

 安宅冬康の言葉に続いて対馬の太守でその水軍を率いてきた宗義調が口を開く。

「とはいえ、毛利の警固衆も強敵。
  どうやって叩くおつもりか?」

 宗義調の声に安宅冬康は軽く自らが乗る『珠姫丸』の壁を軽く叩いた。

「まず、この南蛮船の特性を教えておこう。
  この船は関船や小早が追いつけぬほどの速度が出る。
  ゆえに一緒に行動する事自体が無理なのだ」

 珠姫丸を与えられてからの安宅冬康は必死に南蛮船の特性を勉強していたのだった。
  そして、別府湾海戦という実戦も積んだ事もあって、その自信に揺らぎは無い。

「それに、この南蛮船の弱点は帆だ。
  帆を焼かれると何もできなくなる。
  その為にも、乱戦は避けたい」

 この時代の海戦と言っても、平家一門が海に沈んだ壇ノ浦合戦とさして変わらない。
  飛び道具が使われても最後にものを言うのは、互いの船を近づけての近接戦闘であった。
  もっとも、近づいたら焙烙火矢や棒火矢で船ごと焼く辺り、武器は進化しているのだが。
  そういう意味でも、南蛮船を敵船に近づけたくは無かった。

「南蛮船三隻だけで船団を組み、横から大筒で毛利の警固衆をかき回す。
  敵は正面と横からの攻撃に晒されるだろう」

「おお」

 松浦隆信が声をあげる。
  何しろ、松浦水軍は宮ノ前事件で南蛮船に数十隻で喧嘩をふっかけて、完膚なきまでに負けるという経験をしていたりする。

「皆の者、この戦で勝たねば、陸の戦のけりがつかぬ。
  勝って、この戦を終わらせようぞ!」

 安宅冬康の激に諸将が頷く。
  その後、南蛮船を筆頭に大友水軍は出撃したのだった。

「『沖家水軍には手を打っている』か……」

 関船に乗り込んだ宗義調はぽつりと呟いた。
  評定の席では気づかなかったが、今更になって気づいてしまったがゆえに、その不安が口から漏れてしまうのだった。

「だが、手が外れて、沖家水軍が全力で攻めてきたらどうするつもりなのだろう?
  五百隻対二百隻では話にならぬぞ……」

 

 宗義調の不安はある意味的中していた。
  沖家水軍の中核であり、村上水軍大将である村上武吉は典型的な海の男だった。
  恩も利も義もがんじがらめになっているが、珠姫や小早川隆景みたいな腹芸が使えるわけも無い。
  だから、とても分かりやすい選択、

「まぁ、いい。
  我らが戦に勝てば、全てが上手くいくだろう」

 というある種の思考放棄をやらかしていたのだった。
  まぁ、大友と毛利の出来レースなんて、双方の中枢しか知らぬ最重要機密である。
  とはいえ、両者が不自然なぐらいに村上水軍を意識していたのが、ある種の傲慢となって一番やってはいけない選択をやらかしたのである。
  ここに来て、門司で交渉していた臼杵鑑速と安国寺恵瓊が焦り出す。
  毛利水軍が響灘の制海権を保持したままでは上陸した毛利軍を孤立させられない。
  もちろん、敗北を前提に九州に兵を送るつもりの無い毛利も、このまま沖家水軍が鎮座しているのに援軍を送らないのはどういう事だと怪しまれる。
  かくして、空気の読めない村上武吉を帰らせるために頭を大友・毛利の双方が頭を抱える羽目になる。

「何?
  宇都宮が動いた?」

「はっ。
  宇都宮勢の千が大友の援軍三千を連れて、伊予由並城を囲む動きをしていると。
  湯築城の河野通直殿が後詰を求めております」

 水城合戦の後、彦島の毛利軍に飛び込んできたのは、四国情勢の急変だった。
  原鶴遊郭の大友本軍が動いたという報告も飛び込んできており、小早川隆景を筆頭に諸将がその対応に追われていた。

「既に大友軍は唐津に松浦党や壱岐・対馬水軍を集め、我らに対抗しようとしております。
  これを先に叩けば、小早川殿を安心して九州に送る事ができます。
  どうか裁可を」

 地図をじっと睨んでいる小早川隆景は、それを理由に村上武吉の提案に答えない。
  そもそも、四国情勢の急変は村上武吉を帰らせる為だけに、隆景が大友側に依頼した事だったりする。
  だが、その心を村上武吉が知るわけも無い。

「尋ねるが、村上殿の一族に連なる鶴姫が大友側に居る。
  大友の珠姫の温情によりつつがなく向こうで暮らしているが、我らも姫の事を考えると気が重いのだ」

 内心の怒りなど見せずに、淡々と小早川隆景が人質を心配する大将の顔で村上武吉に漏らす。
  だが、そんな腹芸などできない海の男ゆえ、村上武吉はどんと胸を叩いて言い捨てた。

「あれも戦国の習いは知っておりましょう。
  今、戻っても伊予では戦が始まっています。
  この戦は伊予では無く、九州にて全てが決まる戦。
  我ら沖家水軍は厳島の時と同じく、毛利の助けとなりましょうぞ」

 これで村上武吉が馬鹿でないのだから小早川隆景も困る。
  というか、隆景や珠姫の腹黒さが突出しているのだが、それを言った所で理解できるのは互いの父である毛利元就と大友義鎮ぐらいしかいない。
  村上武吉の言葉は確信をついているだけに、これ以上の憂慮は何か感づかねかねないと悟り、小早川隆景は村上武吉の方を向いてゆっくりと口を開く。

「申し訳ござらぬ。
  村上殿、いや、厳島で共に戦った沖家水軍に失礼な事を申してしまった。
  大友水軍の排除、お願いできますかな?」

「お任せあれ!」

 頭を下げる小早川隆景は同時に、計画の修正を考える。

(こうなれば、我ら兄弟が九州に渡るのは仕方ない。
  ならば、九州に渡った後に、突発事態で戻るという事にするか。
  尼子の反撃は距離が遠すぎるし、たしか大友側に大内輝弘がいたな。
  奴を長門に上げさせて、乱を起こさせるか。
  一度は大友本軍と槍を合わせねばならぬな。
  臼杵殿にどう伝えるか……)

 この時点で、戦国最強を誇る沖家水軍を中核とする毛利水軍五百隻に勝てるとは小早川隆景も思っていなかった。
  大友水軍の壊滅と戦の継続を視野に、大友側との交渉でどう修正を入れるかで小早川隆景は頭がいっぱいだった事もあり、海戦の指揮を村上武吉と警固衆大将である乃美宗勝に任せたのである。

 唐津から先は毛利の勢力圏である。
  だから、大友水軍の出撃は当然のように毛利側に伝えられ、万全の迎撃体制で出迎えられていた。

 

 地理説明

 

       ② B

    地ノ島凸
大島凸      A
           ―――――――
          |鐘ノ崎
   ①      |
          |
    ――――――
   |


大友軍
① 松浦党・壱岐対馬水軍衆 松浦隆信・宗義調  二百隻
② 大友南蛮船           安宅冬康         三隻


A毛利警固衆             乃美宗勝         二百隻
B沖家水軍               村上武吉         三百隻

 

 地ノ島沖の戦場に現れた大友南蛮船の三隻は、その先に集結している毛利水軍の数に暫く誰も声を出せぬほど圧倒されていた。
  何より、中央に位置する安宅船に掲げられている、『丸に上の字』の旗を見た瞬間に、安宅冬康は計略の失敗を悟ったのである。

「棒火矢で帆を狙え!」

 そう。
  彼らは南蛮船の弱点である帆を狙う為に、棒火矢を大量に装備していた。
  一斉に放たれる棒火矢の群れ。
  数十本の煙が南蛮船に向かうが、距離が足りずに南蛮船の手前に落ちてしまう。
  だが、これは景気付けであり、これからも棒火矢を放つ事でこちらの士気高揚を狙ったもので、最初から当てる為に放った訳ではない。
  だから、ついつい南蛮船も同じ棒火矢の射程で物を考えてしまったのである。
  その事を彼らは数瞬後に後悔する。

「うろたえるな!
  こっちの方が速いし、大筒もある!
  大筒を撃って、やつらを近づけさせるな!!」

 安宅冬康の激になんとか我をとりもどした南蛮船三隻は、襲い掛かる沖家水軍に船腹を晒す。

「撃て!」

 南蛮船が黒い煙に包まれ、雷が落ちたかのような轟音が響灘に轟く。
  キャラック船二隻が積んでいる片舷十七門のカルバリン砲と、ガレオン船が積んでいる片舷二十門のカノン砲の合計五十四門の大筒が火を噴き、沖家水軍三百隻に襲い掛かった。
  その数秒後に五十四発の砲弾が沖家水軍に降り注ぎ、砲弾が次々と小早や関船を貫き、沈めてゆく。
  三隻の南蛮船の一斉射撃で沈んだ船は小早が二隻と関船が一隻。
  とはいえ、船団中段に位置していた関船まで砲弾が届き、船底を砲弾が貫いたらしくみるみる沈んでゆく関船に沖家水軍の一同は唖然としてしまう。
  第二射以降は各個に砲弾を降り注がせるようになったが、棒火矢の射程にはまだ入っていないのに更に数隻の小早が沈められた。
  その一撃で勝負がついた。
  まだ数隻の損害しか出ていないが、この攻撃で兵士も櫓を漕ぐ水夫達も心が折れてしまった。
  轟音を轟かせ、こちらの攻撃の届かない遠距離から一撃で船を沈める南蛮船。
  ここで、櫓で進む船の欠点が露呈する。
  水夫の心が一つにならないとこの手の船は力が出ない。
  だが、心が折れた彼らは次の砲撃が来る前に安全圏に逃げようと隊列を崩したのである。指揮官の命令を待つまでも無く。
  統制の取れない致命的な大混乱が沖家水軍に広がってゆく。
  村上武吉は必死に統制をとろうと安宅船上から激を飛ばすが、南蛮船団の砲撃で指揮が完全に崩壊し、総崩れとなる。

「やつらを逃がすな!」

 沖家水軍の総崩れを安宅冬康が見逃すはすが無かった。
  距離を取りながら、大砲の弾が無くなるまで砲弾を打ち続け、次々と小早や関船を沈めてゆく。
  そんな蹂躙を鐘ノ崎沖で見ていた警固衆も当然のように動揺していた。
  彼らにも南蛮船の後を追いかけてきた、松浦・壱岐対馬水軍衆が襲い掛かる。
  同数の激突だが、沖家水軍の総崩れはそのまま毛利の警固衆の崩壊を促した。
  三隻の南蛮船に三百隻の沖家水軍が負けたのである。
  彼らもまた櫓の船であるがゆえに、同じく指揮が崩壊、総崩れとなったのである。

「一隻も逃がすな!」

 結局、大友水軍は小早十数隻の損害だったのに対して、毛利水軍は小早三十五隻、関船十四隻が沈み、小早五十隻と関船八隻が降伏するいう大損害を受けた。
  その損害の殆どが、水夫達の士気が崩壊して算を乱して敗走する途中で南蛮船に追いつかれて発生している。
  この敗北で、小早川隆景は内心ニヤリとしながらも水軍衆の撤退を決断する。
  その決断に村上武吉も異存があるはずもなかった。
  村上武吉にとって想定もしなかった大敗北。
  何よりも、鉄の結束を誇った村上水軍が、大砲の集中砲火の為に士気が崩壊し総崩れとなった衝撃にまだ呆然としているというのが真相に近い。
  この敗北で櫓で進む船にとって、一番都合の悪い『疑心暗鬼』に沖家水軍全体がとりつかれてたのを考えると悪夢以外の何者でもない。
  彼はこれから長い長い再建の事を考え、さらに伊予の事態急変も考えねばならなず、いっきに老け込んでいた。
  なお、大友と毛利の和議の後、村上武吉は隠居する。
  自立を謳っていた村上水軍だが、この敗北の後はその気概も力も失い、河野氏と共に毛利旗下に降ったのだった。
  それは、瀬戸内海における海賊の終わりでもあった。
  瀬戸内水軍を吸収した毛利は、安芸国の呉に南蛮船造船所と水軍本部を設置。
  それを薦めたのがかつての敵であった珠姫だったという。


  なお、この海戦は大友側にも甚大な影響を与えた。
  大砲の破壊力は海戦の主力である小早程度の船では相手にならないという事が、はっきりと見せ付けられたからである。
  更に、南蛮船の火力・航続力・速度に積載量のどれをとっても、主力のはずだった松浦党や壱岐対馬水軍を置いてゆく結果となり、水軍全体の存在意義を問われていたからである。
  その為に、南蛮船が建造できる大神の造船所を持っている事もあって、大友家は水軍編成を南蛮船主体に切り替える事にしたのである。
  南蛮人の襲撃で鹵獲し現在修復中のガレオン船二隻も水軍に編入する事を決定。
  大神の造船所の大拡張が決定され、南蛮船主体の大友船団は北は蝦夷から南は南越まで活躍し、大友に尋常ではない富をもたらす事になるのだがそれは別の話。
 
  

 響灘海戦

参加戦力
  大友家        安宅冬康・松浦隆信・宗義調    南蛮船三隻 二百隻
  毛利家        乃美宗勝・村上武吉                 五百隻

損害
  大友家        撃沈十数隻
  毛利家        撃沈四十九隻 拿捕五十八隻





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