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大友の姫巫女

第七十話 義父と息子 

 南蛮船 襲来から七日目


  人間、いつもの事をしないと落ち着かないというものはある訳で、それは現在珠姫と喧嘩中(というか、一方的にぶったたかれた)の毛利少輔四郎元鎮にもある。
  彼は武人たれと体を鍛えていたし、鍛えないと夜の珠姫のおねだりに耐えられなかったというのもある。
  だから、そのおねだりがないこの夜、寝るには目が冴え、書を読むには暗く、そして心乱れた現状で何かするわけでもないので、庭から出て素振りをしていたりする。
  上半身裸の肌には木刀を振る度に汗が浮き出て、月明りの中で木刀が風を切る音がただ響いていた。

 ……訳でもなく。

 彼が居るのは珠姫の居城たる杉乃井ではなく、大友家の本拠たる府内城、その二の丸にある大友一門の居住区である。
  という事は、珠姫の親である三人(父・母・養母)もここに居る訳で。

 夏の月 闇から喘ぐ 牝二匹
   せっかくだから 私も喘ごう

 珠姫ならそんな歌を詠みそうな駄目な音がしっかりと聞こえてきたりする。
  なお、昨日あたりまで、その闇からの喘ぎ声に珠姫もしっかり加わっていたあたりある種慣れもあるのだろうが、今の四郎よろしく心落ち着かせたい時の環境からすればあまり良くは無い。
  ならば、二の丸から出ればいいのではと思ったのだが、現在府内城は珠姫誘拐未遂の一件で人の出入りがえらく制限されていたりする。
  で、散々していたはずなのだが、自分がしていないのに他の人がしているのを聞くというのは『隣の芝生は青い』よろしくえらく妄想力を書き立てるものである。
  一心不乱に木刀を振っているのだが、目を閉じるとくぱぁな珠姫や、わんこな珠姫や、アヘな珠姫が目蓋に浮かぶわけで。

 だからこそ、あの時叩かれた涙目の珠姫をいやでも思い出してしまう。

「四郎。
  貴方の名前は何?
  仮にも、天下の毛利元就の血を引く者が、どうして、こういう事をするのよっ!」

 あの時、珠姫は泣いていた。
  遊女の恋を追い込んだ事ではない。
  そうなった四郎自身の男の器量に失望して泣いていたのだった。

「私が惚れた四郎って男は、こんなに器の小さな男じゃないのよっ!
  慕う女一人幸せに出来ない輩が、本命を幸せにできると思っているのっ!
  自惚れんじゃないわよっ!!」

 振っていた木刀が地面についてしまう。
  それをまた振り上げる気にもなれず、ゆっくりと手を離して重力に木刀の身を委ねた。
  からんと乾いた音が響く。
  自然と吐き出した息が長く、ため息の様に漏れるのを止める事ができない。
  これぐらいで息が上がる体ではないが、何かするという意欲がわかず、ため息をついて井戸に向かう事にした。

 

「誰だ?」

 井戸にはどうやら先客がいたらしく、その気配を確かめつつ四郎は木刀を構える。
  刀を持っていないが木刀でも足止めはできる。
  曲者なら派手に太刀回って騒いでしまえば、警戒中の二の丸なら必ず人が来るだろうと見込んでの事だ。
  だが、四郎の心配も杞憂に終わった。
  半裸の姿で水を浴びていたのは、この城の主である大友義鎮だったのだから。

「失礼いたしました。殿。
  先日の事もあり、警戒した次第で」

 臣下の礼を取って、四郎は義鎮に話しかける。
  そんな四郎を気にする事無く、義鎮は口を開いた。

「構わぬ。
  一度話をしたいと思っていた所だ。
  四郎。
  お主も水を浴びたらどうだ」

 そこまで言って義鎮は意地悪い笑顔を浮かべる。

「どうせ一人寝るだけなら付き合え。
  あれらもしばらくは二人で悶えるだろうからな」

 それが、比売御前と奈多夫人の事だと気づいて、さっきまでの嬌声を思い出して四郎は顔を赤くしてしまう。
  そんな様を見て義鎮は己の企みが上手く決まったので、上機嫌で四郎を手招きする。

「女というのも難儀なものだ。
  男は、子種を出せば我に帰るのに、女は構わず腰を振り続けるからな。
  二人まとめてする事で、休めるとは思わなんだ。
  何しろ、子種を独占しようと、相手を堕とすのに協力するからの。
  互いが互いを堕として、今頃互いの体を貪っているだろうよ」

「……」

 四郎が何を想像したか手に取るように分かり、その想像に顔を赤めるのが義鎮にとっておかしくて仕方ない。
  それでも躾けられた礼節を忘れないあたりはさすがと、義鎮は四郎をこっそりと採点してゆく。

「では、失礼しまして」

 四郎は義鎮の隣で水を浴びる。
  夏の熱さと体の火照りを井戸の水が火照った体を覚ましてゆく。
  しばらく無言で二人とも水を浴びていると、四郎は義鎮から声をかけられる。

「杉乃井での働き、大儀だった。
  あれからはそう聞いている。
  先の伊予の戦も鑑みて、知行を与えても構わぬがどうだ?」

 現在の四郎の大友家中の位置づけは客将という所だろうか。
  人質ではあるのだが、その才は惜しく、伊予では実家である毛利の同盟勢力相手に功績をあげている。
  それゆえ、大友家中の心無い陰口で『珠姫の妾』という評価できない立場にいるのだが、義鎮から知行を得て大友家直臣となれば話は別である。
  珠の中には四郎の子供もいるので、四郎も大友一門に組み込むと暗に告げた義鎮に対して四郎はただ静かに首を横に振って告げる。

「それがしが目立てば、家中の火種になるだけでなく、姫にも迷惑がかかりまする。
  できればこのままにて」

 その答えは想定していたのだろう。
  義鎮は体を拭きながら、あえて四郎の核心に触れてみる。

「解せぬな。
  一門として組み込まれ、大友の内部で蠢けば、毛利狐の思惑通りだと思うが?
  今回の一件でもそのまま見逃せば、今頃あれは吉田郡山の床で貴様の下に敷かれていただろうに」

 義鎮は珠が誘拐されかかり、それを四郎が防いだ事に違和感を持っていたのだった。
  大友の混乱こそ毛利が望む事。
  ましてや、四郎の子を孕んだ以上、大友の旗の下にいる必要は無いはずだった。

「それがしもそれを考えました。
  ですが、姫が笑っていられるのは、この豊後の地にて。
  姫の笑顔を奪ってまで、安芸に連れ帰る事を考えるのを忘れるぐらい、姫に入れ込んでおりまして」

 真顔で四郎は言ってのけた。
  だからこそ、父親として、大名として義鎮は次の言葉が自然と口に出てしまう。

「あれだけ共にいても、あれが読めぬか?」

 その一言に、臣下としてでなく、男として四郎は悔しそうに答えた。

「はい。
  姫の考えは底なしの沼のよう。
  その考えを理解しえるのは、殿以外でしたら我が父毛利元就ぐらいでしょう」

 それが四郎には悔しいのだ。
  四郎とて男である。
  惚れた女にいい所は見せたい訳で、ましてや毛利元就を父に持ち、毛利隆元、小早川隆景、吉川元春という優秀な兄を持ちその薫陶を受けた並々ならぬ武人である。
  だが、その彼を持ってしても、あの姫の考えが読めない。
  天真爛漫に振舞うかと思えば、遊女のように妖艶に誘い、かと思えば戦に政に女がてらに活躍する。
  その顔が忘れられない。
  初めて出会った瀬戸内での笑顔、吉田郡山城で夜盗に見せた夜叉、伊予侵攻時の壷神山での寂しそうな涙、褥で見せる妖艶な女の顔。
  その全ての顔に四郎は応えきれない。

「貴様らに何が分かる!
  あの姫の見ている物が貴様らに見えているというのか!
  それすら分からず、あの姫以外の女を見ろというのか!」

 杉乃井で四郎がこう叫んだのは義鎮は知らないが、四郎の悩みの種が分からぬほど義鎮は愚かではない。
 
「そうだな。
  少し昔話をするか」

 桶に水を入れて手ぬぐいをひたしながら義鎮はぽつりと呟く。
  四郎が何か答える間もなく、義鎮の口から出るのは惜別とも後悔とも付かぬ言葉だった。

「わしは父上に嫌われていたのだろう。
  可愛げのない餓鬼だった」

 四郎は言葉を返す事無く、義鎮の独白を聞く。
  そんな四郎を居ないかのように、義鎮も言葉を続けた。

「『何を考えているか分からぬ』父上の嘆きの口癖だった。
  あの時父上と何か分かれば良かったのかと思うと、否と答えざるをえなくてな。
  あの時の父上と心通わせていたら、きっとわしは父上に殺されていただろうよ。
  それほど、あの時の大友の屋台骨は軋んでいた」

 家督相続における朽網親満の反乱、大内との対立、他紋衆を中心とする豊後国人衆との対立、義鎮にとっては叔父にあたる菊池義武との対立を抱えた義鎮の父である大友義鑑は傑物ではあったが、義鎮以上に孤独な王でもあった。 
  本国豊後ですら安全とはいえず、身内をも信じられない義鑑の行き着いた道は己の独裁。
  そう考えると、義鎮を廃嫡して幼子でしかない塩市丸を後継にすえるという構想も納得が行くのである。
  そんな義鑑の心情を知っていたからこそ義鎮も狂い、この父息子の関係は大友二階崩れという最悪の結末を迎え、義鎮は父以上に血まみれとなる修羅の道をつき進むことになる。
  義鎮の言葉に四郎はわずかに頷くことしかできなかった。
  何しろ、彼の父である毛利元就も引退できずに、己の権力を保持せざるをえないほど拡大による歪みが生じていたのを知っていたのだから。

 『王は孤独である』

 それは偉大なる父親の後ろ姿を見ていた四郎にもいやでも思い知らされていた。
  そんな王の孤独を四郎の眼前にいる人物も、いやおうなく思い知っているのだった。
  多分、その位置に自ら進もうとしている珠姫も同じ孤独をすでに感じているのだろう。

「あれを、女と見るな。
  お前の父親と同じように見てみるといい。
  それで、あれの考えている事の半分は分かるだろうよ」

 ぽつりと漏らした義鎮の一言には、つい数ヶ月前まで互いに殺し合いを行おうとした父娘の関係の為か、恐ろしく実感が込められていた。

「わしも、わしの父も、家督を継ぐ時に大規模な戦をせざるを得なかった。
  あれが一時にせよ、そのまま継ぐにせよ必ず血は流れると心せよ。
  とはいえ、わしが生きている間はわしが血をかぶるつもりだが、あれの肌に返り血がつかぬ訳ではない。
  それを忘れないならば、貴様の立ち位置も定まるだろうよ」

 その一言で、四郎の中でうっすらとだが霧が晴れてゆく。
  珠姫が行っていた事を大名としてみたら、恐ろしいほど整合性がつくのである。
  何しろ、同じようなことを四郎の父である毛利元就もやっているのだから間違いない。
  と、同時に四郎自身の立ち位置の違いも否応なく思い知らされる。
  側室出の四男という生まれである四郎は、有力な一門かつ宗家を支える家臣としての振る舞いを徹底的に躾られた。
  そう。
  彼は武将としてはひとかどであろう。
  だが、大名としては何も心構えができていないし、その心構えを教えられてはいない。

 珠姫と立ち位置が違うのに、同じものが見えると思い込んでいたのが四郎の間違いであると今気づかされた。
  そして、だからこそ四郎の背筋が凍る。
  珠姫と同じ場所に立つというのは、大名としての視野を持てと。
  珠が浴びるであろう血を四郎もかぶれと義鎮は言っているのだと。

「俺は最も血にまみれた時、その血から守る女を失っていた。
  自棄になっていたんだろう。
  そんな思いだけはあれにはしてほしくない」

 四郎の心を見透かして義鎮は笑う。
  過去を思い出して、口調がさりげなく俺に変わっているのに義鎮は気づいていないらしい。
  そう。
  彼が血塗られた修羅道から引き返せたのも、失っていたと思った最愛の人を取り戻したからであろう事は四郎は理解できたのだった。

「さて、わしは戻る。
  まだ子種がほしくてあれらが待っているだろうからな」

 義鎮は立ち上がり、四郎の肩をぽんと叩く。
  それは、彼なりの不器用な激励なのだろう。
  後姿を見送ろうとして、四郎は不意に尋ねなければならない事を思い出す。

「殿。
  ちなみに、残りの半分は?」

 四郎のある種当然といえば当然の問いに、義鎮は振り向かずに答えを言い放った。

「知るか。そんなもの。
  女は魔物だからな」

 

 義鎮と分かれてからしばらくして、四郎は自然とある部屋に足を向けていた。
  それは、壊れてしまった遊女の恋が休んでいる部屋。
  じっとついていたのだろう。鶴姫が隣で恋の手を握り、代わりに見ていた侍女の夏が四郎に頭を下げた。

「恋殿は?」
「相変わらずじゃ」

 握った恋の手を放して、鶴姫は深くため息をつく。
  恋は寝ているか、人形のように動かない。
  それが、今の恋だった。
  そして、そのように恋を追い込んでしまったのは自分にあると四郎は思っていた。
  下の者は上だけを見ればいい。
  事実、四郎は人質という自分の立ち居地を分かっていたからこそ、珠だけを見ていればよかった。
  だが、上の者は下の全てを見なければならない。
  それは、四郎をはじめ、恋や鶴姫まで含まれる。
  珠姫は皆の幸せを考える。
  四郎と皆のどちらを取れと言われた時、彼女は躊躇わず四郎を切るだろう。
  それが、今になってやっと理解できた。
  そんな珠姫が恋をこのように追い込む訳がない。
  彼女は犠牲が必要なら、まず最初にその身を差し出す事を南予侵攻において四郎は知っていた。

「わたしは……愚かな事を……」
「愚かは、わらわじゃ。
  四郎殿に罪は無い」

 ぽつりと呟いた四郎の声を鶴姫は即座に力ない笑顔で否定する。
  その笑顔から鶴姫が献身的に恋の看護をし、彼女も疲れているのが四郎に見えて四郎はそれから先の言葉を続けることができない。
  そんな四郎に気づかず、侍女の夏が水を持ってくる。

「それは?」

「何も食べず、飲まずでは体が本当に壊れてしまいます。
  せめて水だけでも飲ませないとと思い、口移しで飲ませているのです」

「こうやっての。
  んっ……」
 
  四郎に夏が説明し、鶴姫は口写しで恋に水を飲ませてゆく。

「それがしもやらせてもらおう」
「え、ですが……」
「それがしにもできる事があるなら、させてもらいたい。
  恋殿。失礼」
「し、四郎殿!?」


  夏や鶴姫の返事まど待たずに、四郎は水を含んで口写しで恋に水を飲ませてゆく。
  ぴくりと体が振るえ、焦点の定まっていなかった目が驚愕するのを四郎は唇をつけたまま見ていた。

「し、四郎さ、さまっ!」

 体が弱っていた事もあって、恋の驚愕の声も震えて弱弱しい。
  だが、意識が戻らなかった事もあって、久しぶりに聞いた恋の声に四郎と鶴姫は驚愕しながらも安堵の息を漏らす。

「れ、恋殿っ!」
「医師を呼んでまいります!
  誰かっ!」

 慌てて夏が医師を呼びに行く。
  で、その当事者の恋はといえば、そのあまりに近い四郎の顔から逃れようと動かない体を動かそうとしているが、しっかりと抱きつかれた四郎から逃れる事ができない。

「良かった……
  本当に良かった……」

 その笑顔に恋が真っ赤になっているのを四郎は勘違いする。
  手を恋の額に当てて、自分が口移しで水を与える途中だったのを思い出す。

「熱が出ておる。
  恋殿。動かれるな……」

「!?」

 口移しで恋に水を飲ませているのだが、恋は身じろぎせずにその水を体内に入れる。
  顔が真っ赤になっている恋に四郎は見事なまでに勘違いをする。

「まだ体が弱っておるのだろう。
  無理をなさるな」

 やさしく恋を床につかせて、四郎は恋に土下座をする。

「恋殿。
  本当に申し訳なかった。
  われら侍の失態で恋殿にあのような無茶をさせて体を壊させるなど、己の未熟さを恥じる次第」

「い、いえっ!
  四郎様っ
  お顔をあげてくださいっ!!」

 そんな四郎の土下座を止めさせようとした恋は、台風のようにしがみついた鶴姫に邪魔される。

「恋!
  ほんにすまなんだっ!!
  わらわの短慮でお主をそこまで追い込むなど!
  ゆるしてくれっ!!」

 かっくんかっくんと恋を揺さぶり、泣きながら謝罪する鶴の姿は誠意はあるのだが、恋の目がくるくる回っているあたりはた迷惑以外の何者ではないような気がする。
  で、そんな混沌の部屋を更に混沌に追い込む最後の一人がこの部屋に登場する。

 


「あら、元気そうね」   

 


  何故か、部屋の温度が急激に下がったような気がした。
  その低く抑揚の無い声に、時も止まったかのように三人の動きが見事なまでに固まる。
  ゆっくりと三人は、その声のした部屋の入り口の方を見る。

「どうしたの?
  私の事は気にしなくていいわよ」

『ごごごごごごごごごごごごごごご』という擬音を背景に珠姫が中に入ってくる。
  なお、恋をかっくんかっくん揺さぶっていた鶴姫は今度は自らががくがく怯えて、つかんだままの恋もがくがく震えていたり。

「ひ、ひめ?
  いつからそこに?」

 極力、刺激しないように四郎が姫に声をかけるが、それが手遅れである事を冷酷に珠姫は告げた。

「え?
  寝付けなくて、ちょっとぶん殴ったのはやりすぎたかなぁって、謝るつもりで木刀を振っていたあたりから隠れて隙を伺っていたわけじゃないわよ。
  べ、別に四郎が恋に口づけしたからってムカついている訳じゃないから。うん」

 三人の顔が真っ青になるが、珠姫はそんな事気にせずに夜叉の笑みを浮かべたまま呟く。

「そっか。
  この感情を『嫉妬』って言うのね……
  それなりに人生送ってきたけど、悪くないわ」

 ぱっと、部屋に渦巻いていた重圧が解かれる。
  今度こそ本当に華のような笑顔で珠姫は恋の頬に触れる。

「良かった。
  心配したんだからね」

「ひ、姫様……」

 恋の目から涙がこぼれるのをぬぐってあげながら珠姫は言葉を続けた。

「本当に無理させてごめんね。
  本当なら、私がやらないといけない事をあなたにさせてしまったわ。
  そしてありがとう。
  恋のおかげて、杉乃井は救われたわ」

 で、しがみついたままの鶴姫と恋の額をあわせて珠姫はしっかり釘を刺すのも忘れなかったりする。

「けど、四郎は私のだから、簡単には渡さないからね」

 二人にしか聞こえないはっきりドスのこもった珠姫の宣戦布告に、二人して真っ青になりながらこくこくと頷く事しかできない。
  で、そんな事を言わなかったのごとく華やかな笑顔で浮かべて二人から離れたのは、夏が麟と医師を連れて入ってきたからである。

「じゃあ、ゆっくり休んでね。
  あ、四郎。
  ちょっといいかな?」

 麟に耳打ちされながら、珠姫は獲物を取るような目で四郎を射すくめ、四郎に選択肢などある訳がなかった。

 

 


  部屋から出た四郎はそこで先ほどとは違う殺気のこもった顔で笑いかける珠姫を見て、なんとなくだが義鎮を思い出していた。
  そう、奈多婦人が閨に彼を引きずって行く時と同じような顔をしていたなとなんとなく己の末路を悟ったのだが、珠姫はそんな悟りを開いた四郎を見てきょとんとする。

「四郎?
  どったの?」

「いえ。
  今にして殿の苦労が分かった次第で」

 怪訝な顔をした珠姫だが、四郎に麟から手渡された手紙を渡す。
  廊下の燭台にその手紙近づけて読み進むと、色ボケた四郎の頭も彼女が女では無く大名として四郎に接していたのに気づいて、武将の顔に戻る。

「日田鎮台からの急報よ。
  筑前御社衆、筑後太刀洗川にて龍造寺軍に敗北」

 手紙に書かれていたが、その事実を口に出すとその重みがいやというほど体にのしかかる。
  けど、それをあえて珠姫は言った。

「討伐軍では無くて?」

 その衝撃に打ちのめされかかりながらも、四郎は事実を確認する為に珠姫に尋ねた。 
  廊下を照らす蝋燭の暖かい灯りの中、唇に親指をつけて珠姫が呟く。

「まだ全部隊が原鶴に集まっていないわ。
  筑前御社衆は好きに使っていいと伝えていたから、先鋒に組み込んだのかも。
  それが敗れたんだと思う。
  とりあえず、詳報が朝までには入ると思うわ。
  父上にはこの報告は伝えた?」

 その声に答えたのは麟の声。
  さすがに、となりで回復した恋やそれを喜ぶ鶴姫に聞かせる話でもないので、必要以上に声を低くして話す。

「すでに、奥に人をやりました。
  加判衆にも人をやっております」

 麟の声に頷いた珠姫は四郎の方を向いて尋ねる。

「朝一にはこの件で評定を開くわ。
  四郎。
  必要なら後詰を杉乃井から出したいけど、削れる?」

 今の杉乃井を知っている将として四郎は事実を伝えた。

「無理です。
  先の忍びの件もあるので、むしろ足りないかと」

「分かったわ。
  龍造寺と講和します」

 即決に近い珠姫の決断に二人は驚愕するが、さすがに声を上げるわけにもいかずに、二人は口を押さえて珠姫を見つめる事しかできない。

「この勝利で大友討伐軍全体が崩れた訳ではないわ。
  勝ちを持って、必ず龍造寺は和議を申し入れてくる。
  あの鍋島信生がいるんだもの。
  勝ち進めて自滅なんて龍造寺はしないわよ。
  その方向で加判衆に根回しをして頂戴。」

「はっ」
「畏まりました」

 その根回しの為に麟が静かに去ってゆく。
  四郎も根回しの為に去ろうとしたら、珠姫に腕をつかまれる。

「あと一個、いい忘れていたわ」

 ほっぺたに何度も味わった珠姫の唇の感触が触れる。

「ごめんね。
  ちょっと私わがままだった」

 その一言に四郎は珠姫の唇を自分の唇でふさぐ事で返した。
  蝋燭の灯りに真っ赤になった珠姫の顔を見ながら、四郎は優しく珠姫の耳元にささやいた。

「そんな姫だからこそ、それがしは惚れたのです」


 

 その日の昼までには珠姫の読みどおり、龍造寺からの和議――実質的な降伏――が筑紫広門と、筑後柳川城主蒲池鑑盛から伝えられた。
  だが、先に珠姫の根回しが進んでいた事もあり、大友家中でも反対が多かった龍造寺の和議を珠姫は強引に推進し、これを成立に結びつけたのだった。
  その結果は劇的に現れる。 
  太刀洗で大友軍先鋒を相手に完勝してみせ、もっとも厄介だった龍造寺が屈するという事態に追随する謀反勢力がついに出る事は無く、何よりも博多を擁する立花鑑載が大友側への参加を決定。
  これで、謀反勢力の宗像と原田の分断は決定的となり、早期鎮圧への道筋が見えた事が大友勢の士気を高めていた。 

 そして、この南蛮人襲来からはじまったこの一連の戦も終幕に向かおうとしていた。


 

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