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大友の姫巫女

 第五十九話 豊西戦争 一日目夜 北浜夜戦 

  

地理説明
     ↑
    宇佐
   □      |    別府湾
  別府     |
          |
  凸       |
杉乃井御殿▲スペイン南蛮船
          |
          |
         |    凹瓜生島
     凸  |
高崎山城 |
        |
         ------
            凸
           府内城  

 


一日目 昼 杉乃井遊郭 大広間


「で、殿はご無事なのだな?」

 吉岡長増の問いかけに答えたのは、くノ一の菜子。
  その小柄な体を駆使し、高崎山の裏手を通り府内へ繋ぎを取ったのだった。

「はっ。
  お館様、および一門、重臣の方々は皆ご無事です。
  城も落ちておりませぬが、南蛮船の砲撃と浜に打ち上げさせた神風のせいで火災が発生。
  港を中心に街の三割が焼けた模様で、旗本鎮台はまだ動けぬとの事。
  臼杵鎮台は明日にも先鋒が府内に。
  大野鎮台も日向の動向を見ながら、明後日には先鋒を府内に送るとの事」

 菜子と同じように控えていたのが妹の里夢。
  彼女は宇佐に走り、北の情報を押さえて戻って来たのだった。
  珠が主導した伝令制度と鎮台は、完全にその機能を発揮していた。
  事変が勃発して、現場にまとまった戦力が投入できるのがそれまでと比べて格段に早い。

「姫様は無事に立石砦に入られました。
  途中、疲れが出たのかお倒れになりましたが、穏やかに眠っておられるとの事。
  明日にも宇佐にお入りになるでしょう。
  佐田隆居様より伝言が。
  中津鎮台と宇佐御社衆、合わせて千が明日、明後日にはもう千が杉乃井に入れるとの事。
  別府奉行の木付鎮秀様からも伝言が。
  木付勢と奈多八幡の奈多鑑基様の手勢、合わせて千が間もなく別府に入るとの事」

 珠姫が倒れたという報告に一同がざわつくが、その後の眠っているという言葉に安堵の息が漏れる。
  杉乃井遊郭の広間には、要職についている全ての人間が男女構わず集まっている。
  だが、その中央にいるのは遊郭の主ではない。
  能面のように表情を消した、珠の替え玉である恋が人形のように鎮座している。
  彼女の前に鎮座するのが、御殿代の吉岡麟であり、その両隣に補佐する形で隠居していたはずの吉岡長増と田北鑑生が鎧姿で座っている。
  恋の人形のような仕草も、替え玉としての初仕事に緊張しているのだろうと前の三人は思っていた。
  だからこそ、後に一騒動起こり、その後始末に頭を抱える事になるのだが、今の段階でそれを責める事はあまりに酷だろう。

「杉乃井には御社衆が五百詰めており、姫巫女衆も二百五十ほどおります。
  更に、吉岡様・田北様に習いに来ている者も郎党含めれば、戦に使えるのは千人ほどいる計算になります。
  また、別府および杉乃井の門前町から逃れてきた者は三千人ほどおり、健康な者は裏口から山を越えて城島高原の方に逃しております」

 奉行職につく藤原行春が杉乃井の兵と住民の避難について述べる。
  その隣には奥方である瑠璃姫が夫に添うように控えていた。

「南蛮船ですが、府内砲撃後に吹いた強風で北浜に打ち上げられました。
  内、一隻は転覆しており使い物にならない様子。
  南蛮人は上陸して船の隣に大きな穴を掘り、陣を敷いています。
  その数は千ほど」

 くノ一の舞の報告に一同地図を見て困った顔になる。
  南蛮船で好き勝手砲撃されないだけましかもしれないが、打ち上げられたその場所が大問題だった。
  後の世に『別大』と呼ばれるそこは九州でも有数の交通の要衝であり、海を埋め立ててまで一部六車線の道路が作られたのは、高崎山の裏手にトンネルで抜ける高速を除いてそこしか道が無いからである。
  その別府側出口である北浜に南蛮船は打ち上げられた。
  それは、府内から最短距離で北に上がる事ができない事を意味していた。

「兵が揃うのを待って、一気に押しつぶすしかなかろうな」

 田北鑑生の一言に、吉岡長増が異を唱える。

「待て。
  やつらの狙いは姫様だ。
  姫様が宇佐に下がったのをやつらは知らない。
  だとしたら、あいつらはどういう行動に出る?」

「この杉乃井を攻撃に出るか?
  いや違う。
  彼らは先に府内を叩いた。
  姫様の居城がこの杉乃井と知っているならば、府内を反撃できないだけ叩いて本拠であるここに来るはずだ。
  ん?」

 そこまで言って、田北鑑生も気づく。

「やつら、府内と別府を勘違いしていないか?」

 田北鑑生の一言に吉岡長増がにやりと人を食ったような笑みを浮かべた。
  この時代の地図なんぞ、正確に書かれている方がまれである。
  たしかに欧州にはベップの名前は伝わっていただろう。
  だが、そのベップのあるだろう湾に入ると、四層天守を誇る巨大城砦都市が構えていたら彼らはそれをベップと思い込むのでは?
  その府内を守るのは大友の軍神戸次鑑連。
  南蛮船は浜に打ち上げられ、臼杵や大野鎮台からの増援も明日には入る以上、簡単には落とされないだろう。
  戦には兵糧や弾薬を含め、膨大な物資が必要になる。
  彼らが府内城を攻めて消耗した所を叩けばいい。

「よろしいのですか?
  府内を、お館様を危険に晒すような事をして?」

 吉岡長増に尋ねたのは義娘となった吉岡麟。
  その不安そうな顔を見て、吉岡長増は笑って答える。

「構わぬよ。
  姫様が狙いと分かった以上、姫様から南蛮船を離す事が肝要。
  いざとなれば、わしと田北殿が腹を切れば良い」 

「おうとも。
  老骨はその為にいるのだからの。
  まぁ、異人相手に槍を振るえないのはちと残念だが」

 おどけたような田北鑑生の一言に皆がどっと笑う。
  その笑みの輪に恋が入っていないのに誰も気づいてはいなかった。

「では、このまま城を固めるとしよう。
  やつらが府内を攻めて消耗した後で、姫様率いる後詰と共にやつらを叩く」

 吉岡長増がこの場での方針を固めようとした時に、その声は凛として力強く響いた。

「その時間は無いかも知れぬぞ」

 末席に当然のように座っていた鶴姫がいい笑み――肉食獣が獲物を見つけたような――を浮かべて皆に言い捨てる。

「それはどういう事ですかな?」

 皆を代表して吉岡長増が鶴姫に問いかける。
  杉乃井の人間は、厄介事として鶴姫をそんなに評価していないが、規格外という事ではこの杉乃井の主である珠姫の例もある。
  侮るつもりはなかった吉岡長増は、それが正解と悟る。

「やつら穴を掘っていると言ったな。
  ならば、南蛮船を動かすつもりだろうよ。
  船体横に海まで続く大穴をあけて、潮が満ちるのを待つ。
  満ちた潮が穴に入り、穴の側壁を崩せば、船自らの重さで船が穴に落ちる。
  で、穴の深みで船は沖に出られるという寸法じゃ。
  安宅船など大きな船を上げて、また海に出す時に使う手法じゃ。
  ほおって置けば、夜の満ち潮にでも脱出されるのではないか?」

 その一言に、広間の全員が凍りつく。
  あの南蛮船が動き出す。
  それを止める手段がまだない。
  大神に南蛮船が一隻待機しているが、日振島にいる二隻が来るのはどんなに速くても明日以降。
  それまでに南蛮船が動き出して大神の南蛮船が沈められたら、やつらを止める手段が無い。
  何よりも一番厄介なのは、南蛮船が暴れるだけ暴れてそのまま帰ったら諸国の笑い者である。
  おまけに、また来るかもしれない南蛮船に脅えなければならない。
  それは、南蛮交易で繁栄していた府内経済の決定的な破綻を意味していた。
  そこまで考えて真っ青になっている一同に対して、鶴姫はあまり豊かでない胸をそらして己の才を誇っている。
  もちろん四郎向けなのだが、その四郎も真っ青になって気づいていないのが哀れというかなんというか。

「まずいな。
  やつらを足止めせねば」

 田北鑑生が漏らしたその一言が場の空気を変えた。
  篭城による消極策から、足止めの為の野戦という積極策に変わったのに気づいたのは、四郎と小野和泉の二人。
  彼らは打って出る隊の大将をする事になるから、功績を立てる事を夢見てその変わった空気をある種歓迎していた。
  だから気づかなかった。
  その野戦の大将が誰になるかを。
  この別府の地が大友宗家の直轄領という事実を。
  珠が去った後、別府近辺の指揮をとる最上位者が誰になるのか、誰も考えていなかったという事を。
  数刻後、二人はそれを血の代償と共に思い知る事になる。


同日 夕方 別府奉行所

「夜襲か」

 杉乃井から送られた文を見て、奈多鑑基はある種の侮蔑を持ってその文を床に投げ捨てた。
  その表情には不満がはっきりと写っていた。

「老人どもがでしゃばりおって。
  面白くない」

 奈多鑑基自身は寺社奉行として国東半島に大きな影響力を持ち、奈多夫人を大友義鎮の正室に送るなど絶大な権勢を誇っていたはずだった。
  その権勢に幾許かの陰りが出てきたのは、珠姫という存在の為であると思い込んでいた。
  実は奈多八幡(分家)と宇佐八幡(本家)は豊後の寺社領荘園を巡って対立していた仲であり、寺社奉行だった奈多鑑基が奈多八幡側の裁定を出して宇佐八幡の荘園を奪っていたのだった。
  史実における対毛利戦の宇佐八幡の日和見というのは、奈多八幡擁する大友家への意趣返しという側面もある。
  だが、珠姫が宇佐に人質に出た事により、強硬な裁定が出来なくなっていた。
  珠自身も父である大友義鎮に直接交渉して、宇佐八幡の権益の回復を求めた事もあり、奈多八幡と宇佐八幡の荘園問題は宇佐八幡側の主張を認めつつ、奈多八幡の権益を確定させるという玉虫色の決着によって終結している。
  もちろん、香春岳神社再興による権益や新田開発等で、珠が宇佐八幡・奈多八幡双方に利を与えたからこそあくまで不満に留まっているのだが、やはり面白くない。
  珠そのものについても、奈多鑑基は疑心を持っていた。
  何しろ、娘である奈多夫人が可愛がっても、彼女の腹から出ていない子供である。
  しかもお腹に西国屈指の大大名の一族である毛利元鎮の子供を宿している。
  珠姫と彼女の子供も、大友家の後継者となりかねない位置にいるのだった。
  また、息子であり養子に出した田原親賢の加判衆就任を阻止したのも、珠姫が行った南予侵攻だった。
  更に疑心を深めるのが、珠姫自身の才覚である。
  合戦では負け知らず、謀略も冴え渡り、統治も善政をしき、大友家に巨万の富をもたらしている。
  あげくに、朝廷から官位までもらい、既に大友家次期後継者最有力候補と(珠自身は否定しているのに)家中からみられていたのだった。
  そんな珠姫が今回の南蛮船襲来では、身重の体という事もあって宇佐に退いている。
  大友宗家に血縁で食い込んだ奈多一族と我が娘の孫達の為にも、功績をあげる必要があったのだった。

 別府湾周辺は大友宗家の直轄地扱いになっている。
  という事は、このあたりの指揮系統は府内にいる大友義鎮自身か、旗本鎮台陣代である戸次鑑連に従う事になるのだが、南蛮船のおかけで府内とは連絡がつかない。
  これで、珠姫が残っていればいやでも彼女の指揮下に入っただろう。
  疑念はあっても負け知らずのその功績は評価しているのだった。
  だが、命令を出しているのは引退したはずの田北鑑生や吉岡長増である。
  現役武将である奈多鑑基が面白いはすが無い。
  しかも、別府北浜に打ち上げられた南蛮人は少数で、一隻難破したと聞く。
  己の手勢だけで蹴散らせるかもしれないと思った時に、誘惑が悪魔の姿に化ける。
  率いる手勢は五百。
  一撃与えるなら申し分ない兵力だ。
  抜け駆けになるが、そもそもが足止めを意図した攻撃なので速ければ速いほどいい。
  一撃与えた後、木付鎮秀の手勢か、杉乃井守備兵が続いて叩けば問題も無い。兵力では勝っているのだ。
  計画では、杉乃井集結後に南蛮船攻撃を計画している。
  既に、木付鎮秀の手勢は杉乃井に向かって出発しており、日が落ちつつある中で奈多鑑基の手勢も間もなく出発する手はずとなっていた。
  ほんの少し、杉乃井への進路がずれたとしたら。
  たまたま、その途中で南蛮人と出会ってしまったとしたら。

「出るぞ」

 奈多鑑基は手勢に声をかけ、別府奉行を出発した。
  何処へ出るかを最後まで言わないまま。

 

同日 大禍時 杉乃井遊郭 大手門前

 大手門前に揃っていた兵は御社衆のみでその数は五百。
  茜色の大地に彼らの影が長く伸びる。
  この間、府内で行われた旗本鎮台との模擬戦にて兵の錬度が違う部隊を強引に運用して、総崩れに陥った苦い経験から出撃は御社衆のみで行われる事になった。
  姫巫女衆およびその他の兵がまだ五百いるから、簡単には落ちないだろう。
  この姫巫女衆を率いるのは田北鑑生。
  本来御社衆を率いる四郎が請うて大将に据えたのである。
  で、四郎自身は手勢二百の大将として、同じ手勢二百を預けられた小野和泉と共に前線に出るつもりだった。
  指揮官を増やして、指揮する手勢が少なければ兵の統率は楽になる。
  錬度と士気が低い御社衆の統一運用を考えた四郎苦肉の策である。

「四郎殿。
  成長なさいましたな」

 漆黒の鎧武者姿を見て同じ姿である吉岡長増が見送りがてらに褒める。

「いえ、それがしまだ未熟者ゆえ」

「誰も最初は未熟者よ。
  失敗し、生き残って初めて一人前になるというもの。
  何より、四郎殿は既に功績をあげておられる」

「え?」

 きょとんとする四郎に吉岡長増が好々爺の笑みを浮かべた。

「姫様を逃がした事じゃ。
  ちゃんと府内での敗北を糧にしているではないか」

 その一言に四郎もいい笑顔を浮かべる。

「吉岡様の教えのおかげでございます。
  姫様の御身をこのような戦で危険に晒す事こそ、最悪の手という事を教えていただいたゆえに」

「そうじゃ。
  総大将が御前に出るのは、こちらが負けている時で良い。
  一軍の将が簡単に討ち取られては困るのじゃ。
  姫様は誰よりも先が、大局が見える。
  否、見え過ぎてしまうが故にそこに足を取られる気がしてならん。
  そこを支えるのが四郎殿の役目よ。
  覚えておくがよろしかろう」

「はっ」

 一礼をする若武者の凛々しさに嬉しさを感じると共に、一抹の不安も覚える。
  もしかして、自ら最強の敵を作っているのではないかと。
  ひとまずの不安を消して、吉岡長増はそのまま小野和泉と田北鑑生の所に顔を出す。

「初めての隊を指揮するのはいかがか?田北殿」

 床机に腰掛けて田北鑑生が笑う。

「何、一通り動けるぐらいには訓練しているのは知っている。
  他国の国衆を率いるよりは楽だろうよ」

 加判衆の一員として、万を越える大友軍の総大将も勤めた田北鑑生にとって、この程度の兵の指揮等呼吸をするがようにできる。
  それを知っているから、そのまま笑って流し、隣に控える小野和泉の方が固まっているので吉岡長増はそちらにも声をかけた。

「和泉。
  お主が固まってどうする?」

「はっ。
  今頃になって、府内での姫様の苦労を知った次第で」

 知らぬ兵を指揮するというのは、侍大将になるためには必須の条件でもある。
  自分の思い通りに動かない兵を与えられた今回、彼の真価が問われるだろうと自覚していて硬くなっていたのだった。

「気をぬけ。
  硬い者ほど死んで行くぞ」

「はっ」

 轟音が轟いたのはそんな時だった。

「落ち着けいっ!!!
  斥候を音のする方に走らせよ!」

「はっ!」

 田北鑑生の一喝でうろたえかけた空気が戻り、数騎の斥候が轟音のした方に駆けて行く。
 
「吉岡殿。
  城を頼む」

「心得た。
  だが、田北殿。
  この杉乃井は城では無いぞ。建前上」

「老人は、建前を覚える前に忘れるのよ!
  御社衆出るぞ!
  警戒しつつ、木付殿、奈多殿の手勢と合流する!!」

「はっ!」
「御意」

 田北鑑生の采配に四郎と小野和泉が号令をかけて兵を動かしてゆく。
  断続的に響く轟音を耳にしながら、吉岡長増は大手門に入り、負けじと大声で命じる。

「門を閉じよ!
  以後、わしの許しなく門を開ける事はまかりならぬ!」

「はいっ!」

 大手門に詰めていた中華衣装娘三人組が元気な声をあげるが、その顔は断続的に響く轟音に脅えの色が見えていた。
  杉乃井の本丸御殿からはこの轟音の正体が見えていた。
  奈多鑑基が独断で南蛮人に攻撃をしかけていたからである。

 

同日 夜のはじめ 北浜

 月明りに波の音が揺れ、それを完全にぶち壊すように砂浜に赤い花が轟音と共に断続的に咲く。
  その火炎の花咲く元に奈多鑑基率いる大友軍は、近づく事すらできなかった。

「何故じゃ!
  何故やつらの弾は当たる!!」

 大友軍は足元の悪い砂浜を突撃するが隊列が崩れ、そこを左右の鉄砲で狙い撃ちされていた。
  しかも、その左右に船から降ろしたたらしい大砲を据付け、その大砲の轟音が大友軍の士気を打ち崩したのだった。
  スペイン軍は日本と違い、鉄砲の使い道を狙撃ではなく、制圧射撃に使っていた。
  南蛮船を出す為に掘っていた砂で鉄砲の射程限界の所に丘を作り、そこを下りてきた大友軍兵士を一斉射撃で狙い撃ちしていたのだった。
  それでも近づいてきた大友兵は整列したパイク兵によって叩かれ、貫かれていく。
  それは、珠姫が行った慶徳寺合戦の裏返しだった。
  士気を叩き崩す火砲の優位、近づけさせない槍ふすま、そして、士官の多さによる柔軟な運用。
  カノン砲と呼ばれる大口径の火砲がまた火を吹いた。
  砂場で足を取られていた竹束を吹き飛ばした時、奈多鑑基率いる大友軍の士気は完全に折れた。

「もうこんな場所にいたくねぇぇっ!!」
「おら、死にたくねぇだぁ!」

 一斉に逃げ出す足軽達はおろか、侍達も逃げ出す始末。

「ま、待て!
  逃げ……」

 轟音と共にカノン砲が着弾した。
  その場所は運が悪い事に砂の下に石が埋まっており、火花を散らして砕いた石の破片を撒き散らしてカノン砲の弾を跳ねさせた。
  その跳ねた方向は、奈多鑑基の正面。

「え?」

 その迫り来る黒い物体に対する疑問の声が、彼の最後の言葉となった。


「奈多鑑基様討ち死にっ!
  奈多隊は総崩れですっ!!」

 決して遅かった訳ではないが、木付鎮秀が戦場に到着していた時には奈多隊は崩壊していた。
  とはいえ、見通しの良い砂浜での事、奈多隊総崩れの一部始終はしっかりと見ている。

「側面に回って槍を突き崩す!
  一隊は囮となって、あの丘の前で弓をいかけよ!
  杉乃井に伝令!
『奈多隊総崩れ。奈多鑑基討ち死。
  我らは南蛮人の側面をつき、奈多隊撤退の支援をする』と」

「はっ!」

 一騎の伝令が杉乃井に向かって駆けて行く。
  その方向には杉乃井から出てきた田北隊が、こちらに向かっているのが見えた。
  松明を赤々と掲げた敵は方陣の陣形で、その側面をつけば正面の槍は動けない。
  だから、見落としていた。
  方陣の四隅に銃兵と火砲が備えられていた事を。

 かくして、木付隊も奈多隊と同じ地獄を味わう事になった。

「ええいっ!
  これでは持たんわっ!
  一度退いて杉乃井勢と合流する!!」

 奈多隊の崩壊を前にして、木付隊も士気が崩壊しかかっていた。
  そして、木付隊より錬度も士気も低い杉乃井御社衆が裏崩れを起こす事を何よりも木付鎮秀は恐れた。
  彼らまで総崩れになったら、杉乃井はおろか別府湾中央部を守れる隊がいなくなってしまう。

「退けい!
  隊を乱すな!
  追い討ちを喰らうぞ!」

 その判断が田北勢を救った。
  既に、奈多・木付両隊の崩壊を目の当たりにして裏崩れを起こしかけていたのだった。

「逃げるなっ!
  逃げたら俺がこの場で切るっ!!」

 小野和泉や四郎が必死に馬上から叱咤すれど、一人、また一人と闇の中に落ち延びてゆく。
  特に、御社衆は南予侵攻で珠姫が見せた火力の凄まじさを見ていただけに、己の末路を簡単に想像してしまったのだった。

「これは戦えぬな。
  退くぞ。
  わしが殿を勤める。
  吉岡殿に詳細を伝え、敗残兵を収容させよ」

 ため息をつきながら、田北鑑生は撤退の指示を出す。
  これだけのものを見せられたのだ。
  杉乃井、奈多、木付の将兵はしばらく使い物にならないだろう。
  床机を持ってこさせ、悠然と腰をかける。
  そういう物事に動じないしぐさが兵の安堵に繋がる事を、この老将は幾多の戦経験より学んでいた。
  その為か、田北鑑生率いる本陣の百人は一人も逃亡者を出していない。

「田北様、それがしに殿を!」
「いや、それがしに殿を!」

 隊を辛うじて纏め上げた四郎と小野和泉に向かって、田北鑑生が一喝する。

「はしゃぐな!若造ども!!
  裏崩れを起こすような隊に殿を任せられると思うか!
  ここはわしが抑えるから、とっとと杉乃井に帰って、おなごの乳でも吸ってろ!!」

 その叱咤を含んだ言い捨てに二人とも顔を赤めて怒気を発するが、田北鑑生の言うとおりなので何も言い返せずに二人とも自らの隊を率いて撤退してゆく。
  そこに、隊をまとめて退いてきた木付鎮秀が合流する。

「木付殿すまぬ。
  勢い良く出たはいいが、役にたたなんだ」

 座ったまま頭を下げる田北鑑生に、木付鎮秀も安堵の息を漏らす。

「いえ。
  さすが田北老。
  裏崩れを起こさずに、杉乃井に入れるのはご老体がそこに座っているおかけではないですか」

 馬上から見下ろす木付鎮秀に、床机に座ったまま田北鑑生が白々しく苦笑する。

「何、足腰が弱ってな。
  年は取りたくないものじゃ」

「では、我が隊と共に杉乃井にお退きを」

 諧謔の笑みを浮かべて木付鎮秀も乗る。
  二人して笑っているのに目は赤々と篝火を灯す南蛮人たちに釘つけになっていた。

「そうさせてもらおう。
  で、木付殿。
  一当てしてどうじゃ?」

「弾切れを待つしか手が無いかと。
  竹束を吹き飛ばされたら近づけませぬゆえ」

 それは、戦場を潜って来た歴戦の将、先に帰らせた二人の若武者がまだ手に入れることの出来ないものを持つ戦国武将の姿だった。

「足止めは、今の兵では無理ですな」

 作戦目的の失敗を木付鎮秀は認め、田北鑑生も異議を唱えなかった。

「くノ一を使い、この顛末をわしの名前で殿と姫様に伝える」

 それは、今回の敗戦の責任を田北鑑生が取る事を意味していた。
  それを木付鎮秀が止めないのも、総大将としての責務である事を知っていたからに他ならない。

「わしらは負けたが、南蛮人。
  殿は、姫様は手ごわいぞ。
  次も同じように勝てると思うなよ」

 床机から田北鑑生が立ち上がった。
  彼と木付隊は南蛮人の追撃も無く、無事杉乃井に入城した。

 こうして、この日の戦は大友軍の敗北として終わる。
  なお、その夜に兵も居らず、避難が済んだはずの別府の町が大火によって焼失する。
  南蛮人の仕業と後に伝えられるが、実際は逃げ出した大友敗残兵が略奪し、その証拠隠滅が原因と言われている。

 

 北浜合戦

兵力
  大友家          田北鑑生             千五百
  スペイン派遣船団  ミゲル・ロペス・デ・レガスピ  千

損害
  四百(死者・負傷者・行方不明者含む)
  不明(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
  奈多鑑基(大友家)


六十話の裏で行われていた事(18禁注意)  作者大隈氏



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