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大友の姫巫女

第七十一話 戦争芸術 戸神尾合戦 

 珠姫は島津家を畏怖をこめてこう評したという。

「やつらの一番たちの悪いところは、戦場の勝利がそのまま戦争の勝利に繋がっている所よ。
  それまでどれだけお膳立てをしても、一回の敗北で全てをおしゃかにしかねない。
  やってらんないわね。
  あの『戦略級戦術兵器』は」

 その矛盾した言葉は、多数の血によって証明されていた。

 後に戦国最強とうたわれるほどの武力を有する薩摩国島津家が、この当時に保持していた兵力というのは精々数千でしかなかった。
  何しろ桜島という火山を抱え、火山灰降り積もる大地の国である。
  収穫が豊かとはとてもいえなかった。
  そんな土地に統治する事となった島津家は、内部分裂で弱体化していたのだが、先代島津忠良の代から飛躍を遂げる。
  分家筋の血だった島津忠良が本家筋を押しのけて家を継ぎ、薩摩半島の統一に向けて地場国人衆と血みどろの争いを繰り広げてその領土を広げ、その息子島津貴久は武勇の息子達を従えて薩摩統一の後一歩という所にまで駒を進めたのだった。
  そこで、宿敵である日向伊東家と対決する。
  その確執は長く、現在では日向国飫肥城をめぐって死闘を繰り広げていたのだった。
  この飫肥城の戦は島津側不利で推移している。
  というより、現在島津が抱えている三つの戦線全てで苦戦を強いられていたのである。
  対相良・菱刈を相手とする、肥後戦線。
  対伊東を相手とする日向戦線。
  対肝付を相手とする大隈戦線。
  この三方面を相手にするのは、統一寸前とはいえ薩摩一国の国力では到底無理だった。
  そして、それを仕掛けたのが九州随一の大大名、九州探題大友家の長女、珠姫である。

 彼女は、いずれ行われるだろう対島津戦に置いて、過剰とも思える準備を行っていた。
  一家が島津に当たるのでは無く、近隣諸侯の三家(菱刈・相良・伊東)を甲斐親直に依頼して同盟させたのは珠の仕掛けだった。
  元々、菱刈と相良は縁戚関係であり、相良と阿蘇は同盟を結んでいた。
  相良と伊東は真幸院を抑える北原氏継承問題から対立していたのだが、島津家の飫肥城攻撃が佳境に入っていた伊東と、島津家が侵攻していた菱刈支援で横槍を受けたくない相良の利害が一致したのである。
  それを軸に同盟を作り上げた甲斐親直の才も見事だが、彼に全権を任せながら伊東家家中に金と女をばら撒いて交渉を支援した珠姫もえげつない。
  彼女の支援はそれだけではなく、伊東家とにとって縁戚でもある土佐一条家の名前を使って伊東家に雑賀鉄砲衆二百人を送りつけていたりする。
  更に、伊東家や相良家には銭と米の支援までしており、菱刈家に何かあった時に即座に兵を出せるように整えさせていたのだった。
  菱刈家が動員できる兵は二千。
  相良・伊東家とも千を出し、四千で島津を防ぐという構想は、島津にとって本当に都合が悪かったのだった。
  繰り返すが、この当時の島津軍の動因兵力は数千でしかないのだ。
  それだけではない。
  これだけの包囲網を敷いておきながら、彼女は決して防衛以外の行動を取らせるつもりは無かった。

「戦う必要は無いでしょ。
  あくまで脅しよ。脅し。
  初動でこれだけの兵が出てきたら、島津だって無茶な戦はしないわ」

 この言葉を言い放った珠姫本人がまったく信じていなかったが、言い放つだけの理由が一応はあったりする。
  菱刈氏が支配する大口地方は盆地であり、少数の兵しか進めない峠道を塞いでしまえば天然の要塞と化すのである。
  ならば、島津が峠を押さえる前に大兵でその少数の兵を潰してしまえばいい。


  それを完膚なきまでにひっくり返してしまったところが、島津の島津たる所以なのだが。


  皮肉にも、始まりは大本の仕掛けを作っていた珠姫側だった。

「珠姫謀反!
  府内で合戦し府内を焼くも敗北。
  宇佐に逃亡して再起を図る」

 この一報が薩摩に飛び込んできたのは、府内が南蛮船の襲撃を受けてから三日目の事。
  この報が遅れたのも、甲斐親直が肥後領内で関所を止めて情報規制を敷いたからであり、それが誤報であるという報告とともに肥後の沈静化に繋がったのだった。
  だが、敵国である島津の間者は関所を迂回し、山中を踏み分けて薩摩に舞い戻った為に、誤報である事を知る訳もなかった。

「事の真偽はどうあれ、豊後で何か起こっているのは間違いない。
  ならば、南は手薄になるだろうよ」

 そう言って、一言で事態を看破したのは隠居していた島津忠良。
  一門・重臣を集めた評定の席で淡々と話す彼の口を邪魔する者はいない。

「肝付は内部で島津派と伊東派の暗闘が起こっている。
  伊東は飫肥から目を離せない。
  ……後は分かるな」

 忠良に話を振られたのは、現当主である島津貴久。
  優れた息子たちと同じく、父忠良の信頼も厚い彼は当主としてその決定を下した。

「これより、菱刈を攻めて薩摩を統一する!
  島津の悲願である薩摩の統一、大隈、日向の統一はこの一戦にあると思え!」

「はっ」

 貴久の声に皆が一斉に頭を下げる。
  この即決が選択肢として正解だったゆえに、動員から速攻に至るまで菱刈・相良・伊東の三家同盟軍は翻弄され続ける事になった。


地理説明


        ↑肥後

 

←出水
              凸大口城
       ▲羽月城

                凸馬越城

                      →日向
          戸神尾
         

         堂ヶ崎

 

       ↓鹿児島

黒 島津軍
白 菱刈軍


  翌日、珠姫謀反が誤報で、南蛮人の攻撃であると薩摩に伝わった時、島津軍先鋒は大口盆地に侵入していた。
  島津義虎率いる兵数百が出水から進入。
  島津軍が付城の羽月城に入城する段階でも、『珠姫謀反』の誤報に踊らされた菱刈側は兵を集めきれていなかった。
  だが、島津軍はそこから進撃を停止する。
  羽月城と大口城・馬越城の間には日本有数の荒れ川である川内川の支流が幾本にも流れていた。
  そもそも、この大口盆地そのものが川内川の支流によって作られた盆地であり、夏の水量多いこの川達が双方にとっての堀となって戦を阻んでいたのだった。
  この島津軍の進撃停止を見た菱刈隆秋は兵を集め、相良と伊東両家に援軍を求める。
  一方の島津軍も兵を集めてはいたが、大隈方面の肝付や日向飫肥城の動向が掴めずに、兵を出せる状況ではなかった。
  後に相良家からの援軍が大口城に到着。
  伊東家からの援軍も馬越城に着くが、珠姫が用意した雑賀鉄砲衆は日向飫肥城攻めに用いられてこちらには来ていなかった。
  とはいえ、兵力差は四千対数百と圧倒している。
  菱刈隆秋は領土拡張の野心もあって羽月城攻めを提案するが、相良軍の将赤池長任と伊東軍の将伊東祐安はそれを断っている。

「無理して敵を叩く必要は無いのでは?」

「左様。
  周囲に敵を抱える島津に、長期の対陣はできませぬ。
  大友から銭も米もたんまり貰っているし、このまま敵が退くのを待てば、自ずと勝ちが転がってこよう」

 ここでも、太刀洗と同じ、いやそれ以上に悪い命令系統の欠陥が露呈する。
  何しろ大名同士の同盟だから、どちらが上になってもしこりが残る。
  それが露呈しなかったのは大大名大友家という要があり、その要をしっかりと支えられた甲斐親直の存在があってこそ。
  それが、片や大友家は龍造寺・原田・宗像の謀反に追われ、手綱を握っているはずの甲斐親直もその討伐軍参加が決定し筑後国原鶴に兵を進めている最中だった。
  これでは、機能するはすが無い。

 もちろん、この様をスポンサーである珠姫は予測していたので、ちゃんと手紙を菱刈・相良・伊東のそれぞれの家に送りつけていたりする。
  その文面からは、よほど島津を怖がっているのがありありと分かる。

「いい、絶対に攻め込まないでね!
  あくまで、菱刈の防衛だけ考えていればいいんだから。
  間違っても絶対に島津と戦を起こそうと考えないように!!」

 自重を求める手紙なのだろうが、今の状況においてどうみても、某鳥類の名前のついたリアクション芸人の言う、

「押すなよ!絶対に押すなよ!!!」

 にしか彼らには見えなかったのだった。
  それでも、川内川支流である羽月川をはさんで双方相手の動向を必死に探っていたが、数日後、衝撃が走る一報が届く。

「筑後国太刀洗にて大友軍が龍造寺軍に敗北」

 三カ国連合にとって悪夢といってよかった。
  大友が筑前・筑後・豊前という北方の戦にはまり込めば、はまり込むほど南方は軽視される。
  それは、大友という要によって組み立てられた三カ国同盟が、瓦解しかねない危うさを孕んでいたのだった。
  何しろ戦国の世で、裏切り裏切られは必然である。

 そして、この混乱を間者によって島津側はほぼ完璧に掴んでいた。   
  何しろ兵数で勝ち、攻め込まなければ羽月川が堀の役目を果たしてくれている。
  篭城用の兵糧もたっぷり、おまけに銭まであるのだから、三カ国同盟軍は完全に気が緩んでしまっていた。
  で、そんな気の緩みに土地の遊女と称して島津の女間者は潜り込み、情報入手だけでなく、誤報までばら撒いたのだった。
  曰く、

「島津軍は兵を強引に羽月城に入れたので、兵糧が不足している。
  近く、堂ヶ崎方面から荷駄隊が羽月城に入る」

 と。

 物見を派遣してみると、確かに堂ヶ崎方面から島津軍の荷駄隊が羽月城に向かっているのが見えた。
  ついている兵は少数で三百程度しかいない。

「この荷駄隊を叩く。
  我等だけで結構」

 同盟軍内部の温度差に苛立っていた菱刈隆秋はそう言い捨てて出陣すると、さすがに篭ったままでは悪いので相良・伊東両軍も出陣する。
  彼らは知らないし、知るつもりも無い。
  この少数の荷駄隊を率いていたのが島津義弘である事を。

 かくして、彼らは罠に自らはまった。

 

地理説明


        羽月川
         ■    凸大口城
         ■
  ▲羽月城   ■
山山山山    ■   B
山山山山    ■
山山山山①   ■ A  C
         ■
■■■■■■■■■■■■■■川内川

島津軍
① 島津義弘  三百

三カ国連合軍
A 菱刈隆秋  菱刈軍 二千
B 赤池長任  相良軍  千
C 伊東祐安  伊東軍  千

 

「敵は少数ぞ!
  蹴散らせ!!」

 菱刈隆秋の号令の元、菱刈軍二千が襲い掛かる。
  増水している羽月川だが、敵が少数で菱刈軍が地元という事もあり、無事に渡河して島津軍に襲い掛かった。
 
「放てぃ!」

 島津義弘の号令の下、鉄砲の轟音が戸神尾に響き渡る。
  『繰抜』と呼ばれる島津の鉄砲武者による交互射撃が菱刈兵を打ち倒してゆく。
  とはいえ、多勢に無勢である以上島津軍は押されてゆき、菱刈軍は更に攻め立ててゆく。
 
「荷駄を捨てて羽月城に逃げ込め!」
「島津軍を城に逃がすな!」

 島津義弘の号令の下、島津軍は荷駄を捨てて羽月城に逃げ込もうとする。
  その壊走ぶりに、控えていた相良軍も羽月川を渡り、島津軍の逃げ道を塞ごうとする。

「城にも逃げ込めぬか!
  川内川に沿って落ち延びるぞ!」

 相良軍が羽月城への逃げ道を塞いだ事によって、島津軍は羽月城へ逃げ込むのを諦め、川内川沿いに落ち延びようとする。
  この時点で、味方の勝利を確信し、『何もしなかった』と非難される事を恐れて伊東軍も羽月川を渡る。
  そして、追い討ちをかけ、功績を狙おうと隊列を崩して追っていた菱刈軍の横合いを、轟音とともに島津軍の伏兵が殴りつけた。


地理説明


        羽月川
         ■    凸大口城
         ■
  ▲羽月城   ■
山山山山 ②  ■
山山山山 B  ■
山山③山    ■ 
① A C   ■
■■■■■■■■■■■■■■川内川


島津軍
① 島津義弘  三百
② 島津義虎  数百
③ 川上久朗   百


三カ国連合軍
A 菱刈隆秋  菱刈軍 二千
B 赤池長任  相良軍  千
C 伊東祐安  伊東軍  千

 

「伏兵かっ!
  うろたえるなっ!!」

 馬上から菱刈隆秋が叱咤するも、隊列を崩していた事もあって菱刈軍は統制が取れない。
  しかも、この伏兵は島津義弘配下の川上久朗率いる精鋭の百人で、悪辣にも鉄砲を馬上の武者に絞って撃ったのだった。
  馬上武者は多くは侍大将が多く、この射撃で菱刈隆秋が馬を撃たれて落馬したのが大混乱の始まりだった。
  何しろ片側が山で、もう片側が川内川だから逃げる場所が無い。
  大兵が役に立たないし、大将が落ちたから命令が出ない。
  しかも、三家連合で誰が総大将なのか決めていなかったから、誰の命を聞いていいか分からない。

 かくして菱刈軍は大混乱に陥った。
  この時を島津義弘が逃すわけも無く、菱刈軍に切り込んで行き、次々と菱刈軍は屍を晒していった。
  そして、後に島津のお家芸となる釣り野伏の原型ともいえる横槍が連合軍に襲い掛かった。

「羽月城から島津勢が!」

 図ったように羽月城から打って出た島津義虎が相良軍に襲い掛かる。
  赤池長任は警戒を怠っていなかったが、島津義弘の壊走を見ていた事もあり、その後の急転直下の菱刈勢大混乱についてゆけず、島津義虎の攻撃にまったく対処できなかった。

 そして、一番悲惨だったのが伊東軍である。
  菱刈軍の壊走に巻き込まれて混乱した挙句に、隣の相良軍も崩れた結果裏崩れを起こしてしまったのだった。
  この時点で、三家連合軍は四分五裂の大混乱に落ちいっていた。
  そして、島津の隠されたお家芸もこの戦場で花開く。
  島津の戦は死亡率が他の合戦と比べて格段に高い。
  その死因第一位は水死であった。

「助けてくれ!
  足が……溺れ……」

 混乱して退却しようとする三カ国連合軍の敗残兵に、水量豊かな羽月川が容赦なく襲い掛かった。
  普通に渡るのにも注意が必要な荒れ川を、混乱して逃げている将兵達がどうして無事に渡れようか。
  華美な鎧をつけた騎馬武者が馬もろとも流れに飲み込まれ、胴丸だけの足軽が深みにはまってそのまま沈んでゆく。
  残った者達も討ち取られるか、武器を捨てて降伏するかのどちらしか選択肢は残されていなかった。

 大口城に辛うじて帰り着いた菱刈隆秋は、残った兵が百を切っていた驚愕の大敗北に降伏を決意。
  城を囲んでいた島津軍に向けて門を開けてその軍門に下った。


  そして、相良・伊東両家もこの大敗北に愕然とする。
  かろうじて大将は帰る事ができたが、双方とも兵は半数を切り、その殆どが戦で討ち取られたのではなく、羽月川で溺死したか、渡ったはいいが力尽きて倒れたか、その弱った体を落ち武者狩りに襲われたのだった。
  三家連合軍、合戦参加兵力四千。
  その損害は三千を超え、三千の内千人は羽月川の藻屑となった者達である。
  一方の島津勢だが、連合軍を誘い出して攻撃を受け止めた島津義弘隊三百の内、百人の損害を出し、横槍となった島津義虎と川上久朗隊も数十名程度の損害を受けるに留まった。
  こうして、島津家は薩摩を統一する。

 だが、その統一の余韻も『まるで知っていたかのような』珠の支援によって頓挫する。
  相良家に送られた元御社衆(元職が盗賊や夜盗)の千人が、島津との国境沿いで暴れて島津は占領地である大口の統治に腐心せざるをえなくなる。
  もちろん、この動きを島津は当然把握していた。
  肥薩国境で暴れまわる盗賊や夜盗を根絶やしにしようと潰し続けるが、珠はそれを上回る数の傭兵を島津領に送り続けたのだった。
  なお、この時から始まった珠の御社衆薩摩派遣において、薩摩からの帰還率は常に半分を超える事はなかったという。

 更に、島津の脅威を肌で感じていた大隈の名家たる肝付家で内紛が起きて、親島津から反島津へ転向。
  それを決定付けたのは珠から肝付に送られた大量の銭だった。
  この肝付の転向によって飫肥城は孤立無援となり、雑賀鉄砲衆を含めた伊東軍の猛攻によって開城。
  伊東家は大口での敗北を取り戻す勝利によって一息つくことができたのである。

 

戸神尾合戦

兵力
  島津軍       島津義弘  四百+数百
  三家連合軍     菱刈隆秋     四千

損害
  島津軍             二百以下(死者・負傷者・行方不明者含む)  
  三家連合軍           三千以上(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死

 なし

 

 

 作者より一言。


  島津チートを書こうと思ったら、史実が既にチートだった。
  何を言っているか分からなければ、『木崎原合戦』や『耳川合戦』や『沖田畷合戦』を検索してみよう。
  作者は最初これらを見た衝撃をいまだ忘れる事ができません。 



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