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大友の姫巫女

第二十五話 瀬戸の姫君 

 父上は、私を堺に送り出す時にこういう事を言った。

「誠実に振舞え。
  お前は毛利の血を引く者。
  お前を見る者は、その背後に血塗られたわしを見る事になる。
  そして観察せよ。
  己の目で見て、耳で聞いて、考えろ。
  それがお前の身を守る事になるだろう」

 それを守り、そしてこの姫に出会った。
  いずれ敵対するだろうこの姫は、太陽のようにまぶしくて、瀬戸内の海のように変幻自在で、父上のように狡猾で、
  気付いてみたら、この姫の虜になっていた。


  淡路までの旅路、じっと姫を見つめるが、飽きる事無く堺で買った書物を読み漁っている。
  お経に、南蛮書物に、写本に。
  視線に気付いたのだろう。ふと目があう。

「何、見ているのよ?」

「南蛮の書物も読めるのですか?」

 とりあえず、思ったことを口にすると返ってきたのはとんでもない答えだった。

「読めないわよ。
  けど、読めるようにするの」

 意味の分からない私に、姫は本を持ったままちょっと自慢そうに笑って口を開く。

「ほら。
  これは書という言葉。異国でもこれに類する言葉があるわ。
  文法は後で考えるとして、とりあえずは異国の言葉で何を表しているのか考えるのよ。
  宗教ってのは、ありがたい話を言わないといけないからある程度の話の類似性があって解読するのにうってつけなのよ。
  それが楽しくてね。パズルみたいでしょ」

「ぱ、ばずる?」

「ああ、謎かけって事よ。
  で、今回堺での大当たりはこれよっっ!!!」

 よほど嬉しいのだろう、えっへんと膨らみつつある胸を反らせて見せたのが、丁重な包装の羊皮紙の書物。

「聖書よ。聖書。
  難破船から拾ったらしいけど、こんなに速く手に入るなんて思っても見なかったわ!
  府内に帰ったら教会の司祭にラテン語習おうかしら。
  けど、内容は秘密だったから教えてくれるかしら?
  漢字やこっちの言葉は六郷満山の僧侶達にお願いして向こうの言葉に直せばいいし、明への布教はこっちより速かったから向こうの言葉で聖書出てないかな?
  そしたら一気に、南蛮人と話ができるのよ!
  凄いって思わない!!!!」

 一気にまくし立てる姫だが、その発想に行き着くまでどうやったのか理解できない。
  その一言に衝撃を受ける私に、姫は何を驚いているのか分かってないらしい。

「何よ?
  何か間違った事言った?
  みんな、異国の言葉が分かるようにするって話よ。今のは」

 それは分かりました。
  ですから、そこにどうして行き着いたのかを知りたい訳で。
  なんて言える訳も無く、口にしたのは別の事。

「ひ、姫。
  宇佐の姫巫女ともあろう者が異国の神を崇めるのですか?」

 誰もが恐れる神罰すらこの姫は気にしていないのか?

「そうよ。
  八百万もいるうちの神様は一人の神を敬うごときでばちを与えないし、気にもしないわよ」

 即答かつ恐ろしいほどの割り切りだった。
  そして、信じられないほどの知への執着。
  何がこの姫をここまで虜にしているのだろう?

「とりあえず、今度人集めて辞書作らないと。
  遊郭の遊女の預け子に読み書きそろばんでも学ばせて、学校みたいにするのもいいわね」

 私は、ぶつぶつ言いながら本を楽しそうに眺める姫をただ呆然と見る事しかできなかった。

 

 淡路に着いた私達だが、ここでも姫はとんでもない事を言い出す。

「少輔四郎殿。
  今から、この船団の主は貴方だからね」

「は?」

「だから、大友の旗より毛利の旗の方が迷惑かからないでしょうが!
  曲直瀬道三殿を連れて安宅水軍で安芸まで行く功績をあんたにあげるって言っているの。いいわね!」

「……はい」

 勢いで頷いてしまったが、それに気付く訳も無く、姫はそのまままくし立てる。

「よろしい!
  ほら、毛利の旗に変えるわよ!
  あと、安宅殿に会いに行く時、ついてきてもらうからね!!」

 安宅冬康殿は畿内一円を抑えた三好一族の重鎮で淡路の安宅水軍を握っておられるお方。
  その人柄は温厚でかつ有能。利に聡く集合離散の激しい水軍衆にも慕われているあたり、三好家の柱石たるお人。
  けど、当主長慶殿が病で政務ができない中、三好三人衆が権勢を誇り淡路に攻め込むとの話。
  このまま行けば淡路は戦場となり、安宅殿も討ち死にとなっていた。
  将軍足利義輝殿が京からいなくなるという事態がなければ。
  松永久秀殿が手を回して安宅殿を逃がすという話だが、その逃げる先がこの姫のいる大友とは……

「いいのですか?
  安宅水軍、毛利が取り込むかもしれませんよ」

「それはないわ」

 あっさりと切って捨てる姫の言葉に自信があったので尋ねてみる。
  先ほどの本を前にはしゃぐ姫とは別人の姫がそこにいた。

「もし安宅殿を使うとしたら水軍を率いる小早川隆景殿と比べられる。
  利に聡く、その時々で旗を変える水軍衆は、三好の柱石と称えられた安宅殿と小早川殿の二派に確実に割れる。
  それだけ、安宅殿は有能なのよ。
  だから、私が小早川殿の立場なら殺すわ」

 今から取り込む相手を、仮の立場とはいえあっさりと殺すと言ってのけるこの冷酷さは何処から来るのだろう?

「だから、大友は彼が咽から手が出るほど欲しいの」

 凄く怖い。
  殺したいほど欲しい。
  それはどういう感情なのだろう?

「ですが、大友にも水軍はあり、彼等を刺激するのでは?」

 姫はよく気がつきましたと言った笑みを口に浮かべて、歌うようにその先を話す。

「だから、大友に居られなかったら私が彼の居場所を作ってあげるわ。
  長洲か中津あたりに港を作ってもいいしね。
  それに、あんた達毛利と戦うには水軍の強化は絶対に必要なのよ。私にはね」

 『私には』その一言で、この姫は毛利と戦をする気だと知った。
  姫の父上である義鎮殿が大将ではないのだろうか?
  それとも、知行のある豊前・筑前を自ら守る為の言葉なのだろうか?


  安宅殿との会見時、その家中が見守る中で姫は積んできた有り余る銭――松永殿は受け取らなかった半分――を全てばらまいてみせた。
  櫓を漕ぐ水夫に渡してやってくれという。
  水夫を雇う水軍というのがどれほど金を食うかこの姫は知っていた。
  その上で財力を見せつけながら、ついてくる者は更なる報奨を、残る者にも堺の豪商今井殿の名前で雇う旨を告げる。
  松永殿の根回しが済んでいたとはいえ、その根回しを受け取って交渉を破綻させない。
  本当に姫は私と似た年なのだろうか?


  安宅冬康殿の案内で、安宅水軍の港を姫と共に歩く。
  安宅船を眺めながら、その性能を安宅殿に根掘り葉掘り聞き出している。
  安宅船は櫓で漕いで動く船で、櫓を漕ぐ水夫は八十人もいる大型船である。
  その分、乗せられる兵も六十人と多く乗せる事ができる。
  他に関船や小早など中小の船を合わせて一つの船団を作る。
  安宅水軍は安宅船を五隻保有しており、今回の逃亡において安宅一族が乗り込む二隻の安宅船と三隻の関船がついてくる事になった。
  櫓を漕ぐ水夫には銭が支払われ、水夫が九州から淡路に帰る際に毛利の船に乗れるという保障を私が行ったおかげである。
  小早は小さすぎて豊後までの航海には向かないという理由で全部おいてゆくという。
  それらの船団に翻る毛利の一文字に三つ星旗。
  水軍衆は海賊でもあるから、他の水軍が襲ってくる可能性がある。
  だが、この旗を掲げている限り、問答無用で襲われるという事は無い。
  それだけの影響力を毛利は有している。
  旗の偽装と疑うならば私の存在がここで役に立つ。
  それを見越して、姫は全ての船に毛利の旗を掲げさせたのだ。
 
「安宅船の一隻はあんたにあげるわ。
  安芸についた後、残りの船は『自らの意思で豊後に逃げてきた』という事になっているから。よろしく。
  まぁ、ばれても困らないけどね」

 不意に私のほうに向いて、舌をぺろりと出して笑う姫。
  元服前の小僧が、父上の為に名医を連れて安宅船を手に入れて帰ってくる。
  この姫にお膳立てを整えられたとはいえ、尋常じゃない功績だ。

「全て姫が安宅船を手に入れればいいではありませんか。
  そこまでの厚遇を何故わたしに?」

 疑問に思った私に、姫は安宅船を眺めながら答えを口にした。

「船はまた作ればいいからね。
  私が欲しいのは冬康殿をはじめとした安宅一族だもの。
  途中、毛利との戦で失いたくないの。
  毛利と戦うならもっとしっかりと戦支度を整えるしね。
  だから、安宅船一隻なんて安い買い物でしょ。
  ……ちょ!
  ちょっと、安宅殿、頭を上げてください!
  『死ぬまで忠誠を誓う』って、いいですから!
  あくまで利害関係が一致しただけですから、そんなにかしこまらないでぇ!!」

 おたおたする姫をよそに、安宅殿も私も自然と頭を姫に向けて垂れていた。
  そうだろう。
  身内に追われて流浪の身となる一族を是非にと受け入れ、途中の障害も己の銭と功績を無にして安全を買い、それを『安宅一族が手に入るなら安い買い物だ』と言ってのける。
  この姫を父上が恐れる理由が今、分かった。
  異常な才もそうだが、この姫は功績に執着していない。
  平気で人に功績を渡す。
  それがどれだけ凄い事なのかこの姫は気付いていない。
  それがどれだけ多くの将兵に忠義心を与えるかこの姫は気付いていない。

 二つに束ねた髪を揺らしながら、妙にうろたえる姫が可愛かったのは言わない事にする。

 

 安芸へ向かう船団は、安宅水軍の五隻の船の後ろに三隻の弁才船がついてゆく。
  全ての船に掲げられた毛利の旗。
  誰も手を出してこない。
  私も姫も弁才船の方に乗っている。

「水夫や兵で溢れる安宅船に女が一人で乗り込んだら襲われちゃうでしょ」

 自分が襲われる事を、何故か楽しそうに言う姫が不思議でならない。
  書を読み、瀬戸内の海を眺め、共の者と親しく話す姫。
  怒り、笑い、変幻自在に感情を露にし、身分にこだわっていない姫。
  それを尋ねると姫は不思議そうに答えを口にした。

「そうかな?
  人と話す事は大事な事よ。
  人は色々な所が足りないから、それを他の人で補うの。
  間違っているかな?」

 船旅の間、年も近いという事もあり自然と話す回数も増える。
  気付けば、毎日姫がつけている柑橘の香り水の香りが届く場所でこうして話をしている。

「父上はかつて私にこんな事をいいました。
  『天下の治乱盛衰に心を用ふる者は、世に真の友は一人もあるべからず』と」

 中国六カ国の大大名たる父上は謀略でのし上がってきたのを自覚しており、外にも内にも敵が多いと我らにいつも話していた。
  あの父上は孤独なのだ。
  それは、姫の父も同じらしい。 

「うん。多分私の父上も同じだと思う。
  だから、父上は南蛮の宗教にはまっちゃったしね」

 寂しそうに姫は笑う。
  姫の義母は奈多八幡の宮司の娘、そして姫は宇佐八幡の姫巫女。
  異教にはまる父をどう思うのか。
  それは聞いてはいけない事だろう。
  あの南蛮の聖書を手に入れた時のはしゃぎようは、父が求めている物に追いつこうとする子供の姿なのかもしれない。
  そう思うと、姫の隠している孤独が表の鮮やかさと対比されてひどく寂しそうに見えた。

 短く続いた沈黙に耐え切れず、姫が話を変えた。

「この話はやめ。やめ。
  そうだ!
  南蛮で思い出したけど、南蛮の歌って聞きたくない?」

 そう言って姫は琵琶を取り出す。
  紡がれる絃にあわせて、歌うは異国の言葉で異国の歌。

 なんて楽しそうに歌うのだろう。
  なんて悲しそうに歌うのだろう。

 

 そして、なんで懐かしそうに姫は歌うのだろう?

 

 歌声と共にみなれた島々が私の視野に入る。
  姫との船旅も終わろうとしていた。

「もうすぐ安芸ね。
  そういえば、元就殿は私を貴方の嫁にって言ったらしいけど、こんな私を見て幻滅したでしょ」

 あまりにさり気なく聞いてきたので、私はその問いに詰まる。

「いいわよ。
  答えなくて。
  いずれ敵同士になるのだから。
  けど、貴方とは戦いたくないな。
  もし、戦になっても尼子あたりで功績をあげてよね」

 その笑顔が姫の強がりと分かってしまう。
  その声が大友という立場を背負っていると分かってしまったから。
  だから、私は自然と口を開く。

「もし、次の大友の戦で私も姫も生き残っているならば……
  私の嫁にきてくれませんか?
  私が毛利を捨て……」

 その私の口を塞いだのは姫の白い手。

「それ以上は言わないで。
  本当に殺せなくなるから。
  私も、貴方も。
  それに、私、一人の男に縛られる女じゃないの。
  ごめんね」


  そう言って姫は、本心を晒して寂しそうに美しく笑った。


  後になっても、あの頃の事を鮮やかに思い出す。
  この時、心の底からこの姫の虜になったのだと。


 


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