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大友の姫巫女

第四十三話 南予侵攻 おまけ 米津幻影憚 

 夢を見た。
  それは私の夢。
  あの愛する肱川を眺める夢だった。

「ねぇ、うちに来ない?」

 世話係として引き合わされた大友の姫巫女、珠姫は色々規格外のお方だった。
  己の身を売って士気高揚をなさるかと思えば、南蛮から取り寄せた大筒で、河野勢や西園寺勢を蹴散らしても見せた。
  その一方で、夜は常に大友にとって仇敵の一族である毛利元鎮殿と褥を共にしたり。
  この戦国の世、女も戦に出る事もあろう。
  けど、それは己の城を守り、身を守る程度の事。
  自ら戦場に出るというのがどれほど奇異なものか姫は考えた事はあるのだろうか。

「ほら、できちゃったでしょ。
  乳母を捜さないといけないんだけど、瑠璃姫ならぴったりかなって」

 そう言って、大きくなりつつなるお腹を触る珠姫はごく普通の母に見えなくも無かった。

「なんなら、旦那さん込みで領地……は、いきなり与えると譜代ににらまれるか。
  一万貫でどうかな?
  旦那は別府杉乃井御殿の御殿奉行という所で。
  主の宇都宮豊綱殿には私が話つけておくからさ」

 こんな所で、この方は住む世界が違うと思い知らされる。
  今、さらりと言ってのけたその金額に目がくらみそうになる。
  一万貫。主人が預かっている米津城の領地の五倍の金額に当たる。

「申し訳ありません。
  私はこの地で暮らし、この地で終える身の上。
  八重姫と九重姫をお連れくださいませ。
  仕込みは終わっておりますゆえ、きっと姫のお役に立てるでしょう」

 断った時の姫のもの悲しそうな目が、何故か忘れられなかった。


  白滝の上から私は大洲を眺める。
  私はこの眺望が好きだった。

 春は菜の花が潮風に揺れ、
  夏は蝉の音と蛍の灯に雅を感じ、
  秋は赤く染まった山々と黄金色に揺れる稲が大洲盆地を染めあげ、
  冬は雪と霧で白の幻影に包まれる。
 
  そんな、四季に彩られたこの土地が好きだった。
  そして、そんな四季と共に戦国という荒波の中で暮らす人々が好きだった。
  何より、この土地と同じようにゆっくりと色をつけて成長する娘や、愛を与え続けてくれる主人がいるこの土地が好きだった。
  それが、いつかは終わることが分かっているとしても。


「姫は、身内しか触れたことがございません。
  私も、姫の身内ゆえつい甘く接する事も多く……お恥ずかしい事ですが。
  他者として姫を叱れる方が絶対に必要なのです」

 戦の最中、裏方として共に働いていた珠姫付きの麟殿はそう言って、寂しそうに笑った。
  この方は珠姫が生まれてからずっと付いていた事もあり、かの姫が数少なく心許せるお方である。

「大友家というのは大大名ゆえ、魑魅魍魎も多く、妾の子として育てられた姫は、いずれ嫁に行き大友から出て行く事になる。
  そう誰もが考えていました。
  姫様自身がここまで大友の家にとって、無くてはならない御方になるとは思っておらず、ふと気づけば、すでに私にお諌めできるお方ではなくなってしまいました」

 それは凄くつらかっただろう。
  女として生きるのならば、麟殿も諌める事もできた。
  だが、珠姫は女のくせに、殿方の世界を生きている。
  その時、珠姫が甘える事ができるのは麟殿しかいない。
  しかも、姫自身が打った手は殿方でも感嘆するものばかり。誰が姫を止める事ができようか。

「姫様。
  姫様は女としての幸せを追求したいとは思わなかったのですか?」

 その一言が大友家の誰も言えなかったのだ。
  言えば、珠姫はいやでも女として自覚してしまうだろう。
  そして、姫が女を自覚し奥に引っ込んでしまったら、その時、彼女が推し進めていた大友家の改革はどうなってしまうか?
  もう、大友家にとっては珠姫という「武将」は手放す事が出来なくなっていたのだった。
 

 私自身は姫に負い目がある。
  壷神山で話された姫の話から推測するに、姫にとって、宇都宮家そのものが毛利戦における駒でしかなかったのは間違いない。
  河野軍が攻めてきた時に見捨てられる可能性は高かった。
  その時に私や夫、二人の娘がどうなっていたか……考えるだけで恐ろしかった。

 だからこそ気づいてしまった。
  乳母の話はあくまで理由付けであって、姫は私達を救いたいのだと。
  そして、姫にとって、宇都宮は滅びても構わない存在なのだと。


「あの姫も馬鹿だよね。
  全部を背負おうとしている。
  自分で助けられる数など、ほんのわずかしかないのが分かっているのにねぇ……」

 湯あみをしながら、白貴太夫が愚痴を漏らした事を思い出す。
  姫が率いる姫巫女衆の長であり、豊後で三人しかいない最高級の遊女の称号「太夫」の名前を持っている。
  なお、残り二人が大友家当主である大友義鎮の愛妾である比売太夫であり、珠姫の付き人兼愛妾だった麟殿こと豊後太夫である。
  ついでだが、麟殿は客は取った事はないが珠姫から一番長く性の手ほどきを受けており、遊郭を差配し、遊女達にその手ほどきを教える役割上太夫の称号を与えられているという。
  麟殿が嫁に行き、四郎殿こと毛利元鎮殿が来るまでは姫は女性しか閨に呼ばず、姫の愛妾達は各遊郭の長として北九州でその美と権勢を誇っている。
  大友家中では姫が殿方に興味を持ったこと自体に、喜ぶ人もいたぐらいなのだから。
  ……それが四郎殿と知って、発狂したのもそんな方々だったりするのだが。     

「何よりも、その馬鹿さは姫自身が一番知っているあたり、私に言わせれば天下一の大馬鹿者よ。
  見捨てればいい者を助け、自らも同じ場所に落ちないと気がすまない。
  天下一の大馬鹿者よね」

 男どもに浴びせられ、注がれた精を洗い落としながら、白貴太夫は苦笑する。
  彼女の体には杏葉紋の刺青が二つ(下腹部と恥丘)彫られ、『二杏葉の白貴』と呼ばれていたりする。
  恥丘の刺青は大量に出回る大友女の偽者に対してとられた対策の一つらしく、それでも偽者は納まらず、次は金銀の輪でも乳首につけようかと姫はこぼしていたとか。
  で、それを姫の母共々つけようとしてまた一騒動を。
  なお、姫の母である比売太夫は各地の豊饒の祈祷ついでに、村々の男とまぐわうのを楽しみにしているとか。
  それを義鎮殿は快くは思っていないけど、行かない村と行く村の収穫量の違いを見せ付けられて文句も言えなくなったとか。
  この母にしてこの娘ありという言葉がふと頭をよぎる。
  閑話休題。 

 戦場において明日はない命ゆえ、足軽達はその生の証を残すかのように彼女にその生きた証を注ぐのだという。
  実は、彼女達姫巫女衆が使う湯の手配だけで、宇都宮家にとっては過度な負担だったりする。

「麟には言わないでよ。
  姫は、かなり昔から、己の身を汚すことを考えていたのよ。
  私達が男に組み敷かれて子種を注がれているのに、その長たる姫がそれをしないこと自体が間違っていると。
  『泥に浮かぶ蓮の花』って自嘲していたのよ。
  姫が足を開けば、それだけ男が姫に群がり、私達が楽になると思っているのよ。
  本当に大馬鹿者よね。
  だからついて行くのだけど」

 それで得心が言った。
  姫が長浜で裸に近い姿で踊るのを何で彼女が反対しなかったのか。
  姫の思いを知っていたからか。
  その馬鹿げた気遣いを知って、泥の中にいるからこそ、その蜘蛛の糸を切ることが忍びなかったのか。

「だから、大友に来なよ。瑠璃姫。
  もう、あんたは姫にとって他人じゃない。
  あんたがここにいるだけで、姫はまた危ない橋を渡るだろうからね。
  私は、またここが戦場になって、姫が足軽どもに体を差し出すと言い出したら止める気ないから。
  実際、助かるしね」

 それは、姫を止めるのは私だと言わんばかりに。
  いや、その役を与えることで大友家内部で、私が入りやすくする配慮なのだろう。
  どうして姫の周りの人々は、姫に似てこんなにも馬鹿ぞろいなのだろうか。
  その心遣いがとても嬉しく、だからこそ見捨てられる予定である今仕えている宇都宮家が痛々しく、私の心を苦しめる。
   

「構わぬぞ。
  むしろ、行け」

 我が主君宇都宮豊綱様に夫婦揃ってこの話をもって行った時、出た言葉がそれだった。

「一応、大友とは対等な立場とうたっているが、実際は被官の関係であるのは紛れも無い事実だ。
  姫が来なければ、我が家は滅んでいた。
  お主らが行けば都合の良い人質となろう」

 姫様がこられてから妙に老け込んだ気のある我が殿は、自虐的な笑みを浮かべて言い捨てた。

「大友が旧西園寺領と一条領を掌握したら、やつらがしたのと同じように夜昼峠と鳥坂峠に兵を置くのだろう。
  だが、そこから先に進むのは難しい。
  いずれ、我が宇都宮は見捨てられるのだろうな」

 殿も気づいていたらしい。
  己の家の末路を。
  河野家相手に戦をして犬寄峠や銭尾峠を最前線にしてもいいが、伊予灘の制海権を毛利側の村上水軍が押さえている以上、常に長浜から大洲急襲の危険が伴うのだ。
  そして、形ばかりとは言え独立勢力である宇都宮を大友が積極的に助ける理由はないし、河野か毛利が宇都宮を滅ぼした後で宇都宮復興の名の元に大友は兵を動かすのだろう。
  珠姫が八幡浜等西園寺領の一部を譲渡してくれたのは、本拠大洲が落とされた時に逃げる為。
  もう既に、この家の盛衰は大友家に握られている。

「いずれ、宇都宮一門の者も豊後に出す事になろう。
  その時は目をかけてやってくれ」

 そう言って笑う殿の顔は泣いている様にも見えた。


  もうすぐ春というのに、内陸にあるためか大洲はまだまだ寒い。
  南予の戦も終わり、豊後に帰る前に姫はわざわざ大洲にまで足を運び我が殿と話をされたとか。
  きっと、私の話も出たのだろう。
  だから、あんな夢を見たのだ。

 夢で見た私は敵兵に追われ、我が子達と女中を連れて懸命に落ち延びるが、ついに白滝にて追い詰められた。
  米津の城は炎の中に揺らぎ、我らを囲む敵兵達は捕らえた私達をどう陵辱するかしか頭にないらしい。
  ふと自然に笑みが漏れる。
  それは手に抱えたまだ生まれてもいない我が子をあやす笑み。
  これから行う事を怖くないと伝える為の笑みだった。
  最後の吹き矢を放った筒をしまい、歩くかのように私は我が子と共に滝つぼに身を躍らせる。
  その姿に敵兵が呆然とする。
  さらに八重姫が、九重姫も、ついてきた女中達も、次々と滝つぼに身を投じた。
  最後の瞬間に見た大洲の景色は、とても綺麗で。
  同時に、珠姫一行と登った壷神山の一夜が走馬灯のように駆け巡り、温かい記憶と共に私は……

 そして私は目を覚ました。
  汗で寝巻きはぐっしょりと濡れ、吐く息は荒く、自然とお腹に手をあてる。
  着替えて、供も連れずに夢に出た白滝に向かう。
  そこから見る肱川が、大洲が好きだった。
  そして、そこから飛び降りた感覚がまだ残っていたから。

 白滝の上には予想通り先客がいた。
  供回りも連れずという事は無いだろうから、きっと気を利かせて隠れているのだろう。
  珠姫は私が夢で飛び降りた滝の上から、夢の私と同じように朝の肱川を眺めていた。

「霧の肱川も好きだけど、朝日に輝く肱川もいいわね」

 私に気づいたのだろう。
  顔を向けずに声だけで語りかける。

「この地は夕日が綺麗なのですよ。
  ここから茜色に染まる肱川は一度見てくださいませ」

 私も姫の隣に並ぶ。
  朝日が私達の体を包み、ほのかな暖かさを与えるのが気持ちいい。

「夢を見ました」

「どんな?」

 姫は霊験あらたかな宇佐八幡の巫女だ。
  きっと、私の夢など知ってここに来たに違いない。
 
「城が落ち、私が我が子を連れてこの滝から飛び降りる夢を」

 姫は長い間何も語らず、

「そう……」

 とだけ、呟いた。

「私は、この場所が好きでした。
  この場所から眺める景色が好きでした。
  けど、この場所からまだ生まれていない我が子と共に飛び降りたくはないと、夢を見た後で思い知りました。
  姫様。
  あれは、私の未来なのですか?」

 姫は私の方を見ずに、笑って呟く。

「きっと、この滝が貴方を飲み込みたくないって見せてくれたんじゃないの?
  それとも、この間おまいりした壷神山の神様がお告げをくれたのかもね」

 その笑みが凄く痛々しくて、私はあの夢が私の未来である事を悟ってしまう。
  涙が一筋、笑っていた姫の目からこぼれた。

「……ごめんね……
  毛利への餌だから、宇都宮はこれ以上助けられないの。
  残れば、あの夢のように貴方はここから、我が子と共に身を投げる事になるわ。
  だからお願い……」

 何でだろう?
  こんなにも泣いているのに、姫が綺麗に見えてしまうのは?

「……私と一緒に来てくれませんか」

 この姫は本当に馬鹿だ。
  全てを伝えて、なおも私を求める。
  己の自己満足の為に。
  全て救済できないのが分かっているのに、その手で助けられる私を引き上げようとする。
  まるで地獄で苦しむ亡者でも、助けた恩を返そうと糸をたらす蜘蛛のように。
   
「はい」

 何故その糸を振り払うことができよう。
  私だけならまだしも、お腹に新たな命がいるのならばなおさら。

「ありがとう」

 そう言って姫は懐から小刀を取り出して……

「姫様っ!!!」

 ばさりと姫が伸びた髪を切る。
  唖然とする私に、姫は笑って言った。

「言ったでしょ。
  信心深いのよ。私」

 さらさらと切られた髪が散る。
  まるで羽のように滝つぼに落ちてゆく。

「夢のお告げのお礼。
  どうせ伸びるし。
  麟姉さんに思いっきり叱られそうだけど」

 髪は女の命。
  この姫はそれを惜しげもなく、私の為に捧げた。
  それが嬉しい。
  気づいたら、私も惜しげもなく髪を切っていた。
  驚きの顔をする珠姫を見て、ああ、この姫はこんな顔もできるのかと思い少し嬉しくなる。

「叱られるのは私も一緒です。
  今回だけですよ。
  今度からは私は叱る方に回りますから」

 ゆっくりと手を離す。
  切られた髪が散って、滝つぼの中に落ちてゆく。 
  そして、二人して嬉しそうに笑った。

「よろしく。瑠璃姫」
「こちらこそ。珠姫」

 


  後に、この話に脚色がつき、「髪を切って滝から落とすと転職が成功する」という言い伝えに代わり、この地に「姫髪まつり」として残る事になる。
  二人の姫が髪を落とした滝つぼは姫髪淵と呼ばれ、長く人々に信仰されることになるのだが、それは後の話。


 


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