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大友の姫巫女

第七十三話 戦争芸術終章 舞台裏 その二 

 長門国 彦島

 かつて、平家の拠点の置かれていた本州の果ての島には、多くの船が集められていた。
  それらの船には兵が乗り込み、出港を待ち望んでいた。

 戦国の世はもとより、いつの時代でも日本の大動脈となっていた瀬戸内海の出口である馬関(関門)海峡が毛利家の支配下に置かれてまだ十年と経っていない。
  だが、毛利の瀬戸内における水軍衆優遇政策と、対岸にある大友家の爆発的な市場拡大によって、史上空前の繁栄を遂げていたのだった。
  そんな船の集まる所で、兵を乗せて毛利軍は対岸の九州に押し渡ろうとしていた。

「警固衆が彦島に集めた船が二百隻。
  これらの船に警護をさせて、沖家水軍から来てもらった三百隻の船で筑前国芦屋に兵を上げる。
  既に芦屋浜は宗像の兵に警護させているので大友に叩かれる事も無い」

 今回の上陸作戦の総大将となる乃美宗勝が戦評定の席で発言し、作戦の段取りを確認する。
  それを瀬戸内から出張ってきた村上水軍大将である村上武吉が苦々しそうに見つめていた。
  何しろ、彼には伊予河野家経由で珠姫の諜略の手が伸びていたのだから。

「中立を保つのならば、手出ししない。
  ただし、手を出すのなら、こっちも容赦しないわ」

 彼女の脅しは嘘では無かった。
  南蛮人の襲来で大混乱に陥っていた大友家だが、その領国の一部である南予は、大友の混乱を好機と見た土佐長宗我部家が本山家を攻めるという蠢動を始めるも、その蠢動を見ながら兵を動かさず、毛利への牽制の為だけに村上水軍と縁の深い湯築城の河野家をじっと狙っていたのだった。
  その兵数は従属大名である宇都宮家を合わせて三千。
  しかも、本国豊後より宗像・原田・龍造寺の謀反勢力討伐軍への編入を見送った三千程度の後詰を受けられる準備までしている念の入れよう。
  牽制の為だけにここまでの兵をそろえるあたり、瀬戸内水軍によって関門海峡と周防灘の制海権が取れず、大内義長を見殺しにせざるを得なかった大友家の恨みと恐怖の表れと言えよう。
  どどめに、宇和島鎮台を率いる一万田鑑種が一条家を介して独断で長宗我部家と不戦協定を結ぶ(これを珠姫は喜んで評定で追認させた)に及んで、長宗我部は安心して本山家を攻め、宇和島鎮台は河野に対するフリーハンドを得ていたりする。
  大友と毛利という大国の策謀に翻弄されながらも笑いが止まらないのは長宗我部で、この不戦協定をたてに本山家に諜略をしかけ、二ヵ月後には本山家を降伏に追い込み、その旗下に組み込んでいたりするが、それは別の話。
  その後、太刀洗合戦・戸神尾合戦と連続して大友とその友好勢力が負ける中、毛利の圧力は瀬戸内水軍全域に及び、村上武吉も毛利の要請によって彦島に船を持ってこざるを得なくなったのである。
  海の男達はその行動力と情報収集能力で利に聡いが、船乗りである以上、一本気でまっすぐな者が多い。
  だからこそ、水軍衆に良くしてくれる毛利と、物流を握りその顧客として大得意客となった大友という、恩の板挟みとなった村上武吉は双方の顔を立てるべく奔走し、

「我等は戦に来たのではなく、兵という荷を運んだだけだ」

 という言い訳で、彦島に来ていたり。
  そんな言い訳を大友側も毛利側も了承していたりする。
  というか、この言い訳そのものを考えたのが大友側が臼杵鑑速、毛利側が安国寺恵瓊という外交官達で、双方出入りできる門司の街で頭を抱えて角が立たないように奔走したのだった。
  何しろ、瀬戸内水軍中最大最強の村上水軍を潰してしまえは瀬戸内海のパワーバランスが崩れ、物流の大動脈としての瀬戸内海が機能しなくなる。
  それは大友も毛利も分かっているので、双方恐ろしいほど気を使っているのだった。
  なお、この村上武吉の案件から始まった門司での大友毛利の直接協議はそのまま継続されて、最後には和議締結まで発展するのだが、その未来をこの場の誰も知る者はいない。
  もちろん、こんな馬鹿話の裏もしっかりある訳で、珠が想定していた毛利軍殲滅の前提は筑前に毛利軍が上陸する事なので、理にかなっていたりするという所までは彼に分かるはずもない。
  だからこそ、珠姫が了解した言い訳である、

「鶴姫こっちにいるしね。
  あの姫の実家と戦なんてしたくないのよ」

 という言葉に代表されるように、大友は村上水軍の彦島集結という協定破りに対して、表向きはこの鶴姫の存在を使ってうやむやにしたのである。
  それに村上武吉は見事なまでにだまされていた。
  もっとも、毛利元就や小早川隆景あたりは、

「あの姫がそんな殊勝なものか。
  つい数ヶ月前まで、父親を殺す腹だったくせに」

 と、吐き捨てるだろうが、その父娘の対立を煽りまくっていたのが彼らなので、

「どの口が言うか!」

 とその父娘が聞いたら彼らと同じような顔で吐き捨てるだろう。


 
  閑話休題。
  そんな謀ができる人間がこの軍議に参加していないので、誰も村上武吉の動揺に気づかない。
 
「で、九州に渡ったらそこからは?
  先の門司での戦を考えたら、大友は最低でも一万五千、下手したら二万近くを動員できるが?」

 発言したのは周防鷺山城の秋穂盛光。
  続いて、侍大将の吉田興種が発言する。

「宗像が総動員して四千。
  われらの手勢が四千で八千。
  守る事はできるが、大友を追い払うには心もとない。
  本隊はいつごろくるのか?」

 その問いかけに下口水軍(周防・長門の水軍)大将である冷泉元満が淡々と答える。

「月山富田が開城した後、小早川隆景殿の手勢五千が、次いで吉川元春殿の手勢同じく五千がこちらに来る予定です」

「お館様は?」

 尋ねたのは長門守護代内藤隆春。
  出陣はしないが、長門守備の総大将としてこの場に参加していた。

「出雲の後始末の為残られるという。
  それが終われば、こちらに来るだろうが……」

 内藤隆春は長門守護代という地位から、今回の九州上陸においては毛利元就よりかなり高い情報を与えられていた。
  その情報を告げるべく、一度評定の一同をゆっくり見渡してから、口を重く開く。

「立花は、安武民部と藤木和泉守が謀反を起こす予定だ。
  既に家中は謀反勢によってまとまっている。
  立花の謀反を悟られるよう、麻生の内紛と秋月の残党を使って筑豊で一騒ぎ起こす。
  芦屋に上陸した後、彼ら謀反勢と共に立花山城に入城してもらう。
  出雲に展開している本軍がこっちに来るまでが勝負だ」

「おおっ!」

 一同が驚きの声をあげる。
  豊前・筑前の反大友勢力を粛清した大友義鎮と珠姫といえど、全てを潰せたわけではない。
  その燻る火種を集めて風を起こして大火にするのが彼ら上陸軍の仕事だった。

「立花勢は約三千。
  先の八千と合わせれば、一万一千。
  守るには十分な手勢だ。
  それに後の後詰一万を合わせたら二万一千。
  秋穂殿、吉田殿、是非とも頑張っていただきたい」

「はっ」
「心得た」

 その乃美宗勝の声にあわせて、一同が一斉に視線を発言していない末席に座る若武者に向ける。
  その視線をものともせずに山中幸盛は目を閉じて無言を貫いたのだった。

 この時点で毛利本軍が出雲に展開している理由である、尼子家の月山富田城はまだ落ちていない。
  にもかかわらず、尼子の若武者である山中幸盛がここにいるのにはやはり理由があった。
  出雲国月山富田城を本拠とする尼子家は膨張する毛利家と一進一退の攻防を行いつつも、その領土は少しずつ切り取られていった。
  その情況に介入したのが、九州で毛利と対立していた大友家の珠姫である。
  松浦水軍や隠岐水軍を使った兵糧支援によって、一時は毛利軍を出雲から追い出す事に成功したのだった。
  毛利との講和を模索する為に安芸に来ていた珠姫が、尼子残党によって襲われるという事件が勃発する前までは。
  この事件そのものが毛利元就の謀略だったのだが、犯人が尼子残党だったのは事実で、尼子は内部統制が取れていない事が露呈。
  あげくに支援者に手をかけた外道と、国人衆が一斉に尼子を見限り、大友家も支援を打ち切り、尼子家は毛利軍三万の包囲の元、月山富田城に篭る事しかできなくなる。
  国人衆も支援も無く、外からの援軍も無い籠城戦ゆえ士気が高くなる訳も無く、しかも、籠城指揮を取っていた重臣の一人宇山久兼が、毛利への内通を疑われて主君尼子義久によって粛清。
  それが、無実である事を毛利軍によって暴露されるに及んで、尼子軍の心は完全に折れた。
  くしの歯がこぼれるかのように脱走者が相次ぎ、飢えと絶望感が残る将兵を容赦なく打ち砕いた果てに、尼子義久は和議――実質的な降伏――を申し込む。
  その使者が立原久綱。
  彼と毛利元就の数度にわたる交渉途中でその報が飛び込んでくる。

「珠姫謀反!
  府内で蜂起するも敗北し、宇佐に逃亡中」

 その後の詳報でこれは誤報であると分かったが、この九州での大混乱を立原久綱に知られたのが毛利側にとって致命的だった。
  尼子には蜂屋衆と言われる忍び集団が存在している。
  毛利戦において毛利の忍び集団に壊滅的打撃を受けながらも、月山富田籠城に伴い城内に入った者もいれば、諸国や敵陣において情報を集める者もいた。
  そんな彼らが命がけで集めた情報を、和議交渉中に立原久綱は受け取ったのだった。
  府内の南蛮人攻撃からはじまった九州の混乱が、結果として毛利の反大友勢力蜂起の仕掛けを浮き彫りにしたという決定的情報を。
  かくして、立原久綱による交渉の遅滞戦術が始まった。
  大急ぎで軍を返したい毛利と、それを見抜いた尼子の立場は逆転し、ついに毛利元就から譲歩の言質を引き出す事ができたのだった。

 その条件は、降伏開城による尼子家の出雲存続と、義久の弟である倫久と秀久を人質に出すという事。
  立原久綱も馬鹿ではない。
  もう尼子の命運が尽きている事は自覚していた。
  だからこそ、臣下として降り、せめて出雲に住めるだけの望みを欲したのである。
  とはいえ、積年の宿敵である尼子滅亡を前にした立原久綱の条件に毛利家臣達は激昂した。

「何様のつもりぞ!
  落城寸前の尼子に情けなど無用!」

「一気に月山富田を踏み潰してもいいのだぞ!」

 だが、その怒りがはったりである事を立原久綱は見抜いていた。
  南蛮人をあっさりと退けた大友は太刀洗合戦で龍造寺相手に敗北を喫したが、その龍造寺を和議を結び、討伐軍を異常な速さで府内より出していたのだった。
  このままでは、毛利の九州最後の足場である宗像と原田も潰されてしまう。
  
「分かりました。
  このまま尼子が毛利の臣下となるには信用が足りぬと。
  ならば、武功を持って信用とさせていただきたいがいかがか?」

 立原久綱は落ち着いた口調で、顔を赤めて拒否する毛利家臣達を無視して毛利元就に向けて妥協案を提示した。

「月山富田城から一隊を出しましょう。
  その一隊を九州に派遣してもらいたい。
  その功績で、尼子は毛利の旗下に入るに相応しい武功をあげてみせる所存」

 その妥協案は毛利元就にとって魅力的であった。
  士気が崩壊しているとはいえ月山富田城は難攻不落の硬城である。
  実際、毛利元就が大内家の旗下にいた時に、大内軍はこの城を攻めて大惨敗を喫しており、その敗走において毛利元就も命の危険を感じたのを忘れてはいなかった。
  その城から、自主的に兵が出てくれるのだ。難攻不落といえども、兵がいなければ話にならない。
  また、出てくる尼子勢が悪さをしようとしても、それを先に警戒しているならばこちらは三万の大軍である以上、崩れるとも思えない。
  とはいえ、老獪な謀将である毛利元就は、妥協案に保険をかける事を忘れてはいなかった。

「月山富田城の開城は、出てもらう尼子勢が九州にて武功を立てた後に行う。
  その一隊を率いる大将は尼子義久殿およびそのご兄弟では無い事。
  それでよろしいか?」

 何かやらかしたら即座に月山富田城を攻め落とすという条件を無言で提示した毛利元就に対して、立原久綱は笑って受け入れたのだった。


  月山富田城から出す一隊の編成は思った以上に集まった。
  逃げるには見苦しいが、このまま飢え死にはいやだという連中の格好の大義名分となったのだから。
  月山富田城に残っていた尼子兵は約三千、そのうちこの隊に志願した者は二千名を超えたのである。
  さすがに城に兵がいなくなりすぎると危惧する重臣達に、立原久綱はあっさりと言ってのける。

「既に全ての将兵に食わせる兵糧も無い以上、それを押し留める事ができましょうか?
  むしろ、武功を立てて毛利が潰せなくする為にも、働いてもらう兵は多い方がよろしい」

 そして、この一隊を率いる大将だが、重臣が出ると毛利に警戒されるから若くて身分がそこそこ低く、そして武勇を持つ者。
  そんな都合のいい大将をまるで運命のように、滅亡前の尼子は持っていたのである。
  それが、山中幸盛であった。

 かくして、『奇妙な篭城』と後に呼ばれる月山富田包囲戦の終章が始まった。
  毛利側も気は緩んではいるが、尼子側がもう戦う力が無い事は分かっている。
  とはいえ、散発的に誰もいない郭を攻めて引き上げる事を繰り返した為に、大友の間者は包囲によって決定的に弱体化した尼子を見て、近く強襲で城を落とすと報告していた。
  この報告はまた運の悪い事に、尼子の一隊が城から堂々と毛利陣に逃げ出した事も書かれており、立原久綱が和議の為に交渉している事も報告されていた。
  だから、この報告を見た珠姫は、

『包囲下で守備隊が堂々と逃げ出すほど尼子は弱っている。
  立原久綱が和議の交渉をしているらしいけど、もう遅いわ。
  事、こうなったら毛利は力攻めで落として尼子を滅ぼすでしょうね。
  力攻めと、その後始末を考えたらあと三月は毛利本隊は出雲から動けない』

 という、解釈をしてしまったのである。
  似たように、微妙に隠された事実で毛利元就は陶晴賢を厳島に誘導した事を珠姫は完全に忘れていた。
  せめて脱走した隊の大将の名前を知っていたらこんな誤判断はしなかっただろうが、そこまで間者に求めるのも酷である。
  この誤判断の代償は立花謀反という形で珠姫に降りかかる事になった。


  旗を毛利に替えて、粛々と長門を目指す山中隊。
  あくまで、『九州の混乱に対する備えの一陣』として、彼らは長門を目指していた。
  とはいえ、兵も将も尼子の者である。
  旧尼子領を通る際にその人数は膨れていった。
  尼子滅亡を目前として、尼子側将兵の没落は既に始まっており、彼らも再就職のための戦を欲していたのである。
  こうして、山中隊が彦島に着いた時にはその兵数は三千に膨れていた。
  そして、同じく上陸する為に集まった秋穂盛光と吉田興種の手勢が持つ唐菱の家紋を見て、山中幸盛は自嘲の笑みを浮かべた。

「尼子に大内残党か。
  あのご老体、内部の反対勢力を九州で大友に始末させるらしいな……」


 

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