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大友の姫巫女

第六十七話 戦争芸術 太刀洗合戦(前編) 

 

地理説明

白 大友側
黒 反大友側


           凸立花山城(立花)

▲高祖城(原田)
          □博多・中洲遊郭

            凸岩屋城(大友)
            □太宰府・二日市遊郭


      凸勝尾城(筑紫)              凸古処山城(田原)


         凸朝日山城(筑紫)  太刀洗
                          □原鶴遊郭


▲村中城(龍造寺)

 

 その報告が肥前村中城に伝えられた時、鍋島信生は当然の様にそれを諌めた。
  だが、彼の諫言を持ってしても、龍造寺隆信がその決意を翻す事は無かった。

「信生。
  お前は正しいだろう。
  だが、お前の正しい諫言を聞けば、龍造寺は肥前の豪族のまま。
  俺はそれが我慢ならんのだ」

「何故ですか!
  出る杭は打たれるのは当然でしょうに。
  ましてや、馬場頼周に一族を討たれ、この城すら追われた我等が肥前一の豪族としてこの場所に居る。
  それで十分でしょうに。
  大友は、あの珠姫は間違いなく殿に目をつけています。
  立花を粛清したら、次は我々ですぞ!!」

「だからだ。信生」

 義弟でもある鍋島信生に主従というより兄弟のような軽い口調で隆信は言ってのける。

「元々寺で経を読む人生だった。
  それが、何の因果かこんな場所で、お前と口論をしているなんぞ、仏すら知らぬという事よ」

 楽しそうに笑うが、その目は笑っていない。
  これが、龍造寺隆信のいつもの笑い方だった。

「死ねば終わりよ。
  ならば、己が命で何処まで行けるか、それも一興」

 なのに、その声は笑う。
  己も天下も彼にとっては賭け札でしかない。
  それが分かっているからこそ、その狂気を母たる慶誾尼は恐れ、その手綱を取るように信生に頼まれている。
  隆信の笑みに潜む狂気を見て、鍋島信生は彼を諌めるのを諦め、彼の望みを叶えながらお家の存続を考える事にした。
  そして、鍋島信生はそれができる男だった。


  龍造寺が決起した時、集まった手持ちの兵は千に届くか届かないか程度。
  『珠姫謀反』の一報が踊る中で即座に珠姫側についたのも、劣勢の彼女が勝てば必然的に重く用いられるからに他ならない。
  もっとも、その謀反が誤報と分かり、原田や宗像等毛利の仕掛けが露呈するという最悪の形となってしまったのだが。

「ここで篭ればいずれ滅ぼされる。
  ならば打って出るより他無し!」

 そして、周囲を敵に回し、動揺著しい龍造寺を引っ張ったのは鍋島信生と彼の下で働く若侍達であった。

 珠姫謀反の誤報から三日目。
  別府湾で南蛮船が燃えていた時に龍造寺軍は集まった手勢を全て村中城より出して、筑紫氏の支城である朝日山城を囲んだ。
  日本の城郭体制というのは本城と支城が有機的に結びつき、支城が襲われている間に本城から手勢が出てその敵を叩くように作られている。
  だが、珠姫謀反の誤報から三日目で、各家とも兵を集めきれていない。
  出ている龍造寺勢とて、本来の動員では二千から三千は用意できるのだが朝日山城を囲んでいるのは千に届いていない。
  とはいえ、この数百の兵でも落とされる事もあるし、何より囲まれた上で乱捕りなんぞされたらたまらない。
  筑紫氏本城である勝尾城にその報告が届けられた時に、当主である筑紫広門は即座に手勢を向かわせようとしたがそれを止める者がいた。

「手勢だけで龍造寺と争うは具の骨頂。
  大友の兵で蹴散らせればよい」

 珠姫によって強制的に隠居させられた筑紫惟門は、珠姫謀反の誤報と共に謹慎を命じた息子によってその謹慎を解かれていた。
  状況が激しく変わるこの事態に、豪族でしかない筑紫氏の決断を取るには広門一人では心もとなかった事もあったが、仏心を出した珠姫の失策の一つとも取られなくは無い。

「ですが……」

 広門が何か言おうとした所を惟門は手で制する。
  戦装束の広門と違い、惟門は普段着のまま。
  その姿で自身が一線を退いた事を示していた。

「少しは考えよ。
  龍造寺は肥前一の知行を持ち、兵は三千は集まるのだぞ。
  我等筑紫は全て集めたとしても千届くかどうか。
  まともに争っても勝てぬでは無いか。
  大友の兵と合流して、龍造寺を叩くと岩屋城代の怒留湯融泉(ぬるゆゆうぜん)殿に伝えるのだ」

「はっ。
  誰か居るか!
  文を岩屋城に届けるのだ!」

 慌てて部屋を出てゆく広門を惟門は苦笑して見つめる。
  残るは惟門の隠居という監禁先の城主だった、飯盛城主の帆足弾正のみ。

「焚きつけましたな」

「あれに大名の中で右往左往する習いを教えているまでよ。
  それに、最後は大友が勝つかも知れぬが、それまでに我が筑紫が滅びては意味が無いからの」 

 好々爺の笑みを浮かべて、惟門は笑い飛ばす。
  そんな彼を見ながら帆足弾正は決定的な一言を放つ。

「まだ毛利に通じていましたか」

 筑紫惟門は何も答えない。
  それが、かえって正解である事を伝えているのに気づいて、ゆっくりと息を吐き出した後に呟くように口を開いた。

「人聞きの悪い。
  隠居先まで毛利の手の者が世の流れを教えてくれていたまでよ。
  だが、この戦は大友が勝つぞ」

 毛利側の諜略を受けながら、筑紫惟門は大友の勝利を予言して見せる。
  そこには、大友や大内や少弐や毛利という大名に頭を下げ続けた一領主の悲哀と、それをしなければ生き残れなかった才が両立しているのを帆足弾正は知っていた。

「立花は寝返らぬよ。
  飢え死にした後で粥を出されても食えるものか。
  高橋鑑種殿が宝満山城におれば変わったかも知れぬが、この戦は博多がどっちに付くかで決まる。
  そして、博多にあの姫様はえらく受けがいい」

 門司合戦に秋月騒乱と九州内の毛利勢力は次々と珠姫によって潰されており、残った勢力での一斉蜂起だけでは勝てないと惟門は看破していたのだった。
  そして、蜂起勢力だけで対抗できない以上、毛利本隊の後詰は絶対的に必要になるが、その毛利主力は出雲の地で尼子攻めの最終局面を迎えている。
  そんな謀反のタイミングを逃した事を揶揄し、立花の謀反を押し留めたのが珠姫によって莫大な富を得ている博多商人である事まで惟門は見抜いていた。
  その視線は鋭く、白髪の髪さえ見なければ、惟門は往年時の精悍さを取り戻しているように帆足弾正には見えた。
  ため息をついて帆足弾正は尋ねる。

「そこまで分かるなら、我等一同大友につけばよろしいではないですか?」

「そしてあの姫を増徴させるか?
  大内しかり、少弐しかり、全てが上手くいく者ほど奢り高ぶるぞ。
  それに付き合うのは我等国衆よ。
  あの姫には、全てが上手くいくはすがないという事を学ばねばならぬ。
  大友がこのまま九州を治める時に、国衆の事を知る者がいてほしいというのが願いよ」

 即答でそこまで言い切ったくせに、若干の白々しさを顔に残して惟門は続けた。

「まぁ、建前はこんな所だが、本音は隠居に追い込まれたあの姫に一泡吹かせたいのだ。
  それに、隠居の老人にさしたる力は無いしのぉ。
  誰かが龍造寺に繋ぎをつけなければのぉ」

 そんな惟門の顔を帆足弾正は苦々しく見つめて重く口を開いた。

「白々しい。
  それをそれがしにさせようと思っているのでしょうに」

 大友から来る後詰の情報を敵である龍造寺に売る事で、筑紫領内の狼藉を防ぐつもりなのだ。
  帆足弾正の声を笑顔で頷きながら、惟門は気さくに肩を叩いた。

「安心せい。
  露見しても、この老人の枯れ首で筑紫の家が守れるなら安いものよ」

 この数日後、筑紫惟門は病死として大友家に報告が届き、彼は筑紫の山野にその亡骸を葬られた。
  その彼が本当に病死だったのかどうかはついに分からないが、筑紫氏はこれで筑紫広門の下で団結するのだった。
  なお、家督の継承と龍造寺謀反における不手際の詮議を一身に受けて筑紫の家を守った忠臣として、帆足弾正はひっそりとその名を歴史に残す事になる。
  そして、帆足弾正の出した文はしっかりと朝日山城を囲んだ龍造寺軍に届けられた。


  『珠姫謀反!』の誤報が筑前・豊前の国衆に与えた影響力は絶大だった。
  何しろ毛利元鎮という毛利の御曹司を愛人に持ち、父親と仲が先ごろまで良くなかった珠姫の謀反は、毛利介入の大乱になる可能性がとても高かったのだ。
  それが誤報であると珠姫自身の文が告げていたが、南蛮人の府内攻撃などとても信じられるものではなく、更に遅れて届けられた府内の大友義鎮直筆の書状にてやっと誤報であると認識される事になった。
  そのタイムラグの間に、反大友傾向が強かった龍造寺・宗像・原田の三家が謀反。
  誰が敵で誰が味方か分からぬ以上、迂闊に兵を出す事はできぬ。
  それが国衆皆の統一見解のはずだった。
  だから、本拠地を一時的に空にした龍造寺の朝日山城攻撃は、近隣諸侯に衝撃となって瞬く間に筑後平野全域に広がっていった。

「龍造寺のやつら、何を考えている?」

 既に疑心暗鬼状態となっている肥前・筑前・筑後国衆にとって、龍造寺の本拠である肥前村中城を襲うという選択肢は無かった。
  襲った背後を別の国衆に自分の本拠を襲われたら元も子もない。
  更に、珠姫が押し進めていた鎮台制度がかえって足を引っ張った。
  大兵を集めて運用する為に用意した鎮台制度だが、それは逆に小勢力の跋扈に対応できない欠点を孕んでいた。
  事実、日田鎮台の田北鎮周は三家にまたがる謀反を大兵を持って鎮圧する事を目論み、その集結地点である筑後原鶴遊郭への集結を急がせていた。
  そのため、各地の大友方国衆は守備兵以外はいないという空白状況が起こってしまい、朝日山城攻撃から最後まで戦の主導権は龍造寺が握り続ける事になった。


  そんな状況下にて、筑紫広門の早馬によって後詰を要請された岩屋城代の怒留湯融泉は、その対応に苦慮する事になる。
  彼の手元には、珠が立花謀反に備えて用意した博多・二日市遊郭守備兵、御社衆およそ千が臨戦態勢で水城に控えている。
  立花山城の立花鑑載が謀反を起こし、その早期鎮圧の為だけに用意した兵なのだが、その立花がまだ寝返らず日和見を続けているのが更なる誤算となっていた。
  その為、立花を救援する義務が発生し、宗像や原田が博多を目指した場合の貴重な後詰と怒留湯融泉はこの兵を捕らえていたのだった。
  そういう想定状況と既に異なっている状況において、背後の龍造寺が筑紫氏を攻撃する事などもはや珠の想定外だった。
  結果、大友勢力の博多防衛の実質的な総司令官である怒留湯融泉に、全ての責任が圧し掛かっているのだった。

「何を悩んでおられますか!
  敵が攻めてきたのならば、蹴散らせば良いのです」

 薦野宗鎮が怒留湯融泉に迫る。
  薦野宗鎮の隣に同じように迫るのは米多比大学で、二人ともかつて立花家中における親大友派の家臣で、謀殺されるのを避けるために珠が引き抜いて怒留湯融泉の元につけたのだった。
  
「左様。
  あと両日もあれば兵は集まり申す。
  ましてや、龍造寺の手勢は千に届かぬとか。
  肥前村中城に兵を集める為の牽制と思われます。
  ならば、これを叩いて、豊後からの軍勢の先導をするのがよろしいかと」

 そして、珠の想定外の失敗はさらに悪い方に加速する。
  彼女は最終的には大名による独裁体制を目指していた為、中央からの統制に力を注ぎ、末端部に対しての方針を限定的にしか伝えていなかった。
  実際、怒留湯融泉が受けていた命は『立花が謀反した場合、水城から南に行かせるな』でしかない。
  しかも、この時点において一番近い日田鎮台ですら兵の動員と原鶴への進出までしか考えておらず、三家の何処を叩くのか明確な方針が決めきれていなかったのだった。

 とどめに大友家の命令系統の不明朗さが一気にここに着て噴出する。
  国衆の連合体である大友家において、その国衆に対する命令権を持つ司令官の立場が曖昧すぎるのだった。
  博多については博多奉行の臼杵鑑速が管轄(ちなみにその為に彼は筑前柑子ヶ岳城に領地を持っている)しているが、彼は大友家の外交全般を管理している為に府内に居る事が多い。
  そんな豊後に居る臼杵鑑速の管轄は、博多と筑前方分という筑前全域に対する命令権を持っていた。
  そして、その下に居る怒留湯融泉はあくまで岩屋城城代であって、その命令権は臼杵鑑速より遥かに落ちてしまう。
  彼自身も筑前国衆を従わせる為に勝利を欲していたのだった。

 更に、現在臨戦態勢の御社衆は大友正規兵ではなく珠姫の私兵である。
  もちろん、

「好きに使っていいわよ」

 という珠の言質を貰っているが、元が夜盗や盗賊崩れの兵達である。
  そんな彼らが、権威も命令系統も違う怒留湯融泉の命令を素直に聞くとは思えなかった。
  これが香春や宇佐、杉乃井と違う最大かつ致命的な欠陥だった。
  珠の領土である香春や宇佐、杉乃井は高橋鎮理や佐田鎮綱、毛利元鎮という良将の監視下で猛訓練をしているし、最終責任者が珠という明確な責任所在があった。
  御社衆の兵達も、一般兵達と競う事はあれど「おらが姫様の為」と一致して訓練をしたりしてその交流があったりする。
  だが、命令系統が曖昧となっている博多においてそんな事がある訳もなく、御社衆が臨戦態勢ではあるがその実態は飢えた獣でしかないというのも預かった怒留湯融泉は知っていたのだった。
  こんな兵を先行して出すなど、彼らの略奪暴行の事を心配しなくてはならないだろう。
  とはいえ、そんな事を考えている怒留湯融泉の気持ちなど、顔前にて迫る二人には分からない。

 この二人も退くに引けない事情があるのだった。
  反大友傾向を強めていた立花家家中において、彼らを救い出したのは珠姫である。
  とはいえ、立花家を出奔という形になった新参者ゆえに、速く功績が欲しかったのだった。
  敵は千以下、そしてこっちは臨戦体制の御社衆が千。
  兵の数が勝利に繋がるのなら、負けるはずがない戦である。

「我等の手勢も合力させるゆえ」
「どうか、龍造寺を討つ許可を!」

 結果、怒留湯融泉は二人の熱意に押され岩屋城を出陣する。
  薦野宗鎮と米多比大学の手勢に御社衆をつけ、出陣した兵は千五百に膨れていた。
  もし、彼らの出陣を珠が知っていたのなら、兵の錬度と指揮系統の不明瞭さで戸次鑑連相手の模擬戦にてフルボッコにされた珠ならば、全力で止めに入っていただろう。
  だが、珠は豊後に居て南蛮人達の後始末をせねばならず、彼らは勝ち戦と奢って龍造寺軍に相対する事になる。
  そして、早馬から一日後、彼らが筑紫広門率いる筑紫勢と合流し、二千の兵となった大友軍が肥前朝日山城を眼下におさめた時、その城を囲んでいるはずの龍造寺軍の姿は何処にも無かった。

「村中城に引っ込んだのではないか?」

 高揚感が着え、ある種の安堵感が漂いだした大友軍にその報告は飛び込んできた。

「太刀洗にて、原鶴御社衆が龍造寺勢に襲われています!」






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