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大友の姫巫女

第六十八話 戦争芸術 太刀洗合戦(後編) 

 朝倉街道と呼ばれる街道がある。
  この朝倉とは、百済救援のため斉明天皇の行宮(あんぐう)である朝倉橘広庭宮の事で、この道はその後博多と日田を結び、豊後に至る主要街道となる。
  筑後川の水利と朝倉街道が傍を通る交通の要衝に温泉が湧く原鶴遊郭がある。
  その為、この遊郭も栄えてその益は遊郭の主である珠姫の懐に転がり込んでいたのだが、この遊郭を守る為に彼女の私兵である御社衆を置いていた。
  日田鎮台が設置され、日田鎮台の集結拠点として原鶴遊郭が指定された事もあり、原鶴御社衆は博多で何かあった時に後詰として二日市遊郭に移動するように事前に取り決められていたのだった。
  この取り決めによって、武威を見せる為に何度か訓練しており、原鶴の御社衆二百五十人は訓練と同じように朝倉街道を進んでいた。
  だが、秋月入口である小石原川にさしかかった時に、逃げ出したらしい農民達が彼らに嘆願したのだった。

「村か龍造寺の落ち武者に襲われている。助けてくれ!」

 もちろん、彼らの元にも肥前朝日山城が襲われた事は知っていた。
  だが、彼らの耳に届いたのは『落ち武者』という言葉。
  それは、龍造寺軍が戦に敗れた事を意味していた。
  そして、彼ら原鶴の御社衆も博多や二日市と同じく頭のいない烏合の衆だった。
  珠自身、その解消の為に人を探したのだがついに見つからず、派遣された将を使えばいいと割り切って考えていたからだった。
  そんな烏合の衆に、『落ち武者』という手柄が見の前に晒されてしまった。
  誰が龍造寺軍に勝ったのか考える事もなく、考えた者がいたとしても朝日山城の筑紫の手勢が打って出たのだろうぐらいにしか考えていなかった。

 彼ら逃げ出した農民達が、鍋島信生に買収されて芝居をしていたなんて考える事もなく。

 不埒な者の中には、乱捕りを龍造寺勢の仕業にして自分達も乱捕りを企む輩までいる始末。
  当然のように朝倉街道を離れ、小石原川に沿って南下した彼らを待ち構えていたのは準備万端の龍造寺軍だった。   

「かかれ!」

 鍋島信生の声と共に黄金の稲穂に変わり始めていた田から一斉に姿を表した龍造寺勢。
  御社衆の三倍近い数百の龍造寺勢が突然出現し、彼らのときの声にあっさりと御社衆は士気崩壊。
  蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく御社衆に呆れたのは、鍋島信生の副将に志願した戸田賢兼だった。

「なんじゃあれは?
  大友はあんな兵を雇って何をするつもりだったのやら」  

 歯ごたえの無い敵に戸田賢兼がぼやくが、雇い主の珠姫が、

「夜盗を追い回すぐらいなら、取り込んでしまった方が安上がりよ」

 と、ヤクザにみかじめ料を払う感覚で彼らを雇っていたのを彼は知る訳も無い。
  富士川の平家よろしく、戦う事無く御社衆は逃げ散っていたのだが、鍋島信生は追わずに兵を休ませ次の戦に備えさせる。

「戦ですらなかったし、兵達も勝った事で士気も高い。
  で、岩屋城の手勢はどのように?」

 同じく副将に志願した木下昌直が鍋島信生に尋ねるが、彼はまったく別の事を口にした。

「そういえばこの近くで大原合戦が行われたのだったな」

 大原合戦。大保原合戦とも呼ばれるこの合戦は、南北朝期に北朝六万、南朝四万が筑後川を挟んで激突した九州最大級の合戦である。
  この合戦は兵の少ない南朝側が勝利し、以後十年九州は南朝の支配する土地となるのだが、この合戦に大友は北朝軍として参加していた。
  その結果、大損害の果てに当時の当主である大友氏時は失意のうちに病死するという、大友にとって呪われた地でもあったのだ。

「この近くに菊池武光公が血で汚れた刀を洗った小川がある。
  この戦の勝利でその川は、太刀洗川と名付けられたとか。
  我等も刀を洗い、菊池公の武威にあやかろうではないか」

 鍋島信生は大声を張り上げて、兵達を鼓舞する。
  この手のゲン担ぎが兵達の士気を著しく高める事を鍋島信生は知っていた。

「だが、鍋島殿の刀は血塗られておらぬではないか。
  刀を汚さずに大友を敗走させし武勇は菊池公に勝るとも劣らず!」

 戸田賢兼の突っ込みに皆が大笑いする。
  戦うまでも無く大壊走してしまった原鶴御社衆の為に、鍋島信生の刀はまったく血で汚れていなかったのだった。
  この話より、

 太刀洗 鍋は洗えど 太刀抜かず

 と、詠われて大いに龍造寺側の宣伝材料となるのだが、それは後の話である。

 太刀洗近辺での御社衆壊走の一報はあっという間に近隣に伝わった。
  中でも、朝日山城救援に来ていた大友軍は微妙な立場に立たされた。
  救援という目的は達しているのだが、率いる将達は救援ではなく己の立場の為に勝利を欲していたからである。
  しかも、朝日山城から東に位置する太刀洗に龍造寺軍は陣を敷いている。
  それは、周囲の大友勢力に囲まれた袋の鼠である事を意味していた。  

「このまま帰るのではなく、龍造寺勢を叩いて味方の敗戦を帳消しにしてくれん!」

 大兵に奢り、そのまま大友軍は太刀洗に転進する。
  この時点で大友軍は龍造寺軍の罠にかかった。
  まず、朝日山城救援が目的の筑紫勢は太刀洗転進を拒否。

「感謝はすれど、まずは朝日山城救援が第一。
  原鶴に集まっている日田鎮台の大軍で押しつぶしてしまえば良いではないか」

 と筑紫広門は正論を言って、筑紫勢は後詰として朝日山城に留まる事になった。
  次に、御社衆内部から脱走が相次いだ。
  野党盗賊の類のままと彼らからしてみれば、太刀洗の龍造寺軍など命をかける価値ではなかった。
  しかも、筑紫氏が離脱した今では彼ら御社衆が龍造寺の攻撃を一手に受けねばならぬ立場となっていたからである。
  太刀洗行軍中に一人、また一人と脱走が相次ぎ、太刀洗で龍造寺軍と相対した時に既に御社衆の一割が何処かに逃げ去っていた後だった。

 龍造寺軍は太刀洗川を前に陣を構え、大友軍は隊列が乱れ兵の士気と体力も落ちた状態で戦を始める事になった。
  そんな状況だから大友軍の攻撃に対して龍造寺軍は崩れない。
  焦りにも似た攻撃をしかけていた大友軍に対して決定打となったのは、朝日山城からやってきた早馬だった。

「龍造寺勢多数が我が城を囲んでおります!
  『白地に剣花菱』の旗あり!
  龍造寺隆信自ら出向いています!!」

 村中城で遅れて集まった手勢を率いて、龍造寺隆信本人が出向いてきたのだった。
  この瞬間、大友軍は心理的に挟まれた。
  予備兵力と期待していた朝日山城に詰めて戦闘に参加していなかった筑紫勢が来ない。
  これが御社衆総崩れの引き金となった。
  将がおらず、錬度も低い烏合の衆の当然の帰結と言えるだろう。

「逃げるな!」
「もうだめだ!」
「こんな戦につきあってられるか!」

 だが、まだこの時点でも大友勢の方が多かった。
  それでも怒留湯融泉以下大友軍首脳部の心が折れてしまったのだった。
  結果、総崩れは加速する。 

「討ち取れ!
  一兵も逃すな!!」

 この壊走で薦野宗鎮と米多比大学が命を落とし、怒留湯融泉と共に岩屋城に戻れたのは三百に届かなかった。
  もっとも、彼らが生き延びられたのは己の武勇の為ではなかった。

「原鶴遊郭より大友の追っ手が!
  旗印は唐花!秋月勢です!!」

 背後の小石原川に残していた物見の報告があと少し遅かったら、怒留湯融泉と残りの兵も太刀洗川に血を流していただろう。
  日田鎮台から出向いてきた田北鎮周が率いる先鋒隊で、このあたりの地理に詳しい恵利暢尭が秋月残党を率いて救援に来たのだった。

「手仕舞いぞ!
  殿の手勢と合流する!」

 鍋島信生の指揮下で龍造寺勢は整然と兵を退いてゆく。
  恵利暢尭が追撃をかけようとしたが、急いで駆けてきた上に小石原川を渡る事になる為に追撃を見送り、敗残兵の救出に当てる事となった。
  他の豪族も追い討ちを考えなかった訳ではないが、整然と撤退してゆく龍造寺勢を見て、自分だけが損害を蒙るのはいやなので手を出す事無く合流を許したのだった。
  そして、翌日。
  龍造寺家と筑紫家は和議を結び、龍造寺勢は大手を振って凱旋する事となった。
  同じ時刻、怒留湯融泉率いる敗残兵が岩屋城に帰り着く。
  出撃した兵の七割を失うという大惨敗を喫したとはいえ、この段階で岩屋城兵の動員が進んでおり、岩屋城には千ほどの兵が集まっていたがこの兵を使って再度挑むような事は無かった。
  少数と侮って敗北した怒留湯融泉は既に心が折れ、必要以上に慎重になっていたからだった。
  そんな博多の動向に原鶴遊郭も引きずられ、府内の討伐軍本隊が到着するまで手出し無用という報告を各地に出す事になる。


「和議だと?」

 勝ち戦に沸き、篭城準備を進めていた肥前村中城の一室にて、龍造寺隆信は低い声で尋ね返した。
  相手は太刀洗合戦の立役者である鍋島信生に他ならない。

「既に原鶴には数千の兵が集まっており、松浦・大村・西郷・有馬等肥前の諸侯も兵を集め終わり、我が城を囲むでしょう。
  その兵の数は万を越えるはず。
  既に、毛利に対しての義理も果たしました。
  ここで和議を求め、兵を引くべきです」

 二人の会話に他の重臣は口を挟まない、いや挟めない。
  緊迫した空気の中、一同の視線が二人に集まっているのを感じながら、隆信は口を開いた。

「それを大友が、お前の言う珠姫が許すと思うか?」

「許すでしょう。
  我が家のみが謀反を起こしたのならまだしも、建前は大友内部の内紛。
  珠姫自らが謀反の旗頭として担がれてお咎めが無い以上、取り潰し等の重い処分は大友も行えませぬ」

 南蛮人襲来から始まった珠姫謀反という誤報の顛末と、大友内部の後継者に絡む思惑を鍋島信生は完全に読みきっていた。
  南蛮人という想定外のファクターが絡んだとはいえ、今回の騒動は外から見れば、父娘の家督を巡る御家争いでしかない。
  だからこそ、その張本人である珠姫が処罰されない以上、彼女の側に立つという大義名分で謀反を起こしたこれらの家が処分されるのはおかしいのだった。

「とはいえ、万の兵を集めて攻めるのは銭も米もかかるぞ。
  やつら、我々を潰す気満々じゃないか?」

「でしょうな。
  とはいえ、三家全てを潰すのは肥前と筑前にまたがる大戦になるゆえ、府内を叩かれた大友にとって避けたいはず。
  ですから、当家が一に手を上げて和議を求めるのです。
  謀反勢力で最大の領地と兵を持つ我が家が真っ先に屈すれば、残るは宗像と原田のみとなり、鎮圧は容易になるでしょう」

 そして、短くない沈黙が一同の間を包む。
  口は挟まなかったが、彼らとて分かっているのだった。
  もし、毛利の後詰が来なかったら我々は破滅だと。
  それは、鋭く言葉を交わす隆信と信生も同じ認識を持っていた。
  隆信が視線を信生から逸らし、ため息を吐く。
  彼の狂気が現実に負けた瞬間だった。

「和議の条件を申してみよ」

 隆信のこの言葉に、部屋に居た一同から安堵の息が漏れる。
  そんな部屋の空気など知らぬ厳しい顔で鍋島信生は口を開いた。

「長法師丸様を人質に出し、原田・宗像追討の先陣に立つ事が最低条件でしょう。
  所領も削られるかもしれませぬが、戦働きでどうとでもなるかと」

「使者とその手はずは?」

「先に和議を結んだ筑紫広門殿と、筑後柳川城主蒲池鑑盛殿に。
  そして、大友義鎮及び珠姫への申し開きはそれがしが」

 蒲池鑑盛は、かつて龍造寺家が馬場頼周による粛清で村中城を去らねばならぬ時に保護してもらった大恩があり、義心強き公正明大な人柄と文武優れた筑後の旗頭として大友家の信任も厚い。
  そして、龍造寺討伐となると隣接する蒲池領も戦で荒れるという現実的な利点もあった。
  彼の性格と現実的な利益から仲介に労を取ってくれる可能性は高かった。

「よかろう。
  信生。全てお前に任せる」 

「はっ」

 一同頭を下げ、それぞれがやるべき事をなす為に部屋から出てゆく。
  皆が出た後に残ったのは、そのまま頭を下げたままの鍋島信生とそれをじっと見ていた龍造寺隆信のみ。

「なぁ、次があると思うか?」

 漏れた言葉は誰に言ったわけでもない、隆信の狂気の残滓。
  信生はその言葉を聞いて頭を明けで、莞爾と笑い飛ばす。

「この城でこうして話せる事が奇跡でござれば。
  仏すら知らぬ事は、意外と多いようで」

 そして浮かべた信生の微笑に隆信は破顔一笑する。
  こんな機微に洒落気を言って彼の狂気を完全に払って見せた、信生と義兄弟の関係になれたのを母に心から感謝しながら。


「ああ、二人で仏の知らぬ事を次々と成し遂げてゆくぞ」


  結局、この龍造寺からの和議――実質的な降伏――は鍋島信生の読みどおり受け入れられた。
  大友家中でも反対が多かった龍造寺の和議を強引に推進し、これを成立に結びつけたのも鍋島信生の読みどおり珠姫だった。

「全ては私の不徳の致すところ。
  私が罪を償う事でどうか彼らに寛大な処分を」

 己の手勢である御社衆が大敗を喫したにもかかわらず、龍造寺の戦ぶりを褒めてまで彼女は和議を取り繕った。
  だが、その結果は劇的に現れる。 
  太刀洗で大友軍先鋒を相手に完勝してみせ、もっとも厄介だった龍造寺が屈するという事態に追随する謀反勢力がついに出る事は無く、何よりも博多を擁する立花鑑載が大友側への参加を決定。
  これで、謀反勢力の宗像と原田の分断は決定的となり、早期鎮圧への道筋が見えた事が大友勢の士気を高めていた。 
  なお、和議交渉時に太刀洗合戦で武勇を誇った龍造寺の若武者達、

 
  江里口信常、成松信勝、戸田(百武)賢兼、円城寺信胤、木下昌直。


  彼ら五人に『龍造寺五虎将』と敵方である珠姫から命名され、その武勇を九州に誇る事になる。

「四天王なのに五人というのはちょっとね……」

 とは、珠姫の言葉が残っているが、それが何を意味するのか今もってよく分かっていない。

 

 太刀洗合戦は大友と龍造寺の一合戦であるが、大局的に見れば龍造寺が屈服する結果となり、大きな意義がある合戦ではない。
  とはいえ、この合戦の与えた影響は大きく、特に御社衆の失態を見せつけられた九州の大名達は、

「金で雇う兵など役に立たず」

 という認識の下、配下の家臣団の強化に動く事となった。
  その為、九州で傭兵での常備兵を積極的に使うのは珠姫一人という状況になり、彼女はそんな弱兵を率いて戦場を駆け巡り、必要な所に必要なだけの兵を送り続けたのだった。
  それがどう意味を持つかというのは歴史が証明しているのでここで述べるのはやめておこう。
 


 
  太刀洗合戦

兵力
  大友家       怒留湯融泉             二千
  龍造寺家      鍋島信生              数百

損害
  千二百(死者・負傷者・行方不明者含む)
  数十(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
  薦野宗鎮 米多比大学(大友家)



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